えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

新宿末廣亭へ令和六年八月中席昼の部を見に参りました。今日は普段は閉まっている二階席まで開けての満席。見た演目を書き出してみます。二つ目の春風亭昇羊くんの「宮戸川」、二つ目の桂南海さんの「噺枕(平林)」、できたくんの発泡スチロールを使った芸、春風亭昇也師匠の「庭蟹」、三遊亭王楽師匠の「新聞記事」、国分健二さんの漫談、春風亭昇吾師匠の漫談、春風亭柳好師匠の「目薬」、林家今丸師匠の紙切り、桂伸治師匠の「もぐら泥」、桂竹丸師匠の「ホタル帰る」で仲入りとなりました。そして、春風亭昇々師匠の「裸ンナー!!」、山田君と竹田君のお二人のラーメン屋を舞台にしたコント、春風亭柳雀師匠の「お菊の皿」、三遊亭遊吉師匠の「青菜 」、桂小すみ師匠の三味線を弾き唄いの俗曲、主任は春風亭昇太師匠の「不動坊」でした。
いくつか、とても印象に残った演目がございます。できたくんの発泡スチロールを糸ノコで切っていろんなカタチを作る芸は、紙切りの発泡スチロール版で、客席から感嘆の声があがるほどの見事なものでありました。鹿児島県が出身であられる桂竹丸師匠の新作落語の人情噺「ホタル帰る」は、今日の終戦記念日、八月十五日にちなんだ鹿児島県の知覧にあった特攻隊の出陣基地である知覧特攻基地の二十歳にも満たない特攻隊とその近くの富屋食堂のおかみさんの物語は、心暖かくも悲しい話でございました。心がしーんとなるような感動をおぼえました。二度と戦争はやってはいけません。春風亭昇々師匠の「裸ンナー!!」はあまりに馬鹿馬鹿しい噺に大爆笑です。春風亭昇太師匠の「不動坊」もどっかん、どっかんの大爆笑の連続でした。楽しいね~。
寄席はパラダイスですな。


内田樹さんの著した『私家版・ユダヤ文化論』を読む。面白かった。「終章 終わらない反ユダヤ主義」は特に興味深く、難しい哲学の話にも関わらず、一気に読んでしまったけれど、これは反ユダヤ主義を称揚する内容ではなく、どちらかといえば、ユダヤ人の固有の文化性を褒め称えるような内容であった。
読みながら、昔、読んだ武田泰淳の『快楽』という小説を思い出していた。この小説では「快楽」を「かいらく」ではなく「けらく」と読む。俗世の「快楽(かいらく)」を抜け出すことこそ、仏弟子である僧侶の「快楽(けらく)」であるとしながら、主人公の若き僧侶は何度も躓くのだ。主人公は寺の御本尊に尋ねる。すべてを見通せている仏陀よ、なぜ、この世界を救ってくださらぬのかと。仏陀はすべてを見つつ、何も手をくださない。これはユダヤ人の神のようではないだろうか?
この本を読んでみようという動機として、内田樹さんがYouTubeでユダヤ人について、語りまくっている動画を見たことも大きい。『私家版・ユダヤ文化論』と動画で知らないことも知り、新しいものの見方を知った。ファシズムの起源はイタリアのムッソリーニではなく、フランスにあり、かの国のエドュアール・ドリュモンというジャーナリストの書いた蒙昧な大著『ユダヤ的フランス』であっとらしい。そこから、フランスはナチスを歓迎し、ビシー政権を作ったのではないかと動画は内田さんは指摘する。さらに動画での内田さんの指摘は過激といってもいいようなものにもなる。ドイツのイスラエル支持の隠された動機は、隣人としてのユダヤ人との共生を忌避したいがためではないか? イスラエルにいる正統ユダヤ教徒は、パレスチナを支持し、イスラエルを拒否し続けているともいい、アメリカ合衆国のユダヤ人も一枚岩ではない。
内田さんは、ユダヤ人であり敬虔なユダヤ教徒であり、現代を代表する哲学者であり、神学者でもありレヴィナスから直に教えを受け、薫陶を受けたという。神の後から来たという絶対的な有神論者であり、愛こそが報われることのない努めてであり、報われることのないからこそ他者への責務であるとする、世界中にいるユダヤ人とともに、今は、ぼくはガザで暴力が止むことを祈るばかりなのだ。
Amazon.co.jp: 私家版・ユダヤ文化論 (文春新書 519) : 内田 樹


国立能楽堂で能楽を見ました。見た演目は、小舞の「住吉」、脇仕舞の「春栄」、仕舞の「鉄輪」、袴能の「通盛」でありました。狂言はありませんでした。
ところで袴能とは何でしょう? 夏という季節は汗によって能装束や能面の傷みがはげしく、しかも人の負担も大きく、この時期だけは能を演じていなかったそうなのですが、いつしか、紋付袴の姿で能を演ずるようになり、それが定着したようなのです。「袴能」は俳句の世界では夏の季語でもあるようなのですよ。そして、衣装を着ていないことから、能の演技の美しい所作をよく見れるということもあるようなのです。ぼくは今日、袴能を見て、謡いや能管、鼓などの能の音楽の力、美しさをとても感じた次第であります。と、同時に、「通盛」は袴能ではなく、能装束と能面での能をいつか見てみたいとも思いました。




新宿の末廣亭の令和六年八月上席昼の部を見に行きました。
見た演目を書き出してみます。前座の林家さく平くんの「初天神」、二つ目の入船亭扇太くんの「無学者は論に負けず」、三遊亭天どん師匠の「テレビショッピング」、林家八楽師匠の紙切り、橘家圓十郎師匠の「ぞろぞろ」、古今亭菊志ん師匠の「がまの油」、笑組のお二人の漫才と南京玉簾の芸、春風亭正朝師匠の「普段の袴」、柳家さん八師匠の「長短」、マギー隆司さんの奇術、古今亭志ん輔師匠の「稽古屋」、古今亭菊春師匠の「お血脈」で仲入りとなりました。それから、二つ目の林家きよ彦さんの「フルーツバスケット」、三増紋之助師匠の曲ごま、入船亭扇遊師匠の「一目上がり」、柳家小満ん師匠の「馬のす」、立花屋橘之助師匠の三味線弾きいの唄いいの浮世節、主任は林家はん治師匠の「ろくろ首」でした。
この暑い夏の季節になると怖い噺が聴きたくなるのが人情でありますが、林家はん治師匠が「ろくろ首」を披露してくれたのはとてもよかったです。
寄席はパラダイスなのです。


レイモンド・ブリッグズの絵本を原作としたジミー・T・ムラカミ監督の『風が吹くとき』を見ました。イギリスのどこかの郊外で核戦争に見舞われた老夫婦を描いたアニメ映画でした。善良で国家の宣伝に従順な老夫婦が核爆弾を被り、ついには放射能の障害で死んでいく物語なのですが、とても怖かった。
ソビエト連邦とアメリカ合衆国の対立は大量の核兵器を抱え込み、「冷戦」と呼ばれたのだけれど、この『風が吹くとき』は、その冷戦のさなかの1986年に英国で制作されたので、その後、1991年にソビエト連邦は崩壊し、けれども何も変わっていない今という現実も恐ろしい。人類が生き、さまざまな生きものたちが生きるこの地球が続いていくにには平和しかないと思うのだけれど、この映画の老夫婦のように、人々は、結局、知らないふりをしつづけるのだろうか? 昨日は原爆が広島に落とされた日で、明日は原爆が長崎に落とされた日なのだけれども。
日本語吹き替え版の監修は大島渚で声の出演をしている森繁久彌と加藤治子のお二人がうまい。音楽はピンクフロイドのロジャー・ウォーターズ。映画の冒頭の主題歌はデヴィッド・ボウイ。
核戦争は起こったら終わり。
映画『風が吹くとき』(日本語<吹替>版)/8月2日(金)公開


上野の鈴本演芸場で令和六年八月上席昼の部です。
見た演目を書き出してみます。前座の柳家小じかくんの「無学者論」、二つ目の林家あんこくんの「二人旅」、ストレート松浦さんの曲芸、五明樓玉の輔師匠の「マキシム・ド・のん兵衛」、桂ひな太郎師匠の「太鼓腹」、ロケット団のお二人の漫才、林家たけ平師匠の「なす娘」、入船亭扇遊師匠の「一目上がり」、林家八楽師匠の紙切り、古今亭文菊師匠の「そば清」で仲入りです。伊藤夢葉さんの手品、林家つる子師匠の「片棒」、隅田川馬石師匠の「鮑のし」、柳家小春さんの粋曲、主任は林家しん平師匠で「ちりとてちん」につづき、骸骨の着ぐるみを来てかっぽれを披露してくれました。
今日は夏休みの始まったお母さんとかお父さんに連れられた小学生の姿もちらほら。林家しん平師匠のかっぽれはなかなか下品な踊りで、小学生の女の子が見れないように、師匠はトラウマにならないようにお子さんの目を手でふさいでくださいと頼んでおりましたな。不気味、馬鹿馬鹿しく、下品な踊りに笑いましたが、師匠はここは大人の社交場ということで勘弁してくださいなどと前口上しておりました。
紙切りの林家八楽師匠から思いがけずに文金高島田の花嫁さんの切り絵をいただき、ありがたくも、うれしい。
寄席はパラダイスなのです。
