えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

紅白歌合戦でユーミンが歌い、次の歌手にバトンタッチするころ、ぼくは大山へ向かい始めました。電車やバス、ケーブルカーを乗り継ぎ、大山不動尊に参りました。真言宗の僧侶の読経が、この世界の悪を焼きつくすかのようであるかごとくが響く中、手を合わせます。そして、おみくじをひいてみると「大吉」です。
「第五三番 大吉
運勢
「千里の道も一歩から」というように、ことは順序よく運んでいき、次第に運気が開けてきます。樹木が大きく育っていくには時間がかかりますが、あなたもこの強い運勢の波に乗って確実に成長の節をつかんで欲しいもの。
何事も焦ってはいけない。必ず手順を踏んで行動を起こすこと。」
さらにケーブルカーに乗り、同じ大山の大山阿夫利神社に詣でます。夜、まばらにしかまだ人のいない神社からの神奈川の夜景は、写真には撮れないことのほか美しさです。柏手を打ちます。ふるまわれている七草粥を食べます。そして、おみくじをひいてみると「大吉」です。
「第三十一番
伸
いつ咲くか いつ咲くかと 見上げてばかりいませんか 美しい花を咲かせるには土台が必要です
今のあなたに必要なのはしっかり大きく伸びる根っこ まずは下に伸びる根を育てることから始めよう
運勢大吉」
ケーブルカー、歩き、電車の帰路、未明、家の近くの大沼神社に詣でました。おみくじをひいてみると「大吉」です。
「第九番
大吉
照りつゞく日かげ
なやみし小山田に
うれしくそゝぐ
夕立の雨
枯れ果てた田の苗も夕立の雨に遭いて 再び生き返り秋の収穫も心配に及ばず安心出来る運なれ共 何事も正直にして他人を恨まず 仕事だいじとはげむべし」
三度目の「大吉」により、心につかえていたことがおりたようにも感じ、がんばれよ、がんばれよ、さすれば、そうなる、大いなる吉祥にと。そして、澁澤龍彦の「高丘親王航海記」にあった言葉が思い浮かぶのです。
「そうれ、天竺まで飛んでゆけ」
ゆめゆめうたがふことなかれ
「第五三番 大吉
運勢
「千里の道も一歩から」というように、ことは順序よく運んでいき、次第に運気が開けてきます。樹木が大きく育っていくには時間がかかりますが、あなたもこの強い運勢の波に乗って確実に成長の節をつかんで欲しいもの。
何事も焦ってはいけない。必ず手順を踏んで行動を起こすこと。」
さらにケーブルカーに乗り、同じ大山の大山阿夫利神社に詣でます。夜、まばらにしかまだ人のいない神社からの神奈川の夜景は、写真には撮れないことのほか美しさです。柏手を打ちます。ふるまわれている七草粥を食べます。そして、おみくじをひいてみると「大吉」です。
「第三十一番
伸
いつ咲くか いつ咲くかと 見上げてばかりいませんか 美しい花を咲かせるには土台が必要です
今のあなたに必要なのはしっかり大きく伸びる根っこ まずは下に伸びる根を育てることから始めよう
運勢大吉」
ケーブルカー、歩き、電車の帰路、未明、家の近くの大沼神社に詣でました。おみくじをひいてみると「大吉」です。
「第九番
大吉
照りつゞく日かげ
なやみし小山田に
うれしくそゝぐ
夕立の雨
枯れ果てた田の苗も夕立の雨に遭いて 再び生き返り秋の収穫も心配に及ばず安心出来る運なれ共 何事も正直にして他人を恨まず 仕事だいじとはげむべし」
三度目の「大吉」により、心につかえていたことがおりたようにも感じ、がんばれよ、がんばれよ、さすれば、そうなる、大いなる吉祥にと。そして、澁澤龍彦の「高丘親王航海記」にあった言葉が思い浮かぶのです。
「そうれ、天竺まで飛んでゆけ」
ゆめゆめうたがふことなかれ




浅草を午後、ぶらぶら散歩した。浅草寺、浅草神社、今戸神社。今戸神社は猫の神社で微笑ましい。御朱印をいただいたら、こんな間仕切りの紙が挟んでくれています。
「神様
ありがとう
ございます
今戸神社」
いいなぁ。
浅草の居酒屋で日のあるころからホッピー、飲んでしまった。
そして、夕方から、浅草木馬亭で大工哲弘さんの「南島唄会」。ここは古い下町の演芸場で、見ているうちに、ぼくの心は時空を飛び越え、ここがどこで、今がいつなのか分からなくなるかのような心地よい眩暈みたいなものをおぼえた。一番前の席にすわっていたのだけど、アンコールの「安里屋ユンタ」を会場のみんなで合唱し、立ち上がり、ふと後ろを見ると、満面の笑顔がたくさんあった。歌って、音楽ってほんとうにいいなぁ。大工さんのアルバムの「蓬莱行」という名作を思い出し、木馬亭で歌う大工哲弘さんの唄こそ、蓬莱ではなかろうかと思いつつ、席を立ったのです。
外に出ると向こうの方に浅草寺とまん丸いお月さま。
「神様
ありがとう
ございます
今戸神社」
いいなぁ。
浅草の居酒屋で日のあるころからホッピー、飲んでしまった。
そして、夕方から、浅草木馬亭で大工哲弘さんの「南島唄会」。ここは古い下町の演芸場で、見ているうちに、ぼくの心は時空を飛び越え、ここがどこで、今がいつなのか分からなくなるかのような心地よい眩暈みたいなものをおぼえた。一番前の席にすわっていたのだけど、アンコールの「安里屋ユンタ」を会場のみんなで合唱し、立ち上がり、ふと後ろを見ると、満面の笑顔がたくさんあった。歌って、音楽ってほんとうにいいなぁ。大工さんのアルバムの「蓬莱行」という名作を思い出し、木馬亭で歌う大工哲弘さんの唄こそ、蓬莱ではなかろうかと思いつつ、席を立ったのです。
外に出ると向こうの方に浅草寺とまん丸いお月さま。


クレジットカードのポイントを割引で使い、トレッキングシューズを数百円で買いました。手に入れると履き、使いたくなるもの。山北町の大野山にハイキングをしに行きました。爽やかな秋の花曇りの日だったのです。山の上の牧場はどこだったのだろう? 今度、行った時に探してみよう。谷峨駅に着いたのが午後で少しせわしい行程だったかったかも。また春頃、来ます。トレッキングシューズは足にフィットし地面をとらまえるのが、いい感じです。そうだ、大山の元旦登山とかしてみようかな。
帰りに本厚木駅で途中下車して、「神奈川工科大学厚木市子ども科学館・コスモシアター」という長い名前のプラネタリウムで、yamyちゃんがピアノを弾き語りする「大人のためのプラネタリウム」というコンサートを楽しみました。yamyちゃんは「赤とんぼ」とか「里の秋」などの童謡、加藤登紀子さんのアニメ映画「紅の豚」の主題歌でもある名曲「時には昔の話を」などを歌ってくれましたが、特にオリジナルの「春待つ桜」という歌は、喪失の隣にしかない希望みたいなことを歌っていて、胸にじーんときて、よかったな。
リクライニングシートで夜空を見ながら歌を聴いているとしばし眠くなり、瞼が閉じてしまう。目を開けたら、こんなにこんなに星が輝いているのかと驚愕する。こんなたくさんの星々の光たちが違った時代の違ったところからやってきているのを夢に見る。
帰りに本厚木駅で途中下車して、「神奈川工科大学厚木市子ども科学館・コスモシアター」という長い名前のプラネタリウムで、yamyちゃんがピアノを弾き語りする「大人のためのプラネタリウム」というコンサートを楽しみました。yamyちゃんは「赤とんぼ」とか「里の秋」などの童謡、加藤登紀子さんのアニメ映画「紅の豚」の主題歌でもある名曲「時には昔の話を」などを歌ってくれましたが、特にオリジナルの「春待つ桜」という歌は、喪失の隣にしかない希望みたいなことを歌っていて、胸にじーんときて、よかったな。
リクライニングシートで夜空を見ながら歌を聴いているとしばし眠くなり、瞼が閉じてしまう。目を開けたら、こんなにこんなに星が輝いているのかと驚愕する。こんなたくさんの星々の光たちが違った時代の違ったところからやってきているのを夢に見る。




早い春の三月に三峰神社を訪ねて、再び、車を走らせ、この早い秋に訪れてみました。
最近は車にのることも、あまりになくなり、けれども、バッテリーが上がって、いざという時に、発車できないことがないように、数カ月に一度はどこかに、ドライブに出かけるのです。この前の車検でステレオ・セットを直してもらったし、いいミュージックを聴きながらです。
三峰神社といえば、この前、来た時は、御朱印帳を忘れてしまい、御朱印をいただきそこねたということもあったのだけど、今回は大丈夫。ちゃんと、いただけました。
車を走らせての改めての実感、三峰神社のある奥秩父って結構、遠いなぁ。下は山梨、西は長野です。秩父困民党についてなにがしかを知りたくなりました。今度、本を読んでみよう。
三峰神社の狛犬は大犬なのです。ニホンオオカミ。ぼくはどこかの山の森にニホンオオカミがきっと生き残っていることを信じて疑わない。見つかってもいいし、見つからなくてもいい。そして、震災の年に旅立ったわが家の愛犬、レオを思い出します。それは、ゆめゆめうたがふことなかれ、なのです。
さぁ、いろんな写真をご覧あれ。
再度、来てみて、山の森にある古い神社の清浄さに、ぼくの心は清々しくなったようなのです。しかれば、御神籤をひいてみると、「大吉」であったのです。
「第十二番
輝
一歩づつたゆみなく歩むこと
長い道のりに思えてもそれは夢を実現するための一番の近道となる 人生に真剣に向き合ってみよ 深き闇を知り本物の輝きを手に入れるでしょう
運勢大吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
最近は車にのることも、あまりになくなり、けれども、バッテリーが上がって、いざという時に、発車できないことがないように、数カ月に一度はどこかに、ドライブに出かけるのです。この前の車検でステレオ・セットを直してもらったし、いいミュージックを聴きながらです。
三峰神社といえば、この前、来た時は、御朱印帳を忘れてしまい、御朱印をいただきそこねたということもあったのだけど、今回は大丈夫。ちゃんと、いただけました。
車を走らせての改めての実感、三峰神社のある奥秩父って結構、遠いなぁ。下は山梨、西は長野です。秩父困民党についてなにがしかを知りたくなりました。今度、本を読んでみよう。
三峰神社の狛犬は大犬なのです。ニホンオオカミ。ぼくはどこかの山の森にニホンオオカミがきっと生き残っていることを信じて疑わない。見つかってもいいし、見つからなくてもいい。そして、震災の年に旅立ったわが家の愛犬、レオを思い出します。それは、ゆめゆめうたがふことなかれ、なのです。
さぁ、いろんな写真をご覧あれ。
再度、来てみて、山の森にある古い神社の清浄さに、ぼくの心は清々しくなったようなのです。しかれば、御神籤をひいてみると、「大吉」であったのです。
「第十二番
輝
一歩づつたゆみなく歩むこと
長い道のりに思えてもそれは夢を実現するための一番の近道となる 人生に真剣に向き合ってみよ 深き闇を知り本物の輝きを手に入れるでしょう
運勢大吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ


この前、江の島を散歩をした。今日は、小雨降る小田急線の片瀬江ノ島駅を出て、そこからすこし東に行った一つの神社と一つの寺院を歩いてみたそのきっかけは、江の島に伝わる縁起による。江島神社のホームページから引用します。
「江島神社について:江島縁起
伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。そこへ天女が舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江の島。天女は江島神社に奉られている弁財天です。江島神社には弁財天堂(奉安殿)があり、裸弁財天像(妙音弁財天)が奉られています。
平成十三年(2001年)四月一日には、御鎮座1450年式年大祭が盛大に挙行され、「神幸祭」で、江島神社とは夫婦の関係にある龍口明神社から御神輿を迎え入れました。この伝説が記された『江島縁起』の絵巻物は、江島神社のご宝物として保管されています」
この話を知り、そうか、江島神社に詣でたからには、龍口明神社にも行った方がよいのではないと、思ったわけです。そして、龍口山に廻ってみたく、その地には、遺構となりつつある古き龍口明神社があり、その隣には龍口寺があり、「龍ノ口法難」と呼ばれる縁起もあったのです。龍口寺のホームページから引用します。
「龍ノ口法難
鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています」
「江島縁起」も「龍ノ口法難」こんな話があるわけはないだろう、などとぼくも考えていましたが、それを昔、見た人が確かにあって、祈りの込められた淡い伝説として残ったということではないだろうか?
と同時にこんなことも書いておかなくてはなるまい。昔、日蓮を祖とする宗教団体から入信を勧誘されて、物心ともに危険を感じて、ものすごく嫌だった。龍口寺に「宗教勧誘にご用心!」というチラシが置いてあった。その中にこんな文章がありました。
「「今、本当に幸せ?」
「苦しくない??」
世の中、良いことばかりではありません。
危険な教団は、「人の弱み」につけ込みます」
確かにね。不幸のままでいいんですか~、とかって言われたら、いいんだよ、ほっとけよ、それでも幸せさって答えるさ。龍口寺で御神籤をひいてみました。
「四番 太陽課宣
天天天
万象等出現
災消官不難
願望公私吉
一切事平安
世の中のすべての物が現れ来て、災いは去り、諸々事が難なく達せられ、公私共に願望は成就して吉なることだろう。
またすべての事は平安にして無事である
霊跡本山 龍口寺」
ゆめゆめうたがふことなかれ
「江島神社について:江島縁起
伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。そこへ天女が舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江の島。天女は江島神社に奉られている弁財天です。江島神社には弁財天堂(奉安殿)があり、裸弁財天像(妙音弁財天)が奉られています。
平成十三年(2001年)四月一日には、御鎮座1450年式年大祭が盛大に挙行され、「神幸祭」で、江島神社とは夫婦の関係にある龍口明神社から御神輿を迎え入れました。この伝説が記された『江島縁起』の絵巻物は、江島神社のご宝物として保管されています」
この話を知り、そうか、江島神社に詣でたからには、龍口明神社にも行った方がよいのではないと、思ったわけです。そして、龍口山に廻ってみたく、その地には、遺構となりつつある古き龍口明神社があり、その隣には龍口寺があり、「龍ノ口法難」と呼ばれる縁起もあったのです。龍口寺のホームページから引用します。
「龍ノ口法難
鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています」
「江島縁起」も「龍ノ口法難」こんな話があるわけはないだろう、などとぼくも考えていましたが、それを昔、見た人が確かにあって、祈りの込められた淡い伝説として残ったということではないだろうか?
と同時にこんなことも書いておかなくてはなるまい。昔、日蓮を祖とする宗教団体から入信を勧誘されて、物心ともに危険を感じて、ものすごく嫌だった。龍口寺に「宗教勧誘にご用心!」というチラシが置いてあった。その中にこんな文章がありました。
「「今、本当に幸せ?」
「苦しくない??」
世の中、良いことばかりではありません。
危険な教団は、「人の弱み」につけ込みます」
確かにね。不幸のままでいいんですか~、とかって言われたら、いいんだよ、ほっとけよ、それでも幸せさって答えるさ。龍口寺で御神籤をひいてみました。
「四番 太陽課宣
天天天
万象等出現
災消官不難
願望公私吉
一切事平安
世の中のすべての物が現れ来て、災いは去り、諸々事が難なく達せられ、公私共に願望は成就して吉なることだろう。
またすべての事は平安にして無事である
霊跡本山 龍口寺」
ゆめゆめうたがふことなかれ
龍口明神社
(昔の)龍口明神社
龍口寺
