えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
東京都写真美術館の鋤田正義展「サウンド・アンド・ヴィジョン」に行ってきた。ミュージシャンのポートレートのオンパレードでした。一番有名なのはデビッド・ボウイのアルバム「ヒーローズ」のジャケット写真かな。有名な写真、多数あり。鋤田さんにとって写真とは憧れであり、美しい思い出なのだと図録でのインタビューで語っていた。鋤田さんの憧れがこちらに伝染してくるようで、大判に引き伸ばされた写真を見ながら、わくわくしてしまう。その原点は初めてカメラを買ってもらって撮った一枚の母の写真。美しい。まったくもって芸術的センスのないぼくだけど、本格的なカメラとか買って、好きなものを撮ってみようか、などと夢見てしまう。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1651.html
来る9月9日(日)の夜、アコースティック・パフォーマンス・コレクション(通称:アコパ)で歌っていますよ。タイバンは美季マドカさん、上村隆さん、Sing-るさんです。アコパは音のすごくいいフォーク系の洋風の居酒屋さんです。とても安くて、おいしいです。日曜の買い物帰りにでもぜひ聴きにきてください。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/index.html
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/index.html
昔、日本テレビで「祭ばやしが聞こえる」というドラマを放映していて、傑作だったと思う。萩原健一主演の事故を起こした競輪選手が再起をかけけて、山梨の富士吉田のあたりで練習に励み、その回りの人たちとのやりとり、などが描かれていた。今、思いおこせば、遠く聞こえる祭ばやしを聴いている趣がなんとも喧騒が過ぎ去った時代を切り取っていたようにも思え、スタイリッシュな映像はもっとも早いロード・ムービーのようでもあった。
そのロケに使われた民宿があると聞き、いつかは泊まってみたいと思った。その民宿、鱒の家に偶然、泊まることができた。茅葺きの古い民宿は、富士山を景色に構えた陽光に照らされ、明るくて懐かしい陽だまりのようにそこにあった。宿に着いて荷物を置き、外に出かけた。宿に向かう道の通りがかった小学生の女の子にこんにちはと声をかけられ、こんにちはとぼくは返した。そして、観光地にもなっている忍野八海のそのあたりを散策してみた。手垢についた言葉で恐縮だが、なんとも癒しの気が満ち溢れているようなのだ。この空気は以前にどこかで経験したことがあるなと思い、思い出をたぐり思い出した。一つは長野県の安曇野にある大王わさび農園、一つは同じく長野県の戸隠神社とその参道。この忍野八海を含めてどこも清き水のせせらぐところだったのだ。ぼくがいやされるところはそのような清き水の地であるらしいことを発見しもした。ぼくは忍野八海を三番目の小さな清き水の聖地であると位置づけた。
さて、宿に戻り、風呂に入り、そのあと宿でぼーっとしていると、どこからともなく、ピアノの音が聞こえ、それはベートーベンの「エリーゼのために」を練習しているようなのだ。多分、さっき挨拶した女の子がピアノの練習をしているのだろう。泊まるところは二階になっていて、一回が食事をするところとなっていた。大広間にいくつかのちゃぶ台が置かれ、そこで鱒料理をいただいた。おいしかった。食事をした大広間は田舎の大広間そのままで、その広間にに神棚や仏壇も置かれ、賞状や、富士山の絵や写真、代々の御父堂、御母堂の写真も飾られている。子どものころ夏休み遊びに行った、父、母の田舎の生家が思い出され、むしょうに懐かしい空気がそこにあった。部屋に戻りテレビを付けたのだけど、そのテレビがやはりとてもつまらなく、今いる宿にも合っていないと思って三十分ほどでテレビを消してしまった。簡素な照明に照らされた池で小さな鯉の泳ぐ庭園を眺める。眠くなり、早々と眠ってしまった。
翌朝、目覚めると、また「エリーゼのために」が聞こえた。忍野八海と鱒の家の小さな旅でした。
ボブ・マーリーの伝記ドキュメンタリー映画「ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンド」を見た。やはり、1978年の対立する二つの政党の党首、ジャマイカ労働党のエドワード・シアガと人民国家党のマイケル・マンリーを握手させた伝説のコンサート「ワンラブ・ピース・コンサート」のシーンでボブは何かにとりつかれたかのように歌い踊り、圧巻で感動的だった。選挙の年の市街戦、内戦さながらに銃を撃ちあうキングストンの街すら写される。
ジャマイカでのボブの葬儀のシーン、ボブ・マーリーの葬儀は国葬でなされたのを知った。棺を乗せた黒い車の前を先導するパトカーと後衛するパトカーとそれに続くルード・ボーイたちのバイク。葬儀から墓地までの沿道を人々が埋め尽くし、泣き崩れる男や女をカメラは写していた。カリブの小さな島ジャマイカが生んだ世界のヒーロー、ボブ・マーリーは最後までかっこよく、今でもいつまでもボブの歌は歌われ、逆境にある人たちを鼓舞しつづけている。
Get up, stand up, stand up for your rights!
Get up, stand up, don't give up the fight!
そして、新しい生き方を求める人にこうも歌い継がれているのです。
One love, one heart
Let's get together and feel all right
限定三週間の公開だそうです。急ぎましょう。
ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンド
http://www.bobmarley-movie.jp/
相模大野のジャズ・フェス、もんじぇ祭りに行ってきました。酒井俊さんのバンド、party de SaKaIを聴きたかったのです。party de SaKaIが登場する前に司会のスミちゃんが言っていたのだけど、ジャズというのは形ではなく、虐げられた黒人が創造した、その発祥からのスピリッツがジャズなんだというのが本当ならば、酒井俊さんが歌い、今夜、ぼくが聴いた音楽はジャズであるはずだと思った。ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕べ」に始まり、ヴァン・モリソンの「クレイジー・ラブ」、チリの軍政により虐殺されたビクトル・ハラの歌すら静かに歌われた。こんな歌こそ、ジャズ・クラブのようなところではなくて、まさしく広場や市場のようなここで歌われてこそふさわしい。ジャズなど普段はまったく聞かないようなこのもんじぇ祭りにつどう人たちの胸にラストのジャパニーズ・スタンダード「真夜中のギター」はどう響いたのだろうか?
酒井俊さんのホームページ
http://www.sol.dti.ne.jp/~s-shun/index/top.html
酒井俊さんのホームページ
http://www.sol.dti.ne.jp/~s-shun/index/top.html
相模大野で行われているジャズ・フェスティバル、もんじぇ祭りに行く。午後の4時半ごろ着いて、いくつかのバンドや人たちの演奏を聴き、友だちのバンド、Ann-スミ☆アヤコBand-を見て帰ろうと思っていたのだけど、その後、ビッグ・バンドが演奏するというので、それを1曲だけ聴いて帰ろうと思って聴いたら、これが素晴らしく、前の方にまで行って、最後まで聴いてしまった。おまけにラストの花火まで見たよ。
このビッグ・バンド、グリーンエース・ジャズオーケストラでアマチュアの地元相模原のオールドジャズを演奏するビッグ・バンドで、もんじぇ祭りでぼくの見たのは総勢18人。アマチュアのビッグ・バンドで多くは、きっちりまとまりすぎちゃって、スウィングしなくて、というのが多いような気もするのだけど、このグリーンエース・ジャズオーケストラは、まず自由に音がスウィングしていて、楽しい。それに幾層にも重なって出てくる音が、リズムにスウィングという芯を持ちながら、なんともやわらかくふくよかで、ぼくを夢の世界に誘ってくれます。スタンダード「サテンドール」なぞが演奏され、わーっと目の間を広がる音を聴きながら、これはどんな高級ステレオでも再生が不可能だととも思い、生演奏の素晴らしさも再発見しました。
今日のもんじぇ祭りはぼくにはFULLSWINGとparty de SaKaIが楽しみですね。また行こうっと。
もんじぇ祭り
http://mangez.jp/
サザン・ソウルとか日本ではディープ・ソウルとか呼ばれている音楽が好きなのです。サザン・ソウルとは何かと問われれば、それは1960年代にアメリカ合衆国の南部で隆盛を極めた音楽でレーベルで言うとオーティス・レディングのスタックスとかジェムズカーのゴールドワックスが有名で両者ともテネシー州メンフィスにレコーディング・スタジオを構えていた。南部とはどこだろう? そこはフロリダ州、ジョージア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、ウェストバージニア州、アラバマ州、ケンタッキー州、ミシシッピ州、テネシー州、アーカンソー州、ルイジアナ州、オクラホマ州、テキサス州の十六の州で、ぼくが最近はまっているフェームというレーベルのスタジオのあったところはアラバマ州のマスクル・ショールズという片田舎にあって、そこはもはや地方都市ですらない。そんな土地からたくさんの素晴らしいソウル・ミュージックが発信されていった。このマスクル・ショールズにあったレコーディング・スタジオは南部の精霊に憑かれた何やら魔法らしきものを持っていて、そこで録音されたソウルミュージックは暖かく、柔らかく、けれど、芯があり、とても深く、何とも言いあらわすことのできない味わいを持っている。わかりやすい例をあげるならば、パーシースレッジの「男が女を愛する時」のあのサウンドなのです。アレサ・フランクリンはここで自身の初めてのソウル・ミュージックを吹きこんだという伝説の地でもある。
さて、前置きが長くなってしまったが、このフェームというレーベルでのジミー・フューズの二枚のアルバムが素晴らしい。"Steal Away"と"Why Not Tonight"。ぼくは昔はジミーのすこしかん高い声が苦手だったのだが、不思議に今はやわらかくぼくの心にすっと入ってきて、南部の夢の景色が胸に広がっていくようだ。逃亡奴隷を歌った古いゴスペルやスピリチュアルに起源をもつかのようなジミー自身が作詞作曲したソウル・ミュージックを代表する名曲"Steal Away"をつたないながらも意訳してみますね。さぁ、もしもよろしければ、古いレコードに針を落としてこの名曲を聴いてみましょう。南部から風が吹いてきますよ。
明日じゃだめなんだ、今なんだよ
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ
あれこれ考えるのはやめにして、心に決めてしまおうよ
みんなはもう眠ってしまった、時間のむだずかいはやめにして
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ
きみに尋ねるのなんて間違っていたよ
きみといっしょになるには他には方法はないのさ
みんなが承認するのを待っていたら
ぼくたちはどこにも行けなくなるよ
そんなのはいやさ
もう誰にも聞かない
自分で決めようと思う
もう遅すぎる、待ってっこないさ
そう、だから逃亡しよう
どうか、逃亡しておくれ
だってぼくにはきみが必要さ
ぼくのそばにいておくれ
そうだよ、最愛の人
きみが必要さ、ぼくを導いておくれ