えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
「大江健三郎自選短篇」を読了した。デビュー作「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」までさまざまな短篇を大江さん自身が新たに加筆修正をほどこしたもの。
「I 初期短篇」、「II 中期短篇」、「III 後期短篇」に分かれていて、時代につれて、文体が変化してきたことも判る。その中で、ぼくは異質なものを無理やり接合したような文体でもある「II 中期短篇」が一番おもしろかった。その「II 中期短篇」なのだけど、連載の抜粋がほとんで、読んでいくと、そのすべてを読んでしまいたくなる。「I 初期短篇」は戦後文学の時代潮流を受けとめ、椎名鱗三や梅崎春生の小説とどこか近しいものもあるように感じた。「III 後期短篇」の「火をめぐらす鳥」は枯れた澄み切ったふうで、小説家の年齢をかさねて変わっていき、それに合わせて小説の変わっていくのかと思った。
どの時代の作品にも、何か小さな啓明のようなものがあり、感動しました。とくにラストに収められた「火をめぐらす鳥」は美しくて深く、ずしんと感動しました。
「I 初期短篇」、「II 中期短篇」、「III 後期短篇」に分かれていて、時代につれて、文体が変化してきたことも判る。その中で、ぼくは異質なものを無理やり接合したような文体でもある「II 中期短篇」が一番おもしろかった。その「II 中期短篇」なのだけど、連載の抜粋がほとんで、読んでいくと、そのすべてを読んでしまいたくなる。「I 初期短篇」は戦後文学の時代潮流を受けとめ、椎名鱗三や梅崎春生の小説とどこか近しいものもあるように感じた。「III 後期短篇」の「火をめぐらす鳥」は枯れた澄み切ったふうで、小説家の年齢をかさねて変わっていき、それに合わせて小説の変わっていくのかと思った。
どの時代の作品にも、何か小さな啓明のようなものがあり、感動しました。とくにラストに収められた「火をめぐらす鳥」は美しくて深く、ずしんと感動しました。
この前、万象房で出会った森山邦男和尚のお寺、簗田寺に、友だちの誘いもあり、座禅をしに行きました。
むずかしいことはさしおいて、はじめての座禅でのざっくばらんな感想です。板の棒で肩を叩かれる警策ですが、痛いような、痛くないような、やっぱ痛いのです。けれど、和尚は寸止めしているのでしょう。あの板で全力で振り下ろせば、肩の骨が肉がひどく傷つくか、板が折れるか、そのどれもでしょう。その打たれた時は全身と心のすべてがビクンとなります。そのビクンの一瞬が大事なのかなと思いました。座禅している時、ぼくの意識にありとあらゆることが去来します。そのありとあらゆることは、もしかして、婦女子のことばかりかと思いましたが、それもありましたが、そんなことばかりではなかったのです。例えば、どこで、警策を求めればいいのかな、鳥の声が聞こえてのどかだな、いつこの座禅は終わりになるんだろ、今日はいい天気だな、隣の人のおなかの鳴る音が聞こえたぞ、もういろんな小さなことが次から次へと泡粒のように浮かんでは消えていきます。ぼくは悟りを得ようとも思わず、必死ににもなっていないので、自分の心をなすがままにしておきましたが、足がしびれて痛くなるのは、けっこうまいりました。それから、嫌いな人のことが思い浮かばなかったのは不思議によかったです。御仏の御功徳でしょうか。感謝、感謝で、ありがたいです。
座禅の後、トイレ掃除をしました。この時の方が頭がからっぽになりました。おっ、雑巾でみがくときれいになるぞ、もっとみがいてやれとか。
それから、歩き方ひとつにしても作法があり、ご説明をいただいてもなかなか動作として身についたものとして動けません。そんな自分がいかにもお落ち着きのないお猿のような人にも思えました。
僭越ながらも、ぼくは、座禅のようなことが、精神を落ちつけるためのプラクティスとかテクニックのようにとらえるような考え方には疑問があります。生きとし生きるもの救うために、座るというようなことがなくては、とも思うのです。ほんのちょっぴりだけ、そんなことにも思いをめぐらし座りました。
それから、座禅の美しい女の人はほんとうにすべて美しいのではないか、などと想像してしまいました。すると、和尚の分別をいましめる「喝」の一言とともにぼくの肩に警策が打たれそうでありますな。
むずかしいことはさしおいて、はじめての座禅でのざっくばらんな感想です。板の棒で肩を叩かれる警策ですが、痛いような、痛くないような、やっぱ痛いのです。けれど、和尚は寸止めしているのでしょう。あの板で全力で振り下ろせば、肩の骨が肉がひどく傷つくか、板が折れるか、そのどれもでしょう。その打たれた時は全身と心のすべてがビクンとなります。そのビクンの一瞬が大事なのかなと思いました。座禅している時、ぼくの意識にありとあらゆることが去来します。そのありとあらゆることは、もしかして、婦女子のことばかりかと思いましたが、それもありましたが、そんなことばかりではなかったのです。例えば、どこで、警策を求めればいいのかな、鳥の声が聞こえてのどかだな、いつこの座禅は終わりになるんだろ、今日はいい天気だな、隣の人のおなかの鳴る音が聞こえたぞ、もういろんな小さなことが次から次へと泡粒のように浮かんでは消えていきます。ぼくは悟りを得ようとも思わず、必死ににもなっていないので、自分の心をなすがままにしておきましたが、足がしびれて痛くなるのは、けっこうまいりました。それから、嫌いな人のことが思い浮かばなかったのは不思議によかったです。御仏の御功徳でしょうか。感謝、感謝で、ありがたいです。
座禅の後、トイレ掃除をしました。この時の方が頭がからっぽになりました。おっ、雑巾でみがくときれいになるぞ、もっとみがいてやれとか。
それから、歩き方ひとつにしても作法があり、ご説明をいただいてもなかなか動作として身についたものとして動けません。そんな自分がいかにもお落ち着きのないお猿のような人にも思えました。
僭越ながらも、ぼくは、座禅のようなことが、精神を落ちつけるためのプラクティスとかテクニックのようにとらえるような考え方には疑問があります。生きとし生きるもの救うために、座るというようなことがなくては、とも思うのです。ほんのちょっぴりだけ、そんなことにも思いをめぐらし座りました。
それから、座禅の美しい女の人はほんとうにすべて美しいのではないか、などと想像してしまいました。すると、和尚の分別をいましめる「喝」の一言とともにぼくの肩に警策が打たれそうでありますな。
臨済宗の僧侶であらせられる松原哲明さんの著した「般若心経の「空の心」を知るための絵物語 十牛禅図」を一気読みする。これは十牛図を市井のお坊さんらしく、実生活のあれこれを例にとり、語ったもので、おもしろいかった。イラストレーターの津久井智子さんの描きおこした新たな十牛図もかわいらしくて好きです。「解説「十牛図」」という章では十牛図の物語をなすその図にそえられた言葉「序(じょ)」と「頌(じゅ)」の原文の詩と意訳と解説が述べられており、この単純なようで奥の深い十牛図の理解に役立ちます。
このように小さな本ですが読みどころ多いこの本で、ぼくがもっとも感銘を受けたのは「第九 返本環源(へんぽんげんげん)―自然界に戻り、花を見る」でした。返本環源の心境の譬えとして北原白秋の詩「からたちのの花」があげられていました。ぼくは何度、失恋をしてこの詩を読み、泣いたことでしょう。ほんとうですよ。引用させてください。
「からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ
靑い靑い針のとげだよ
からたちは畑の垣根よ
いつもいつもとほる道だよ
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ
からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかつたよ
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ」
ぼくは恐れ多くも返本環源を感得できたことがあるとは思えませんが、もうひとつ、中村雨紅の作詞した唱歌「ゆうやけこやけ」も返本環源を感じさせるのだそう。引用しますね。
「ゆうやけこやけで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろう
からすといっしょにかえりましょ
子供がかえったあとからは
まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは
空にはきらきら金の星」
そしてその後に十番目の入鄽垂手(にってんすいしゅ)があるのだそうです。鈴木大拙はこの章をとても大切だと言っております。愚か者のようにもあるのだけど、酒瓶と笑みをたずさえて、町にもどっていくのです。すてきじゃないですか。
このように小さな本ですが読みどころ多いこの本で、ぼくがもっとも感銘を受けたのは「第九 返本環源(へんぽんげんげん)―自然界に戻り、花を見る」でした。返本環源の心境の譬えとして北原白秋の詩「からたちのの花」があげられていました。ぼくは何度、失恋をしてこの詩を読み、泣いたことでしょう。ほんとうですよ。引用させてください。
「からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ
靑い靑い針のとげだよ
からたちは畑の垣根よ
いつもいつもとほる道だよ
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ
からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかつたよ
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ」
ぼくは恐れ多くも返本環源を感得できたことがあるとは思えませんが、もうひとつ、中村雨紅の作詞した唱歌「ゆうやけこやけ」も返本環源を感じさせるのだそう。引用しますね。
「ゆうやけこやけで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろう
からすといっしょにかえりましょ
子供がかえったあとからは
まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは
空にはきらきら金の星」
そしてその後に十番目の入鄽垂手(にってんすいしゅ)があるのだそうです。鈴木大拙はこの章をとても大切だと言っております。愚か者のようにもあるのだけど、酒瓶と笑みをたずさえて、町にもどっていくのです。すてきじゃないですか。
横山紘一さんの著した「十牛図入門「新しい自分」への道」を一気読みした。横山さんは唯識という仏教の考え方の研究者、読んでいて字面としては分かるのだけど、雲をつかまえるような話にも思えて、どいうことなのか、実感がわかない。多分、あたりまえだけど、ぼくに悟りはほど遠いのです。
こんな言葉にはとても魅かれてしまいました。
「人間はなかなか自我への執着をなくすことはできません。しかしそれにマッチで点火してみましょう。すると明るい光と暖かさが発せられます。光が知彗です。暖かさが慈悲です」
こんな言葉にはとても魅かれてしまいました。
「人間はなかなか自我への執着をなくすことはできません。しかしそれにマッチで点火してみましょう。すると明るい光と暖かさが発せられます。光が知彗です。暖かさが慈悲です」
C.G.ユングの著した「分析心理学」を読了する。フロイトやアドラーと並ぶ、心理学、精神分析学の源流となる大家が1935年にロンドンのダヴィストック・クリニックで行った講義と質疑応答を一冊の本にまためたもので、講義を受けたものは専門の研究者や医師たちばかりだったという。1935年にはユングの心理学を自然科学とは認めないものも多く、フロイト派の人たちと合い対峙する鋭いやりとりも採録されている。読んでいた難解な部分も多くあるのだけど、すごい臨場感があって、時は、ナチスのヒットラーが総統になりヨーロッパに暗い雲が覆う、そんな年であったことも、後半の議論を読むと、判明されてしまう。ユング、60歳、その古い古今東西の神話や物語への博学と人生についての深い思慮に、ぼくはたじたじとなり、畏怖の念さえ抱いてしまう。そのユングの剣がぼく自身に向けられていると承知しつつ、だからここそ、長文ながら心にとどめ置きたく、引用します。
「私は当然のことながら、患者に最善をつくそうとしていますが、心理学では、どんな犠牲を払ってでもといいというような態度で治そうとすべきではないということがきわめて重要なことなのです。治療者は患者に自分の意志や信念を押しつけないように過剰なまでに注意を払わなければなりません。患者にはある程度の自由を与えなければならないのです。人の運命を奪い去ることはできないのです。これは、ちょうど医学が自然に死んでゆくものを治せないのと全く同じです。患者の一層の発展のためといって、その人が耐えてゆかねばならない運命からその人を救うことが許されるのかどうかということは往々にして真に疑問です。はなはだしく馬鹿げたことをやっているような人をそこから救い出すことはそういった人の気性からいっても不可能です。もし、それを取り上げてしまったら、彼らは何の取り得もなくなってしまいます。ありのままの自分を受け入れ、託された人生を真面目に生きることによってのみ、われわれは真の価値と心理学的な発展を期待できるのです。罪や過ちや失敗はむしろわれわれにとって必要なものであり、そうしたものがなければ。われわれは発展への貴重な誘因を奪われてしまうことになります。その人の心に変化をもたらすことを聞かせても、それに注意を払わずにいってしまうのなら、その人を呼び戻しません。私は自然の味方なのです」
なんて厳しいことをユングは述べているのだろう、と思う。
偉大なるユング博士に少しだけ僭越ながらも反駁のようなことをするならば、ぼくは何か大切なことを誰かにプレゼントできるし、それは錬金術のように誰かの人生すらにも輝き暖かい灯りをともせるとも思うし、誰かから受けたプレゼントによって、ぼくの人生に暖かく輝く灯りがともることもあるのだと思うのです。というようなこともユングはどこかでいっていたような気もしてきました。
しばし、夢を見つづなくてはなりますまい。では、おやすみZZZzzz.....
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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