えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



町田市国際版画美術館に『2025年新蔵作品展』を見に行きました。同時に展示されている町田市の小学生の書道の展示会も見ました。たくさん並ぶ、筆で書かれた漢字に圧倒されるやら、楽しいやらです。
漢字が現在も字として採用されているのは、中国、台湾、日本だけだそうです。この前、読んだ柄谷行人さんの著した『帝国の構造』には、日本は中国の文化である漢字を自らに選択的に採用した、とありました。ベトナムやコリア(朝鮮・韓国)では、強制的に漢字を採用され、それによって漢字は、近代、廃止されてしまった。中国は帝国の中心にあり、ベトナムやコリアは帝国の周辺に位置し、帝国との軋轢や緊張、戦争を余儀なくされた。日本は帝国の亜周辺にあり、中国の文化を選択的に摂取できる。中国の王朝が隋の時、日本では邪馬台国の時であるけれど、隋に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書を送り、「封冊」という中国の支配を拒否したそうです。その時、中国とコリアは絶えない戦争状態にあり、遠く日本にやっては来れなかった。中国の元が日本に侵略をしに来た時は、元がコリアの高句麗の戦いに疲弊した後であった。時に日本はコリアを援助し、コリアからの亡命者は首都としての京都の成立に貢献した。
話がそれました。話を町田市国際版画美術館に戻します。『2025年新蔵作品展』を見ながら、ぼくの住む隣の相模原市にはこのような美術館がないことが残念のような気がするのですが、どうでしょう? 新しく収蔵されたホアン・ミロや小野忠重の作品や同時に展示されている『『月映』とその時代―1910年代日本の創作版画』の岸田劉生の作品を見ながら思ってしまいます。相模原市には遠藤彰子さんや上条陽子さんをはじめ、多くの芸術家もおられるし、女子美術大学も存しています。けれど、常に財政の厳しい相模原市には無理な課題でもあるのかもしれません。
町田市国際版画美術館のある芹ヶ谷公園を散歩すると、椿の花が満開で美しい。
その足で母智丘神社にお詣りをし、自身の心身健全と世界の平和を祈願し、御神籤をひくと「大吉」。
「第四十三番 大吉
風吹けば
風吹く
ままに
港よしと
百舟千舟
うち
つどいつつ
何事も繁昌して心のままになるけれど心に油断があってはならない
只今より来年の事をよくよく考えてやりそこなわぬ様十分の注意をしておきなさい
運勢 大吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ




伊豆半島の西の方を一泊の旅をしました。
土肥で「土肥桜まつり」という日本で一番早咲きの桜のための祭りをしていて、五つ神社仏閣、青雲寺、安楽寺、土肥神社、妙蔵寺、最福寺の御朱印を求めて、散歩をしました。土肥神社で御神籤をひくと、なんと「愛」で「運勢 吉」だったのです。
「第一番
愛
愛とは何か様々な形を変えてあなたの元にやってくるだろう
人は誰もが愛する力を備えて生まれてくる
その力を如何に活かすか
あなたの人生愛に溢れている
運勢 吉」
「ゆめゆめうたがふことなかれ」でございます。濃いピンクの桜は、ほとんどが蕾でありましたが、歩くのは楽しい。
泊まりの宿の伊豆まつざきホテルのある入り江の町、松崎を散歩しました。この町は三十年間、変わりません。とある山梨の山間の温泉の町は、あまりにすたれすぎてしまったけれど、松崎は変わらず、すたれず、うるさくならず、あのころのままなのが奇跡のようです。変わらないことが、ぼくには嬉しく、ほっとしてしまいます。宿からの夕日の美しさも三十年前のままなのです。何か、時を止めるかのような不思議な力が働いているのではないかしら? そして、宿の夕飯の地元でとれた魚の金目鯛の煮付けがおいしい。
次の日、黄金崎クリスタルパークでたくさんのガラスの美術品、工芸品を見ました。こんなに多くのガラスに魅せられた芸術家がいることを知りませんでした。ミュージアムショップで硝子の和風のコップを買ってしまいました。お店の人に、黄金崎にも行った方がいいですよ、といわれ、車で足をのばし、岬を散歩しました。海が美しい。
車を海岸線沿いに南に走らせて、やっと、うすぼんやりと見えた富士山。
旅には癒されます。
土肥で「土肥桜まつり」という日本で一番早咲きの桜のための祭りをしていて、五つ神社仏閣、青雲寺、安楽寺、土肥神社、妙蔵寺、最福寺の御朱印を求めて、散歩をしました。土肥神社で御神籤をひくと、なんと「愛」で「運勢 吉」だったのです。
「第一番
愛
愛とは何か様々な形を変えてあなたの元にやってくるだろう
人は誰もが愛する力を備えて生まれてくる
その力を如何に活かすか
あなたの人生愛に溢れている
運勢 吉」
「ゆめゆめうたがふことなかれ」でございます。濃いピンクの桜は、ほとんどが蕾でありましたが、歩くのは楽しい。
泊まりの宿の伊豆まつざきホテルのある入り江の町、松崎を散歩しました。この町は三十年間、変わりません。とある山梨の山間の温泉の町は、あまりにすたれすぎてしまったけれど、松崎は変わらず、すたれず、うるさくならず、あのころのままなのが奇跡のようです。変わらないことが、ぼくには嬉しく、ほっとしてしまいます。宿からの夕日の美しさも三十年前のままなのです。何か、時を止めるかのような不思議な力が働いているのではないかしら? そして、宿の夕飯の地元でとれた魚の金目鯛の煮付けがおいしい。
次の日、黄金崎クリスタルパークでたくさんのガラスの美術品、工芸品を見ました。こんなに多くのガラスに魅せられた芸術家がいることを知りませんでした。ミュージアムショップで硝子の和風のコップを買ってしまいました。お店の人に、黄金崎にも行った方がいいですよ、といわれ、車で足をのばし、岬を散歩しました。海が美しい。
車を海岸線沿いに南に走らせて、やっと、うすぼんやりと見えた富士山。
旅には癒されます。


伊勢原大神宮に詣りました。この前、出雲大社相模分祠に詣ったのて、日本の神話のことを思えば、伊勢神宮より祭神を勧請し創建された伊勢原大神宮に詣ってみることもよかろうと思った次第です。なるほど、伊勢原大神宮には外宮と内宮がございます。伊勢の神様があって、出雲の神様があっての日本の成立となったのではないか?
天皇は自らを「King」とは称せず、「Emperor」と称すけれど、それは「大日本帝国」への郷愁などではありもせず、日本は東の果てのさまざまな民族の吹き溜まりという出自を持ち、天皇はその出自を隠蔽しつつ、露わしてしまうという両義性を持つ存在で、そういう意味でも伊勢の神と出雲の神があるとも思われるのです。
閑話休題、伊勢原大神宮に戻り、御神籤をひくと「中吉」でありました。これをもって新年の初詣巡りを了としたいと思うのでした。
「おみくじ
第十九番 中吉 運勢
運あるが能力以上のものに手をだすは失敗の元。
敵を作らぬように控えて身を守り、多くを求めぬが得策。
意地を通して成果なし。」
ゆめゆめうたがふことなかれ


出雲大社相模分祠に詣りました。出雲の神様は平和の神様というような気がします。ところで、この神社の周りの森が再生されたものであることに、いつも、ぼくは驚いてしまいます。去年と同じく、干支の置物を所望しました。置物の蛇ってかわいいなぁ。今年は巳年、蛇は何度も脱皮し、自己更新し、新しくなるということらしい。出雲の神様に向かっては、二礼二拍手一礼ではなく、二礼四拍手一礼ということだけれど、これは伝統とかではないらしい。きっと心が大切なのであろう、とぼくは思うのです。御神籤をひくと「中吉」。
「第二十五番 中吉
御神占
とりどりの
花咲き匂ひ
鳥なきて
心ゆたかに
野に
遊ぶかな
運勢
歎きや思わぬ災いに運勢は落ちこんでいますが
金運招福の神様の御神徳を受けて
高く豊かな喜びあふれる倖せを授かります
朝な夕なにお祈りをし
先ず自分の心を磨きましょう」
ゆめゆめうたがふことなかれ




カテゴリー


最新コメント


最新記事
(04/15)
(04/13)
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/08)
(04/07)


プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


ブログ内検索


最新トラックバック
