えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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東京オペラシティのアートギャラリーへ「和田誠展」を見に行きました。生涯、ポップアートを駆け抜けた膨大な作品のかずかず。映画の「怪盗ルビー」や「麻雀放浪記」もあるし、週間文春の表紙の絵は和田誠さんだった。映画のポスター、レコードジャケット。煙草のハイライトのパッケージデザインも和田さんによるものなのか。そのどれも、見ていて楽しくなります。和田さんってユーモアの人でもあったんだな。辛辣なユーモア、あたたかいユーモア、いろんなユーモア。懐かしいけど、古くならない、そんな和田誠の作品を見ながら、時を忘れてしまう。
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平塚市美術館で「物語る遠藤彰子展」を見ました。初期の楽園シリーズは、たくさん、近所に緑が残り、狸や猪も出没したという移住した相模原市の田園風景にインスパイアされたものだそう。そして、世界に新たな具象画がここにありと発見された、絶賛された街のシリーズ。世紀は21世紀になり、500号を越えて、キャンバスを2枚、3枚つなげて1000号、1500号の巨大な物語絵巻物の壮大な壁画のような近年の作品に圧倒されます。その絵の中のどこかに過去の自分、もしくは未来の自分がいるような気がしてしまい、その自分の姿や自分に近しい人たちの姿がないか、絵の中に探してもおりました。

同時開催されていた「湘南の日本画」。現代になり、日本画が伝統から3歩も4歩も跳躍している、そんな新しさを感じもしました。洋画、もしくは西洋画、日本画という区切りがあるけれど、もしかして、心に響く絵があるだけではないかしら。
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ぼくの通う心身統一合氣道会雄心館町田道場、その心身統一合氣道会の会長であられる藤平信一さんの著された本『心と体が自在に使える「気の呼吸」』を読みました。

普段、雄心館の館長であられる吉田雄二館長のいわれておられることと同じことが、書かれております。

そこに仏教の禅にも通じる世界観、哲学がちらほらと結び合わされ書かれてもおります。気を臍下の一点に合わせ、そして、忘れてしまいなさい、と説く。その心は一点にもとらわれてしまってはならない。養生に何も無理をすることなかれ。

この『気の呼吸』に書かれておりました「菜根譚」の一説を引用しつつ、この本の紹介いたします。

「風、疎竹に来る 風過ぎて、竹に声を留めず」

技だけではない合氣道、この言葉は合氣道の心のひとつでもあるようなのです。







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横浜能楽堂で狂言と能を見ました。狂言の演目は「二千石」、四十分、能は「井筒」、一時間半。

初めての狂言の観劇で寝てしまって、終わりよければすべてよしの話になっていたよ。すみません。

能は二回目の観劇でした。一回目は相模女子大学で薪能を見たことがあったのです。その時は舞台から遠く、なんだかよくわからないうち、話が進んでいました。今回の方がじっくり見れて、その幽玄、霊妙、神妙な世界を堪能しました。世界広しといえども、このような音楽、劇、芸術は、まったく日本にしかないもので、驚きです。

何の動きもない般若の能面がなんとももの悲しく見えてくる。見ていると、ななめ後ろの席から女の人のすすり泣く声が聞こえてきます。どのような人なのかは憚られて、後ろを振り向けず、分かりませんが、霊となっても恋をし、恋焦がれている、そんな物語で泣いている人の心は美しい。このような能を創作した日本人の心は美しい、と思いました。
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谷内六郎館のある横須賀美術館で購入した二冊の本『谷内六郎 いつか見た夢』と『谷内六郎のえのぐ箱 想像のひきだし』を読みました。

今年で谷内六郎、生誕、100年だそう。絵を見れば、谷内六郎は今でも生きていて、はにかみ、微笑んでいて、子どもたちと遊んでいる。そう、谷内六郎のたくさんの絵が載せられたこの二冊の本は読むと同時に見るものかもしれません。しかも、何度もそのつかの間の昼間の夢のような絵を見て、いつまでも眺めていたくなります。

この前、横須賀美術館で見た谷内六郎の大規模な展覧会では、なぜか、若い人たちもたくさん見にきていたのだけれど、その理由は『谷内六郎 いつか見た夢』の本の帯にあるように「懐かしいのに、新しい」からなのかもしれません。ぼくは何度も、この二冊のページをめくってしまう。








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6さんが亡くなったというのを聞いて、いかばかりの思い出話をしたいと思う。思い出話が、もっともいい供養だというのを聞いたことがあるのです。思い出話とか、供養とか、もっとも6さんに似つかわしくないことではあるとは思うのですが。

あれは、小田急相模原のエルトピートだったと思う。タイバンになり、6さんは歌う演者につぎつぎとヤジを飛ばしていたのです。ぼくは、その次々にとばされるヤジが何か嫌だなと思って、おまえのヤジはうるさいんだよと大きな声をあげていた。おっ、やっちまった、ボクシングをやっていたという6さんから、なんだと、このやろう、表に出ろとでもいわれ、こてんぱんにやられてしまうかもしれないとぼくは思ったのだけれども、しらっと無視をされて、何も起こらなかった。

それから、何年も過ぎ、今度は町田のアイビーでタイバンとなった。ヤジをとばすと思った6さんは静かにぼくの歌を聞いてくれていた。ぼくが歌い終わると6さんは、ぼくのそばにやってきて、ぼくに静かによかったよといってくれた。その時、ぼくはふと、あの誰にでもとばしていたヤジは、むしろ、6さんの独特の親愛の情を示すコミュニケーションではなかったのかと思い、すこしだけ、じぶんのいたらなさを感じ、恥じもした。

音楽の話に転じ、6さんのあの声量とピッチの正確さ、滑舌のよさ、ギターのカッティングの正確で大胆な鋭さはぼくにはまったくないもので、うらやましかった。それから、でかい心のあの親分肌。

エロじじい、早すぎるぜ!
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石井妙子さんの著した『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』を読了しました。

この本は、今、話題のジョニー・デップの主演した映画『MINAMTA -ミナマタ-』のユージン・スミスとアイリーン・スミスの3年間の水俣での活動をとらまえたノンフィクションなのです。映画『MINAMTA -ミナマタ-』のスミス夫妻に起こったできごとと実際のできごとの違いを越えて、映画『MINAMTA -ミナマタ-』は二人をよく描き切った素晴らしい映画だとも思いました。

この本にもどり、それにしても、「第四章 不知火の海」を読みながら、国とか企業とかって、時に恐ろしいものだと思います。それでも、その巨悪と、今と未来のため、今いるものと、明日くるもののために戦わなくてはならない時がある。そう、そんな時、心の不安定な、癒されぬ傷をかかえた青春のとばちりの女子と、昔日の栄光の伝説も遠くなり、世界から忘れかけられていた、心の壊れた写真家がニューヨークで出会い、恋に落ち、遥か日本、水俣の旅に出る。3か月のはずの旅は3年間の長旅になった、その旅の地、水俣には海を糧にして生きる、命を奪われるほどの巨悪に苦しめられる人たちがいて、二人はカメラを武器に戦い始める。ユージンはこれが最後の旅となるのも知らず、カメラのシャッターをきりつづけ、それは晩年の偉大な仕事となる。

面白かった。『MINAMTA -ミナマタ-』以上に『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』は素晴らしい。







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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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