えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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京都を一泊の旅をしました。

お目当ては京都国立博物館での他の地への巡回はしないらしい『雪舟伝説―画聖(カリスマ)の誕生―』展。雪舟の絵を見たいがために何度か上野の東京国立博物館に何度か足を運んだけれど、いつも展示しておらず、今回の『雪舟伝説』では国宝・重要文化財となっているもの全ての六点の絵画が鑑賞できるという。雪舟の絵というのは日本的でありながら、雪舟が留学し、中国の明の絵画に学んだということも越えて、すぐれて、一つの文化を越えて、汎世界的、宇宙的であるように感じる。ついにこの目で雪舟の絵の実物を見れたことで、感慨もひとしおです。雪舟以外にも、雪舟に影響を受けた絵画を紹介してる。雪舟は室町時代に生きた人であの能という世界的舞台芸術を完成させた世阿弥と同じ時代を生きた人であることにぼくは驚いてしまう。室町時代から下る安土桃山時代から明治まで雪舟はあらゆる絵師から画祖とあがめられ、尊敬され、模写されてきたそうだ。長谷川等伯の雪舟の絵の構図そのままの絵は国宝にもなっていて、その絵を見ながら、隣にいた年配の女性の方はその友だちに、すごいねー、これ国宝だよ、などと話していた。その「すごいねー」の言葉にはお金には決して換算できない永遠なる日本の美が雪舟を含めてあるのだと思った。

その後、京都国立博物館の近くの三十三間堂に参ってみる。千躯もある千手観音に圧倒され、仏威のありがたさを感じておりました。

そして、浄土真宗大谷派のもっとも大きな寺、本山寺院である東本願寺こと真宗本廟に行ってみる。ぼくは親鸞の説いた教えに近ごろは惹かれて、浄土真宗大谷派の雑誌「同胞」を毎月、購読していたりするものであります。はるか昔の大学生のころ、ここを訪れ、華美な装飾のない静かなここの本堂にいたく強く魅かれ、ずっと記憶に残っている大寺院でございます。縁があったのですな。ところが、本堂には入れたけれど、金障子が閉まっていて、親鸞聖人の御真影や阿弥陀様がおがめなく、何かものたりない。地元の人から「お東さん」と呼ばれるそこを後にした。

夕食は少し電車に乗り「赤垣屋」という太田和彦さんにも紹介されていた居酒屋に行きました。どの料理も本格派の美味しさがございます。国内、海外から旅行客、地元の人で満席で、カウンターに座ったぼくは店主の板前さんの包丁さばきにほれぼれとします。おいしくて一杯、食べて、飲んでしまった。

次の日、東本願寺の金障子は午後四時ぐらいに閉まっていたのを知り、再び参ってみることにしました。金障子は開いておりました。正座をし、親鸞聖人の御真影を拝み、教え通りの「南無阿弥陀仏」と唱え、座をくずし、あぐらをかいていると、ぼくの目の前に僧侶が現れ、そこに座り、何人もの、たくさん黒い袈裟を着た僧侶が体育館よりも広い本堂一杯に正座し、ぼくは取り囲まれてしまいました。驚き、ぼくはその場で正座をしなおします。そして、若い女性の僧侶が親鸞聖人の御真影の前に座り「南無阿弥陀仏」と三度唱えると、ぼくの回りの何十人もの僧侶が「正信偈」か「阿弥陀経」かはぼくはに判然しませんが、読経しはじめ、ぼくのまわりの三百六十度からありがたき言葉が響きわたり、届きます。朝の勤行だったのでしょうか、予想外のすごい経験をしました。その全体の姿を思い浮かべると滑稽でもありますが、これもありがたきご縁。生きていく力をもらいました。

平安神宮でお参りをしました。祈りと願いは「世界平和」と「心身健全」。広大な神域に清らかなそよ風が吹いているかのようでもあります。

京都市京セラ美術館での『村上隆もののけ展』を見に行きました。気になっていた現代美術家ですが、ぼくが見る初めての村上隆さんの展覧会です。もともと村上隆さんは東京芸術大学のころは日本画を専攻していて、江戸時代の尾形光琳らの琳派の画家を尊敬していることなどを初めて知りました。なんと、ぼくと同じ学年であるらしい。敗戦国日本のある種のゆがんだコンプレックスと、そこから出発し、跳躍する日本への愛を村上さんは描いているらしい。なるほどと思いました。以外にもとても面白かった。大江健三郎いうところの「Late Style(晩年様式)」の老年を歩いていく村上隆さんのこれからの作品、表現にぼくは興味津々であります。

京都駅のところにある「東洋亭」という洋食レストランでハンバーグランチを食べ、白ワインをデカンタで飲み、酔いどれてしまった。とてもおいしかった。そして、新幹線の「のぞみ」に乗って帰ってきました。

楽しかった。
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浅草演芸ホール令和六年五月中席昼の部に行って参りました。今日は、落語芸術協会の山遊亭金太郎師匠、雲龍亭雨花師匠、松林伯知師匠のめでたい真打披露興行。

見た演目を書き出してみます。前座の桂しょう治くんの「狸札」、二つ目の三遊亭遊七くんの「雑俳」、片岡一郎さんの活動写真弁士、笑福亭羽光師匠の「感想文」、橘ノ圓満師匠の「猫と金魚」、一玄亭米多朗師匠の「がまの油」、桂小文治師匠の「蒟蒻問答」で一回目の仲入りとなりました。山田邦子さんのお楽しみの漫談、神田紅師匠の講談「お富与三郎」、三遊亭笑遊師匠の「湯番屋」、コント青年団のコント、春風亭昇太師匠の「鷺とり」ど二回目の仲入りです。真打昇進披露口上がありまして、山遊亭金太郎師匠の「後生鰻」、松林伯知師匠の講談「湯水の行水」、東京ボーイズの歌謡漫談、桂南なん師匠の「辰巳の辻占」、春雨や雷蔵師匠の「金婚旅行」、ボンボンブラザ-スの曲芸、主任をつとめる雲龍亭雨花師匠の「子別れ」。

三遊亭笑遊師匠の滑稽噺「湯番屋」は強烈に印象に残りましたが、主任の雲龍亭雨花師匠の人情噺「子別れ」について述べねばなりますまい。噺家さんの人生が自然にそかはかとなく溢れるかのようで、深く響く素晴らしき噺でございました。寄席はパラダイス。
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友だちに誘われて、初めて女子プロレスを見ました。会場は後楽園ホールで、スターダムという団体。すごい迫力です。はり手やエルボー、キックで体を撃つ鈍いボソッとかいう音が響いて、耳に届きます。選手の「バカヤロー」とか「コレデオワリ」とか「イテー」というおたけびが聞こえ、組わざを決められそうになると、セコンドが「動け動け」とわめきます。痛みに耐える体と心の強靭さの競い合いは、青春のパッションとパッションのぶつかり合いでもあります。面白さを越えて、ぼくは感動していました。
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落語と能楽の鑑賞にずいぶん夢中となってしまった。落語は生きているものちちのためにあり、能は死んでしまった人たち、この世にあってはならないものたちに捧げられ、むしろあっていいのだと説いているように思えるけれど、両者に共通していることは、生きていることの痛みをやわらげ、救ってくれるようにも思えることだ。

今日、見た能楽の狂言は「入間川」、能は「加茂物狂」であった。狂女は舞いを踊り、その舞いは美しくなり、愛おしい人との再会もとげるのだが、それらもすべては流れ去り、鏡の松のみそこに残されるのだった。
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大江健三郎の著した『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を読む。これは何度目かの再読かもしれない。明治から昭和にかけての特殊な時代の天皇制の天皇というテーマの『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、同じテーマの『月の男』も所収して一冊の本となっている。

これを読めば、いかにも三島由紀夫の『英霊の聲』や戦後、最も読まれた作家の切腹という自死に反訴していることは明かであるようなのだけれど、むしろ、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の方が「少国民」と呼ばれた大江自らの少年期の愛国の真情、情熱がほとばしるようなのだ。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』に書かれた昭和二十年八月十五日までは、そのような真情が、八月十六日には、跳躍し、戦後となる。むしろ、戦争を忌避した日本浪漫派を出発した三島由紀夫に戦争の終わりは来たが、戦後は来なかったのではなかろうか? 永遠と続く戦争と終戦の永劫回帰のような中で、三島は遂には死者の後を追い、自害したことを最も理解しえた作家は大江健三郎しかいなかった。三島の死を多くの作家は狂気のように扱ったが、大江のみ自らのこととして、引き受けて批判しようとして、小説を書き、その小説の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の本意は「天皇陛下が、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、という祈求の叫び」ということらしい。この本にある「*二つの中篇をむすぶ作家のノート」にはこんな詩の断片が記されており、その言葉は常に大江という作家の心のどこかにあったという。

 純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する

もう一つの中篇は『月の男』で、それは現人神たる天皇に謁見することを希求するNASAの訓練から逃亡したアメリカ人を主人公とする物語で、その主人公の緊張は、テレビで報ぜられる月の人類の到着で極点に達し、天皇の言葉を希求するのだった。戦後民主主義と戦後憲法の擁護者であった、大江健三郎は文字通り、その一条を含めた日本国憲法の擁護者であったのかもしれない。今では天皇こそ平和の擁護者だという声も聞かれる。しかしながら、作家は「著者から読者へ」というあとがきで、このような否定でも肯定でもない言葉を記してもいて、それは読者にアンビバレンツの疑問を投げかけるようでもある。引用して、この感想を了とします。

 天皇制を持っている国家と、そうでない国家とは―旧憲法のもとではもとより、新憲法のもとでも―すっかりちがう、一般的な国家像とはちがったその特別な国家に、われわれは生きているのだと、とくに若い人たちに繰りかえしいいたい気持を、ぼくは押さえられません。しかもそれをエッセイの文体では自分には書けぬ、危険な多様性を持った、ある深みまで、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は表現しえているのではないか、と僕は―希望的な観測も含めて―考えています。

『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(大江 健三郎)
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鈴本演芸場五月上席昼の部に行って参りました。見た演目を書き出してみます。柳亭市助くんの「元犬」、二つ目の林家たけ平くんの小話、三増紋之助師匠の曲独楽、鈴々舎馬風師匠の漫談、古今亭菊之丞師匠の「長短」、立花家橘之助師匠の浮世節、柳家三三師匠「道灌」、春風亭一朝師匠の「湯番屋」、ロケット団の漫才、桃月庵白酒師匠の「代脈」でお仲入りとなりました。ダーク広和さんの奇術、林家つる子師匠の「皿屋敷」、柳家さん喬師匠の「真田小僧」、林家一楽師匠の紙切り、主任の林家正蔵師匠の「一文笛」。

印象的な噺を少し。春風亭一朝師匠の「湯番屋」で大爆笑。やはり春風亭一朝師匠は春風亭一之輔師匠の師匠にあたる人なのです。林家つる子師匠の「皿屋敷」の演ずるお菊さんがよかった。柳家さん喬師匠の「真田小僧」も面白く、揺れない紙切り名人の林家一楽師匠の飄々とした味。林家正蔵師匠の「一文笛」の迫真の人情噺に身をのり出すように聴いていました。寄席はパラダイス。
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登戸駅近くのNAMNAM Spaceというところで開催されている『パレスチナ あたたかい家』と題された展覧会に行ってみました。一部屋のスペースに新進の作家のパレスチナ支援のためのいろんな絵や作品が並んでいます。このような展覧会を見に来るのは、ぼくのような、かわりもの、はぐれものの老人ばかりで、閑散としていると思いきや、それなりの人の入りで、ぼく以外は若い人ばかりであるのを、ぼくは希望と感じたのです。きっと、みんなの思いは一つ、虐殺がやむことを願うばかり。

この展覧会は、満州国という植民のイスラエルと同じような過ちを犯し、敗戦し、敗戦の前にはガザのようの爆撃にあい、二発の原爆を落とされ、平和を謳う憲法を持つにいたった、戦災の後も、何度も災害からの復興をした、そのようの日本人らしいインデペンデントな素晴らしい展覧会であるし、戦争に抗する多様な表現であると思うのです。一昨日は憲法記念日でありましたが、そう、平和を謳う憲法こそ今や深い部分で日本らしく、日本人の美しい心のようであります。この停戦を願う小さな展覧会は、灯された希望そのものだ思ったのです。

Palestine,Our Warm House
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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