えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

いくつになっても新たな発見と新しい自分への変化とかはあるもので、ぼくは、ぼくが所謂、共産主義とか社会主義とかに魅かれてしまうような人間だと思っていたのだけれど、もしも、それらの理想社会らしきものが実現したならば、そこから、まっさきに逃げ出してしまうだろう、とも思った。例えば、人知れず、何も功をなさず、若くして自らの命を絶ってしまうような人がいたとして、そういう人は理想社会の党からはまったく無意味な存在だと言われてしまうのではなかろうか?
昔、見たフェデリコ・フェリーニの映画「道」の中で、道化師がジェルソミーナに石を拾い上げ、こんな石でもここにある意味はあるんだよ、と語りかける、そんなシーンを思い出す。人生も人も数値化なんて、できるのだろうか、できるわけないじゃないか。こんなことを考えていると、ぼくはますます現代社会のはぐれもの、だめ人間になっていくようで、それはそれで仕方ないさ、とため息まじりでいつものようにブルーズを歌い始めてしまう。もしかして、ロックンロールもブルーズもたいして役にはたたなくて、けれど、そこには自由というものが確かにあるような気がするのだよ。役に立たないからこそ素晴らしい。
みんなもブルーズを忘れない方がいい。たまにはロックンロールで踊った方がいい。
昔、見たフェデリコ・フェリーニの映画「道」の中で、道化師がジェルソミーナに石を拾い上げ、こんな石でもここにある意味はあるんだよ、と語りかける、そんなシーンを思い出す。人生も人も数値化なんて、できるのだろうか、できるわけないじゃないか。こんなことを考えていると、ぼくはますます現代社会のはぐれもの、だめ人間になっていくようで、それはそれで仕方ないさ、とため息まじりでいつものようにブルーズを歌い始めてしまう。もしかして、ロックンロールもブルーズもたいして役にはたたなくて、けれど、そこには自由というものが確かにあるような気がするのだよ。役に立たないからこそ素晴らしい。
みんなもブルーズを忘れない方がいい。たまにはロックンロールで踊った方がいい。


このアルバム"Time Flies When You're Having Fun"は2009年の時に1940年生まれのスモーキー・ロビンソンが69歳の時に出したアルバムで、まさに時を超えた美しさと素晴らしさを持っています。スモーキーの若々しい声はもちろんのこと、すべての曲がコンピュータを使わない生楽器で演奏されていて、それは瑞々しい。
ボブ・ディランはスモーキーのこと「現代アメリカ最高の詩人」と敬意を込めて呼んでいました。美しい歌を作る人です。
自分は好きなことをずっと仕事にしてきた、それは素晴らしいことで、このアルバムは私のそういう素晴らしい人生を描いてもいる、とスモーキーはインタビューで語ったとのこと。このアルバムの初めを飾るかみしめるようなバラード"Time Flies"をつたなく意訳してみました。
「朝が明ける
きみはどうしてそんなにはやく行ってしまうのだろう
離れてしまっても
ぼくは彼女をまだ失いたくはないのです
ぼくたちはここに横たわって
それがずっとつづいたらなって思っている
そうすれば、ぼくたちはとても特別な時を得ることができるでしょう
そんな特別な何か
それががこれまでにもあったかもしれないけれど
きみも止まってしまって欲しくはないような
はじめての時のようなのです
老いた賢人の言葉を
みんなが知っているように
楽しい時はすぐにすぎていってしまう
父なる時
今夜はもっとゆっくり楽しもう
母なる地球
彼女は導かれているのです
すべてがうまくいく、そんな感じだよ
ぼくの愛おしい人は
愛すべきすべてなんです
そんな特別な何か
それががこれまでにもあったかもしれないけれど
きみも止まってしまって欲しくはないような
はじめての時のようなのです
老いた賢人の言葉を
みんなが知っているように
楽しい時はすぐにすぎていってしまう」
おはよう。そして、今日の夜はぼくも聖蹟桜ヶ丘のルーズボックス(http://loosevox.iii.vc)でライブです。ぼくも最高の詩人なのです。楽しみますよ。


昔から五木寛之という作家の書くものが好きで、ベストセラーになるような本は読んできたのだけれども、それよりも、ぼくが五木さんに感謝しなくてはならないのは、若いころ、どこかの放送局のラジオ番組でスペインのユパンキ、今は無きソヴィエト連邦のヴィソツキというギター弾き語りの偉大なシンガーを教えてもらったことだ。スペインとソ連という地球の裏側同士の二人のシンガーのあるかないのかの共通点と言えば、「孤高」ならぬ「孤独」という言葉のような気もして、思い出し、最近の五木寛之さんの著作「孤独の力」を読んだ。
この本でも書かれているのだけど、それは、「孤高」ではなく「孤独」で、その違いはどこまでも人や時代の波に分け入っていくようでもあり、読み進めるうちにぼくは日本のロックの黎明期の伝説のロック・バンド「村八分」のチャー坊こと柴田和志の歌う「草臥れて」を思い出したのだった。こんな詞です。
「歩いても
歩いても
はてどなく
はてどなく
握りしめた手のひらはあせばかり
あせばかり
歩いては
立ち止まり
目を閉じて
振りかえる
心にしまった宝は 寂しさばかり
歩いては
草臥れて
振りかえり
草臥れて
握りしめた手のひらは 草臥れて
草臥れて」
とりとめのない文章になってしまったけれど、五木さんは人間はもともと一人でほっつき歩いて旅をする、そんなもって生まれた欲望がありはしないか、と書いていた。あぁ、ぼくはと言えば、一人でほっつき歩いて旅をするのが、確かに好きなんだよ、と思う。長くはなるが、蓮如の「額に王法、こころに仏法」をひもとく、この本の後ろの方に出てきたこんな言葉にぼくは、ぎくりとしたのです。
「世間の秩序とか国法とか、そういうものに対して徹底的に逆らって一揆を起こすようなことは避けなければならない。逆に、こころの中で、いちばん大事なのはこういうものであるという、信心というか、信念というものを持ちながらも、社会の中ではそれを表に直接表さない・・・・・・これは二重生活の仕方であり、ある意味ではダブルスパイみたいな生き方なのだが。
しかしこうした生き方は実際にはよくあると思う。目的のために「社会を離脱せよ」とか「家庭を離れよ」とか「友人を捨てよ」とか、そういうことを言うのではなくて、それなりにちゃんと暮らしつつ、こころの片隅に、孤独の力というものを、じっと、ひそかに、養いつづけている人
思想、あるいは信念というものが生まれてくるのは、つねに、両者を否定するのではなく、また両者を融合させるのでもなく、それぞれの違ったものを同時に、二重に、内部に共存させるという、いちばん難しい道によってであるのだ」
だから、ぼくも、知らない町も、知っている町も、一人ほっつき歩いてしまうのだろうか。
この本でも書かれているのだけど、それは、「孤高」ではなく「孤独」で、その違いはどこまでも人や時代の波に分け入っていくようでもあり、読み進めるうちにぼくは日本のロックの黎明期の伝説のロック・バンド「村八分」のチャー坊こと柴田和志の歌う「草臥れて」を思い出したのだった。こんな詞です。
「歩いても
歩いても
はてどなく
はてどなく
握りしめた手のひらはあせばかり
あせばかり
歩いては
立ち止まり
目を閉じて
振りかえる
心にしまった宝は 寂しさばかり
歩いては
草臥れて
振りかえり
草臥れて
握りしめた手のひらは 草臥れて
草臥れて」
とりとめのない文章になってしまったけれど、五木さんは人間はもともと一人でほっつき歩いて旅をする、そんなもって生まれた欲望がありはしないか、と書いていた。あぁ、ぼくはと言えば、一人でほっつき歩いて旅をするのが、確かに好きなんだよ、と思う。長くはなるが、蓮如の「額に王法、こころに仏法」をひもとく、この本の後ろの方に出てきたこんな言葉にぼくは、ぎくりとしたのです。
「世間の秩序とか国法とか、そういうものに対して徹底的に逆らって一揆を起こすようなことは避けなければならない。逆に、こころの中で、いちばん大事なのはこういうものであるという、信心というか、信念というものを持ちながらも、社会の中ではそれを表に直接表さない・・・・・・これは二重生活の仕方であり、ある意味ではダブルスパイみたいな生き方なのだが。
しかしこうした生き方は実際にはよくあると思う。目的のために「社会を離脱せよ」とか「家庭を離れよ」とか「友人を捨てよ」とか、そういうことを言うのではなくて、それなりにちゃんと暮らしつつ、こころの片隅に、孤独の力というものを、じっと、ひそかに、養いつづけている人
思想、あるいは信念というものが生まれてくるのは、つねに、両者を否定するのではなく、また両者を融合させるのでもなく、それぞれの違ったものを同時に、二重に、内部に共存させるという、いちばん難しい道によってであるのだ」
だから、ぼくも、知らない町も、知っている町も、一人ほっつき歩いてしまうのだろうか。


リチャード・カーティス監督の最新映画「アバウト・タイム 愛おしい時間について」を海老名のTOHOシネマズに見に行きました。イギリスの中流家庭の生活ってこんな感じなのか、と思いながら、その普遍的なテーマとこの映画の持つヒューマニティにどんどん引き込まれてしまいました。
ぼくは押入れやクローゼットの中でタイム・トラベルなんてできませんが、ドーナル・グリーソンの演じる主人公のティムって自分とどこか似ているような気がして、親近感がわきます。そして、レイチェル・マクアダムスの演じるメアリーの笑顔がとてもまぶしいのです。
リチャード・カーティスさん、今作を持って映画監督から引退されるというのですが、とても残念です。そのラストの作品がどんな人にもぼくはお薦めしたい心温まる名作となっていました。
http://abouttime-movie.jp


「ヨコハマトリエンナーレ2014」を見に行きました。売っているわけではないので、市というのは適切じゃないですが、3年に1回、横浜で開かれている現代美術の雑多な見本市のようなものです。かなり昔、この展覧会を見て、へんてこりんないろんなものが展示されてあって、以外におもしろいものだ、と思って、今回は2回目です。
前に見たときは、へんてこりんなアートのお祭りのような感じでしたが、今回はまったく違う空気感がありました。サブ・タイトルである「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」にも表現されてもいる、ある不穏な時代の下、芸術家たちのうめき声、やばいぞ、やばいぞ、という囁き声みたいなものが木霊していたようなのです。華氏451の451度とは、本が燃えてしまう世界で、ナチスの焚書を思い出しもします。今は世界がまぎれもない戦前なのかもしれないという、そんな戦慄すべき悪い予感のようなものすら感じてしまいました。
暗い時代の雲がたれこめる中、ぼくは、芸術にも、それを創り出す人にも、それを見る人にも、悪い何かにあらがうパワーがあると信じたいんです。ですよね。
http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html
前に見たときは、へんてこりんなアートのお祭りのような感じでしたが、今回はまったく違う空気感がありました。サブ・タイトルである「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」にも表現されてもいる、ある不穏な時代の下、芸術家たちのうめき声、やばいぞ、やばいぞ、という囁き声みたいなものが木霊していたようなのです。華氏451の451度とは、本が燃えてしまう世界で、ナチスの焚書を思い出しもします。今は世界がまぎれもない戦前なのかもしれないという、そんな戦慄すべき悪い予感のようなものすら感じてしまいました。
暗い時代の雲がたれこめる中、ぼくは、芸術にも、それを創り出す人にも、それを見る人にも、悪い何かにあらがうパワーがあると信じたいんです。ですよね。
http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html


日倉士歳朗先生からのスライド・ギター教室の後、ドライブがてら藤沢の遊行寺で開祖、一遍上人の御忌法要である秋季開山忌が行われているというので行ってみた。一遍上人については友川カズキさんが「問うなれば」で歌った一遍上人の言葉がとても印象的でこのよう。
「問うなれば仏も我も無かりけり南無阿弥陀仏の声がかりにて」
遊行寺はボ・ガンボズのどんとの法要を行っているところで、一遍上人が広めた踊念仏が日本のロックンロールやファンクの大祖なのかもしれない、などとも思ってしまう。それで、行ってみたら、なんと、踊念仏保存会の人たちが、本堂の中で踊念仏を踊っていたのです。鎌倉時代の一遍上人が生きていたころは、なにやら、幾千や幾万の老若男女入り乱れての、激しい踊りだったそうなのだけど、平成の踊念仏、静かなばあさまたちの祈りを感じさせてくれるようなものでもあった。
付け加えるに、遊行寺は日本の純愛を伝える説教節「小栗判官照手姫」ゆかりの寺でもあって、ソウル・ミュージックなのでもあるよ。
古い神社仏閣に自分の好きな今の音楽をなかば無理やりにか、感じてしまうのでした。




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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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