えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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初台の東京オペラシティコンサートホールにバッハの『マタイ受難曲』を聴きに行きました。現代音楽の作曲家、武満徹が新しいプロジェクトを始める時は必ずこの『マタイ受難曲』のピアノ版を全編、弾いていたということを知り、いつか生演奏の『マタイ受難曲』を聴いてみたいと思っていたのが叶ったのです。

合唱と演奏は、鈴木優人さんの指揮する、ヨーロッパでも賞を取るほどの高く評価されているバッハ・コレギウム・ジャパンの面々。そこにはパイプオルガン奏者もおり、指揮者自身がチェンバロも弾いております。プログラムに掲載されていた歌詞の訳を見つつ、鑑賞しました。素晴らしかった。

親鸞の浄土真宗にひかれるぼくはクリスチャンではないけれど、今日は「聖金曜日」という、一年に一回のキリストの受難と死を記念する日だそうで、何か清められるような心持ちもしました。本当の祈りは世界共通だという気がしました。そして、ぼくの前に座っていたドイツ人らしき人は、ラストの合唱に合わせて、手を組み、祈っているようなのです。その詞をプログラムから引用し、ぼくも世界の安寧を祈ります。

♪♪♪
今や、主は安息につかれた。
わがイエスよ、おやすみなさい。
私達の罪がもたらした主の労苦は終わった。
わがイエスよ、おやすみなさい。
おお、聖なる手足よ、見てください、私が懺悔と悔い改めをもって、どんなに嘆いているか、私の堕落がこの手足にこんなにも苦痛を与えたことを。
わがイエスよ、おやすみなさい。
私の生きている限り、あなたの受難に幾千万の感謝を捧げましょう、私の魂の救いをこんなにも尊いものとしてくださったのですから。
わがイエスよ、おやすみなさい。
さあ、ひざまずきましょう、涙を流しつつ、
そして、呼びかけましょう、墓の中のあなたに。
憩いたまえ、安らかに、安らかに、憩いたまえ。
憩いたまえ、疲れ果てた御体よ、
憩いたまえ、安らかに、憩いたまえ、緩やかに。
あなたの墓と墓石は
不安に満ちた良心の
心地よい憩いの枕、
そして魂の逃れ場となるのです。
憩いたまえ、安らかに、憩いたまえ、緩やかに。
この目はそこで、至福に満ち足りて、眠りにつくことでしょう。♪♪♪
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上野の東京文化会館で、演奏会形式ではありますが、昔からいつか見たいと思っていたワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』を鑑賞しました。ぼくもワグネリアンのはしくれのはしくれで、ワーグナーの歌劇は大好きなのです。

恋の始まり、逢瀬、悲劇といった三幕もの。指揮はポーランド出身のマレク・ヤノフスキさん、演奏はNHK交響楽団、トリスタンはオーストラリアからスチュアート・スケルトンさん、イゾルデはノルウェーからビルギッテ・クリステンセンさん、合唱は東京オペラシンガーズという国際的な面々、布陣。舞台セットはしつらえてなかったけれど、ぼくは心の中で劇を想像もする。

その席はなんと前から四列目のほぼ真ん中。バイオリン奏者の譜面をめくる音さえ時々聞こえる。調性のわからないようなメロディー、偽終止、無限旋律で奏でられる物語は、昼よりも夜の優位性、愛、甘美、死、悲劇。素晴らしかった。

恋の媚薬というものをぼくも飲んでみたいと思うが、やっぱやめとくか。
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俳句を詠む人を俳人と呼び、その俳人の一人ひとりに付けられた名前を俳号というらしい。その俳号は人から名付けられるものではなく、こらから私は地位もなく、身分もない俳人として生きることの宣言として、自分から名乗るものだという。最近、読んだ辻桃子さんと安倍元気さんの共著である『やさしい俳句入門』では、こう書いておりました。

「俳号は「別の世界」にいることを示す符号であり、俳号をつけるということは、もろもろの世間のしがらみから自由になって、ひとりの俳人としてと生きるぞという意思の表れだ」

ぼくにもともと地位などないけれど、なるほどと納得し、かっこいいと思う。ぼくも俳号を名乗ろうではないかと思い、あれこれ思案した結果、これからの過ぎていく人生を願い、このような名前となった。

「酒花流清(しゅかりゅうせい)」

人生という夢の酒に酔い、花を咲かせ、清く流れてゆきたいという意を込めてです。

詠んだ順に、最近、詠んだ句です。

 寒戻り薄墨刷けた空の色

 早咲きのおかめ桜の春を告ぐ

 春の雪アスファルトの上溶けている

 公民館おかめ桜は空に映え

 桜咲き春は来ぬのかガザの子に

 梅が咲き桜が咲いて繰り返す

 春の風飛ばされし帽子線路上

 雨に濡れおかめ桜は光りけり

 寒の雨地に一面のおかめ桜

 春天や公園に子ら駆け回る
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鈴本演芸場令和六年三月下席夜の部に行ってまいりました。三遊亭わん丈くんと林家つる子さんの真打昇進披露も兼ねております。目出度いではありませんか。三遊亭わん丈くんは十六人抜き、林家つる子さんは十一人抜きの抜擢真打となります。二人ともこれからは師匠とも呼ばれることになりますな。

さて、披露された演目を書き出してみます。二つ目の柳亭市若くんの「出来心」、翁家勝丸さんの大神楽曲芸、三遊亭天どん師匠の「初天神」、五明樓玉の輔師匠の「宗論」、すず風にゃん子さんと金魚さんの漫才、古今亭志ん陽師匠の「代書屋」、鈴々舎馬風師匠の漫談、柳亭市馬師匠の「高砂や」、江戸家猫八さんのものまね、柳家三三師匠の「狸さい」で中入りとなりました。その後、林家つる子さんの真打昇進披露口上がありまして、林家楽一さんの紙切り、林家正蔵師匠の「松山鏡」、三遊亭わん丈師匠の「県民性」、立花家橘之助さんの浮世節、今夜の主任の林家つる子師匠の「中村仲蔵」。

やはり、今夜の真打昇進口上の主役、林家つる子師匠の「中村仲蔵」について述べねばなりますまい。ところどころに笑いを差し挟みつつの歌舞伎役者「中村仲蔵」とその女房も重要な「蛇の目傘」の別名もある人情噺。感動しました。寄席はパラダイス。
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本の帯から引用するに、多くの権力者を敵にまわすと同時に多くの民衆から愛された、パレスチナの風刺漫画家、ナージー・アル・アリーの『パレスチナに生まれて』を読む。この本の原題は『A Child in Palestine』で、この「A Child」とは難民として祖国から逃れざるえなかった子ども時代のナージー・アル・アリーその人ではなかったか? その少年にナージー・アル・アリーは「ハンダラ少年」と名付けていて、どのような少年であるかというと、この本を翻訳した四方田犬彦さんの解説から引用するに、「パレスチナの人たちの本当の姿はテロリストではなくて、貧しく無防備な、しかし誇りを失わずに状況を見すえる存在なのだということを知ってほしい」というような少年だ。ナージー・アル・アリーは五十歳で1987年に再びパレスチナの地を踏むことなく、ロンドンで銃撃され暗殺された。

ぼくがイスラエルという国に問題があり、イスラエルによる暴力とイスラエルがシオニズムと名付けた土地の収奪によるパレスチナ人の絶えざる受難と受苦を知ったのが、二十歳のころガッサン・カナファーニの小説を読んでからだから、その時から何十年も経ち、何の解決も見れず、ガザで最悪の事態にまでなっている。ぼくは、ぼく自身の数十年もの間の無関心を悔やんでもいて、漫画を描くナージー・アル・アリーのようなペンの力、文化の力、そして、ジョン・レノンが「Power to the People」で歌いもした大衆の力も信じつつ、パレスチナの人たちが、チリのビクトル・ハラの歌った「平和に生きる権利」を当然のものとする日がくるまで、力なくも、祈り、書き、言葉を発し、暴力に反対し、平和を歌いたいのです。

書籍: パレスチナに生まれて: いそっぷ社
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山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』を見る。

よく批判されている終戦後の焼け跡の日本に進駐してきた米軍がいないのは、愛国をどこかしら謳おうとするこの映画にとっては、アメリカは何らかの雑音、夾雑物であるからだろうか? 主人公の名前の「敷島」とは日本を指す古語であったりすることの符丁。ぼくは特攻ということにどうしても嫌悪を感じてしまい、ゴジラという怪物以上に、この映画の登場人物にどこか、不穏な何かを感じてしまう。

最近、なぜかよく思うのだけれど、戦争を経験してしまったものにとって、戦争が終わることはないのかもしれない。それほど戦争とは邪悪で恐ろしいものだ。その中で最も恐ろしいものがすべての生物を大量に焼き尽くす原爆や水爆の核兵器であるだろう。水爆によってそのようにならざるえなかったゴジラ。

ラストの物語のエンターテイメントの映画としての回収の仕方はそれは見事なもので、思わず予想外の感動をおぼえてしまった。そして、続編すらありそうなエンドロールへの続き方。その続編では、むしろ、『オッペンハイマー』のアメリカに反訴してほしい。

ぼくはやっぱり本多猪四郎監督の初代の『ゴジラ』が好きです。

映画『ゴジラ-1.0』公式サイト
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相模大野のアコパで『American Roots Music Ragtime Guitar Show』と題されたダコタ・デイヴ・ハルさんと浜田隆史さんのライブを見ました。ぼくはアメリカのオールド・タイム・ミュージックが大好きです。約二時間、素晴らしい音楽を堪能しました。ちらっと聞いてしまったギタークリニックでのぼくが感銘を受けたダコタさんの言葉。

「タブ譜通り弾くことより、プレイヤーにとってその曲の音楽そのものを理解することの方が大切です」

音楽に対する深い愛を感じます。その愛から、テクニックすら越えたギターやギターバンジョーの深い響きがたちのぼるかのようでした。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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