えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

鎌倉能舞台で能楽を見ました。見た狂言は『伯母ヶ酒』、能は『熊野(ゆや)』です。見に来た足で長谷寺て長谷観音にお参りもし、高徳院の大仏にも参りました。
さて、能楽です。狂言の『伯母ヶ酒』はお酒飲みの話で落語の原型を思わせる滑稽さです。能の『熊野』は平家の公達に仕える遊女が故郷に残してきた病気がちの老いた母をおもんばかる話。桜咲く酒宴で舞う遊女にやっと許された母のもとへの帰郷で幕のめでたし、めでたし。こういう能を「夢幻能」に対しての「現在能」というらしいです。『熊野』は定番の名曲。
人間国保の能楽士の中森貫太さんの解説もありました。江戸時代、日本の芸能、歌舞音曲は、朝廷の雅楽、武士の能楽、町民の歌舞伎や文楽というように棲み分けていたらしいです。その中でもっとも豪勢な富を得ていたのが、歌舞伎役者だったそう。一年に千両とか。すげー。で、千両役者なんだそうです。現在のお金に換算すると千両は一億三千万円だそう。
ここらへんでお金の話はやめて、鎌倉能舞台の話をします。舞台と客席がすごく近い。囃子方の大鼓、小鼓の音と掛け声の迫力が驚くほどすごいのです。びっくり。
人がいっぱいの鎌倉の町でありました。


四月二十八日、上野の鈴廣演芸場での令和七年四月下席昼の部を見ました。例のごとく見た演目を書き出してみます。前座の林家うどんくんの「子ほめ」、二つ目の鈴々舎美馬さんの「エステサロン」、マギー隆司さんの奇術、柳家福多楼師匠の「寄合酒」、ロケット団のお二人の漫才 、鈴々舎馬るこ師匠の「真田小僧」、桃月庵白酒師匠の「浮世床」、立花家橘之助師匠の三味線弾きの、唄いの浮世節、古今亭文菊師匠の「金明竹」で仲入りとなりました。ホンキートンクのお二人の漫才、林家しん平師匠の漫談 、春風亭一朝師匠の「雑俳」、林家楽一師匠の紙切り、主任は柳家小せん師匠の「木彫りの師匠」でした。
特に印象に残った演目です。マギー隆司さんの奇術は究極のゆるさで、よかったです。ロケット団のお二人の漫才で大爆笑。定番の鈴々舎馬るこ師匠の「真田小僧」と桃月庵白酒師匠の「浮世床」で大爆笑。古今亭文菊師匠の「金明竹」は途中で寝てしまい、起きると会場いっぱいに大爆笑の声が響いていて、ぼくも笑ってしまいます。林家しん平師匠の漫談で大爆笑。林家楽一師匠の紙切りもゆるくていいなぁ。主任の柳家小せん師匠の「木彫りの師匠」は、新作にして江戸時代の木彫師、日光東照宮の眠り猫などを彫った木彫師、左甚五郎をモデルにした噺だそうで、人の善意、徳ということが心に染みるかのようです。
さて、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にも出てくる八つの徳とは何でしょう? 「仁義礼智忠信孝悌」でございます。
「仁」思いやり、いつくしみの心をもつこと。
「義」間違ったことをせず、道理にかなった行動をすること。
「礼」人を大事に思う心を行動にあらわすこと。
「智」正しいことと間違っていることの違いを知ること。
「忠」まごころで人とお付き合いすること。
「信」嘘を言わないこと。相手の言葉を疑わないこと。
「孝」お父さん、お母さんを大切にすること。
「悌」自分よりいいところがある人を尊敬すること。
これを忘れた人のことを「忘八」。今のNHK大河ドラマ『べらぼう』にもこの言葉は出てきますな。みなさん、忘れがちではござんせんか?
あー、それにしても寄席はパラダイス。


丸の内TOEIで安田公義監督の『大魔神』を見て、本多猪四郎監督の『ゴジラ』を見ました。
『大魔神』は1966年の大映の映画でカラー作品。戦国時代の話で、いいものな武家の娘、花房小笹を演じた高田美和が可憐、純情でよかったです。鉄杭を打たれ、憤怒の表情で歩き始める大魔神が、すごくリアル。勧善懲悪の面白さ。
『ゴジラ』は1954年の東宝の映画でモノクロ作品。ゴジラの出現に懊悩する古生物学者を演ずる志村喬がいい。この映画の作られ、上映された1954年は日本の捕鯨船の第五福竜丸がビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験場の付近に居合わせたことにより、被爆している。前々年の1952年に米国、GHQによる占領が終結し、日本の独立が回復し、1954年には自衛隊が発足しているのだけど、まだ戦争の記憶な生々しかったはず。ゴジラの踏み荒らし、破壊した後の東京は、東京大空襲の直後であるかのようです。わだつみと化した皇軍の魂ののりうつったかのようなゴジラは、皇居を迂回しつつ、東京を灰燼にし、街にはテレビを通じて「平和への祈り」が流れる。NHKによるテレビ放送開始は1953年であった。なにより、ゴジラが殺され、海に沈んでいくのが、ぼくには悲しかった。この映画は異様な傑作だとも思うのです。
日本は地震や台風など災害が相次ぐ国であって、だいだらぼっちからコジラ、大魔神、『風の谷のナウシカ』の巨神兵まで、日本人のエートス(土地による習慣)とか民俗には破壊の後に清浄をもたらす巨大な神がいるような気もします。「ゴジラ」の英語表記も「GOD」を含む「GODZILLA」らしい。怪獣を映画の中で発明した日本人にとって、怪獣には何か特別な秘密も隠されていそうで、こうなったら、映画館で『モスラ』や『大怪獣ガメラ』も見てみたい。


近々、閉館となる丸の内TOEIで川島雄三監督の『幕末太陽傳』を見ました。1957年の日活の映画。もともとの話は落語の「居残り佐平次」で、一部に落語の「品川心中」も入り、さらにふくらませて、品川の遊廓を舞台とした群像劇にして、グランドホテル形式の映画となっております。
主人公の居残り佐平次を演ずるフランキー堺がいい。南田洋子が女郎こはるを演じていて、こんなきれいな人だったとは知りませんでした。それから、高杉晋作役の石原裕次郎とか、高杉の都々逸「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」が基底の唄として効いています。
佐平次は肺病病みという設定で、だんだん苦しげになる咳の音が切ないです。この映画には幻の原案のエンディングがあって、それは佐平次が江戸時代のセットを駆け抜けて、現代の品川まで行ってしまうというもの。その大胆な発想はスタッフからの反対で採用されなかったのが口惜しい。
肺病を患う佐平次は筋萎縮性側索硬化症であった川島雄三自身の分身なのかもしれません。川島は1963年に齢四十一歳で病没しているのです。佐平次の「生きて生きて生きるんでい」のセリフが胸にせまります。
「サヨナラだけが人生だ」の言葉を残した川島雄三ってアナーキストだな、と思う。『幕末太陽傳』は反乱の1960年代を用意した一つだとも思うのです。
いつもぼくは幻のエンディングを夢想する。


近所の郵便局にとある郵便物を出しに行ったところ、その郵便局から出てきた人に「リョウくんのお兄ちゃんですよね」と、声をかけられた。ぼくはリョウなどという弟はいないので、すげなく「違います」と答えたのだった。後で、ぼくの聞き間違えで、「リョウ」でなく「レオ」であったことに気づいた。声をかけてくれた人にも申しわけなく、ふと寂しさを感じた。犬のレオが亡くなって、いつの間にか十三年という年月が過ぎた。たまに、豆柴でも飼おうかな、と思う。けれども、小さな豆柴といえども生きものの世話は大変だ。命を守る強い責任感をともなった勇気が必要なのです。


保阪正康さんの著した『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』がとても面白く、一気に読んでしまいました。
ある時、保坂さんのところに友人の半藤一利さんからこのような電話がかかってきたそうなのです。
「保坂君、雲の上の人に会う気はあるか」
さらに半藤一利さんはつづけたそうです。
「両陛下にお目にかかって雑談するんだよ。昭和史のことをお聞きなりたいとおっしゃって、君の名前が挙がったんだ」
以来、保坂さんは半藤さんと皇居を訪れ、計六回の平成の天皇皇后両陛下が今生の天皇と皇后であったころに、面会する機会にめぐまれ、御進講という形ではない、雑談という形で両陛下と話をする機会となり、本書は記憶のままに書きつづったものであるというのです。昭和の天皇陛下の戦争期の生々しい話もときおり出てもきて、平成の天皇陛下の心がどのようなところにあるのかも察せられ、とても面白く、一気に読んでしまった次第です。
平成の天皇陛下というと、とある学校に訪問された際に、国歌の斉唱や国旗の掲揚について、強制ではない方が望ましい、と発言されたり、私的な旅行として高麗神社を訪問された際に、天皇制の成立について秦氏の役割の大きさについて言及されたり、などということから、ぼくの天皇陛下への親しみと敬意はけっして小さいものではありません。この『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』にも、天皇陛下自身が、桓武天皇の母方の祖先が韓半島、朝鮮半島の百済の武寧王にルーツをもつことについて熱く語っておられたということだそうで、それも、これも天皇陛下が、民族や国の仲たがいによる戦争はあってはならぬ、という御心を表されたことだとも思われるのです。
平成の天皇陛下が求められたことが、正式な大学の教授からの御進講ではなく、保阪正康さんや半藤一利さんらの市井の歴史研究家との雑談、対話であったことも、何かとても意義深いことのように思われます。
僭越ながらも、無私の祈りということが、その人を至上へと高めるというのがあるのではないかしら。その平成の天皇陛下の作られた道行きの方向が令和の天皇陛下にも受け継がれていることに、ぼくはほっと胸をなでおろすかのような安堵の心もちをおぼえるものであります。
平成の天皇皇后両陛下大いに語る 保阪正康 - 本の話


青山の根津美術館で『財団創立85周年記念特別展 国宝・燕子花図と藤花図、夏秋渓流図 光琳・応挙・其一をめぐる3章』を見ました。この私設の美術館に重要文化財や国宝がごろごろあります。附設の広大な庭といい、この美術館を開設した明治から大正、昭和にかけて古美術を収集した実業家の根津嘉一郎ってどれだけ金持ちなんだよ、などと思う。まっ、いいか。
鈴木其一による十九世紀の屏風画の重要文化財「夏秋渓流図」はポップな名品といった風情。
円山応挙による十八世紀のに描かれた屏風画の重要文化財「藤花図」は筆使いも生々しい、見惚れるような絵でございます。
尾形光琳の十八世紀の屏風画「燕子花図(かきつばた)」が遠くから見えはじめたとこらから、その圧倒的な存在感に鳥肌がたってきます。この「燕子花図」は能の「杜若(かきつばた)」から着想を得たと聞けば、さらに情趣も高まります。
企画展の部屋以外にも、その他の「中国の小金銅仏」の部屋、「古代中国の青銅器」の部屋、「能「杜若」に寄せて」の部屋、「若葉どきの茶」の部屋があり、そこにも重要文化財やそれに次ぐ文化財がごろごろ展示されていて、しかも、今回は展示されていない国宝が残り六点もあるそうです。根津嘉一郎ってどれだけ金持ちなんだよ、などと思う。まっ、いいか。根津美術館には展示替えするたびに見に来なくてはなりますまい。
日本の美の吉祥にめでたし、めでたし。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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