えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

おはよう。お休みの土曜の朝にぴったりの音楽を聴いています。これは名盤だと思う。Taj Mahalの"Giant Step/De Ole Folks At Home"。Taj Mahalって名前も変わっていて、そこから演奏される音楽も、何かちょっと風変わりというか、根底はブルースなんだけど、ジャンルを少しだけ、あるいは大いにはみ出してしまうようなところが、魅力的。アナログレコードのころはこのアルバムは2枚組になっていて、1枚目の"Giant Step"はバンド編成で、2枚目の"De Ole Folks At Home"は古いアメリカの土臭い音楽の弾き語りで、その2枚目にはTajのハンド・クラップの伴奏だけで歌われる歌もある。バンド編成の方はあのかっこいいインディアン・ギタリストのJesse Ed Davisが参加。Jesseは確か、Tajのことを自身のアルバム"Ululu"で"My Captain"と尊敬を込めて歌っていたな。"Giant Step"に入っている、なんとも思いやりのあふれた曲"Take A Giant Step"を意訳してみます。
誰かを好きになって、うまくいかなくて、落ちこんで、迷子になって
悲しみがきみの心を凍らせて
そんな時はぼくがきみの心を直してあげよう
子どものころを思い出してみなよ
目覚めたら、朝がほほ笑んでいて
そんな時、もう一度、あのころの気持ちを思い出すのさ
思い出す過去なんて本当はなにもないんだよ
また生きようとして、ついには愛そうとする
きのうをゴミ箱に捨てて、ぼくと歩きはじめようよ
きみの悩む心から、大きな一歩を踏み出すのさ
きみは不信の目でぼくを見つめている
きみは信じられるものなんて何もないとつぶやく
けれど、本当は何もきみを傷つけたりはしない
ひとりぼっちて部屋にすわりこんじゃいけない
憂鬱な過去ばかり思い出しても
それはきみの持ちものなんかじゃない
ぼくと歩いてごらん、人生がみどりにあふれるみたいなところに連れていってあげるよ
毎日がんばれば、ちょっとづつ見えてくる
きのうをゴミ箱に捨てて、ぼくと歩きはじめようよ
きみの悩む心から、大きな一歩を踏み出すのさ


内田樹さんと中沢新一さんの対談集「日本の文脈」を読んだ。お二人とも日本大好き人間なんだね。それはどういう日本かというと、例えば、軍国主義とは対極にあるような日本なのかな。柳田国男の、折口信夫の、保田与重郎の日本。宮沢賢治の、出口王仁三郎の日本。ぼくも日本は大好きです。神社とか仏閣とか好きだし、日本にはたくさんの居酒屋や温泉もある。内田さんと中沢さんのような人たちが庶民の実感と接合して新しい日本が生まれるのではないか、とこの本を読みながら、夢をたくましくする。
さて、二人が共通に尊敬するフランスの思想家がいて、クロード・レヴィ・ストロース。レヴィ・ストロースの本は読んだことがないけれど、「悲しき熱帯」にはどんなことが書いてあるのだろう? あと、内田さんが長年、修行しているという合気道を習ってみたくなった。能という伝統芸能を見たくなった。


この前オーティス・レディングのファースト・アルバムのことを書いたのだから、今夜はウィルソン・ピケットのファースト・アルバムについて書いてみたいと思います。畢竟、オーティスと比べてしまうのだけど、ウィルソン・ピケットに比べ、オーティスの歌が、何ともマイルドでソフトケイトされた歌のように聞こえてくるのだった。逆に言えば、ピケットの歌声はあまりに無骨で熱情的で、どこまでも行ってしまう世俗のゴスペル歌手のようでもあり、しかも自作の歌はとてもロマンチックなのです。たくさんの歌が、ロック・アーティストにカバーされていて、オーティスと並ぶ1960年代のソウルのキングだったことはやはり間違いない。そんな数々のヒット曲の中からこのアルバムの1曲目"In The Midnight Hour"を意訳してみます。
「真夜中の時間まで待っているよ
そのころ、おれの愛が転がり始めるはずさ
真夜中の時間まで待っているよ
そのころ誰もいなくなってしまう
きみを誘って手をにぎりしめ
どんなことだって話してあげよう
あの真夜中の時間に
そう、このぼくが
このぼくが
もう一度今すぐ言わせておくれ
星が輝きはじめるまで待っているよ
きみの瞳にキラキラ星を見るのさ
真夜中の時間まで待っているよ
おれの愛が輝くころ
きみだけがぼくを本当に愛してくれる
そんな女の子さ
真夜中の時間に
もう一度演奏してくれ
真夜中の時間まで待っているよ
そのころ、おれの愛が転がり始めるはずさ
真夜中の時間まで待っているよ
おれの愛が輝くころ
きみとぼく
きみとぼくだけさ
きみとぼく以外に誰もいなくなって
ぼくはこの腕にきみを抱きしめる」
それで、このアルバムを聴き進め、5曲目の"I Found A Love"を聴くころには嬉しくて、悶絶しているわけよ。


本屋で昔読んだことのあるこの本を立ち読みしていると、あれっ、こんなこと書いてあったけな、と思って、つい買ってしまい、一気に読んでしまった忌野清志郎の「瀕死の双六問屋」。その話とはバスでミシシッピのクラークデールに向けて、旅をする話で、アメリカを西から東に横断旅しようというあの娘に、クラークスデールは行った方がいいよ、とぼくが教えたあげたのも、思い出したのだった。
さて、本の帯には「最終話を含む幻の原稿18話分を収録」とあり、そうだったのかと合点した。この本は、清志郎がメジャーを干されて、インディーズというより、自主制作でアルバムを連発し、日本中をライブツアーでドサ回りしていた、そんな時に雑誌に連載されていたもので、ブルースマン、忌野清志郎がそのまま表れている。
おれも最近、自分がブルースマンのような気がして、そのブルースってのは、苦悩の音楽で、なぜそのような苦悩の音楽によって幸せを感じたり、救われたするのだろう、と思いめぐらすと、その答えも、この本には書かれているような気がする。「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」と言う清志さんの言葉に絶対的に共感し、忌野巨匠のぼくの大好きな名盤「メンフィス」を聴きたくなるのです。
ぼくといえば、ぼくのブルースマンであるぼく自身が、今度の土曜日(3月31日)の夜、小田急相模原のエルトピート(http://www.el-topito.com/)で歌っています。みなさん、ぼくのブルースを聴きにきてください。そして、空の向こうで歌を歌っているあの人と唱和しつつ、もう一度、言おう。
「これだけは言っておく。ブルースを忘れないほうがいい」


アイルランドのダブリンの街にはソウル・ミュージックがよく合うなぁ。アラン・パーカー監督の「ザ・コミットメンツ」をつたやで借りて見たのです。
ダブリンって、こんな大都市だったのか、とも思った。アラン・パーカーは出演者を探すためにダブリンのライブ・ハウスをくまなく見て回ったそうです。ダブリンでは一晩で三千ものバンドがどこかのライブ・ハウスで演奏しているそうだが、本当だろうか? その中で選ばれたミュージシャンがオーディションをし、またその中で選ばれた人たち、演技者としては素人の人たちが演技しているのだけど、ライブのシーンは、すべて生演奏なのだそうだ。その演奏がかっこいい。
こんな印象的なセリフもある。
「アイルランド人はヨーロッパの黒人なんだよ。だからおれたちにはソウル・ミュージックができる。おれは黒人だ、おれはそれを誇っているって言える」
初めの方に出てくるあるシーンで、ぼくは、アラン・パーカーは映画監督ではなくて、バンドのマネージャーになりたかったのかな、と思った。
見た後、ぼくの昔を思い出し、明日の夢を見ました。そして、無性にオーティス・レディングが聴きたくなったのです。


旧知の友だちであるトンネルぬけてぇさんから中川五郎さんをむかえて相模大野のオーディオ酒場、アコースティック・パフォーマンス・コレクション(通称:アコパ)でギグをするというので行ってみた。
いつものこわれたような、放送禁止のような、パンキーなトンネルぬけてぇさんの歌に続き、パワフルなバラード歌手、Monchikaさんの歌を堪能する。歌詞に大船という地名が出てきて、なぜかどきりとしたりする。私はトンネルを通っているのではなく、トンネルを何年間も掘っているといMCに、もぐらのようだと思い、自分みたいだなぁと思いました。これはこれで正しい生活と人生ではなかろうか。
そして、ついに、中川五郎さんの登場となり、わくわくする。中川五郎さんというとぼくの中では、パンクの元祖、オールド・パンクと呼ばれた小説家、チャールズ・ブコウスキーの一級の翻訳者だったりするわけで、歌は聴いたことがなかったので、どんな歌を歌うのだろう、と興味深々だったのです。一曲目が伝説のシャンソン歌手、ジャック・ブレルの暗い内容の曲を日本語詞にしたもであった。これで、もうすでに中川ワールドに引きこまれたのでした。まるでライ・クーダーみたいな姿勢の歌い手だなぁ、とも思った。とても魅力的なご自身の曲も歌うのだけど、広い世界の埋もれた名曲を日本語詞で、この夜、ぼくは五郎さんの歌声でたくさん聴いたのです。
ラストは、自身の今の時代を歌ったプロテスト・ソングに続き、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスタ・ボージャングル」、ジャニス・ジョップリンの素晴らしい歌で有名なクリス・クリストファーソンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」、この日本語詞にもぐっときた、アンコールの高田渡の「生活の柄」では酒場いっぱいのお客さんの大合唱になったのです。いやぁ、楽しかった。
さて、このライブにさそってくれたトンネルぬけてぇさんの紹介で四月十四日にぼくも、この場所で歌わせてもらうことになりました。うれしい。
帰り道で自転車をこぎながら、歌いつづけることってどんなことだろう、と思う。きっと、とってもいいことなんだ。
中川五郎さんのホームページ
http://www.goronakagawa.com/
相模大野アコパのホームページ
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/


今回の福島での原発事故は熊本県の水俣での水銀公害の再来であるような気がする。ぼくは原発公害事件だと認識しているのだけど、いち早く福島で取材をし「書行無常」という本にそれを収めた写真家の藤原新也さんと四十年ほど前に水俣を書いた「苦海浄土」で有名な石牟礼道子さんの対談集「なみだふるはな」を一気に読んだ。公害事件についての対談というより、水俣の公害以前の水銀にも現代の経済成長にも汚染されていない、それ以前の水俣について、藤原さんが石牟礼さんから話をうかがうという内容であった。石牟礼さんの語る汚染以前の水俣に日本の、そして、世界の行くべき地を指し示されたような気がした。石牟礼さんの書いたこんなあとがきに、いかばかりの胸騒ぎとともに大きな当惑がやってきて、ぼくは小さな勇気をもらったような気もするのだった。引用します。
ある方がこんことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
東京にゆけば祖(おや)さまの国があるにちがいなか。わたしらは、その祖さまの人民じゃと思うとりました。さきの戦争も陛下のひと言で終わらせなはった。
いざというときには祖さまがおんなはると、こう思うてきましたばってん、わたしどもは、祖さまば持たん人民じゃろかいなあ。
どこにゆけばよかろか。
水俣は、日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるちがいなか。
家族全員水俣病になって、もう三代目、いやいやもう四代目になっとる。ひょっとすればわざと、失(う)してられとるかもしれんと邪気まわりしたりして、こりゃ独立して、もう一つの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
今はなくなった、患者さんの言葉です。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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