えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ヨシフ・スターリンの恐るべき狂った圧政のソビエト連邦のシベリアの極寒の地の強制収容所から、書きものという方法を奪われた帰還兵たちによって、記憶という手段で、俳号、北溟子こと山本幡男さんからの遺書がその妻、モジミさんに戦後、手渡される、辺見じゅんさんの著したそんなノン・フィクション「収容所(ラーゲリ)からの遺書」を読んだ。
辺見さんが「あとがき」に書かれているように、過酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか、ということが、胸に重く響く。愛する家族への最後の手紙であると同時に今の時代への警句でもあるかのような、その届けられた遺書がどのようなものかは、本書を読んでいただくとして、死を覚悟した晩年の山本幡男さんの言葉を引用してこの本を紹介します。
「野本さん、釈迦はね、世界最大のセンチメンタリストなんだよ。キリストは詩人なんだ。ぼくはね、なんのとりえもない凡人だけど、どんなときでもセンチメンタリストでありつづけたい。結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」
ぼくはこのパトスを受苦をともなう他者への共感と訳してみる。誤訳かもしれないけれど・・・おやすみ、ZZZzzz.....
辺見さんが「あとがき」に書かれているように、過酷な状況に置かれてもなお人間らしく生きるとはどういうことか、ということが、胸に重く響く。愛する家族への最後の手紙であると同時に今の時代への警句でもあるかのような、その届けられた遺書がどのようなものかは、本書を読んでいただくとして、死を覚悟した晩年の山本幡男さんの言葉を引用してこの本を紹介します。
「野本さん、釈迦はね、世界最大のセンチメンタリストなんだよ。キリストは詩人なんだ。ぼくはね、なんのとりえもない凡人だけど、どんなときでもセンチメンタリストでありつづけたい。結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」
ぼくはこのパトスを受苦をともなう他者への共感と訳してみる。誤訳かもしれないけれど・・・おやすみ、ZZZzzz.....

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