えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
六月十六日、浅草演芸ホールで令和七年六月中席昼の部の『初代林家三平生誕百年記念興行』を見ました。
見た演目です。二つ目の林家あんこさんの「北斎の娘 シーボルトの注文」、柳家わさび師匠の「ミクロマリスト」、寒空はだかさんの漫談、二つ目の林家咲太郎くんの「鶴」、林家たけ平師匠の「電車風景」、立花家あまね師匠の三味線弾きの唄いの民謡、林家木久蔵師匠の「勘定板」、林家うん平師匠の「佐野山」で一回目の仲入りです。ロケット団のお二人の漫才、春風亭清朝師匠の「悋気の火の玉」、林家種平師匠の「ぼやき酒屋」、林家ペーさんの漫談、柳家小ゑん師匠の「鉄の男 序」、柳家小さん師匠の「不精床」で二回目の仲入りです。林家つる子師匠の「箱入り」、関根勤さんと林家三平師匠の初代林家三平にまつわる対談、春風亭小朝師匠の「源平合戦 扇の的」、林家正蔵師匠の「お菊の皿」、翁家勝丸師匠の曲芸、主任は林家三平師匠で遠峰あこさんのアコーディオン付きの小噺の連発でごさいました。
その後、寄席を出て、浅草の街をぶらぶらしながら、こんな白日夢のようなものを見ました。初代の林家三平さんがぼくの目の前に現れます。林家三平は特攻隊の生き残りだったそうで、ぼくは三平師匠に、おまえみたいのがいたから、日本は負けたんだ、なじりました。すると三平師匠は例のポーズの頭にげんこつをかざし、どうもすみません、というのです。そして、次には笠智衆が出てきて、負けてよかったじやないか、といいます。すると、加東大介が出てきて、そうかもしれねえな、バカな野郎がいばらなくなっただけでもね、というのです。林家三平さん、ありがとう。
暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスなのです。
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