えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

こんな夢を見た。
ぼくは海岸に水着を着ている。その海岸は砂浜の海岸ではなく、岩場の海岸で、それらの岩は、火山から吹き出して長い年月もかけて固まったかのようにごつごつしていて大きくてつやのない黒い色をしている。海の水の色も真っ黒で、その黒さで10センチメートル先も見えない。その海岸にはぼく以外に誰一人いない。ぼくは水に入り泳いでみて、その水が冷たくもなく、温かくもなく、その真っ黒な水に不浄さはなく、むしろ清浄さの中で、身も心も洗われるように感じる。ひと泳ぎした後一休みをし、ぼくは持ったきていたフィンを足に着けて泳いでみる。清らかな真っ黒い水の中をイルカを真似た足の動きでどんどん進んで行き気持ちいい。
そこで目がさめた。この夢はあれかな。ユングでもなく、流行りのアドラーでもなく、フロイト系かな。でもないか。
荘子にこんな話があるらしい。長いですが、お暇ならば、お読みになってくださりまし。
「北の果ての黒い海に住んでいる魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは幾千里ともはかり知ることができない。やがて、化身して鳥となり、その名を鵬という。鵬の背の広さは幾千里あるのかはかり知ることができない。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。立ちのぼる旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海のかなたに出て、青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとする。この南の深い海こそ、世に天池と呼ばれるものである。
斉諧とは、世にも怪奇な物語を多く知っている人である。彼は次のように述べている、「鵬が南のはての海に渡ろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼるつむじ風に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして、飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うのである」
地上にはかげろうが揺らぎ立ち、塵が立ちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのだろうか。それとも遠く果てしないために、あのように見えるのだろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見下ろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。そもそも、水も厚く積もらなければ、大舟を浮かべるだけの力がない。杯の水を土間のくぼみに落としただけでは、芥が浮かんで舟になるのがせいぜいであり、杯を置いても地につかえるであろう。水が浅くて、舟が大きすぎるからである。とするならば、風も厚く積もらなければ、鵬の大きな翼をささえるだけの力はない。だから、九万里の高さにのぼって、はじめて翼に耐える風が下にあることになる。こうしていまこそ、大鵬は風に乗って上昇しようとする。背に青天を背負うばかりで、さえぎるものもない。こうしていまこそ、南を指して飛び立とうとする。
蜩と小鳩はこの大鵬のありさまを見て、あざ笑っていう、「われわれは勢いよく飛び立ち、楡や枋の木をめがけて突進しても、ときには届かず、地面にたたきつけられることがある。それなのに、九万里の空に上り、南をさしてゆくとは、とほうもないことではないか」だが、近郊の野に出かける者は、三度の食事をするだけで帰ってきても、腹のすくことはないだろうが、百里の地に出かける者は、前夜から米をついて準備しなくてはならず、千里の地に出かける者は、三ヶ月も前から食糧を集めておかなければならない。とするならば、蜩や小鳩などに、大鵬の心を知ることなど、どうしてできようか」
ぼくは海岸に水着を着ている。その海岸は砂浜の海岸ではなく、岩場の海岸で、それらの岩は、火山から吹き出して長い年月もかけて固まったかのようにごつごつしていて大きくてつやのない黒い色をしている。海の水の色も真っ黒で、その黒さで10センチメートル先も見えない。その海岸にはぼく以外に誰一人いない。ぼくは水に入り泳いでみて、その水が冷たくもなく、温かくもなく、その真っ黒な水に不浄さはなく、むしろ清浄さの中で、身も心も洗われるように感じる。ひと泳ぎした後一休みをし、ぼくは持ったきていたフィンを足に着けて泳いでみる。清らかな真っ黒い水の中をイルカを真似た足の動きでどんどん進んで行き気持ちいい。
そこで目がさめた。この夢はあれかな。ユングでもなく、流行りのアドラーでもなく、フロイト系かな。でもないか。
荘子にこんな話があるらしい。長いですが、お暇ならば、お読みになってくださりまし。
「北の果ての黒い海に住んでいる魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは幾千里ともはかり知ることができない。やがて、化身して鳥となり、その名を鵬という。鵬の背の広さは幾千里あるのかはかり知ることができない。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。立ちのぼる旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海のかなたに出て、青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとする。この南の深い海こそ、世に天池と呼ばれるものである。
斉諧とは、世にも怪奇な物語を多く知っている人である。彼は次のように述べている、「鵬が南のはての海に渡ろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼるつむじ風に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして、飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うのである」
地上にはかげろうが揺らぎ立ち、塵が立ちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのだろうか。それとも遠く果てしないために、あのように見えるのだろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見下ろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。そもそも、水も厚く積もらなければ、大舟を浮かべるだけの力がない。杯の水を土間のくぼみに落としただけでは、芥が浮かんで舟になるのがせいぜいであり、杯を置いても地につかえるであろう。水が浅くて、舟が大きすぎるからである。とするならば、風も厚く積もらなければ、鵬の大きな翼をささえるだけの力はない。だから、九万里の高さにのぼって、はじめて翼に耐える風が下にあることになる。こうしていまこそ、大鵬は風に乗って上昇しようとする。背に青天を背負うばかりで、さえぎるものもない。こうしていまこそ、南を指して飛び立とうとする。
蜩と小鳩はこの大鵬のありさまを見て、あざ笑っていう、「われわれは勢いよく飛び立ち、楡や枋の木をめがけて突進しても、ときには届かず、地面にたたきつけられることがある。それなのに、九万里の空に上り、南をさしてゆくとは、とほうもないことではないか」だが、近郊の野に出かける者は、三度の食事をするだけで帰ってきても、腹のすくことはないだろうが、百里の地に出かける者は、前夜から米をついて準備しなくてはならず、千里の地に出かける者は、三ヶ月も前から食糧を集めておかなければならない。とするならば、蜩や小鳩などに、大鵬の心を知ることなど、どうしてできようか」


こんな夢を見た。
ぼくはどこかのライブ・ハウスで山口冨士夫のギグを見ている。生前のおなじみの曲を冨士夫ちゃんはたくさん演奏して、あっという間に時間は過ぎていく。バックのバンドはだれだったのだろう。今は冨士夫ちゃんと同じく天国にいる青ちゃん(青木真一)、佐瀬さん(佐瀬浩平)、良(川田良)とかがいたのかもしれない。あっという間に演奏は終わり、アンコールはなかった。いつの間にかぼくは楽屋に山口冨士夫といる。他のメンバーはおらず、数人のファンがいる。冨士夫ちゃんはそこで、立ってエレキギターをアンプを通さずに弾きながら、新曲を披露してくれる。「あの娘とレイン・ドロップス」というようなタイトルの曲で、雨の日に歌われる失恋ソングのようでもあり、壊れていく環境の地球を憂いているようにも受け取れる内容で、ぼくの胸に深く入ってきて、ぼくは冨士夫ちゃんに、「いい曲ですね」と声をかける。冨士夫ちゃんは「そうだろ、もっと歌いたかったんだけどな。新曲もたくさんできたよ」と答えてくれる。ぼくは思い切って、「ぼくがその歌、歌ってもいいですか」と尋ねると、冨士夫ちゃんは笑いながら、「ああ、いいよ、歌ってくれよ」と言ってくれる。
そこで目が覚めた。ということで、こんな初夢を昼寝していると見てしまったのです。山口冨士夫さん、ありがとう。
ぼくはどこかのライブ・ハウスで山口冨士夫のギグを見ている。生前のおなじみの曲を冨士夫ちゃんはたくさん演奏して、あっという間に時間は過ぎていく。バックのバンドはだれだったのだろう。今は冨士夫ちゃんと同じく天国にいる青ちゃん(青木真一)、佐瀬さん(佐瀬浩平)、良(川田良)とかがいたのかもしれない。あっという間に演奏は終わり、アンコールはなかった。いつの間にかぼくは楽屋に山口冨士夫といる。他のメンバーはおらず、数人のファンがいる。冨士夫ちゃんはそこで、立ってエレキギターをアンプを通さずに弾きながら、新曲を披露してくれる。「あの娘とレイン・ドロップス」というようなタイトルの曲で、雨の日に歌われる失恋ソングのようでもあり、壊れていく環境の地球を憂いているようにも受け取れる内容で、ぼくの胸に深く入ってきて、ぼくは冨士夫ちゃんに、「いい曲ですね」と声をかける。冨士夫ちゃんは「そうだろ、もっと歌いたかったんだけどな。新曲もたくさんできたよ」と答えてくれる。ぼくは思い切って、「ぼくがその歌、歌ってもいいですか」と尋ねると、冨士夫ちゃんは笑いながら、「ああ、いいよ、歌ってくれよ」と言ってくれる。
そこで目が覚めた。ということで、こんな初夢を昼寝していると見てしまったのです。山口冨士夫さん、ありがとう。


こんな夢を見た。ぼくは二階建ての一階はすべて庭になっている家に住んでいる。庭は背丈の低い雑草が生い茂る野原のようになっている。どこかに出かけようと、ぼくは二階から細くて少し急にな階段を降りる。すると、広くも感じられる野原のすみに黒い小型犬がいる。ぼくはその小さな黒い犬を飼っていたことをすっかり忘れていた。その黒い小さな犬は階段を登って二階にも来れずにいたのかな、と思う。ぼくは、その犬に近づき野原に腰を下ろし、抱き上げてみる。すると、黒い小さな犬はこれでもかこれでもかとその舌でぼくの顔をなめてくる。その舐められている心地よさの中で、今は亡き愛犬、レオのことを思い出し、レオの次にこの黒い小さな犬を愛してもいいかのかもしれない、と思う。
そこで目を覚ました。さて、この黒い小さな犬は何を顕しているのでしょう? 多くのインターネットで見かける夢占いでは、黒い犬は不吉の徴だそうだけれど、近所で散歩している黒いラブラドールレトリーバーは賢そうでかわいいけどな。ぼくが夢で見た犬は黒いスヌーピー、ビーグル犬であったよ。もともと、チャールズ・モンロー・シュルツの描いたスヌーピーのモデルは黒白のまだらの雑種だったそうだ。などと考えていたら、ジョン・アップダイクが書いた小説「ブラジル」の中で、こんな言葉があったのを思い出した。
「黒一色であると思っていたものをよく見ると、白い斑点を含んでいる。黒一色であると思っていたものをよく見ると。白い斑点を含んでいる」
色も言葉もイメージも、重なりあった幾層もの、幾重もの何かを含んでいる、と思う。ぼくにはぼくの、きみにはきみにしかない答えもあるらしい。では、おやすみZZZzzz.....
そこで目を覚ました。さて、この黒い小さな犬は何を顕しているのでしょう? 多くのインターネットで見かける夢占いでは、黒い犬は不吉の徴だそうだけれど、近所で散歩している黒いラブラドールレトリーバーは賢そうでかわいいけどな。ぼくが夢で見た犬は黒いスヌーピー、ビーグル犬であったよ。もともと、チャールズ・モンロー・シュルツの描いたスヌーピーのモデルは黒白のまだらの雑種だったそうだ。などと考えていたら、ジョン・アップダイクが書いた小説「ブラジル」の中で、こんな言葉があったのを思い出した。
「黒一色であると思っていたものをよく見ると、白い斑点を含んでいる。黒一色であると思っていたものをよく見ると。白い斑点を含んでいる」
色も言葉もイメージも、重なりあった幾層もの、幾重もの何かを含んでいる、と思う。ぼくにはぼくの、きみにはきみにしかない答えもあるらしい。では、おやすみZZZzzz.....


こんな夢を見た。ぼくは高校の卒業式の日に午後、学校へ行く。もう卒業式は終わっていて、友だちが一人、教室に残っている。その友だちに目くばせし、卒業式に出られなかったぼくは、せめても、高校卒業時の通信簿を手にしたい、と思い、自分の机の引き出しの中を探してみる。何枚か、採点された答案用紙が出てくるだけで、通信簿はそこにはない。あぁ、そう言えば、明日も予備の卒業式があるらしいことをぼくは思い出す。明日も学校に来なくっちゃ、と思い、そこで目がさめた。
何か、意味ありそうで、なさそうで、ありそうな夢でした。もしもよければ、あなたの夢解釈を教えてください。
何か、意味ありそうで、なさそうで、ありそうな夢でした。もしもよければ、あなたの夢解釈を教えてください。


こんな夢を見た。ぼくは高校の教室にいる。今日は卒業式の日らしく生徒は番号と名前を呼ばれ、卒業証書を手渡されているなだけど、その手渡している人はきりっとした容貌の赤いフレームの眼鏡をかけた女の人で、担任の男の先生ではない。この女の人は教頭先生か校長先生だろうか、と思う。生徒を呼ぶ時の呼ばれる番号は成績の順番らしく、逆順で呼ばれているから、成績のあまり良くなかったぼくは早く呼ばれるはずなのだけど、どうしてまだ呼ばえないのだろう。近くに担任の先生が座っていたので、ぼくは卒業できるのですか、と聞いてみると、担任の先生は、それはどうかな、と答える。ぼくはもう高校には通いたくはないですからね、と言いながら、担任の先生の笑顔を見て、自分の卒業を確信する。すると、隣に座っていたぼくの友だちが呼ばれ、卒業証書を手に席に戻って来る。その卒業証書を見せてもらうと、30ページほどの漫画冊子になっていて、高校生活の思い出と成績が漫画で表されている。その漫画に数カットその友だちが美術の時間に描いた絵が差し挟まっていて、その絵が精緻で素晴らしい。そんな絵の中に3人の偉大な人らしきを描いたものがあり、ぼくはその中の一人を指差し、この人はキューバの思想家のだれそれ(チェ・ゲバラやカストロではない)だね、と言う。聞き耳をたてていた担任の先生が、そんな人を知っているのか、と驚いた表情になった。
そこで目が覚めた。世間では入学のシーズンらしいけれど、ぼくの中では卒業らしいのです。
そこで目が覚めた。世間では入学のシーズンらしいけれど、ぼくの中では卒業らしいのです。


こんな夢を見た。ぼくは友だちに会って、ぼくの死体があれば、ある企業への巨大な商談のプレゼンテーションが成功をおさめることができる、死体を使ってもいいか、と尋ねられる。ぼくは、いいよと答えて、家に帰る。次の日がプレゼンテーションの日で友だちは小さなトラックに乗ってやってくる。ぼくの死体はあるのだろうかと荷台を覗いてみると、ぼくの背丈ほどのアメリカの軍隊が死体を運ぶためにあるかのような薄い緑色のボディー・グローブがあり、それがぼくの死体が入っている袋なのだな、と思う。ぼくはそのボディー・グローブのある荷台に乗り込み、プレゼンテーション会場に向かう。途中、友だちの運転する車はバックをする時、他の車にぶつけて、事故を起こしてしまい、会場に行けなくなってしまう。ぼくは、その友だちに、残念だったね、あきらめるなよと言い、家に帰る。家は海のすぐほとりにあり、いつでも泳げるような環境で、すぐ隣が海の家で、その隣が建築中の今朝ぼくの死体を運んでいたぼくの友だちの工房になっている。翌朝、起きて、会社に行き、上司にプレゼンテーションは事故があり、できませんでした、まだ結果は出ていません、ぼくは諦めていません、と報告する。
そこで目が覚めた。変な夢です。ぼくの死体の隣にいるぼくは、ぼくの霊ということなんだろうか?
そこで目が覚めた。変な夢です。ぼくの死体の隣にいるぼくは、ぼくの霊ということなんだろうか?


こんな夢を見た。ぼくは友だちと知らない町で遊んだ帰りの夕方、観光バスにようなものに乗りこむ。ぼくは前の方の席に座り、友だちは立っているのが好きだからと言い、前のドアのあたりに立っている。ほぼ満員でバスは発車して、暫くすると運転手のあーとい言う大きなうめき声、叫び声が聞こえる。どうしたんだろうと、運転席を見ると、運転手が全身の毛穴から血を吹き出して倒れている。そう言えば、最近、バスの運転手が突然、運転中に倒れる事件が続発していることをぼくは思い出す。ぼくは、この血まみれの運転手を運転席から動かし、運転を変わろうか、そてとも、携帯電話で救急の通報をしようか、思案している。
そこで目が覚めた。本当にいやな感じの夢だった。悪魔祓いのためにここに記しておきます。
そこで目が覚めた。本当にいやな感じの夢だった。悪魔祓いのためにここに記しておきます。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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