えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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青山学院大学で日本現代史の教授をされている小宮京さんの著した『昭和天皇の敗北 日本国憲法第一条をめぐる闘い』を読了しました。

小宮さんは、所謂、第三の聖断はなかった、昭和天皇は敗戦後、自らの権力に固執していた、と書いております。ちなみに、前の大戦における昭和天皇の聖断とは、軍部の、「国体」護持、連合国軍による占領の拒否、撤兵と武装解除は自主的に行う、戦争責任者の処分は日本側がする、という四つの条件を付けてのポツダム宣言の受諾の案に反対し、天皇の決断による1945年8月10日の「国体」護持(天皇制維持)のみを条件としたポツダム宣言の受諾が一つ目の聖断、8月13日のポツダム宣言の受諾による即時講和の天皇の決断が二つ目の聖断、三つ目の聖断とは、憲法についてのGHQ草案を受け入れ、静かに自ら権力を放棄し退場したとする、ことだそうです。その三つ目の聖断はなかった、と本書では断じています。昭和天皇が亡くなって、今年で36年、このような本『昭和天皇の敗北』が出されて、事実という真実が明らかになったようなのです。

日本国憲法憲法が発布されて以来、昭和の天皇は、質問に答えるということのみを例外として、自らの政治観やそれのたぐいに属することを公にすることは一切なくなりました。その口をつぐんだことが憲法と民主主義の定着に貢献したとする、歴史のあやと不思議な成り行きを感じつつ、それを初めて破ったのが2016年の平和的とされる平成の天皇のメディアをつうじてのおことばであることに、ぼくは困惑し、本を閉じたしだいです。

昭和天皇の敗北 日本国憲法第一条をめぐる闘い -小宮京 著
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藤原新也さんの著した『メメント・ヴィータ』を読みました。この本を読みながら、NHKのラジオ番組で小児科医の高橋孝雄の語っていた、ヴァーチャルなゲームの中の経験は、所詮、経験とはまったく異なることで、経験ではない、ということを思い出していました。そのヴァーチャルなゲームの中の経験の真逆の『メメント・ヴィータ』に書かれた、「人類の肌色」から「メメント・ヴィータ」までの三十四編はまったく生々しい経験そのもののようなのです。「メメント・ヴィータ」とは「生を想え」ということだそうで、この本は「命の声」を書籍化したものだ、と藤原さんは前書きの「生を想え」で書いておられます。特におそるべきは、ラストの「メメント・ヴィータ」で、日本の社会と政治の底流のもっとも暗い部分に切り込んでいて、とても危なく、藤原さんは武器を携えた身辺警護の人すら雇うべきではないか、とぼくは思った次第です。が、その章も、一点の清浄で締めくくられるところが、藤原新也さんの真骨頂であるようなのです。

メメント・ヴィータ - 藤原新也 (単行本)
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麻田雅文さんの著した『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』を読みました。本の帯に「東京大学教授 加藤陽子氏 安全保障研究者・東京大学准教授 小泉悠氏 絶賛」とあり興味をそそられました。ちなみに加藤陽子さんは日本学術会議の任命を日本政府により拒否された人でもあります。ぼくは、加藤陽子さんのことを日本の近代史と現代史の研究者、著述家としてもっとも重要な人だと思う。加藤陽子さんは中道の学者だとぼくは思うのだけれど、トランプのリベラル狩りに先んずる日本政府の浅はかさを痛感しますな。

麻田雅文さんの『日ソ戦争』を読むと、1945年8月9日の長崎に原子爆弾が投下された日から同年の9月7日まで日本とソ連の間での戦争が続いていたことに、率直に驚く。麻田雅文さんは、日ソ戦争は同時代の米英との戦いに比しても、さらに陰惨な印象を受けるとし、それが今のロシアにも受け継がれている感覚を覚えているとしている。その根拠として日ソ戦争の特徴を三点あげている。

第一に、日ソ戦争では民間人の虐殺や性暴力など、現代であれば戦争犯罪に当たる行為が停戦後にも多発した。
第二に、住民の選別とソ連への強制連行である。
第三に、領土の奪取である。

日本軍の蛮行も許されるものではないし、今、行われているイスラエルの暴力と殺戮もおぞましく、それにしても、ソ連の犯した三点が戦争直後から現在のロシアにまで続いているのも恐ろしい。世界はこれから闇に沈むのだろうか?

ところで、日本はポツダム宣言を内々に受諾し、全面降伏したのが8月14日で15日が玉音放送で敗戦が国民に伝えられる。この『日ソ戦争』によれば、天皇は国体(天皇制)の保持について逡巡していたが、ついに決心し、軍部(大本営)の反対を押し切る。寺山修司の短歌に以下のようなものがある。

マッチ擦するつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

天皇にまったく前の戦争の責任がないとはいえないけれど、天皇はこの時、祖国のために確かに身を捨てた。9月2日がポツダム宣言の正式な調印。正式な調印の9月2日でもなく、内々に受諾した8月14日でもなく、広く天皇の声で知らしめた8月15日が戦後、終戦記念日として定着することとなる。この日、新しい天皇制の呪縛か、新しくなった天皇による加護か何かがが始まることとなった。そして、『日ソ戦争』によれば、この後、いくつかの偶然と多くの血と命の犠牲によって北海道はソ連の領土にならなくて済んだのだった。日本に戦争の悲惨が再びやってこないのを祈るのみです。

日ソ戦争 帝国日本最後の戦い -麻田雅文 著|中公新書
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ハン・ガンさんの著した『すべての、白いものたちの』を読みました。ハン・ガンさんはいわずもかなのの去年のノーベル文学賞を受賞した韓国の作家です。訳は斎藤真理子さん。「1 私」、「2 彼女」、「3 すべての、白いものたちの」の三章による、掌篇の集まりのやうなこの小説は、ストーリーは断片的で、散文詩のようでもあります。原題は『白い』。小説の後のハン・ガンさん自身にやる「作家の言葉」や訳者の佐藤真理子さんによる「『すべての、白いものたちの』への補足」、作家の平野啓一郎さんによる「解説 恢復と自己貸与」を読むと、また初めから読みたくなります。

この『すべての、白いものたち』を読みながら、哲学のノーベル賞と呼ばれるバーグルエン哲学・文化賞を受賞した柄谷行人さんのいう、グローバリズムによる、世界からの差異の消失による文学の終焉ということも思い出したりもしました。けれども、『すべての、白いものたち』を読むと、ここに文学というものが生き延びて存在しているという実感もわき、不思議な気持ちもしてくるのです。北朝鮮と対峙し、冷戦のリアリティがいまだに存在し、一人あたりのGDPでは日本と並ぶか、追い越した国でありながら、クーデターの起こる韓国。

ふとぼくは、文学はすべて所詮国民文学ではないか、とも思います。国家の成立と植民地の独立と文学がある相似を描いているように思われるのです。それは告解と、国家主義ではない愛国と愛郷の物語。現代という時代、ジェームス・ジョイスも、ウィリアム・フォークナーも、ガルシア・マルケスも、大江健三郎も、それを乗り越えようとしましたが、誰も乗り越えられなかった。今や、小説の面白さは多くの人が話題にするけれど、文学については語られない。けれども、そのような文学ではない次の文学が、ふと気がつけば、いつか向こうからやって来て、目の前に現れるような気もぼくにはするのです。アジアやアラブ、アフリカ、ラテン・アメリカの片隅の愛国も愛郷も踏み荒らされた地から、それはやって来る。ハン・ガンさんの小説にも、それはいつやって来たとしてもいい、とぼくは願ってもいるのです。

すべての、白いものたちの :ハン・ガン,斎藤 真理子
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保阪正康さんの著した『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』がとても面白く、一気に読んでしまいました。

ある時、保坂さんのところに友人の半藤一利さんからこのような電話がかかってきたそうなのです。

「保坂君、雲の上の人に会う気はあるか」

さらに半藤一利さんはつづけたそうです。

「両陛下にお目にかかって雑談するんだよ。昭和史のことをお聞きなりたいとおっしゃって、君の名前が挙がったんだ」

以来、保坂さんは半藤さんと皇居を訪れ、計六回の平成の天皇皇后両陛下が今生の天皇と皇后であったころに、面会する機会にめぐまれ、御進講という形ではない、雑談という形で両陛下と話をする機会となり、本書は記憶のままに書きつづったものであるというのです。昭和の天皇陛下の戦争期の生々しい話もときおり出てもきて、平成の天皇陛下の心がどのようなところにあるのかも察せられ、とても面白く、一気に読んでしまった次第です。

平成の天皇陛下というと、とある学校に訪問された際に、国歌の斉唱や国旗の掲揚について、強制ではない方が望ましい、と発言されたり、私的な旅行として高麗神社を訪問された際に、天皇制の成立について秦氏の役割の大きさについて言及されたり、などということから、ぼくの天皇陛下への親しみと敬意はけっして小さいものではありません。この『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』にも、天皇陛下自身が、桓武天皇の母方の祖先が韓半島、朝鮮半島の百済の武寧王にルーツをもつことについて熱く語っておられたということだそうで、それも、これも天皇陛下が、民族や国の仲たがいによる戦争はあってはならぬ、という御心を表されたことだとも思われるのです。

平成の天皇陛下が求められたことが、正式な大学の教授からの御進講ではなく、保阪正康さんや半藤一利さんらの市井の歴史研究家との雑談、対話であったことも、何かとても意義深いことのように思われます。

僭越ながらも、無私の祈りということが、その人を至上へと高めるというのがあるのではないかしら。その平成の天皇陛下の作られた道行きの方向が令和の天皇陛下にも受け継がれていることに、ぼくはほっと胸をなでおろすかのような安堵の心もちをおぼえるものであります。

平成の天皇皇后両陛下大いに語る 保阪正康 - 本の話
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四方田犬彦さんの訳されたマフムード・ダルウィーシュの『パレスチナ詩集』を読了した。この詩集の中の訳文で90頁にもわたる長編詩「壁に描く」は、魂の血によって太古からある建造物に刻まれた言葉の群のようなのだ。それは今の言葉で書かれつつ、古い言葉の祈りの言葉すら召喚するかのようでもあるのは、四方田犬彦さんの本書のすぐれた「訳者解説」によって知った。マフムード・ダルウィーシュは、アラブ語圏のもっとも有名なベストセラー作家であるのだが、もっとも有名な詩の四方田犬彦さんによる訳文を引用しつつ、パレスチナの解放と平和をぼくは祈るのみ。

 地がわれらを圧迫して、とうとう最後の路地にまで追い詰めてゆく。
 われらは何とか通り抜けようと、自分の手や足まで捥ぎ取ったというのに
 地はわれらを締め付ける。小麦だったら死んでもまた生まれることができるだろうが
 地が母親だったら、慈しみでわれらを癒してくれるだろうに
 われらが岩に描かれた絵であったなら 鏡のように夢が運び去ってくれるだろうに。
 魂の最期の戦いのとき、われらの中で最後に生き残った者が
 殺そうとしている者の顔を一瞥する。
 われらは殺戮者の子どもたちのお祝いパーティーを想像し悲しむ。
 われらは見た、この最後の場所に開く窓から、われらの子どもたちを放り投げた者の顔を。
 星がひとつ、われらの鏡を磨いてくれるだろう。
 世界の果てに辿り着いたとき、われらはどこに行けばよいのか。
 最後の空が終わったとき、鳥はどこで飛べばよいのか。
 最後の息を吐き終えたとき、草花はどこで眠りに就けばよいのか。
 われらは深紅の霧でもって自分の名前を記すのだ!
 みずからの肉体をもって聖歌を終わらせるのだ。
 ここで死ぬのだ。この最後の路地で死ぬのだ。
 やがてここかしこで、われらの血からオリーブの樹が生えてくることだろう。

マフムード・ダルウィーシュ - パレスチナ詩集
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田中優子さんの著した『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』を読みました。今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で話題の蔦屋重三郎の足跡を個人史ではなく、蔦屋重三郎が編集し、世に送り出したさまざまな本、浮世絵によって、明らかにするといった内容でした。

さすが田中優子さんの著述で、そこから立ち上る江戸の空気にぼくは魅せられてしまいます。と同時に、当時、疑われていなかった差別と偏見による蔦重の限界についても書かれています。常に天災に翻弄されつづけてきた歴史の日本にあって、江戸元禄の時代の自由は、天明の大飢饉、浅間山の大噴火により、失われてしまうのだけれど、現代は、徳川家の長き二百七十年にわたる平和の治世に、いいことも、悪いことも学ぶ意味は大きいと思うのです。

歌麿、写楽を売り出した大編集者『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』田中優子 | 文春新書
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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