えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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石牟礼道子さんの著した『水はみどろの宮』を読みました。この本には「水はみどろの宮」と、その続きの「花扇の祀」の二編が収められ、石牟礼さんが、子どもたちに読んで欲しいと、一世紀以上前の肥後の国、阿蘇の山の森のどこか、今の熊本県のある女の子を主人公にして書いた本なのです。けれど、まがりなりに大人のぼくが読んでも、胸にじーんときました。

近代の日本になって失われた豊かで大切なものごと、命の響き合いがこの『水はみどろの宮』の物語にはあふれています。

石牟礼道子さんは今はもう亡き人で、この『水はみどろの宮』、「花扇の祀」の続きは書かれることはないのだけれど、読み終えて、本を閉じる時、ぼくはまたどこの人里離れた山の森のどこかで、おじいさんに育てられている女の子、お葉や片目の真っ黒な山猫のおノンに会えるような気がしました。お葉やおノンはこの天変地異が続き、疫病はやる日本のどこかにまだいる、そんなことをぼくは想像してしまう。

石牟礼道子さんの「あとがき」に書かれた真摯なメッセージを引用して、この拙文を締めくくります。

 私たちの生命というものは遠い原初の呼び声に耳をすまし、未来にむけてそのメッセージを送るためにある。
 お互いに孤立した近代人ではなく、吹く風も流れる水も、草のささやきも、光の糸のような絆をつないでくれているのだということを、書き表したかった。とは言っても、風はともかく、草の声、水の声も聴きとれなくなった日本人のなんと多くなったことだろう。
 水俣のことで長い間、沈潜している思いがある。エネルギーをたくわえ、自分自信を炊かなければならない。そんな火を炊く祈りの場所を『水はみどろの宮』ときめて、わたしは、山の精たちをここに呼び出した。
 
 
 
 
 

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最近、車の運転が楽しくて、ドライブして原爆の図丸木美術館に行ってきました。


これで二回目ので丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を見ながら、ぼくは、ピカソの代表作「ゲルニカ」を再現したタペストリーが、ニューヨークの国連本部から撤去された、というニュースを思い出したのだった。2003年のイラク戦争前にパウエル米国務長官(当時)が安保理で正当性を訴えた際には、反戦を象徴するゲルニカに暗幕が掛けられ、憶測を呼んだ、ということもあった。ならば、その「ゲルニカ」の取り払われたそこに丸木夫妻の「原爆の図」のレプリカを掲げればいい、とぼくは思う。芸術は芸術のためにのみ表現されればいい、社会や政治に関わるべきでなない、という意見に、ぼくはどうかな、と疑問を感ぜざるえない。心に感じたことを表現して何が悪いのだろう? むしろ、目をそむけているのではないかしら? などと考えつつ、連作の巨大な人類の悲劇と悲惨を描いた「原爆の図」に圧倒される。

そして、次にこのドライブのお目当てであった「山内若菜展 はじまりのはじまり」を見ました。インターネットでその紹介文を見て、興味を惹かれたのです。シャガールやいさわきちひろを思い出させるようなところもある絵には、それらの戦争の悲惨さをかいくぐった偉大な先達の絵を確かに凌駕しているところもある、と思いました。山内若菜さんの絵は、今という時代の汚泥すら内包しつつ、それを越えて美しく無垢に輝いていて、巨大なその絵の前で、ぼくの鳥肌立つ思いで、眺めていたのです。


その後、丸木美術館に貼られていた案内を頼りに、古民家ギャラリーかぐやでの「山内若菜 「奏でるひと」+小品展」も見ました。古民家ギャラリーかぐやでは、ぼくの今の会社勤めのリーサラ生活とはほど遠い、オルタナティブな生き方を感じてしまったよ。


帰りに行ってみたかった高麗神社によりました。きれいな神社だなぁ。重要文化財である古民家、高麗家住宅によりそって立つ立派なシダレザクラが本当に美しい。唐に滅ぼされた高句麗からの渡来人、高麗王若光を主祭神として祀る神社には、いろんな人が共生する美しい日本が今でもあるのではないかしら?




御神籤をひくと「大吉」でした。

「第二四番 御神籤

 思う事
   思うが
   まゝに
 なしとげて
 思う事なき
 家の内かな

 運勢 大吉」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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イサジ式さんの新しいアルバム『水は誰のもの 土は誰のもの』の発売記念のコンサートがあるというので下北沢のラカーニャに見に行きました。『水は誰のもの 土は誰のもの』は既にぼくは聴いていて、このアルバムが素晴らしかった。

社会批判を内に含み、きわめて個人的な場所から歌を歌っているイサジさんは「フォーク者」を自称していて、なるほどともぼくは思ってしまいます。ぼくの好きな今は亡き平岡正明さんは「ジャズ者」という言葉を使い、「ジャズ」を「恋のように甘く、地獄のように熱く、夜のように黒いものは何? ジャズさ!」と定義していたが、さて、「フォーク者」のイサジさんにとっての「フォーク」の定義とは何だろう?

二―ル・ヤングが好きだというイサジさんで、アルバム『水は誰のもの 土は誰のもの』は、古くならない、むしろいつまでも新しいような、古いロックという音作りもされているけれども、歌はフォークで、その歌は、最近、こんなことがあったよ、こんなことを思っているよ、と喫茶店やバーで語りかけてくれているようで、とてもリアルで、なぜか心地よいのです。

素晴らしい音楽と楽しいコンサートをありがとう。
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八王子にはおもしろいぼく好みの居酒屋がけっこうあり、「シムラホール」もその一店。日本酒のメニューも揃っていて、定番の肴のメニューは安定したおいしさだ。雰囲気は1970年代のどこかにタイムスリップしたようで、楽しい。カウンターの向こうの調理場のお店の大将にこの牛筋の煮込みはやわらかくて美味しいねとぼくが声をかけると、簡単ですよ、圧力鍋を使うんです、と答えてくれた、その人の気さくさも素敵です。
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フィンランドの巨匠、ミカ・カウリスマキ監督の『世界で一番しあわせな食堂』を見ました。

同じくフィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキ監督とは兄弟で、ミカ・カウリスマキお兄さんなんだね。二人とも、日本の巨匠、小津安二郎監督を尊敬していて、ミカ・カウリスマキには「静かなる反抗者」という論考もあるそうなのだが、ぼくは未だそれは読んでいない。『世界で一番しあわせな食堂』の主人公は、フィンランドの片田舎の町に訪れた妻を亡くした中国人のコックで、アキ・カウリスマキ監督の前作『希望のかなた』の主人公はフィンランドにやって来たトルコ人で、二人とも、ネーションやらステート、いわゆる国家という怪物、化け物に絡めとらわれてしまいつつあるこの世界に静かなる反抗を企てているのかもしれない。

この『世界で一番しあわせな食堂』は何のストーリー展開もなく、淡々と進んでいき、おしまいの方ですこしハラハラしつつ、ハッピー・エンドで締めくくられ、全編を通してほっとするようなユーモア溢れる多幸感に満ちていて、見てよかったな、と思いました。

どちらがいいともいえないのだけれど、小津映画はなんとも惜別とした別れでエンディングとなり、カウリスマキの映画は出会いの後の希望でファイナルとなるのですね。

この映画に出てくるフィンランドの人たちのやさしさにぼくのハートはあたたかくなる。

映画『世界で一番しあわせな食堂』 公式サイト
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『路傍の反骨、歌の始まり 姜信子 × 中川五郎 往復書簡』を読みました。

読みながら、この本を少なからぬ人数の歌いつづける人生を選んだぼくの友だちに回覧をしたい、などとも思ってしまう。

この本は、近ごろは語りべを始められ、たくさんの著作もある姜信子さんと、半世紀以上も歌い続けてきたシンガー、中川五郎さんのとても深い内容の公開された往復書簡集で、熊本で大きな災難をもたらした地震のあった、およそ一か月後の2016年5月31日に石牟礼道子さんの童話『水はみどろの宮』の話に始まる姜信子さんの手紙は、何通ものやりとりがあり、それはいつしか「「無縁」の場」のこととなり、新型コロナウィルス禍に世界が席捲されてしまう前夜のような2020年2月1日、中川五郎さんの姜信子さんへの新しい旅への誘いで幕を閉じる。ぼくもその旅の席にどこかにいて、同じ列車の中にいれればいいな、と思った次第。

さて、姜信子さんの手紙に出てきた「「無縁」の場」とは脚注によればこんなこと。

「無縁の「場」 無縁はもともと村社会や寺社から切り離された場所や状態を指す言葉だが、中世日本の研究者網野善彦が著書『無縁・公界・楽』において、世俗から切り離された特殊な空間で権力から自由や平等が確保され、いきいきとした人間性が発揮されていたことを指摘し、その概念を捉え直した。また、権力の及ばないそのような自由なエリア、聖域はヨーロッパや中国でもアジール等と呼ばれる特別な場として歴史的に社会内に確保されていたことも指摘された」

そうか、無縁の場は何度も立ち現れて消えていくもので、ぼくが惹きつけられるものは、人を縛る「絆」ではなく「無縁」ではなかったのか? いくつかの場所も思い浮かびもする。今、ウィルス禍の中、そのような場が奪われて、失われつつあるのかもしれないけれど、何度でもそれはこれからの未来に立ち現れるのだろう。旅の途中のそのような無縁の場で、ぼくは、また、きみと再会したいのです。






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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