えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
国立能楽堂で能楽を鑑賞しました。狂言は和泉流「寝音曲」、能は宝生流「鵜飼」でした。
「寝音曲」は謡いの上手い太郎冠者が主人に謡いをしてみろという主人になんのかんのいって謡いをしようとしない滑稽劇。おおらかな笑いが劇が進むにつれ、大きくなり、能楽堂が笑いにつつまれておりました。
「鵜飼」はこんな話。殺生を禁じられた鵜使いが、生活のために禁をやぶり、村人から水の底に沈められ亡くなり、地獄に行く。僧侶に召喚され、シテは鵜飼の舞を舞う。シテ(主役)の鵜で漁をする面白さがやがて悲しみに変わり、黄泉の国にもどる。そして、僧侶の仏法と法華経の力により、閻魔大王により地獄から引きあげられ、救われる。この日本に伝わる死生観は現在まで生きている、とぼくは思う。生きとし生きるものには霊魂がやどり、決して殺生を楽しんではならないという厳命。能楽堂をあとにしつつ、ぼくには能の「鵜飼」を知っていたであろう芭蕉の名句が思い浮かばれました。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉
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