えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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めったに見れない映画で多分レンタルDVDも出ないだろう映画だから、渋谷まで出かけて見に行った。「カルトーラ~サンビスタの物語」はブラジル・サンバ史上、もっとも重要かと思われるカルトーラの人生を、カルトーラ自身やその周りの人のインタビューと、さまざまなミュージシャンのカルトーラの楽曲の演奏シーンによって構成されたドキュメンタリーなのだった。カルトーラってこんな人だったのかと改めて知ったのです。

15才でその勝手気ままな素行によってお父さんに捨てられ、放蕩し、1930年代に若くして売れっ子サンバ作曲家になるも、1940年代に入るころ、忽然と表舞台から姿を消す。1940年代から1960年代までの30年間、カルトーラは印刷工、ペンキ塗り、駐車場の係員、映画のは端役、恋女房のジカとの共同でのサンバ・バーなどによって身をつなぐ。貧しいけれど何人もの養子を育て、生活に常に困窮。けれど、1974年になり、初の自身のアルバムを発表。もう65才となっていた。カルトーラは自身の人生をこう述懐する。まるで西部劇のようだと、最後の最後に苦難を乗り越え、平和と幸せがやって来たと言う。そして、カルトーラの歌はいつまでも歌い継がれていっている。

ぼくはカルトーラの音楽にある単純さ、複雑さ、やさしさ、その感傷、涙、やすらぎ、平和、深さ、言葉に言えないすべてに感嘆する。なんとなく似ている沖縄の嘉手苅林昌を思い出し、林昌さんは島歌の魂のようでもあり、カルトーラはサンバの魂のようでもあるのだ。

ひさしぶりに言っちゃおうかな。

SAUDE! SAUDADE.
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「河童のクゥと夏休み」というアニメをDVDを借りて見た。最近はまっている沖縄のシンガー、首里フジコさんのブログにとてもいいと書いてあったのです。

小学生、こういちの見つけた河童の化石から河童のクゥが生き返り、ひと夏を過ごすというもの。クゥがかわいくて、せつなくて涙が止まらなくなった。最後は沖縄の妖精キジムナーが出てきてハッピー・エンド。河童とかキジムナーとかにぼくも会いたいなぁ。

こういうのを見ると、あることを思い出す。子供のころ、亀を飼っていて、なぜか、たらいの中の亀がかわいそうに思い、こういう生き物は、やっぱ自然の中で生きるものじゃないかと思い、近くの沼に放しに行った。亀はゆっくり、自然の水に戻っていったけど、今、その沼はもうない。ぼくのしたことがいいことなのか、どうなのか、今もわからない。

小川のきれいなせせらぎの音が聞きたくなった。

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相模原市立博物館のプラネタリウムに「銀河鉄道の夜」を見に行く。プラネタリウム用に特別に作られた映画みたい。ほの暗い180度の画面に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の語りとともに銀河を旅する。そのほの暗さが幻想らしさ、夢の中の感じを増す。視界の全部が夢の世界かのよう。あくまでも「銀河鉄道の夜」をモチーフしていて、物語そのものは語られない。この物語に続きは宮沢賢治の本を読んでくださいとの字幕が最後に流れた。納得。何度読んでもあの物語には感動するもんなぁ。

たくさん絵本や例えば杉井ギサブロー監督の猫のキャラの映画にもなってるけど、賢治先生(宮沢賢治の故郷の花巻で例えば、宮沢賢治のお墓はどこですかと聞くと町の人は賢治先生のお墓は、と答えてくれるのです、本当に)の原作を超えたもののを読んだり、見たことはない。賢治の言葉が読む人の心に作るイマジネーションのマジックは超えられないのだろう。ただ、杉井監督の「銀河鉄道の夜」は傑作だったと思う。特に細野晴臣の音楽は良かった。このプラネタリウムを前提とした映画とは比べられないとも思った。

使用上の注意:この映画、体調の悪い時に見ると酔います。
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恵比寿のガーデンシネマに「扉をたたく人(http://www.tobira-movie.jp/)」という映画を見に行った。どんな映画かと聞かれれば、その宣伝コピーには「扉を閉ざしたニューヨーク-移民の青年の出会いと“ジャンベ”の響きが孤独な大学教授の心の扉を開く」とある。音楽っぽい映画はなんだか見に行きたくなるのです。スター不在のこの映画は去年アメリカでわずか4つの映画館で封を切られ、しかしながら口コミで評判となり、最終的には270館で上映されたという。登場人物はわずか4人。大学教授、シリアからの移民してきたパレスチナ人の青年、青年の恋人でセネガルから移民、青年の母親。場所はニューヨーク。

青年の母親がミシガンからニューヨークに青年に会いにきて、青年から恋人を紹介されて、なんて肌の色の黒い人と思うのだが、話しているうちに、わかりあえるというようなシーンがとてもよく、心がほんわかしたりした。ドラムをたたくことは、誰かのハートをノックするということかのように、青年からジャンベを教えてもらい、少しずつ大学教授の心は開き、自らもジャンベをたたく。訪問者の打ち鳴らすアフリカの通信のリズムは誰かの閉じた心をたたいて、扉の開くのを待っている。ぼくも待ってるのだ。
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Viniciusと聞いても、以外にみんな知らないのじゃないか? ボサノバという音楽の誕生をさせた3人のミュージシャンがいて、ピアノを弾き作曲をするAntonio Carlos Jobim、ギターを弾き歌を歌うJoao Gilberto、そして、詞を作るVinicius de Moraesなのだ。『ヴィニシウス ~愛とボサノヴァの日々~』というドキュメンタリー映画が上映されていて、見に行った。Viniciusはれっきとしたブラジルの外交官でありながら、詩人であり、作詞すらした。最も有名な詞は"Garota de Ipanema"、「イパネマの娘」。ぼくの一番好きな詞は、"Felicidade"、「かなしみよさようなら」。この映画では出てこなかったけれど、紹介します。国安真奈さんのすばらしい訳で。

「悲しみには終わりがない
幸せには終わりがあるのに
悲しみには終わりがない
幸せには終わりがあるのに
幸せは
花びらに溜まった朝露のよう
落ち着いた輝きを放ち
軽く震えたかと思うと
愛の涙のように 滑り落ちていく

貧しき者の幸せは
カルナヴァルの大きな夢
一年中働き通し
一瞬の夢のために
王の 海賊の 庭師の衣装をまとい
水曜日には跡形もなく散ってしまう
夢のために」

Viniciusは美しい詩や詞を書いた。若いミュージシャンを招いての自宅での毎夜のどんちゃん騒ぎ。この映画でも出てきたBaden Powellらとのホームビデオの映像では、みんな幸せそう。結婚した数は9回の恋多き男。愛を与える人。愛を受け取る人。大酒のみ。作詞する大詩人。不良高級外交官。ボヘミアン。ブラジルの中でもっとも黒い白人。Viniciusは白人は黒人になればいい、黒人は白人になればいい、そうすれば、わかりあえると言う。そして、何より隣人と音楽を愛していた。

(映画館の席はがらがらだった。閉映近し。こういう映画は大画面とサラウンドの大きな音で浸るように鑑賞すべし。急げ)

『ヴィニシウス ~愛とボサノヴァの日々~』の公式ページ
http://www.vinicius.jp/
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家に帰って来て、お風呂に入って、ビール飲みながら、夕ご飯食べながら、テレビを付けると、NHKBSでJack Blackというアメリカでは有名らしいコメディアンが主演している"School Of Rock"という映画を放送していて、これが最高。ティーン・エイジャーのころを思い出して、しかも喜んでいる自分があのころに戻った気持ちにもなり、まだある自分の中のきらめいているようなハートを見つけて、気分よくなった。Led Zeppelinがどうの、Sex PstolsがどうのというJack Black演じるにせ教師のセリフにニヤニヤしてしまう。そうなんだ、あのころ、Rockがなければ、まともじゃられなかったのかもしれないし、いまだって、いつだってそうさ。いやな事件がどこかで起こるたびに、いまだに、John Lennonはこの世界をどう歌うのだろうと思ってしまう。John Lennonは、おれは結局、Rock'n' Rollしかできないって言っていた。だから、Rockはガキの遊び、最高の遊びだといって、褒め称えてもいいのさ。劇中でJackは子どもたち、がきどもといっしょに歌っていた。

「いい点数取れたよ
亡霊みたくなって
お愛想笑い
そんなのはもういいさ
Rockし続けるってのは
大変なことだぜ
Rockをきわめるってのは
たいしたことだぜ」

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夜、NHKBSで黒澤明監督の「夢」が放映されていた。見始めたら、止められなく、最後まで見てしまった。8つのストーリーのオムニバス形式。すべてのお話は黒澤監督の見た夢だというが、この映画、何度か見ているのだが、昔見た印象と違い、一話目の「日照り雨」と二話目の「桃畑」がいいなぁ。「日照り雨」は天気雨の日、狐の嫁入りを見た少年の話。見てはいけない神聖なものを見てしまった少年が虹のふもとの狐の国に謝りに行く。そこは花畑にかかる虹の向こう。二話目の「桃畑」に出てくる切り倒された桃畑に残った一本の小さな桃の木が愛おしい。三話目以降、物語は陰鬱になり、終末観すら漂わす。八話目の「水車のある村」でちょっと救われる感じ。笠智衆の演じる老人のセリフ「夜は暗いもんじゃ」になるほどと思い、「生きることはおもしろい」にそうかな(?)と思った。
最近、ローリング・ストーンズの映画を撮った監督、マーチン・スコセッシがビンセント・ヴァン・ゴッホ役で出ている。彼にはこうセリフがある。「こんな景色を前にして描かずにはいられない」とゴッホは言う。それはそうだ。描かずにはいられないだろうし、歌わずにはいられないことだっておこるさ。耳に包帯を巻いているゴッホに主人公は聞いてみる。「その包帯はどうしたんですか? 大丈夫ですか?」と。ゴッホは答える。「うまく描けないので耳を切り取ったのだ」と。史実の中のゴッホはその耳を娼婦である恋人に贈ったのだ。
話が映画からそれてしまった。「桃畑」にもどそう。映画とは夢でもある。そしてこの映画は「夢」。きみが見知らぬ女の子に魅かれたなら、その娘は失われた桃畑の桃の精なんだ。きっと、きみだけに舞を踊ってくれるでしょう。
おやすみ。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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