えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
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近所の本屋でペラペラめくり、たくさんの写真がとてもとても飼っていた犬、レオに似ているものだから買ってしまって、読んでいる。ジム & ジェイミー・ダッチャー夫妻が共著した「オオカミたちの隠された生活」。再び北米のアイダホの野に放たれたオオカミたちの観察記を読むだけではなく、もちとん、ブリリアントなオオカミたちの写真集でもあるのだけど、彼ら、ハイイロオオカミが、シロナガスクジラたちやニホンウナギたちと同じく、絶滅を危惧されていることも知る。ニホンオオカミやニホンカワウソは絶滅してしまったといわれるけれど、ぼくは切に切に彼らがどこかの森や山の奥深くで生きていることを願ってもいるのです。そんな気持ちを込め、そして、あの聡明なレオを思い出しつつ、この素晴らしい本から引用します。
「私たちには、これまでとは違う動物の概念が必要だ。
もっと懸命で、おそらくはもっと霊的な動物の概念が・・・・・・
彼らは不完全な存在だし、
私たちよりもはるかに劣る姿を持つという
悲劇的な運命に見舞われた存在だから、
と言って私たちは動物の庇護者ぶってきた。
だが、そこに私たちの誤謬がある。重大な誤謬だ。
動物を人間のものさしで測ってはいけないのだ。
私たちの世界よりも古く、完全な世界において・・・・・・
私たちがすでに失ってしまった、
あるいは初めから獲得したことすらもない鋭い感覚に恵まれ、
私たちの耳には決して届かない声に従って生きている。
彼らは同胞ではない。下僕でもない。
彼らは、私たちとともに生命と時の網の中に編み込まれ、
私たちと肩を並べる別の民族なのだ」
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レンタル・ビデオでアルフォンソ・キュアロン監督の「ゼロ・グラビティ」を見る。
原題は"GRAVITY"で重力とか引力という意味。人は重力のあるところに戻っていくのかというような哲学的なことも思ってしまったのだけど、無重力ということを映画で体験できました。無重力空間で涙を流すということは、こういうことなのか、とかそのシーンは不思議な美しさも感じました。それと、宇宙からの地球の美しさですな。90分があっという間で、やっぱ、こういうハリウッドの映画はおもしろいわ。ビデオではなく、大画面のサラウンド・サラウンドで再び見てみたい。
ヒロインのサンドラ・ブロックのリアルな演技、その相手役のジョージ・クルーニーはかっこ良すぎです。アメリカ人って普段からこんなユーモアとウィットにとんだ会話をしてるのかしら。
あぁ、映画を見終えて、夜空を見上げしまう。
http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/#/home
原題は"GRAVITY"で重力とか引力という意味。人は重力のあるところに戻っていくのかというような哲学的なことも思ってしまったのだけど、無重力ということを映画で体験できました。無重力空間で涙を流すということは、こういうことなのか、とかそのシーンは不思議な美しさも感じました。それと、宇宙からの地球の美しさですな。90分があっという間で、やっぱ、こういうハリウッドの映画はおもしろいわ。ビデオではなく、大画面のサラウンド・サラウンドで再び見てみたい。
ヒロインのサンドラ・ブロックのリアルな演技、その相手役のジョージ・クルーニーはかっこ良すぎです。アメリカ人って普段からこんなユーモアとウィットにとんだ会話をしてるのかしら。
あぁ、映画を見終えて、夜空を見上げしまう。
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先週も金曜日の会社帰りには映画館に映画を見に行っていたが、今週も見に行った。有楽町のスバル座で大林宜彦監督の「野のなななのか」を見たのです。大林監督の前作「この空の花 -長岡花火物語」が若々しい傑作だったので、今作も見せてくれるだろうと見に行ったのだけど、その期待は100%、かなえられました。前作の舞台が新潟県長岡だったのに続き、今作の舞台は北海道芦別を舞台にして作られた完全なる地元協力のもとのインディーズ映画で、監督自身が言うところの古里映画は、饒舌な文体で語られる、人々の心にふりつもっいいった近代史を描いていた。もちろんあの大林節が晩節にして枯れることなく炸裂しれていて、北のかの地を舞台にした、ボルヘスの小説を映像化したかのようなマジック・リアリズムでもあり、家族の物語のそれは、目まぐろしくカットされる小津安二郎映画へのオマージュでもあり、21世紀に隔世遺伝されたゴダールのヌーヴェルヴァーグの映画のようにもに感じたのだけれど、それはまさしく大林組の映画そのもの。この「野のなななのか」に続く古里映画の三作目も未定だけれどもきっと傑作を撮ってくれそうだと、変わらぬ奇才、鬼才の巨匠に何か期待してしまいます。
http://www.nononanananoka.com
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最近出入りしている町田のライブ・バー「万象房」のマスターの城川さんに誘われ、大山に登った時に、ライブ・バー、カルチャー・クラブの房主に加えて、修験道の研究者でありと山の茸の博学という別の顔を持つ城川さんには山のあれころを山道を歩きながら解説してもらったことがあったのだ。その時、城川さんは、この大山は明治初めの神仏分離、廃仏毀釈の頃には、闘争の場所であったと語ってくれた。江戸時代までは大山は関東を代表する修験道の聖地であったのだ。
神仏分離、廃仏毀釈の前の日本人の神や仏、祖霊を畏怖する日本人の心のありかたとはどんなものだったのだろうか、と想像を始めると、かなり昔の元旦の深夜に参った豊川稲荷を思い出したりした。鳥居の向こうに神社と寺院が居を構え、狐の神像の傍ら、何人もの僧侶が読経をしていた。
明治の元年から七年ぐらいまで吹き荒れた神仏分離、廃仏毀釈がどのようなことだったのか知りたくなり、安丸良夫さんの著した「神々の明治維新」を読んでみた。1979年に出版されたこの本は、とても硬い文体で書かれており、読み進めるのに難儀したけれど、その明治の初めのころに吹き荒れた運動が、復古というより、今では古くなりつある近代の国家の形成の日本のそれに補完するかのように、野蛮な暴力を伴って行われたことを知った。ぼくは、この暴力で、一度、日本人と日本の豊かな伝統は絶ちきられたのではないか、と訝しく思いもした。
山に行けば、木と木の間の闇とも光ともつかない淡い空間から滅びたかのような昔の人たちの「六根清浄」の唱え声を聞いてしまうのは、ぼくだけだろうか。六根清浄、六根清浄、六根清浄・・
神仏分離、廃仏毀釈の前の日本人の神や仏、祖霊を畏怖する日本人の心のありかたとはどんなものだったのだろうか、と想像を始めると、かなり昔の元旦の深夜に参った豊川稲荷を思い出したりした。鳥居の向こうに神社と寺院が居を構え、狐の神像の傍ら、何人もの僧侶が読経をしていた。
明治の元年から七年ぐらいまで吹き荒れた神仏分離、廃仏毀釈がどのようなことだったのか知りたくなり、安丸良夫さんの著した「神々の明治維新」を読んでみた。1979年に出版されたこの本は、とても硬い文体で書かれており、読み進めるのに難儀したけれど、その明治の初めのころに吹き荒れた運動が、復古というより、今では古くなりつある近代の国家の形成の日本のそれに補完するかのように、野蛮な暴力を伴って行われたことを知った。ぼくは、この暴力で、一度、日本人と日本の豊かな伝統は絶ちきられたのではないか、と訝しく思いもした。
山に行けば、木と木の間の闇とも光ともつかない淡い空間から滅びたかのような昔の人たちの「六根清浄」の唱え声を聞いてしまうのは、ぼくだけだろうか。六根清浄、六根清浄、六根清浄・・
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昨日の夜、家に遅く帰って来て、風呂に入ってテレビをつけると、NHKBSで「ボブ・ディラン 30周年記念コンサート」が放送されていて、思わず、深夜になる最後まで見てしまった。
1992年10月16日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたトリビュート・コンサートで、ロック・ミュージックの大御所がこれでもか、これでもかと、ディランの歌を歌っていた。司会は今は亡きジョージ・ハリスン。ジョージのMCでのラストに御大、ボブ・ディランの登場で、弾き語りで歌い、ラストはスターばかりのステージに立ちきれないほどの人で「天国の扉」の大合唱。アンコールで一人でディランはラストに「北国の少女」。そう、ディランのオーラは半端ないです。かっこいい。
確か、このころディランはスランプで数年前には、グレートフル・デッドのリズム・ギタリストとして加入したいなどと、ジェリー・ガルシアに打診していたころだと思うのだけど、「天国の扉」の演奏の後、むさ暑いギターを弾いていたニール・ヤング、ただ一人に握手を求めて、かたく手を握りあっていた。このコンサートの出演していたほとんどの人が、21世紀を過ぎた今、歌わなくなってしまっているのだけど、ボブ・ディランとニール・ヤングだけは、新しいアルバムを発表し、コンサート・ツアーをつづけている。やっぱ、ほんものは歌わずにはいられないのだよ。Great!
http://www4.nhk.or.jp/P3094/
1992年10月16日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたトリビュート・コンサートで、ロック・ミュージックの大御所がこれでもか、これでもかと、ディランの歌を歌っていた。司会は今は亡きジョージ・ハリスン。ジョージのMCでのラストに御大、ボブ・ディランの登場で、弾き語りで歌い、ラストはスターばかりのステージに立ちきれないほどの人で「天国の扉」の大合唱。アンコールで一人でディランはラストに「北国の少女」。そう、ディランのオーラは半端ないです。かっこいい。
確か、このころディランはスランプで数年前には、グレートフル・デッドのリズム・ギタリストとして加入したいなどと、ジェリー・ガルシアに打診していたころだと思うのだけど、「天国の扉」の演奏の後、むさ暑いギターを弾いていたニール・ヤング、ただ一人に握手を求めて、かたく手を握りあっていた。このコンサートの出演していたほとんどの人が、21世紀を過ぎた今、歌わなくなってしまっているのだけど、ボブ・ディランとニール・ヤングだけは、新しいアルバムを発表し、コンサート・ツアーをつづけている。やっぱ、ほんものは歌わずにはいられないのだよ。Great!
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上野の東京都美術館へバルテュス展を見に行ってきた。
ピカソをして「二十世紀最後の巨匠」といわしめたというキャッチコピーに惹かれてではなく、この前、秦野のひまわり道場で久しぶりに再開したまーちゃんがバルテュス展がよかったと言っていたことによる。まーちゃんはエロスをロゴスに昇華していると言っていた。エロスは少しは分かるのだけど、ロゴスって何だろうか。
実物の絵を見ていくと、確かに思春期の少女をを描いた絵はエロティックなのだけど、混沌としてはいず、凛としていて、何か高貴なもの、猥雑さを寄せつけもしないものすらも感じてしまう。
バルテュスは自分が芸術家と呼ばれるのを嫌い、むしろ、画家とか、職人と呼んで欲しいと、言っていたそうだ。その芸術家の芸術とは何だろうかと思いめぐらすと、それは、美を超えて、情動や感情、未知なる感性のごときを喚起するものだとしたら、バルデュスの絵はやはり美術を超えた芸術であるのではないかしら。そのようなバルテュスは、膨大な画集を買いあさり、古典美術を常に研究していた、そういう努力家肌の研究者の面もあって、けれど、作品として完成された絵画はバルテュスそのものであるようなものなのだった。
懇意にしていた同時代の芸術家として、アントナン・アルトーやジョルジュ・バタイユがいたそうだ。なるほど。来日時は三島由紀夫を訪問していたりする。狂気と正気をあわせもち、超えていき、戻ってくる。
後半の人生でバルデュスは日本人の妻、出田節子さんを娶り、たいそうな親日家であったそうだ。
バルテュスの絵に登場する猫がなんとも印象的。これらの猫はバルテュスの魂のようなものかもしれないぞ。
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金曜日の会社帰りに新宿の老舗映画館、新宿武蔵野館に寄り、コーエン兄弟監督の最新作「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」を見る。
この映画を見ながら、アコースティック・ギターをしまったハード・ケースを抱え、1961年のニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ界隈を彷徨しているような気分になりました。そして、オスカー・アイザック演じるルーウィン・デイヴィスのだめ人間ぶりに何か愛おしさを感じる。酔っぱらって、ライブハウスで罵詈雑言をわめきちらす姿に昔のぼく自身を思い出したりした。お恥ずかしい。
1961年というと、エルヴィス・プレスリーが兵役に取られ、ロックン・ロールの熱狂が去り、ボブ・ディランもまだメイン・ストリームの出てきてはいない。そんな時のニューヨークをほっつき歩き、シカゴまでヒッチハイクしたりし、ギブソンのギターでを弾き、風に吹かれゆくように、歌を歌っているのです。
キャリー・マリガン演じるヒロインのジーン・バーキーもかわいいですが、主人公といっしょに旅をする猫もかわいいです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
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