えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
東京ガーデンシアターで「玉置浩二 Concert Tour 2024 Resume 〜レジューム 新たな始まり」と題された玉置浩二さんのコンサートを見ました。友だちがファンクラブに入っていて、すごくいい席で見ることができました。玉置さんのバンドは弦楽が8人、管楽が2人、ピアノ、ギター、ベース、パーカッションというとてもゴージャスなもので、アレンジもぴったり。とくに音数の少なめのパーカッションが素晴らしい。玉置さんの歌は二人といないうまさで、バラードではお客さんの涙腺から涙をしぼります。安全地帯のころの曲だという「清く正しく美しく」なども歌ってくれたのだけれど、そのように玉置さんのバラードにはベタなメッセージソングもあって、そういうとこらもぼくは好きなのです。素敵な一夜となりました。
国立能楽堂で能楽を鑑賞しました。
狂言は「寝音曲」。唄をうたうことの得意な太郎冠者にうたってくれと頼むと、酒を飲ますとうたおうといい、酒を飲んでうたうけれど、じきに眠くなり、眠りながらうたいだす。唄をたのんだ主人は喜び、もっとうたってくれと頼むが、太郎冠者は忘れたと逃げていく。おおらかな滑稽に会場中が笑います。
能の「蝉丸」は、盲目の琵琶の名手の皇太子の蝉丸が醍醐天皇に捨てられ、藁屋根の小屋で暮らし、逆さ髪により狂女となった皇女である逆髪が、たまたまあずま屋から琵琶の音を聞き、ひさしぶりの兄弟の逢瀬となり、また別れるという哀しい曲でありました。兄弟の出会いと別れにぼくの胸はゆさぶられる。ちなみにこの曲は皇室への不敬とされ、戦時中は上演禁止にもなったそうなのです。
今日は後ろの方の四分の一ほどが課外授業か何かの女子高校生で占められていた。能の後、若い声で「やばいよ」とか「途中で寝れなくなったよ」などの言葉が聞こえる。多分、先生から「退屈だったら寝ていいんだよ」といわれていたのだろう。能が終わり、能楽師も去り、静まった舞台にまばらな拍手。能では余韻にひたるために拍手はしなくても礼儀にかなっているとのこと。ふと後ろを振り返ると、今を生きるたくさんの制服を着た女子が眼に涙をためているようなのです。「蝉丸」はセンシティブな若人にも強烈に感動的な何かであったらしいのです。この国立能楽堂で外国の人が涙をためている姿もたくさん見ました。能楽はどの世界の人々、どの世代の人々にも通じる、日本が世界に誇る舞台芸術なのです。
アメリカ合衆国の大統領選挙の結果が出た。ドナルド・トランプが選ばれて、カマラ・ハリスは選ばれなかった。アメリカ人はまんまと騙されて、無知で自分のことしか考えない人が選ばれたという感じがしてならない。かといって、ジョー・バイデンの二番煎じのようなカマラ・ハリスもまったくいただけない。ジョー・バイデンは「人道に配慮してくれ」といいながら、せっせと一年間、子どもを切り刻んで殺す兵器をイスラエルに送りつづけた気持ちの悪い人物で、集会での「パレスチナに自由を」の聴取の叫びに言葉をにごすのがカマラ・ハリスではないか? トランプ、ハリス、どちらも悪夢で、アメリカは理想と夢を捨て、堕ちていくしかないのだろうか? 金じゃ買えない夢こそ夢よ。日本よ、アメリカの道連れになるなよ。
MOA美術館に『光琳 国宝「紅白梅図屏風」× 重文「風神雷神図屏風」』展を見に行きました。尾形光琳の「紅白梅図屏風」と「風神雷神図屏風」が同時に見られる展覧会は39年ぶりということらしい。再びこのような展覧会が開かれるのが39年後というと、ぼくはこの世には多分、生息してはおらず、霞か雲か土になっているのかと思えば、今、見なくてはいけないような気がして、熱海まで車を走らせたのです。
無知なぼくは、国の定める有形文化財には国宝と重要有形文化財、登録有形文化財の三種類があるのを知りました。「紅白梅図屏風」が国宝で、「風神雷神図屏風」が重要有形文化財で、この前に訪れた法師温泉の長寿館の「法師の湯」の明治の建物が登録有形文化財だそうです。国宝は現在、総数 、1,132件あり、それが多いのか、少ないのかぼくには分からない。国宝や重要有形文化財のこのような国家による指定は、国家による文化の序列化、選別という否定的な意見も一部にあろうかと思うが、こういうものを大事にしないと国は滅ぶとも思えるのだけれど、どうだろう? そういう意味では、長州と薩摩による神仏分離と廃仏毀釈は悪しき伝統文化の破壊だと思え、夏目漱石のいうように、この国は一度、瓦礫の中に沈み、滅んだのだった。
閑話休題、『光琳』展は琳派の絵が豊穣に揃い、展開され、東の果ての島の国で独自に発展した特異な美しさが横溢しているのだった。このような展覧会の見学者は老人ばかりかと予想もしていたけれど、若い女子も多く、本阿弥光悦、俵屋宗達の絵に驚き、尾形光琳の絵に圧倒され、酒井抱一の絵の美しさに見とれているようでもあった。そこに現れ、存在しているのは確かに画家ではなく絵師なのだとぼくは得心する。
現代美術家の村上隆さんは琳派の絵に傾倒しているのだということを思い出した。村上さんの尾形光琳へのオマージュの芸術作品は、古くからの日本の芸術の系譜の中におり、それを「スーパーフラット」と称し、「敗戦国日本の悲哀」を表しているというのに何か、共感すらもしてしまう。ふと、徳川家の時代のように世界史から姿を消しつつ、新しい何かの光を指し示す日本を、ぼんやりと夢想すらしてしまいそうです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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