えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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横浜に残された唯一の名画座であるらしいジャック・アンド・ベティにトルコのセミフ・カプランオール監督の「蜂蜜」という映画を見に行きました。ジャック・アンド・ベティは、黄金町の旧青線地帯(戦前の公ではないの売春地帯)のはずれにあって、なんとも、昼間に行くとさびれたような感じだけれども、劇場自体が映画の中のようなのです。このあたりは林海象監督の「私立探偵 濱マイク」シリーズの舞台でもあって、なんともある種の風情がありますな。

昼前にビールに酢豚で一杯してしまってから、いざ映画鑑賞。けれど、不覚にも、たまった疲れで前半、うとうとと部分、部分で居眠りしてしまいました。というのも、この映画、ほとんど、セリフもストーリー展開もないのです。バック・グラウンドに音楽すら流れない。舞台であるトルコの田舎の山の中の森の景色を少年が父とともに歩き、または、父を探して歩き、木立の風によってこすれあう音や鳥たちのさえずりがぼくを眠りに誘いましたが、うとうとしている間にも、何か、ぼくは確かに感じたようなのです。すべてのシーンが絵のように何気なく自然で本当に美しい。その美しさは、絵画的なことを越えて、この映画の中で生きている人たちの美しさでもある。リセミフ・カプランオール監督の言葉。

「私たちは、自分の目を通して世界を見ているのではなく、自分の夢を通して世界を見ている」

ぼくの大好きなドイツの映画監督のヴィム。ヴェンダーズは、私の映画を見るとたいがい眠くなります、と言ったのは、ある意味での名言かもしれないけれど、ぼくはもう一度「蜜蜂」を居眠りせずにいつか絶対に見たいと思いました。


映画「蜜蜂」のページ
http://www.alcine-terran.com/honey/index.html

シネマ・ジャック・アンド・ベティのページ
http://www.jackandbetty.net/index.html
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毎日の夜遅くまでの残業での不規則な生活がたたったのか、風邪を引いたかのような体調の悪さとお腹の痛さで、仕事を休んでしまって、夕方の今、ブルースを聴いています。"the best of MUDDY WATERS"。ブルースって癒されるものなんだねー。ブルースって、北アメリカ南部の綿花摘みとかの過酷な労働のお休みの療養のための音楽でもあるのかもしれない。月曜日から金曜日まで疲れきって働き、土曜の夜、クラブに集まり、癒しと楽しみを求めたそのシカゴブルースの名品がこのアルバムです。









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町田の万象房に弁ブルースを聴きに行った。万象房には失業時代、オープンマイクによく出演した。最近、ごぶさたでしたが、マスターのキガワさんには顔を憶えていてもらって、声をかけてもらってうれしかった。

お店に入っていくと1番目のバンド、マンダラーズの演奏はもう始まっていた。ラップ+ギター+ディジュリドゥーという編成でこの夜は「真夏のブルースナイト」というタイトルなのだが、なるほどラップというのはカントリーブルーズの孫の孫なのかもしれないと思う。ラップをしていたMC-Daharaくんとあとで話すと、ブルース好きらしい。そういえば、ぼくも二十代のころはブルースや古いリズム・アンド・ブルースばかりを聴いていた。けれど、今もあまり変わりないか。

2番目の演者の深川慶さんはドブロギターを弾く日本語オリジナル詞のブルースマンで歌がシュールに不思議でほの暗く、そこにほっとする魅力があります。 いっしょに演奏した居相毅さんのハーモニカはぼくの吹くなんちゃってハーモニカとは違っていて、ブルーズの中でいききと泳いでおりました。すごいなぁ。

トリはコージー大内さんの弁ブルース。コージー大内さんはライトニン・ホプキンス・スタイルでギターを弾きながら、故郷、大分県の日田弁でオリジナルブルースを歌うのです。じつはぼくも、父と母が九州出身で、歌として流れてくるしゃべり言葉の感じがなつかしいような気もし始めた。なぜ、コージーさんは日田弁で歌い始めたかというと、ライトニンホプキンスなどの歌を歌って、聴いてくれていたアメリカ人に聴いてみたそうです。ぼくの英語の歌、わかりましたかと。すると、全然わからない、けれど問題ないよ、カントリーブルースとかは南部のなまりとか黒人のスラングでアメリカ人ですら、何を歌っているのかわからないのだから。そういえば、ローリングストーンズの1970頃のミックジャガーの歌って、真似をした南部なまりの歌で、はやりアメリカ人やイギリス人にも何を歌っているのか、わからないそうです。で、この九州の片田舎の方言とブルースの相性って抜群に良いね。やっぱ、九州は日本にとってのアメリカの南部にあたるところなのだろうか、などと想像する。母さんの思い出サイレンの歌とか胸にじーんと来ました。コージー大内さんの弁ブルース、最高!

マスターのキガワさんへの追伸で、また、オープンマイク、なんとか出たいと思います。


万象房のページ
http://musictown2000.sub.jp/banshowboh/open_cafebanshowboh.htm

コージー大内さんのページ
http://homepage2.nifty.com/adliv/KozyOuchi/index.html





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夏が暑いからレゲエなのかよと、思想的レゲエマニアからは怒られてすまうかもしれないが、一服の清涼剤のようでもあるビブラフォン奏者Lennie Hibbertの"CREATION"というアルバムは放射能ただようかもしれないこの夏の日本国首都の南にある県で、何度でもよくぼくは聴き、それは邪気祓いのような摩訶不思議な音のパワーすら感じたのだった。そして、この音楽はあまりジャマイカっぽくレゲエでありながら、ジャンルなんて越えていて、けれども、もしかして、もしかして、いきおいあまって、クールに"Jah Rsstafari!"と叫んでしまおうかと、思う。なんか、ぼくの感じ方が違うかもしれないけれども、愛聴盤になってしまったのです。








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最近、行けなかった町田のWest Boxのセッションに行ったのだった。ジャンルにこだわらないここのセッションで今夜、ぼくが歌った歌はアイルランドの名曲"Long Black Veil"。The BandでのRick Dankoのすばらしい歌は忘れられなく、アイルランドの音楽外交大使とも呼ばれるChieftainsをバックのしたMick Jaggerの歌も良かった。この歌を僭越ながら意訳してみようなどと思う。

10年前の寒く暗い夜
どこかの誰がが公民館の講堂で誰かを殺した
ささいな光景があって
立ち去る男がおれに似ていると同意してしまった

裁判官はおれにアリバイを求め
他の誰かでなければ、おまえは死ななくてはならないという
おれは何も言えなかった
その時、おれの親友の妻をこの腕に抱いていたから

彼女は黒い長いベイルをはおり、いくつもの丘を歩み
おれの墓を訪れると、夜の風がしくしくと、いたみ泣いている
誰も知らなく、誰も見ていない
誰も、おれ以外のだれも

死刑台の足場は高く、いつまでもそばにあって
彼女は人々の中に立っていて、涙をぬぐおうともしない
けれど、あの冷たい風がうめく特別のとき
黒くて長いべイールの中での彼女の泣く声が、おれの骨にしみわたる

ぼくはこの歌が大島渚監督の大好きな映画「愛の亡霊」ようだとも思い、愛とは何だろうと立ちつくす。もう一曲歌ったRobert
Nighthawkの"Eli's Place/Murdering Blues"はまたの機会に。ではおはすみZZZzzz.....

The Band- Long Black Veil

http://www.youtube.com/watch?v=dMbVXYQpJV8

The Long black Veil by the Chieftains and Mick Jagger

http://www.youtube.com/watch?v=RYE-x0Yje98
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スタジオジブリの最新作映画「コクリコ坂から」を見た。舞台は1963年の東京オリピックの前年の横浜、多分、山下か新山下あたりであろう。翌年の1964年は東京オリンピックで1970年は大阪万博で1972年が連合赤軍事件で、それからずっと見飽きた景色が続いているのかもしれないなどと思う。そうなれば、1963年は最後の夏だったのかもしれないなどと想像するのは、この映画のせいなのかもしれない。

この最新のジブリアニメの実直な若い恋のなりゆき、物語に三島由紀夫の「潮騒」という大好きな小説を思い出したといえば、このアニメ界のドン、宮崎駿は苦味つぶした嫌な顔をするだろうか。ぼくは、今の21世紀にあって、ノスタルジーこそ最も革命的ではないのかしらと思う。この映画のカルチェラタンと称する高校の自主運営のサークルの寄り集まった建物が、ぼくの学生時代のお化け屋敷のようなサークル連の建物を思い出させ、なんともにが甘い自由の記憶を呼び戻し、やはりノスタルジーこそ今の時代の革命なのだと思い、それはこの映画「コクリコ坂から」の隠しようもないテーマなのではないかしら。

古い記憶を紡ぐように描かれた高度成長とやらでいろんなものを失う前の1963年の背景に描かれた街並みの美しさが、映画の中で恋する少年と少女の純真さのように眩しいのです。
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長野県小布施の岩松院で鳳凰図を見た。この曹洞宗のお寺の本堂の二十畳もある天井を飾る鳳凰図は北斎の生涯のもっとも終りの名画であるという。この鳳凰は八方を睨んでいるというのだが、人によっていろんな風に見えるという。ぼくが天井を見上げて、寺院の空の方角の天井にいまします鳳凰さまは、やっているねという謎のような言葉をぼくの耳元で囁きかけ、ぼくを励まし、応援し、微笑しているようなのだった。その眼差しは何もかもを見通す仏陀の一瞥のようでもあった。ひまわり咲き誇る暑い夏の日のできごと、鳳凰は不死鳥であり、何度でもやってきて復活し、空を天翔るというのです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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