えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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この前、新宿の末廣亭に行った時にそこの売店で買った、古谷充子さんがイラストを描き、佐藤友美さんが著した『ふらりと寄席に行ってみよう』が面白くていっきに読了しました。寄席という江戸、徳川家の世の古くから二百年の歴史を受け継ぐ演芸を催す素晴らしいところのガイド本であります。ぼくが行ったことのあるのは新宿の末廣亭と浅草演芸ホールだけど、上野の鈴本演芸場や池袋演芸場、国立演芸場にも行きたくなりますな。一度、寄席に行ってみたいと思っている人はこの本を読んで、銭を払い、木戸をくぐってみてくださいな。




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宮城秋乃さんが文章・画像協力し、中村之菊さんが著した『抵抗 -国家という暴力との戦い-』を読了しました。

宮城さんと中村さんは血ではなく魂でつながった姉妹のようです。日本という国がアメリカと協力し進めている沖縄のヤンバルでの米軍のヘリパッド建設に抵抗する二人。中村さんは自らを右翼と宣言しつつ、愛国心と愛郷心があるとし、自分を突き動かしているのは、愛郷心だと唱える。それに宮城さんの小さな生きものたちへの愛が加われば、ぼくの心も動いてしまう。二人の魂の姉妹をぼくは応援しています。フレー、フレー!







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出光美術館の「仙厓のすべて」展を見に行きました。

仙厓は十八世紀から十九世紀を九州の博多の臨済宗のお坊さんで、六十二歳のころから隠棲し、旅をしつつ、書画を描き始めたそうです。どこかユーモアのある楽しい書画にぼくは笑みをもらしてしまいます。若いころは絵の研鑽に努めていた仙厓は、その技術を年をとってから、あっさりと捨ててしまうのは、雪舟という偉大な先達が、後の世に画家としては認められても、僧侶としては忘れられてしまうことを、知人から諭されたからだという。それからは自らの絵を「無法」と呼び、技術を捨て、自由となって、仙厓の書画は花ひらき、仙厓は仙厓となった。

ところで、仙厓の書画を見ながら、ぼくは通っている合氣道の道場の師匠である館長のその人を思い出しておりました。館長は、書もたしなみ、合氣道にちなんだ言葉を道場に貼られておられています。その書にいつも添えられている朱筆の笑顔の揮毫のようなものがユーモラスで、美術館の中を歩きながら、どこか仙厓に通じるような気がしておりました。館長に合氣道が、仙厓の書画の根底には自身の仏道があったと思われます。ユーモアとヒューマニティを秘めてもいるそのような仏道の書画が何か、生きる道を説き、ぼくがこれから生きていく励ましのようにも思われたのでした。
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茅ヶ崎市美術館に「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」展を見に行きました。

渡邊庄三郎さんは明治42年(1909年)、二十四歳の時にに渡邊版画店を開き、版画製造と販売を始めた。版画製造とは家内制手工業で、版画は、絵を描く絵師、木に彫る彫師、紙に刷る刷詞の三者によってできあがる機械を持たない工場で、ぼくはアンディー・ウォーホルのファクトリーを連想してしまう。

その絵師の中にはぼくの大好きな川瀬巴水もおりました。川瀬巴水はもちろんのこと、川瀬巴水以外の絵師のどの版画も美しく、見とれてしまう。

途絶えつつあった版画をさらに洗練させて、明治も終わりのころ蘇らせた渡邊庄三郎は偉い。

この展覧会は上期と下期があり、展示替えもあるそうです。下期も行こうかな、と思います。
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映画館で見たいと思っていながら見ていなかったジュリアン・ジャロルド監督の『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』をオンデマンドで見ました。時のエリザベス王女は英国王から先の大戦の戦勝記念の祝賀行事の日(1945年の戦争の終わった年)に一晩だけの外出を許される、その一夜を映画にした物語。これは事実に基ずく物語で、けれどもエリザベス女王の口からはその夜がどのような夜だったかは生涯、明かされることはなかったそう。ガラスの靴は履いていなかっただろうけれども、生涯に一夜限りのシンデレラ・ストーリーのシンデレラは十二時過ぎても宮殿に帰ることはなかったというのがこの映画の物語。素敵な映画でした。

ところで、ぼくは反王室でも反皇室でもないけれど、イギリスの王室も日本の皇室も、遠い未来のいつか(それは多分ぼくの生のあるうちにはやってこないでしょう)に、なくなってしまうのではないか、となんとなく思っている。イギリスの王室も、日本の皇室も、その時は、世界にとても大切で美しい夢のような思い出を残して。王室の最後の日には人々はこぞって「王様万歳」と唱和し、皇室最後の日には人々はこぞって「天皇陛下万歳」と唱和するのではないかしら。ぼくが何を想像しているのか、わかるかしら? 「地上とは思い出ならずや」とは稲垣足穂の言葉だが、この世界を形作るもっとも大事なものの一つは思い出なのではなかろうか? そして、地上とは夢のようなものではなかろうか?

世界の人々は、エリザベス女王の逝去に際し、とても悲しんでいるようなのがニュースで伝えられています。ぼくもその悲しみの声に唱和したいと思っています。

映画『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』 公式サイト
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山梨県の忍野の桂川(地元の人は忍野川と呼ぶらしい)に釣りをしに一泊の泊まりの旅をしました。




一日目はチビ虹鱒が一匹、二日目がそれなりに大きなの虹鱒が一匹。流れの表面を、毛鉤を浮かし、流して釣る、いわゆるドライフライで釣りたかったのだけれども、上手くいかなくて、二匹ともインジケーター(ウキ)をつけてシンカー(ガン玉)を付けて、沈ませての釣りで、かかってくれました。澄んだ忍野川で二日目の虹鱒が水中で毛鉤を咥えるところをはっきりと見れたのです。びっくり、ドキドキ。二匹ともリリースしました。

九月一杯で川は禁漁の時をむかえます。来年の春まで、魚たちよ、待ってろよ。
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アナ・アランチスさんの著した『死にゆくあなたへ 緩和ケア医が教える生き方・死に方・看取り方』を旅先の宿で一気読みしてしまった。アナ・アランチスさんはブラジルで医師をしておられ、終末期の医療での緩和ケア医をしておられるとのこと。緩和ケア医とはどのようなものかというと著者自らこの本の「はじめに」の章に端的に書かれておられる。

「私は死にゆく人のケアをしています」

読み終われば、死というものがなんだか、普通のことのように思われてくる。確かに普通のことなんだ。それは誰にでも必ずいつか訪れることでもある。死を語ることはある意味、難しい。なぜかというと、生きている人は経験したことのないことだから。

この本はハウトゥー本の体裁をとっているけれど、ぼくは死について、死を看取る事の指南よりも更にその物語を読みたいと思った。安岡章太郎の小説『海辺の光景』はどんな物語だたっただろうか? 再読したい。

「死へ進む過程: 4つの元素の分解」での章では、東洋では自然は土・水・火・空気の4つの元素から成り立ち、人の死においてもそれぞれの崩壊においての現象が見られるとしていて、興味深かった。これはアナ・アランチスさんのもちろん、経験したことではなく、架空の物語であると思うけれど、原典は何なのだろうか? 『チベット死者の書』? それとも何かの仏典?

秘密が解き明かされる時は、いつか必ず来るのだから、静かに待っていればいいような気がしてきました。






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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