えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

長野の方に旅をしました。戸隠神社に行ってきた。奥者の森の中の長い参道が、やさしくしかも凛とした自然の霊気に満ちていて、とても良かった。大好きなモネの絵「サンジェルマンの森の中で」を思い出したりした。歩いていると気持ちいい。
長い参道を歩いていくと、九頭竜さまが祭られており、その信仰の源が戸隠であるという。こんな山奥に龍の神さまがと思うと神秘的で、改心したこの荒ぶる神さまは、人を苦しめることはもうぜず、生き物の幸福を深い水の中、地の底、天の高みから祈っているのではあるまいか。
長野で一泊。munchという居酒屋で飲んだ。若い人の営む創作料理の居酒屋。おいしかった。梅酒の品揃えが多くて、梅酒というのもいいなぁ。お店でかけるCDがカウンターのすみに置かれていて、Jack Johnsonなんてありました。形を変えて、ブルーズやゴスペルは受け継がれていきソウルやロック、いろんな音楽になったけど、居酒屋もそうではあるまいか、などと思った。
・・・
次の日、車で木曽を抜け、伊那まで走らせる。地元の人はこのあたりを「伊那谷」と呼ぶ。町をぶらつき本屋さんに入り、この地に移り住んだ詩人であり、フォークナーの翻訳者でもある加島祥造さんの「LIFE」という本を買った。
夜、田楽屋という居酒屋で飲んだ。酔いが早く来て、不覚にも記憶はしどろもどろ。宿に戻り、ぐらぐらする頭で、昼間、買った「LIFE」を読む。本の中のこんな言葉に今の自分に対して答えのヒントがあるような気がした。
「花は虫のために咲く 虫は喜び花の願いに報いる 人はただ見ているだけだ」
「草木の行先は大地 水の行先は海 いずれも静かなところだ」
「濁った水はそのまま静かにしておくと いつしか澄んでいる」
「高い山の美しさは深い谷がつくる」
「生まれるものは何であれ みんな あなたより深いところからくる 起こるものは何であれ みんな あなたより高いところからくる」
「愛とは いまここにおいてのみ可能なのだ」
「いま生きずしていつ生きる」
「ひとは夢の出てきたところに戻るのだ」
この人ももう一冊の本に「求めない」というのがあったけれど、ぼくは求めようと思う。






栃木県の川俣温泉というところに行ってみた。泊まったのは渓山荘という国民宿舎。朝、その渓山荘から電話がかかってきた。なんと、向こうでは、雪が降っているとのこと、車のチェーンの装備をお忘れなくとのこと。
着くころには雪は雨になっていて、チェーンは要らなかった。ものすごく辺鄙な山間。こういう温泉地を秘湯というのかな?
夕食の岩魚の塩焼きがおいしかったよん。露天風呂がかなりいい。雪が残っている山を見ながら、渓流の流れる音を聴きながらの温泉。透明な湯は硫黄の香り。自然の中にそのまま湯船がある感じ。癒されたぁ。
たくさん部屋があるのに泊まっているのは、数人。夜中、人の気配を感じないロビーでぼーっとしていて、大きな柱時計を見ていると、不思議に現実感がなくなり、誰かの夢とか思い出の中に入り込んだような妙な気持ちになった。柱時計が静かに時をきざんでいた。チクタク・・・
着くころには雪は雨になっていて、チェーンは要らなかった。ものすごく辺鄙な山間。こういう温泉地を秘湯というのかな?
夕食の岩魚の塩焼きがおいしかったよん。露天風呂がかなりいい。雪が残っている山を見ながら、渓流の流れる音を聴きながらの温泉。透明な湯は硫黄の香り。自然の中にそのまま湯船がある感じ。癒されたぁ。
たくさん部屋があるのに泊まっているのは、数人。夜中、人の気配を感じないロビーでぼーっとしていて、大きな柱時計を見ていると、不思議に現実感がなくなり、誰かの夢とか思い出の中に入り込んだような妙な気持ちになった。柱時計が静かに時をきざんでいた。チクタク・・・


青春18切符が二日分、余っていたので、山梨の下部温泉に行ってきたのだ。そう言えば、去年の今ごろも来たことがあったぞ。ついにリピーターなのだ。ここの温泉の暑い湯と30度ぐらいの冷泉にかわりばんこにつかるというスタイルにすごく癒されます。とくに冷たい湯には科学的効能を越えた大地の力をいただけるような気がする。こういうのにも、相性というのがあるのかな? 自分に効くと感じてしまったなら、効いているんだ。あたかも、男女の仲のように、理屈を越えた世界が動いているに違いない、なんて思ってしまいます。
それから、飾り気のない湯元ホテルの昔の鄙びた温泉宿のような部屋の雰囲気も気にいっているのかも。なにかと華美、盛り込みすぎの世の中、こういうのが非日常なのかも。千利休の茶室のような静かで、すがすがしくて、何もない宿があれば、泊まってみたい。
最近、お気に入りの言葉・・・
「愛は飾らない」
(写真は宿にかかっていた書です。どういう意味なんだろう?)


