えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

かめありリリオホールで「春風亭一之輔 古今亭文菊 二人会」を見ました。
見た演目でございます。前座の春風亭らいちくんの「転失気」、古今亭文菊師匠の「高砂や」、春風亭一之輔師匠の「ちりとてちん」で仲入りとなりました。そして、春風亭一之輔師匠の「肝つぶし」、古今亭文菊師匠の「抜け雀」。
「肝つぶし」は夏らしい怖い噺。春風亭一之輔師匠の迫真の語り。とりの「抜け雀」は大人のやさしいファンタジー。この感じ、世界が大好きです。やっぱ、古今亭文菊師匠はいい。「転失気」、「高砂や」、「ちりとてちん」は寄席の定番の滑稽噺で、笑ってしまいます。
最近、思うのだけれど、負け犬の遠吠えといわれてしまっても、近頃というか何十年も続いている「金持ち絶対正義」、「金儲け絶対正義」みたいな日本の風潮が嫌だ。そんなの、アメリカにでもまかせてこけばいいのだ。それにくらべれば、落語の落とし噺のすがすがしさよ。蒸し暑い梅雨の中、かめありリリオホールに江戸の涼しい風が吹いていました。


前田哲監督の『九十歳。何がめでたい』を見ました。九十歳の草笛光子さんがが九十歳の大作家、佐藤愛子さんを熱演していて面白い。こういう映画を見ると、ぼくは、世界には老人力、佐藤愛子さんいわく「老い力」というものがあるのだなと思わざるえない。元気になるような映画です。そして、伝え聞くところによると、佐藤愛子さん、今、百歳、百寿・紀寿だそうです。素晴らしい。
映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!


平山周吉さんの著した『戦争画リターンズ―藤田嗣治とアッツ島の花々』を読了。平山さんの本は知らなかった不幸な戦争期の昭和について、何かを知らさせ、目を見開かされるようで、面白い。本の帯にはこうある。
名画「アッツ島 玉砕」が啓示する昭和史
凄絶な玉砕シーンに、藤田嗣治が丹念に描き込んだ「死者の傍らに咲いている花」はいったい何を語りかけるのか? 英霊たちが眠る厳寒のアッツ島には終戦七十年の秘密が冷凍保存されている。
この藤田画伯の「アッツ島 玉砕」は二度、竹橋の国立近代美術館で見たことがある。一度は若かりしころで、一度はこの前で、戦争画特集と称され常設展示されていた。昭和の戦争期に描かれた戦争協力絵画の一つとして展示されてあった「アッツ島 玉砕」にぼくは嫌悪感をおぼえながらも、惹き付けられ、たたずんでいた。
熊谷守一のように戦争を忌避し、絵筆を取らなくなるという身の処置の方法もあったろうに、藤田嗣治はさまざまな思惑もあっただろうが、ナチスのドイツによるパリ陥落の後、日本に戻り、オカッパ頭を坊主に刈り、戦争絵画を描いていく。戦後、それらの絵を美術史家や美術評論家から執拗に糾弾され、パリに戻り、客死する。アメリカに接収された戦争画は「無期限貸与」という形で昭和四十五年に日本に戻される。そのような藤田の「アッツ島 玉砕」をめぐる章が四十八章あるのこの本は、どの章も興味深く、読めば戦時期の日本の空気が本から匂い立つかのようなのである。
戦争に加担したという責任を問えば、どの有名な文化人も免れえず、小説の「麦と兵隊」や「土と兵隊」を書いた火野葦平などがもっともやり玉にあげられ、火野は昭和三十五年、睡眠薬による自殺を遂げた。
この本から離れ、ぼくの知るところによれば、戦争に批判的であった永井荷風はペンを置き、同じく戦争に批判的であった谷崎潤一郎は「細雪」を書き始める。谷崎は戦後のNHKラジオのインタビューでうるさい軍部の目眩ましとして「細雪」を書き始めたといっていた。戦後、詩人、彫刻家の高村光太郎は自分を罰し、山荘で自給自足の生活を始めた。
この「戦争画リターンズ」を読んで、ぼくはもう一度、国立近代美術館を訪ねて、ゆっくりと藤田嗣治の「アッツ島 玉砕」を鑑賞しつつも、対峙したいと思う。
戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々 - 芸術新聞社


遊行寺こと一遍上人の時宗の本山である藤沢の清浄光寺の本堂で横浜ボートシアターの『新編 小栗判官・照手姫』を見ました。
横浜ボートシアターの芝居の『小栗判官・照手姫』はぼくが若かりし日の遠い昔に見た記憶があります。素晴らしかったという記憶のみで、詳細は忘却のかなたで、船の上での観劇でありました。
『新編 小栗判官・照手姫』を見ながら、民衆の積み重なった切なる祈りの記憶というようなことを思っていました。各種の民族楽器で奏でられる音楽と仮面の劇は東アジアの民衆の記憶とも通底するかのようでもあるのです。中世の説教節を端緒とするそれは日本人のナラティブの言の葉の力のようなものも感じました。
ふと、生きているものと同じく、この世を去ったものたちもこの寺のお堂の中で芝居を見ている、そのような気配に、ぼくの心はざわつきもしたのです。
俳句を作りました。
紫陽花や小栗と照手の芝居見ん
遊行寺の大銀杏の下風涼し
横浜ボートシアターを立ち上げ、育て、唯一無二の劇団にまでして、四年前に鬼籍に入られた遠藤琢郎さんに敬意の合掌をし、この拙文を了とします。


国立能楽堂で能楽鑑賞をしました。狂言は「文荷(ふみにない)」、能は「弱法師(よろぼし)」。
国立能楽堂で初めてアフリカ系の人が能楽を鑑賞しているのを見かけました。能楽の感動は、エキゾティズムではなく、もっと根元的で、人種などは軽々と越えてしまうのでしょう。そのアフリカ系の人は、なんか、おしゃれな服装の人でした。フランス人であろうか? ぼくは、ふと、『三銃士』を書いたアレクサンドル・デュマは混血の黒人であったのを思い出しました。フランス共和国、万歳!
「弱法師」は大阪の天王寺、今の四天王寺を舞台にした能です。昔、中上健次の随筆か何かで、天王寺が大阪と紀州、木の国、根の国を隔てる境界線であり、大阪と紀州を結びつける通路であっとというようなことを書いていたのを思い出しました。盲目となった俊徳丸が彷徨うのは紀の国であるに違いない。なぜか、日本に生まれてきたぼくは、年をとるにつれ、日本人の心根の深いところから積み重なっていった何かを知りたいとも思うようにもなったのです。


浅草演芸ホール令和六年七月上席昼の部に参りました。いつも思うのだけれど、浅草の街の人並みは外国人だらけでも、寄席の中には日本人しかおりません。なんか、不思議な感じです。
見た演目を書き出してみます。前座の春風亭らいちくんの「子ほめ」、二つ目のの金原亭小駒くんの「手紙無筆」、柳家わさび師匠の「茗荷宿」、おしどりのお二人の漫才、桂三木助師匠の「たがや」、古今亭文菊師匠の「初天神」、小梅さんのマジック、入船亭扇治師匠の「道具屋」、桂文生師匠の昔の落語家をとりあげた漫談で一回目の仲入りとなりました。立花家橘之助師匠の三味線を弾いて唄う浮世節、春風亭一朝師匠の「芝居の喧嘩」、柳家小さん師匠の「替り目」、寒空はだかさんの漫談、三遊亭歌武蔵師匠の「たらちね」、柳家小満ん師匠の「悋気の火の玉」で二回目の仲入りです。金原亭馬治師匠の「鮑のし」、ロケット団の漫才、林家正雀師匠の「鴻池の犬」、春風亭一之輔師匠の「鶴」、翁家社中のお二人の曲芸、主任は金原亭馬生師匠の「看板のピン」で、その後に大喜利の芝居「塩原太助」がありました。
印象に残ったのは柳家わさび師匠の「茗荷宿」、古今亭文菊師匠の「初天神」、三遊亭歌武蔵師匠の「たらちね」、春風亭一之輔師匠の「鶴」などですな。あら、みんな定番の滑稽噺だ。
寄席はパラダイスです。


奄美大島に二泊三日の旅をしました。
二晩ともギターを弾きながら歌を歌ってしまいました。一晩目は老舗のライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI」でぼくの作った名曲「Garden of Love」を歌い、二晩目は矢沢永吉さんファンのマニア的なマスターのカラオケとスタジオとバーのお店「カエル」でぼくの作った名曲「祭りばやし」と「わが家に帰る」を歌ってしまって、地元の人もたくさんいて、あたたかく聴いてくれて、とても楽しかったのです。
何としても行きたかった「田中一村記念美術館」にも訪れたし、田中一村終焉の家にも行ってみました。晩年の一村の妥協をしない厳しい労働の日々と絵描きとしての芸術への献身を知りました。砂糖黍畑のつらなる中や美しい海の海岸線をドライブしたりもして、夕方から太田和彦さんも推薦している居酒屋「一村」で美味しい魚やら豚足を食べながら珍しい黒糖焼酎を飲んだりもしました。
あー、奄美大島の町や村の醸し出す深い旅情、ノスタルジーの空気にぼくの胸はぐっと打たれてしまいます。この島からぼくの好きな、シンガーの元ちとせさんや民謡の朝崎郁恵さんが出てきたと思うと感慨もひとしおで、名瀬のノスタルジックな街を歩きながら、半世紀前のこの街のどこかであまりにも偉大な唄者の里国隆が煙草のピースの空き缶を前に置き、今は弾く人の少なくなった奄美竪琴を弾きながら唄っていたのかと思えば、慄然としつつも、唄や歌の神、ブルースの神、音楽の神のつかさどる電流がぼくの心と魂に走るようでもあって、目を細めたり、見開いたりしつつ、ありし日の里国隆の姿をなんとか見ようともしていたのです。
発句しました。
朝花や夏の奄美のノスタルジー
二晩ともギターを弾きながら歌を歌ってしまいました。一晩目は老舗のライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI」でぼくの作った名曲「Garden of Love」を歌い、二晩目は矢沢永吉さんファンのマニア的なマスターのカラオケとスタジオとバーのお店「カエル」でぼくの作った名曲「祭りばやし」と「わが家に帰る」を歌ってしまって、地元の人もたくさんいて、あたたかく聴いてくれて、とても楽しかったのです。
何としても行きたかった「田中一村記念美術館」にも訪れたし、田中一村終焉の家にも行ってみました。晩年の一村の妥協をしない厳しい労働の日々と絵描きとしての芸術への献身を知りました。砂糖黍畑のつらなる中や美しい海の海岸線をドライブしたりもして、夕方から太田和彦さんも推薦している居酒屋「一村」で美味しい魚やら豚足を食べながら珍しい黒糖焼酎を飲んだりもしました。
あー、奄美大島の町や村の醸し出す深い旅情、ノスタルジーの空気にぼくの胸はぐっと打たれてしまいます。この島からぼくの好きな、シンガーの元ちとせさんや民謡の朝崎郁恵さんが出てきたと思うと感慨もひとしおで、名瀬のノスタルジックな街を歩きながら、半世紀前のこの街のどこかであまりにも偉大な唄者の里国隆が煙草のピースの空き缶を前に置き、今は弾く人の少なくなった奄美竪琴を弾きながら唄っていたのかと思えば、慄然としつつも、唄や歌の神、ブルースの神、音楽の神のつかさどる電流がぼくの心と魂に走るようでもあって、目を細めたり、見開いたりしつつ、ありし日の里国隆の姿をなんとか見ようともしていたのです。
発句しました。
朝花や夏の奄美のノスタルジー


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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