えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



成瀬巳喜男監督の『流れる』を渋谷の映画館で見ました。1956年の日本映画。成瀬巳喜男は黒澤明、溝口健二、小津安二郎と並ぶ、海外でも評価の高い名監督で作風はどこか小津安二郎と似ていつつも、何かが決定的に違う。
深川かどこかの衰退する芸妓の芸者置屋を舞台にした家庭劇は、からっとしていて、それほど暗くもないのだが、それゆえにどこかもの寂しさがただよう。とりたててストーリーはない会話劇。
女優陣がオールスター・キャストで、山田五十鈴、高峰秀子、田中絹代、杉村春子、岡田茉莉子の面々。『流れる』を見ながら、芸妓の世界に反撥する高峰秀子の演技に、ぼくは後のウーマンリブ、フェミニズムに通ずる何がしかを感じるのだった。高峰秀子は当時の若い女性たちに絶大な人気であったのだろう。
ぼくには、小津の映画は死がべったりと貼りつき、それはいつしか夢の中であるように思え、成瀬の映画は常に生の側で、どこまでも夢へと飛び立たないと思えるのだった。


三月二十一日、上野鈴本演芸場で寿真打昇進襲名披露興行でした。見た演目を書き出してみます。二つ目の金原亭杏寿さんの「狸の恩返し」、柳家勧之助師匠の「鈴ヶ森」、米粒写経のお二人の漫才、古今亭菊之丞師匠の「長短」、ダーク広和さんの奇術、春風亭一朝師匠の「湯屋番」、柳家花緑師匠の「岸柳島」、鏡味千成さんと鏡味仙志郎さんのお二人の太神楽曲芸、柳家さん喬師匠の「天狗裁き」で仲入りとなりました。柳家緑太くんの真打昇進襲名披露口上、林家楽一師匠の紙切り、春風亭一之輔師匠の「牛褒め」、松柳亭鶴枝師匠の「金の大黒」、立花家橘之助師匠の浮世節、主任は真打になりたばかりの柳家緑太師匠の「三枚起請」。
古今亭菊之丞師匠の「長短」、春風亭一朝師匠の「湯屋番」、柳家さん喬師匠の「天狗裁き」など、ベテラン勢のお馴染みの噺がとてもよかったです。林家楽一師匠の紙切りについて、いつか「猫」のお題で注文し、切り絵を入手したい、と思っているのだが、いつになることやら。新しい真打の柳家緑太師匠の「三枚起請」はなかなかのものでした。あっぱれです。
真打昇進襲名披露興行ってお目出度い賑わいで、とてもいい感じ。時折、楽屋の方から、大きな笑い声すら聞こえてきます。寄席はパラダイス。


相模大野のアコパでDakota Dave Hullさんと浜田隆史さんのライブでした。Dakotaさんと浜田さんが交互にアコースティック・ギターを弾き、時には共演をする、という楽しいひと時でした。Dakotaさんは浜田さんのことを「Ragtime Ninjah」と呼ぶのに、ぼくはなるほどと思ってしまいます。ぼくはDakotaさんのことをアメリカの音楽、Blues、Ragtime、Jazz、Folky、Americanaの美しさをインストゥルメンタルのアコースティック・ギターでまさしく体現した人だと思う。
アコパ店内での打ち上げにも参加し、それも楽しいひと時。ぼくはDakotaさんがBob Dylanよりも前のもっとも偉大なギター弾き語りミュージシャンなDave Van Ronkと親友だったということで、彼をモデルにした映画『Inside Llewyn Davis』はどこまで事実に基づいているのか、と聞くと、まったく事実ではない、酷い描き方で、あの映画は二度と見たくないたぐいのものだ、との答え。そうだったか、とぼくは思いました。そして、買ったDakotaさんの最新のCD『Live in Japan』をリュックの中に入れ、家路に向かったのであります。


国立能楽堂で能楽を見ました。狂言は和泉流「手取川」、能は金春流「景清」でありました。「手取川」は名をつけられた若い僧侶が、その名を書いた紙を川に流してしまい、右往左往する話なのでしたが、結構、眠ってしまいました。狂言界の若かりしホーブ、野村萬斎くん、すまぬ。「景清」は零落した武士の父に娘が会いにくる話。けっして楽しくはなく、悲しく、哀れな話に涙が誘われます。
終演の後、ロビーを歩いていると、小さな女の子とお母さんが話しておりました。お父さんは外国の人らしいのです。お母さんは、今、見た能を、あのお侍さんは、昔はかっこよかったたんだよ、そのお侍さんに別れた娘であるお姫さまが会いに来たんだよ、などと解説らしきことしていて、女の子は興味深そうに聞いております。それを傍で聞きつつ、ぼくは、能というのは普遍的な人類共通の心の営みを現したものであるような気がしたのです。


国立近代美術館で『ヒルマ・アフ・クリント展』を見ました。19世紀後半に生を受けたヒルマ・アフ・クリントは100年の時を経て、21世紀となって発見され、もっとも早い抽象絵画を描いた人と呼ばれています。
彼女の大きな絵を見ていると、心が吸いこまれ、それはアストラル界へエーテルとなって広い世界に移行し、どこまでも天上に向かって、上昇するかのようです。と同時に、エマヌエル・スヴェーデンボリからルドルフ・シュタイナーの神智学と人智学へのスウェーデンのキリスト教神秘主義の伝統があって、さらにさかのぼれば、ケルトの神秘思想がありそうです。けれども、ぼくはキリスト教の選民思想が好きではありません。実際に今でもそれは世界に破壊と混乱をもたらしていることに疑いはありません。
絵のキャプションの解説を見ながら、ふと、19世紀から20世紀への端境期、電波や放射能などの目に見えないものの機能が発見されたことに、何かを感じることも、ぼくにはあるのです。ヒルマ・アフ・クリントの絵は素晴らしい。彼女の探求心。けれども、ぼくは、日本には稲荷の神威の稲荷神社があるなどと、妙なことを思い浮かべてもいるのです。
ヒルマ・アフ・クリント 10の最大物 ヒルマ・アフ・クリント財団蔵 #ヒルマ・アフ・クリント展


ユリア・ジャコブさんの著した『日本が知らないウクライナ 歴史からひもとくアイデンティティ』を読了しました。ロシアから侵略戦争をされているウクライナだけど、アメリカ(USA)、ヨーロッパ(EU)、ロシアからの大きな声にくらべ、直接の被害の当事者であるウクライナの声はそれほどに大きくはないと思い、『日本が知らないウクライナ』を読んでみました。ユリア・ジャコブは日本在住のウクライナ人で、大学で講師もしておられる方です。『日本が知らないウクライナ』には、市井の人たちの声を収められ、歴史、宗教、文化を概括する素晴らしい本であります。
この本を読みながら、ロシアの「ロシア世界」という妄想、アメリカの「Make America Great Again」という妄想について考え、その国家の拡大と膨張を志向する妄想は、世界に悪しきことしかもたらさないだろう、とぼくは確信するのだった。ロシアをさかのぼるソビエト連邦では、「私の住所は家でも通りでもない、ソビエト連邦だ!」という歌詞の歌が、1970年代に流行っていたというけれど、それはおぞましい。戦中の大日本帝国の「八紘一宇」のような醜さである。付け足すに、批評家の佐藤優氏のような人は、数少ないロシア語の理解者として、理解できるがゆえに、ロシアの大量の宣伝にからめとられ、初めからあり、今もある事実を見誤っているのかもしれない。
三島由紀夫のことも思い出しました。ぼくが映画で見た三島の東大全共闘と討論した時、全共闘から、それでは日本人の限界を越えられないのでないか、と問われ、三島由紀夫は、それでいいんだよ、私は日本人として生き、日本人として死んでいくんだ、私はあなたを否定しない、尊敬すべき高邁な国際人として、人生を追求していってください、と応えていた。大国の横暴の中でウクライナ人はどう生きて行くのだろう? ウクライナ人として生き、ウクライナ人として死んでいく。せめても、ぼくは小さいものの方、ウクライナの人びとの方に立ちたいとも思いつつ、この本を閉じました。
日本が知らないウクライナ


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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