えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
山中湖にワカサギ釣りに行った。富士山がきれいだった。湖上は寒かった。アカムシを釣り針につけるのが難しい。そして、ボーズだった。なんと釣果ゼロ。誰かぼくに釣りを教えて。けれど、生きものを殺さなかったから、これはこれでいいのだ。それに、帰りの車から見えた山並みの夕焼け空とか満月がとてもきれいだったよ、ベイビー。
帰りに釣りの「上州屋」によってみた。もしかして、ワカサギ釣りの棹とか安いのがあれば、買おうかなと思っていた。安物の棹のさお先に触ってみると、なんかしなりがない。あんな小さい魚のアタリをとるのに、これではいかんだろう。高いものでは30センチほどの棹が3万円以上。棹を手作りする道具とかもたくさん売られていた。マニアックな世界があるなぁと、しばし立ちつくす、、、
★ガザ地区から医師の報告翻訳
以下は中央ヨーロッパ時間の1月6日(火曜)午前9時半にドイツ紙『南ドイツ新聞』の電子版に掲載されたものの翻訳です。インタヴューの正確な日時が不明ですが、内容からしてガザの現地の5日(月曜)の夜中あたりだと思われます。ガザには外国人記者が入れないため、地上戦開始下の病院からの医師の報告として貴重なものと考え翻訳しました。この翻訳は「訳責;梶村太一郎/ベルリン」と明記された上で、どしどし転送して下さって結構です。
原文;http://www.sueddeutsche.de/politik/752/453443/text/
ここではギルベルト医師の写真も掲載されています。
以下翻訳、( )内は訳注。
ーーーーーーーーーーーー
(見出し)ガザ地区の市民犠牲者
「私たちは次から次へと切断手術を続けている」
(記事リード)イスラエルの地上進攻の開始以来市民の犠牲者の数は急増している。ノルウェー人のマッズ・ギルベルトは、現在ガザ地区に滞在している唯一の西側の(欧米の意味)ふたりの医師のひとり。ギルベルトはドラマチックな報告をした。
インタヴュー;トーマス・アヴェナリウス記者
(人物解説)マッズ・ギルベルト(Mads Gilbert)61歳、は麻酔医でノルウェーのトロムソ大学教授。彼は新年から同僚の同僚の外科医エリク・フォッセ(Erik Fosse)医師とともにガザ市のシーファ(Schifa)病院で手術をしている。ふたりはNorah (原文;Norwegian Medical SolidarityOrganization Norah)の会員である。
(インタヴュー始まり)
南ドイツ新聞(以下SZ);ギルベルト博士、ガザの情況はどうですか。
マッズ・ギルベルト(以下MG);今夕の情況はドラマチック以上のものだ。激しく爆撃されている。この48時間は大変に厳しかった。ガザ市の野菜市場への攻撃で多数の死傷者が出た。今日病院に運ばれた210人の負傷者の内だけでも35人が救急部門で死亡した。死者の内で18人が9歳以下の子供たちだ。私たちは次から次へと切断手術を続けている。廊下は切断手術を受けた患者でいっぱいだ。私はすでに手術をいくらしたか数えられない。
SZ;犠牲者のうち子供と女性はどれくらいでしょうか。
MG;今日、私はひとりの子供の手を切断手術した。この子は家族のうち11人を失っている。私たちのところに九ヶ月の赤ん坊がいるが、この子の家族は全員がイスラエルによって殺された。市民の犠牲者の数は急激に増加している。月曜日の晩には死者は540人、負傷者は2550人だった。死者の30パーセントと、負傷者の45パーセントが女性と子供だ。これまでで、子供の死者は117人、負傷者は744人だ。
SZ;救助隊の作業はどんなに危険ですか。
MG;今日は救急車二台が襲撃された。二人の救助隊員が殺されたが、彼らは狙われて攻撃されている。シーファ病院の隣のモスク(イスラム寺院)が空襲された。そのため病院の窓ガラスがすべて割れてしまった。今は外の気温は摂氏7度だから患者全員が震えている。医師や看護人ももちろん同じだが。これら全てが理解を絶することだ。
SZ;病院の職員の情況はどうでしょうか。
MG;ひとつだけ強調したい。この病院には現時点で、医師、看護人、ボランティアが50人いる。私たちは爆撃音を聞きながら、負傷者を満載した車を待っている。私はこれまでに、彼らパレスチナ人の医師たちと助手たちほど献身的な働きをする人間を見たことがない。
SZ;あなたはハマスの戦闘員も治療しますか。
MG;その質問は適切ではない。私たちはここで医師として誰でも治療する。わたしたちはイスラエルの兵士にもそうするだろう。しかし、私は何百人もの患者を診たが、その内でハマスの戦闘員はたったふたりだけだった。
SZ;何が最も緊急に必要でしょうか。
MG;とりあえず緊急なのは、爆撃を停止し、イスラエルが境界の通路を開き、食料と燃料をガザへ運ぶことだ。
SZ;あなた自身は安全ですか。
MG;150万人のパレスチナ人が、この世界最大の牢獄に閉じ込められている。彼らは恐れてはいない。なぜ私たちが恐れるべきだろうか。
SZ;あなたはどのようにしてガザ地区に入り込んだのですか。
MG;私たちは元旦にラファ(Rafah)経由で入って来た。ノルウェー政府がエジプトの指導部に非常に大きな外交圧力を掛けたのだ。そのおかげで入って来れた。私はなぜ他の西側の医師たちが来ないか疑問に思っている。世界はここで何が起こっているかを見ることが出来ない。私たちだけが西側の代理人だ。私たちは、援助すべき医師なのだ。それと同時に私たちは世界中のメディアに電話で情報を伝えなければならない。同僚とここへ来ていらい、私たちは時間を忘れて働いている。あの音が聴こえますか。また爆撃されている。ここで話しを終わりにしなければなりません。
(インタヴュー終わり。翻訳以上)
「訳責;梶村太一郎/ベルリン」
以下は中央ヨーロッパ時間の1月6日(火曜)午前9時半にドイツ紙『南ドイツ新聞』の電子版に掲載されたものの翻訳です。インタヴューの正確な日時が不明ですが、内容からしてガザの現地の5日(月曜)の夜中あたりだと思われます。ガザには外国人記者が入れないため、地上戦開始下の病院からの医師の報告として貴重なものと考え翻訳しました。この翻訳は「訳責;梶村太一郎/ベルリン」と明記された上で、どしどし転送して下さって結構です。
原文;http://www.sueddeutsche.de/politik/752/453443/text/
ここではギルベルト医師の写真も掲載されています。
以下翻訳、( )内は訳注。
ーーーーーーーーーーーー
(見出し)ガザ地区の市民犠牲者
「私たちは次から次へと切断手術を続けている」
(記事リード)イスラエルの地上進攻の開始以来市民の犠牲者の数は急増している。ノルウェー人のマッズ・ギルベルトは、現在ガザ地区に滞在している唯一の西側の(欧米の意味)ふたりの医師のひとり。ギルベルトはドラマチックな報告をした。
インタヴュー;トーマス・アヴェナリウス記者
(人物解説)マッズ・ギルベルト(Mads Gilbert)61歳、は麻酔医でノルウェーのトロムソ大学教授。彼は新年から同僚の同僚の外科医エリク・フォッセ(Erik Fosse)医師とともにガザ市のシーファ(Schifa)病院で手術をしている。ふたりはNorah (原文;Norwegian Medical SolidarityOrganization Norah)の会員である。
(インタヴュー始まり)
南ドイツ新聞(以下SZ);ギルベルト博士、ガザの情況はどうですか。
マッズ・ギルベルト(以下MG);今夕の情況はドラマチック以上のものだ。激しく爆撃されている。この48時間は大変に厳しかった。ガザ市の野菜市場への攻撃で多数の死傷者が出た。今日病院に運ばれた210人の負傷者の内だけでも35人が救急部門で死亡した。死者の内で18人が9歳以下の子供たちだ。私たちは次から次へと切断手術を続けている。廊下は切断手術を受けた患者でいっぱいだ。私はすでに手術をいくらしたか数えられない。
SZ;犠牲者のうち子供と女性はどれくらいでしょうか。
MG;今日、私はひとりの子供の手を切断手術した。この子は家族のうち11人を失っている。私たちのところに九ヶ月の赤ん坊がいるが、この子の家族は全員がイスラエルによって殺された。市民の犠牲者の数は急激に増加している。月曜日の晩には死者は540人、負傷者は2550人だった。死者の30パーセントと、負傷者の45パーセントが女性と子供だ。これまでで、子供の死者は117人、負傷者は744人だ。
SZ;救助隊の作業はどんなに危険ですか。
MG;今日は救急車二台が襲撃された。二人の救助隊員が殺されたが、彼らは狙われて攻撃されている。シーファ病院の隣のモスク(イスラム寺院)が空襲された。そのため病院の窓ガラスがすべて割れてしまった。今は外の気温は摂氏7度だから患者全員が震えている。医師や看護人ももちろん同じだが。これら全てが理解を絶することだ。
SZ;病院の職員の情況はどうでしょうか。
MG;ひとつだけ強調したい。この病院には現時点で、医師、看護人、ボランティアが50人いる。私たちは爆撃音を聞きながら、負傷者を満載した車を待っている。私はこれまでに、彼らパレスチナ人の医師たちと助手たちほど献身的な働きをする人間を見たことがない。
SZ;あなたはハマスの戦闘員も治療しますか。
MG;その質問は適切ではない。私たちはここで医師として誰でも治療する。わたしたちはイスラエルの兵士にもそうするだろう。しかし、私は何百人もの患者を診たが、その内でハマスの戦闘員はたったふたりだけだった。
SZ;何が最も緊急に必要でしょうか。
MG;とりあえず緊急なのは、爆撃を停止し、イスラエルが境界の通路を開き、食料と燃料をガザへ運ぶことだ。
SZ;あなた自身は安全ですか。
MG;150万人のパレスチナ人が、この世界最大の牢獄に閉じ込められている。彼らは恐れてはいない。なぜ私たちが恐れるべきだろうか。
SZ;あなたはどのようにしてガザ地区に入り込んだのですか。
MG;私たちは元旦にラファ(Rafah)経由で入って来た。ノルウェー政府がエジプトの指導部に非常に大きな外交圧力を掛けたのだ。そのおかげで入って来れた。私はなぜ他の西側の医師たちが来ないか疑問に思っている。世界はここで何が起こっているかを見ることが出来ない。私たちだけが西側の代理人だ。私たちは、援助すべき医師なのだ。それと同時に私たちは世界中のメディアに電話で情報を伝えなければならない。同僚とここへ来ていらい、私たちは時間を忘れて働いている。あの音が聴こえますか。また爆撃されている。ここで話しを終わりにしなければなりません。
(インタヴュー終わり。翻訳以上)
「訳責;梶村太一郎/ベルリン」
まちぼうけの駅でぼんやりしてると、モップスの「迷子列車」という歌をなぜか思い出し、ぼくの耳に鳴り始める。まいごれっしゃ~まいごれっしゃ~まいごれっしゃ~・・・、この歌を歌ったすずきひろみつは、もう空の向こう。胸に響くこの歌にならって、もう帰らない? ケータイデンワを駅のごみ箱に投げ捨て、失踪届が出されるのよ。
次の列車を逃すと、あと4時間も西に向かうどん行は来ないんだ。乗り遅れるなよ。原野みたく稲の刈られた田んぼが続くぜ。
やっぱ、なんか、やり残したことがある気がして・・・列車に乗りこんだ。
青空が見えるのに、雨がふったり、やんだりしている。天気雨だ。どこかで、狐が嫁入りしているよ。けれど、見ちゃいけない。見てはいけないものを見たら、狐たちに手刀をわたされて、死んでお詫びしろと言われるんだ。
車掌さんの切符拝見しますの声。すると、ひょうが降ってきた。いつの間にかひょうは雪に変わった。よこなぶりの雪が吹雪いている。
雪国だなぁ。ぼくのよく知らない世界。感動するよ。
新年早々、不気味な夢を見た。こんな夢でした。
「未明に目が覚めると、自分の部屋の隅から知らない男が起きだし、部屋を去るのを見る。誰なんだろう(?)と思い、後をつけると3人の異様な風体の男たちがいた。どんな男たちかというと、ローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならずもの」のジャケットにある写真から抜けだしたようなのだ。怖い。ぼくは、3人にどうしてここにいるのだ(?)と聞いても答えない。通じているのか? 仕方なく、この家にいてもいいけど、ぼくの部屋に勝手に入って、寝たりしないで欲しいと言ったけど、通じているか分からない」
・・・
新年早々、YouTubeで動画を見た。RCサクセションの「あきれてものがいえない」とタイマーズの「宗教ロック」。忌野清志郎のロック魂はハンパじゃねぇなぁ。
・・・
新年早々、犬の散歩をした。レオを連れて、近所の神社に初詣をしようかと思ったけど、その行列に引いてしまい、しなかった。並ぶのは好きくない。またの機会にしようっと。
・・・
新年早々、立寄り湯に行った。若さとバカさの秘訣にはいろいろあるけど、その一つがお風呂だね。あとは(ミッキ先生にいじめられたり、バンドのみんなにバカにされながら)歌うこと。寝ること。あー、昨日も朝ご飯食べたあと、また寝てしまって、よく寝た、寝た。それに、過度の飲酒。昼ビー、最高。100人いれば、100通りの健康があるのではなかろうか?
・・・
新年早々、テレビを見た。サッカーの天皇杯。最近、テレビとか全然見ない人間になってしまった。子供のころはテレビ見るの、好きだったなぁ。飽きたのかな?
・・・
新年早々、自分のことをちょっと考えた。いろんなことが起こって動いているだけの空っぽ。タマネギみたく皮を剥いでいくとなんにもなくなるのじゃないか?
・・・
新年早々、誓いみたいなことを思った。それは、昨日のことを思わず、明日のことを考えない。何が残るんでしょう?
・・・
新年早々、旅立った。
・・・
2008年も最後の日、よくいっていたお店が2軒、幕を閉じた。1つはラシエットで、1つはレモンパイ。ラシエットの方はは4年後、新しいテナントで再開するというけれど、4年近く、このあたりは工事が続き、おおきなビルができる。箱もの行政とはこういうことなんだろうか? これが良かったことなのかどうかは、その答えはビルが完した後の数年後、早くても10年後ぐらいにしかわからない。
数年前に雑誌の「ぴあ」で相模大野がジャズの街として紹介されていた。もんじぇ祭りという音楽の祭りも立ち上がった。その紛れもない中心にラシエットがあった。ラシエットママのどこにこんなパワーが?
レモンパイのマスターのいとうジョニーさんも、音楽好きのバーテンダーで毎日曜、バンドや弾き語りのドンチャン騒ぎが開かれていた。
祭りが一旦、おひらきとなり、思い出が人の胸の中どころか、その土地のかしこにも消すことのできない何かとして残るのではないか? けれど大野銀座ってなくなるんだなぁ。
みんな、おつかれちゃん。