えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

暑い、暑いということで川崎大師こと平間寺の風鈴市に出向き、風鈴を買ったのです。わが家にベランダやまったく様にならない縁側はあるのだけれど、つるす気にならず、さてどうしたものか。
ふといつもの想像やら空想やらで、田舎に古い日本家屋の別荘を手に入れてらどうだろう。障子に廊下で、時おり風が吹き抜ける縁側に風鈴をつるす。犬と猫を飼い、一人ぼーっと庭を眺めていると、隣の家のおばあさんが西瓜を差し入れしに来てくれて、ぼくは、まっ麦茶をどうぞ、などと世間話。そして、近くに山女魚や岩魚の泳ぐ渓流もあり、朝や夕に釣りにいけども、釣れたり、釣れなかったり。
買ってきた風鈴を眺め、涼しい音を鳴らしながら、そんな別荘があったらいいなと思い浮かべて楽しんでおります。




SOMPO美術館で『生誕100年 山下清展 百年目の大回想』を見ました。
幼少の頃の鉛筆での絵から四十九歳で亡くなるまでの大回顧展。その細微な貼り絵を見て、その圧倒的なマチエールを感じつつ、新印象派のジョルジュ・スーラの絵を思い出してしまい、この技法が山下清の命を削ったのかもしれないと思う。
山下清を描いた映画『裸の大将』やテレビ・ドラマ『裸の大将放浪記』はフィクションであったことを知る。山下清いうところのルンペンでの旅で、山下は絵の道具を何も持って行っていない。けれど、何度も行方不明となり、日本国中を放浪した。その動機の一つが、戦争に行きたくないというのがあったらしい。
「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
ぼくは山下清の貼り絵『長岡の花火』の美しさに圧倒されます。
新宿まで来たのだからと寄席の新宿末廣亭によってみました。
三笑亭夢花師匠の『湯屋番』、桂歌春師匠の『たらちね』、三遊亭円馬師匠の『蒟蒻問答』の古典落語のどれも面白い。滑稽話の定番『湯屋番』で一番笑いました。笑いを愛した江戸の人々にしばし思いをはせまする。
幼少の頃の鉛筆での絵から四十九歳で亡くなるまでの大回顧展。その細微な貼り絵を見て、その圧倒的なマチエールを感じつつ、新印象派のジョルジュ・スーラの絵を思い出してしまい、この技法が山下清の命を削ったのかもしれないと思う。
山下清を描いた映画『裸の大将』やテレビ・ドラマ『裸の大将放浪記』はフィクションであったことを知る。山下清いうところのルンペンでの旅で、山下は絵の道具を何も持って行っていない。けれど、何度も行方不明となり、日本国中を放浪した。その動機の一つが、戦争に行きたくないというのがあったらしい。
「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
ぼくは山下清の貼り絵『長岡の花火』の美しさに圧倒されます。
新宿まで来たのだからと寄席の新宿末廣亭によってみました。
三笑亭夢花師匠の『湯屋番』、桂歌春師匠の『たらちね』、三遊亭円馬師匠の『蒟蒻問答』の古典落語のどれも面白い。滑稽話の定番『湯屋番』で一番笑いました。笑いを愛した江戸の人々にしばし思いをはせまする。


よねやまたかこさん、ナダノキさん、オノカズさん、えいちゃんことぼくの四人で歌う旅をしました。
一日目、下諏訪のフォーク酒場「1977」のオープンマイク、二日目、飯田の風越公園での「FOLK SONG PICNIC」と「風の学舎」での打ち上げ、三日目、飯田の「SPACE TAMA」でのオープンマイク「ブラボー音楽会」。四者四様の東京や神奈川から来た四人の歌でもありましたし、とくに「風の学舎」での打ち上げは、歌うこと、演奏すること、歌を聴くこと、音楽を聴くことの楽しさの原点に立ち返り、思い出させてくれたようにも思われました。
思いがけぬ再会もあったし、そして、何の事故もなく四人ともちゃんと帰ってこれたことが何よりでした。
楽しかった。
一日目、下諏訪のフォーク酒場「1977」のオープンマイク、二日目、飯田の風越公園での「FOLK SONG PICNIC」と「風の学舎」での打ち上げ、三日目、飯田の「SPACE TAMA」でのオープンマイク「ブラボー音楽会」。四者四様の東京や神奈川から来た四人の歌でもありましたし、とくに「風の学舎」での打ち上げは、歌うこと、演奏すること、歌を聴くこと、音楽を聴くことの楽しさの原点に立ち返り、思い出させてくれたようにも思われました。
思いがけぬ再会もあったし、そして、何の事故もなく四人ともちゃんと帰ってこれたことが何よりでした。
楽しかった。




忍野村へフライフィッシングをしに旅をしました。
魚をさがし、その気配を感じようと川を見つめ、川辺を歩きます。平日でも、土曜日、休日、祝日と同じくらい人がいるのに驚きます。休日幾人かの同じ趣味の人に声をかけられ、みんな苦戦してるようだった。ぼくは、この釣りの旅で二匹、釣れてよかったです。ここの魚はプロの魚で、餌と擬餌針の見分けが鋭いのです。
翌日も釣りをして、帰路につく前に忍野八海に行ってみました。世界中からの観光の人でいっぱいでした。パンデミックの三年間が昔の話になるつつあるのだろうか。ぼくは忘れまい。湧き水の池ではいつもと同じように魚が泳いでいるようだけれども。
帰りに高速道路で車で走っていると、ラジオのニュースで関東で梅雨入りになったというのを聞いた。梅雨が明けたら、また来ますね。
魚をさがし、その気配を感じようと川を見つめ、川辺を歩きます。平日でも、土曜日、休日、祝日と同じくらい人がいるのに驚きます。休日幾人かの同じ趣味の人に声をかけられ、みんな苦戦してるようだった。ぼくは、この釣りの旅で二匹、釣れてよかったです。ここの魚はプロの魚で、餌と擬餌針の見分けが鋭いのです。
翌日も釣りをして、帰路につく前に忍野八海に行ってみました。世界中からの観光の人でいっぱいでした。パンデミックの三年間が昔の話になるつつあるのだろうか。ぼくは忘れまい。湧き水の池ではいつもと同じように魚が泳いでいるようだけれども。
帰りに高速道路で車で走っていると、ラジオのニュースで関東で梅雨入りになったというのを聞いた。梅雨が明けたら、また来ますね。


紫陽花を見に、あじさい寺とも呼ばれる明月院に行きました。
満開にはもう少しだけれど、このうさぎと月の寺と花の美しさにほれぼれとして散歩しました。
帰路、ふと円覚寺に近ごろのぼくの中でのリバイバルブームとなっている映画監督の小津安二郎のお墓があることを思い出し、参りに行きました。
鎌倉の古刹の寺に小津安二郎は眠っています。お酒好きの故人を偲び、たくさんのお酒の瓶が並んでいて、花が供えられています。赤いジョニーウォーカーの瓶は、あたかも小津安二郎の映画にさりげなく撮されていたそれのようです。なんだか感動していました。
墓石にはただ「無」とのみ刻まれています。おっちゃん(生前、小津安二郎は懇意の俳優からはそう呼ばれていたそう)、かっこよすぎるよ。
満開にはもう少しだけれど、このうさぎと月の寺と花の美しさにほれぼれとして散歩しました。
帰路、ふと円覚寺に近ごろのぼくの中でのリバイバルブームとなっている映画監督の小津安二郎のお墓があることを思い出し、参りに行きました。
鎌倉の古刹の寺に小津安二郎は眠っています。お酒好きの故人を偲び、たくさんのお酒の瓶が並んでいて、花が供えられています。赤いジョニーウォーカーの瓶は、あたかも小津安二郎の映画にさりげなく撮されていたそれのようです。なんだか感動していました。
墓石にはただ「無」とのみ刻まれています。おっちゃん(生前、小津安二郎は懇意の俳優からはそう呼ばれていたそう)、かっこよすぎるよ。
