えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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伊豆の松崎を夕日を見に旅しました。



着いたら、まずは土地の神様にお参りだと思い、伊那下神社に足を運んで行くと、町のほうぼうににしめ縄が張られて、秋のお祭りが催されており、御神楽が演ぜられておりました。子どもの舞う神楽を隣で見ていたお年を召した女のおかたは友だちに、いいねぇ、なんか涙が出てきちゃうよ、とおっしゃられておられ、本当に涙ぐんでおられました。すばらしくて、ぼくも感動したことはもちろんです。ふと、この舞っている子どもの大人になるころには、ぼくもこの涙ぐんでおられる人もこの世界にいないのかもしれない、などと思ってしまいます。そして、また、その時の子どもが神楽を舞うのでしょう。ささやかな町のお祭りです。こういうのを見ると、日本って素敵だなと思います。紅白のお餅がくばられておりました。





そして夕日です。



いつもと変わらぬ松崎町です。この静けさも好きです。





また来ますね。

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山梨県の忍野の桂川(地元の人は忍野川と呼ぶらしい)に釣りをしに一泊の泊まりの旅をしました。




一日目はチビ虹鱒が一匹、二日目がそれなりに大きなの虹鱒が一匹。流れの表面を、毛鉤を浮かし、流して釣る、いわゆるドライフライで釣りたかったのだけれども、上手くいかなくて、二匹ともインジケーター(ウキ)をつけてシンカー(ガン玉)を付けて、沈ませての釣りで、かかってくれました。澄んだ忍野川で二日目の虹鱒が水中で毛鉤を咥えるところをはっきりと見れたのです。びっくり、ドキドキ。二匹ともリリースしました。

九月一杯で川は禁漁の時をむかえます。来年の春まで、魚たちよ、待ってろよ。
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奥日光の湯川でフライフィッシングをしようと旅しました。




湯川とは、日本でのフライフィッシング発祥の川とされ、フライフィッシングの三大聖地の一つとされているところ。戦場ヶ原のわきを流れて行きます。ちなみに三大聖地とは、サクラマスの福井の九頭竜川、カーター米大統領の訪れた山梨の忍野の桂川、そして、我が国のフライフィッシング発祥の地、奥日光を流れる湯川だそうだ。1902年(明治35年)英国の交易商人として知られる坂本龍馬とも交流のあったトーマス・グラバーが米国のコロラドから取り寄せたブラウントラウト(カワマス)を放流し今にいたっているという。

能書きの後は、さて釣れましたか、との誰かの声が聞こえるような気がしますが、初めていく川なので、ボーズ(一匹も釣れないこと)も覚悟していたのですが、ちっこいマスが一匹、釣れました。よかった、よかった。さらに研鑽・修行を重ね、また来たいです。

泊まったところは奥日光森のホテルというところ。ここの夕食、所謂、懐石料理とかコースディナーと呼ばれるものがとても美味しかった。そして、日光の硫黄温泉が最高でした。


翌日、せっかく日光まで来たのだからと、二社一寺を参りました。二社一寺とは日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺のこと。東照宮に来たのは確か、小学校の時の修学旅行以来です。荒山神社、輪王寺は初めてかもしれない。子どもの頃のお猿さん(みざる・いわざる・きかざる)や猫(眠り猫)の彫りものを見て、喜んでいたのをなんだか思い出す。こんなに年をとっていったぼく自身の時の流れを不思議にも思ってしまう。修復された陽明門がそれはそれは立派で美しい。












夏目漱石は明治を徳川家(トクセンケ)の瓦解と呼びつつも明治政府を嫌悪し、軽蔑していたというが、徳川の治世は二百六十六年の平和をもたらした。素晴らしいではないですか。あー、徳川、滅んで、東照宮を残す。

日本が世界大戦に負けて今年で七十七年。戦争をしない世の中をもっとつづけていかなきゃいけない。子どもたち、頼んだぞ。
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二泊三日の沖縄旅行に行ってきました。


1990年代に沖縄には度々、旅をしていたのです。その昔の時、沖縄を訪れるたびに、眩暈のするようなデジャヴ(既視感)を感じ、このデジャヴは何だろうと、いつも不思議に思って、何度も旅をしていたのです。今回の旅ではそのデジャヴはあまり感じません。どうしてだろうと思って那覇の街を歩いていけば、1990年代にはなかった沖縄の人から本土とか内地とか呼ばれている所のお店がとても増えているのに気づく。昔、来た時は、三越デパートとローソンのコンビニしかなかったのが、今ではコンビニは増え、何でもあります。それがデジャヴを感じさせる景色の何かを無くさせておりました。沖縄復帰から50年、本土並みといわれ、けれど、沖縄県の県民所得は日本で一番低く、不謹慎と言われてしまうかもしれないけれど、豊かになって失われたものもあるような気がします。あの頃は「ゆいレール」と呼ばれるモノレールも走ってなかった。1990年代は沖縄にとっての何かのはざかい期だったのだと思う。あれから50年、これから50年。COCCOの歌う最新アルバムからの「ラブレター」の詞を思い出してしまう。

アメリカ世(ユ)
りっかりっか湯
大和世(ヤマトゥユ)から
沖縄世(ウチナーユ)


けれど、公設市場のあたりの街並みはあまり変わっていないようでした。公設市場は今は建て替え工事中で、今はプレハブの仮住まい。そこで食べたてびち(豚足)はとても美味しかったです。夜八時半ごろ、与世山澄子さんのジャズソングを聴きに行こうと思い「Interlude」まで足を伸ばしましたが、開いておりませんでした。残念。



そういえば「ひめゆりの塔」って行ったことなかったな、と思い、訪れ、その後、平和祈念公園に行きました。「ひめゆり平和祈念資料館」と「沖縄県平和祈念資料館」を見学。見ながら、普通の市民を巻き込んだ沖縄戦は地獄だった、と思う。県民の四分の一が亡くなる地獄であった。日本よ、繰り返すな。「沖縄県平和祈念資料館」では明治の所謂「沖縄処分」からの展示で、リアルな本当の歴史が分かります。勉強にもなりました。そして、ドライブしながら、あー、海がきれい。その後、斎場御嶽(セーファーウタキ)へ行きました。慰霊の旅らしくにもなりました。夜は桜坂劇場で吾妻光良&The Swinging Boppersのライブを見ました。初の沖縄公演で気合のはいったノリノリで楽しく素晴らしい音楽。主催者の好意でBoppersの打ち上げにも参加できてしまい、吾妻さんともお話できました。長年の憧れのミュージシャンとの飲み会が楽しい。















帰りの那覇空港で飛行機を見て、名残惜しく寂しい。ぼくは沖縄が大好きです。また旅したいです。本島にもまた来たいし、今度は離島にも行ってみたいな。




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山梨県の小菅村の小菅川にフライフィッシングをしに行きました。


夜明けの直後の五時に家を発ち、着いたのは七時過ぎぐらいで、「ほうれん坊の森」というキャンプ場の駐車場に車を停め、歩きながら、入渓点を探します。たいがい「C&R区間 えさ釣り禁止」と看板が立っているところが入渓点らしく、そこからなかば藪漕ぎのようなになりながら渓谷を下り、川に着き、毛鉤を投げます。これを何度か繰り返せども、魚の気配はなかなか感じることはできず、あるところで、やっと数匹の魚を見つけ、ある魚は、時々ライズ(魚が水面もしくは水面直下に流れてくる餌を捕食すること)をして、何かを食べているようえでした。魚はなかなか毛鉤をくわえてくれず、ぼくは何度もいろんなパターンの毛鉤を試しました。やはり釣れず、渓谷を上がります。


そして、ある所から入渓してみると、川岸の横に簡易的な広い駐車場があり、たくさんの車が駐車している。川を見ると決して少ない数ではない魚が見える。初心者のぼくのようなものは、初めからここに来ればよかったんだ、と思いましたよ。けれど、何度も毛鉤を投げども釣れません。


気がつけば、お昼の十二時を過ぎているではない。てくてくと歩いて車を停めたところまで戻り、車を走らせ「道の駅 こすげ」のレストランでミートソースのスパゲッティを食べました。おいしかったです。「道の駅 こすげ」の隣にある温泉「小菅の湯」でお風呂にも入りました。もしかして一匹も釣れないかもしれないけれど、日帰りの小旅行としてはよかった、などというのは、負け惜しみの独り言です。


午後、少しの間だけ釣りをして帰ろうかなと思い、さっき、車のたくさん停まっていた川原に戻りました。何度も、何度も毛鉤をふりこんでも釣れませんでした。


いつの間にか夕まずめの時間がやってきたらしいのです。川の流れの緩い静かなところにライズがあり川の面にわっかがひろがって、ぼくはその方に向かって毛鉤を投げます。釣れません。また他のところの川に面にわっかが広がります。釣れません。また、わっか広がりその方に毛鉤をなげます。何度も何度も、繰り返しているうちに、ぼくは、毛鉤を投げるのをやめ、わっかが何度もひろがる静かな川をただ見ていました。すると、魚たちの声が聞こえてくるようです。

「ぼくたちも生きているよ。えいちゃんみたく、生きているよ。
 わたしたちも生きているわ。えいちゃんみたく、生きているわ。」


そのころには、釣り人のほとんどはいなくなっておりました。静かな川に夕暮れがちかづいてきているようでした。

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梅雨が明け、町田の薬師池公園の蓮の花が見ごろをむかえています。「大賀ハス」と呼ぶそうです。美しい。朝早く来たかいがありました。
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東京国立博物館の平成館に『沖縄復帰50年記念特別展 琉球』を見に行きました。

今まで、美術館や博物館で使ったことのないイヤホンガイドを聴きながらの鑑賞をしてみました。美術館での絵の鑑賞などのときは、なんの先入観もなく絵と対峙し、知識からの理屈ではなしに、絵そのものから何かを感じたいと、イヤホンガイドを使ってみたことはなかったのですが、博物館では、そういうこともないだろうと借りて、聴いてみた次第。聴きながら鑑賞し、ラストの展示場での大団円の解説には、うるっときて、目頭が熱くなっておりました。

いつのまにか、ゆっくりと2時間半の時が過ぎていて、とても見ごたえのある展覧会でした。沖縄のいろんなものを見ながら、ぼくの耳のどこかでは、いつもCoccoの新しいアルバム「Prom」に収録されていた「ラブレター」が鳴っておりました。冒頭がこんな歌詞の沖縄への愛を歌った唄。

「アメリカ世
 りっかりっか湯
 
 大和世から
 沖縄世」

それはいつのことになるのでしょう? ぼくたち、大和んちゅがうちなんちゅの人たちと良き友人としていつまでもいるためには、けっして見て見ぬふりをしてはいけないことがある、と改めて思うこともありました。「ラブレター」の歌詞はこんあふうにつづきます。

「戦世の名残り
 まだ滲みるの
 剝き出しで
 共存」

東京での楽日の今日、そして、九州国立博物館に場所を変えて、『沖縄復帰50年記念特別展 琉球』はつづきます。

沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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