えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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神泉のランタンでのGokigen Gang(略してGG)のコンサート、楽しゅうございました。
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町田市立国際版画美術館で『版画ってアートなの?』展を見ました。版画とは複製であり、工芸であり、やはりアート(芸術)なのだ、とぼくは思います。しかも、この展覧会にはシャガールやピカソの版画作品もあり、町田市立国際版画美術館のコレクションを見つつ、版画とはとても重要なジャンルなのだ、と思いました。昔、この町田市立国際版画美術館で見たピカソの「鳩」のリトグラフは忘れられません。
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中川右介さんの著した『昭和20年8月15日 文化人は玉音放送をどう聞いたか』が面白く、一気読みしてしまいました。この本でいう文化人とは、作家、マンガ家、映画人、演劇人、音楽家といった文化・芸能の分野の著名人のことで、数えあげれば135人が取りあげられていて、三島由紀夫に始まり、黒柳徹子のあと、著者による「あとがき」で了となる。「あとがき」にこんな言葉がある。

「同じ日の同じ出来事が何度も繰り返されるループものは、起きるたびに違いが出てくるところに面白さがある。この本も、同じ放送を同じ日に聞いているのに、反応は人さまざまだ。戦時体制ではあるが、人びとの心はひとつではなかった。」

敗戦を泣くものもいれば、喜ぶものもいる。所詮、人の心とはそんなものだ。すると、タイとガンボシアの国境線で戦争を始めたというニュースが入ってきた。兵士ではない住民も亡くなっているという。戦争は人類の犯す罪悪の愚行だ。

昭和20年8月15日 文化人たちは玉音放送をどう聞いたか
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国立能楽堂で能楽を鑑賞しました。狂言は和泉流「寝音曲」、能は宝生流「鵜飼」でした。

「寝音曲」は謡いの上手い太郎冠者が主人に謡いをしてみろという主人になんのかんのいって謡いをしようとしない滑稽劇。おおらかな笑いが劇が進むにつれ、大きくなり、能楽堂が笑いにつつまれておりました。

「鵜飼」はこんな話。殺生を禁じられた鵜使いが、生活のために禁をやぶり、村人から水の底に沈められ亡くなり、地獄に行く。僧侶に召喚され、シテは鵜飼の舞を舞う。シテ(主役)の鵜で漁をする面白さがやがて悲しみに変わり、黄泉の国にもどる。そして、僧侶の仏法と法華経の力により、閻魔大王により地獄から引きあげられ、救われる。この日本に伝わる死生観は現在まで生きている、とぼくは思う。生きとし生きるものには霊魂がやどり、決して殺生を楽しんではならないという厳命。能楽堂をあとにしつつ、ぼくには能の「鵜飼」を知っていたであろう芭蕉の名句が思い浮かばれました。

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉
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渋谷陽一さんが亡くなったというニュースが届く。ぼくは、中学生と高校生のころ、渋谷さんがDJするNHK-FMのロックの番組、ヤングジョッキーやサウンドストリームをよく聴いていた。渋谷さんが作り、編集長をし、自らも執筆していた雑誌“Rockin' On”もよく読んでいた。それによってぼくの聴くものの幅は大きく広がった。ぼくの部屋には渋谷さんがライナーノーツを書いたレコードがいっぱい。渋谷さんはThe Clashのアルバム“Sandinista”やThe Stranglersのアルバム“Black and White”を絶賛していたけれど、それはまったく正しかった。生きるということは死者を見送ることなのか? 渋谷陽一さんを追悼し、深く哀悼いたします。
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七月二十二日、新宿末廣亭令和七年下席昼の部でございます。見た演目を書き出してみます。前座の桂伸球くんの「饅頭怖い」、二つ目の立川幸朝くんの「雛鍔」、立川幸之進師匠の「狸の恩返し」、きょうこさんの和妻 、三笑亭歌風師匠の「猫の皿」、立川吉幸師匠の「義眼」、国分健二さんの漫才、三遊亭遊喜師匠の「ちりとてちん」、桂文月師匠の「魚根問」、ぴろきさんのウクレレ漫談、桂歌蔵師匠の「鰻屋」、三遊亭遊三師匠の「たがや」で仲入りです。二つ目の桂竹紋くんの「道灌」、ナオキさんのスタンダップ・コメディ、三遊亭遊之介師匠の「青菜」、滝川鯉昇師匠の「粗忽の釘」、鏡見正二郎さんの太神楽曲芸、主任は立川談幸師匠で「抜けねずみ」でした。

とくに印象に残った演目です。きょうこさんの和妻は何か江戸の世にタイムスリップしたかなような、胡散臭さが面白すぎです。ちなみに和妻とは和風の手品のこと。引きこまれてしまいます。三遊亭遊三師匠の「たがや」は江戸の人たちのきっぷのいい粋さが気持ちいい。桂竹紋くんの「道灌」で大爆笑。ナオキさんのスタンダップ・コメディの飄々とした味にぼくはクスクス笑い。滝川鯉昇師匠の鯉昇版「粗忽の釘」のそこはかとない笑いがいい。立川談幸師匠の「抜けねずみ」はぼくの大好きな噺で、ど真ん中の清々しさでした。

暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスなのです。
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去年のノーベル文学賞作家である韓国のハン・ガンさんの著した『少年が来る』を読んだ。1980年の光州事件を取材した小説である。光州事件とは当時の韓国の大統領であった朴正熙の暗殺に端を発し、クーデターを起こした全斗煥による全羅南道の光州での民主化運動を弾圧し、虐殺をし、多くの死者を出した事件。韓国の人たちにとってこの事件が起きた5月18日は忘れられない日となった。

光州事件といえば、ぼくには思い出すこともある。当時、高校生であったぼくは、パンク・ロックが好きで、当時、日本のパンク・ロックやニュー・ウェイブ派のロックのコンサートをしていた法政大学の学生会館のホールに何度も聞きに行っていた。そこで「光州ヴァイブレーション」と呼ばれるコンサートが行われ、光州での民衆の蜂起や軍の介入、おびただしい虐待を記録した映画が極秘裏に輸入され上映されたのだった。当時、朴正熙の暗殺後、戒厳令と情報統制により韓国国内で何が起きているのか、まったく外国では分からない状況であった。若いぼくは、石を投げながら、兵士に撃たれ、ピース・サインをする貧しい服装をした韓国の学生に血が騒ぐようなシンパシーを感じつつも、衝撃的であった。ロック・コンサートも行われ、リザードをバックにした白竜のレゲエのリズムの「光州シティ」も、ものすごくかっこよかった。そのころからずっと、おれは韓国や在日(在日韓国人や在日朝鮮人)のシンパよ。

さて、『少年が来る』にもどり、この小説には凄惨で、かつ残酷で、複眼で語られるの物語の中に詩の美しさも輝いている。ハン・ガンさんはこの小説を書くために何年間も調査と現場取材し、悪夢にうなされたという。この小説の訳者である井出俊介さんの「作者あとがき」を引用し、絶賛し、推薦し、この項を了とします。

作家は透徹した視線で、この事件の背後にある人間存在の引き裂かれた二面性―神性と獣性、崇高さと残酷さ―を凝視している。人間が併せ持つ不条理への不信を克復しないままでは前に進めないという切実な思いが、この小説の行間からひしひしと伝わってくる。

少年が来る (新しい韓国の文学 15)
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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