えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

世田谷美術館に『世田谷美術館コレクション選 わたしたちは生きている! セタビの森の動物たち』展を見に行きました。
展覧会の楽しみのひとつは自分のお気に入りの思い出と記憶に残る一枚の絵を見つけることだと思うのだけれども、『セタビの森の動物』展にも、そんな一枚がありましたよ。フェルディナン・デスノスの「ノアの方舟の建造」です。この絵を見ていると、なんだか面白くて、時のたつのを忘れてしまい、いつか楽しくなってしまう。ぼくにとっての名画を発見した喜びをかみしめ、うきうきしながら、美術館をあとにしました。
セタビチャンネルJr. 【2月17日】今日は何の日?ノアの方舟編


一年に一回、車のお祓いに川崎大師自動車交通安全祈祷殿に参ります。車のお祓いを済ませた後、川崎大師平間寺にも参ります。今年は本殿の中に座り、護摩祈祷を見つつ、願いと祈りを捧げました。明るくはない、むしろ、薄暗い本殿で見て、聞く護摩祈祷に、炎のゆらめく異なる世界が現出もしていたようなのです。こうして、ここでは僧侶らによって永遠と祈りを捧げてきたことに厳粛な何かを感じずにはおれません。本殿から外に出たとき、平明な日常にもある清らかさも、ぼくは感じておりました。そして、御神籤をひくと大吉。
「霊場川崎大師おみくじ
第九十九番大吉
紅日当門照
暗月再重円
遇珍須宝得
頗有称必進
進むもよし現状維持もよし
何れとも恵まれたる時なり
財宝を得名声を博すべし
然れども富貴栄達は浮雲に非ず
多大の労苦に根源す
大師を念じて和を得れば
幸先大いに佳なり」
ゆめゆめうたがふことなかれ




ぼくの通う合氣道の道場は心身統一合氣道会に所属しているのですが、その会をもともと開いた今は亡き藤平光一さんの著した『氣の実在』を読了しました。この『氣の実在』は藤平光一大師匠、藤平光一大先輩、藤平光一大先生が自らの心と体を実践して発見した哲学の書でもあるのです。
この本には。ぼくの通う道場でも、いつも教わるそのことがたくさん書かれてもいます。「題三章 心身統一道に基く人生」の項には「宇宙霊性」や「万有愛護」など、ぼくを惹いてやまない人生哲学についても明らかにされてもおります。心身統一合氣道には、技だけではなく、そこには心と身体、人生についてのなにがしかもあるみたいなのです。
興味がある方は雄心館に見学に来られてはどうでしょう。合氣道は、誰にも強いられずに。自らをよりどころとして選び、立つ、武道なのだとも、ぼくは思います。


こんな夢を見た。ぽくは古い友だちと自分の部屋でくつろいでいる。そこに細野晴臣さんが訪ねて来る。三人はレコードやCDを聞きながら、部屋にしかれたカーペットの座り、寝そべったりして、たわいもない雑談をしている。細野さんはこんなの好きじゃないかなと思い、ぼくは、古いジャマイカのロックステディのレコードをかけたりする。そこにぼくの母が現れる。母はぼくに「気づいているの」と聞く。ぼくは、細野さんはプロのミュージシャンになれて、ぼくはなれなかったと思い、「気づいているよ」と答える。母は「これのことよ」と言い、古い壊れたマイクを見せてくれる。それは古い1960年代にジェームズ・ブラウンが使っていたかのようなガイコツ型のシュアのマイクで、ぼくは、それを修理をしなくては、と思う。
そこで目が覚めた。憂歌団の「出直しブルース」を思い出し、ぼくの胸に鳴り始めました。
♪♪♪
ここでまた一から出直し やり直し
何があろうとへっちゃらさ
苦労の種がつきはてた♪♪♪
夢の中の壊れたマイクは直るよね。
そこで目が覚めた。憂歌団の「出直しブルース」を思い出し、ぼくの胸に鳴り始めました。
♪♪♪
ここでまた一から出直し やり直し
何があろうとへっちゃらさ
苦労の種がつきはてた♪♪♪
夢の中の壊れたマイクは直るよね。


パン・ナリン監督の『エンドロールのつづき』を見ました。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』やロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』みたいな内容のインド映画でした。もちろんこの『エンドロールのつづき』も『ニュー・シネマ・パラダイス』のように映画への愛にあふれた名作だと思いました。
見ながら、ぼくが小学生のころ、相模原市の市民会館で三百円で毎月、少し古い映画の上映会をしていえて、大人は入らず、子どもだけで十人ぐらいでバスに乗って映画を見に行っていたことを思い出しました。なんか楽しかったな。ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に向かって撃て』や『スティング』、ジョン・ギラーミン監督の『タワーリング・インフェルノ』とか、その時、見た記憶があります。
さて、『エンドロールのつづき』のつづきにもどり、映画の中でお母さんの作るお弁当のカレーがとてもおいしそうです。そして、このお弁当も伏線として映画のフィナーレにはまっていきます。映画の舞台の時はフィルムの映画からデジタルへのはざかい期、古きに敬意を表したのか、『エンドロールのつづき』をこの若い映画監督はフィルムで撮ったとのこと。ほろ苦くも美しいエンディングにぼくの胸はじーんとしていました。
映画『エンドロールのつづき』公式サイト


中野サンプラザホールにCoccoのライブを見に行きました。
一曲目、バンドのでかい音の中、彼女が歌い始めると、そのかっこよさとオーラのようなものを感じて、ぼくは鳥肌がそう毛立っていた。
去年から今年にかけてCoccoはデビュー25周年のライブツアーを行っていて、最近、発売されてアルバム「プロム」も素晴らしかった。すごいやっちゃ。
実物のCoccoは背が高く、ほっそりとしていて、手足が長く、ステージに本当に映える。いつも、全身で何かを表現するかのように全身を揺らせて歌っている。Coccoはシンガーとしてのデビュー前はヴァレリーナで沖縄のコンテストで優勝したこともあるそうだけれど、その歌う姿はヴァレリーナというより、沖縄のユタ(シャーマン)のようなのだ。
ぼくの友だちはコンサートの後、バンドの音が大きすぎて詞が聞き取りづらかったと言っていたけれど、確かにそれに半分は同意する。けれどもCoccoにはこのバンドの音のこのどでかさが相応しい。世界のありとあらゆる悪を振り払うかのように、ハードロックバンドの騒音、轟音の中、身悶えするかのように歌う彼女をぼくは美しいとも思っていたのです。
