えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ



コゴナダ監督の『アフター・ヤン』を見ました。
近未来のある時、ベイビーシッターとして家族の一員となっていたロボットもしくはアンドロイドが故障で動かなくなり、調べているうちに、そのロボットには一日に数秒間だけ、記憶を動画ファイル、フォログラフィのファイルとして記録を残す機能が備わっていて、その記録には家族の大切な時間や謎の知らない女性が移されていて、というようなストーリーでした。
コゴナダ監督は小津安二郎監督を最も敬愛している、ということで、とても静かな映画で、ときおり眠くなりながらも、そのアーティスティックな世界に惹きつけられてしまっていました。
何度も、何度も劇中で使われる"I want to be"という歌詞で始まるとても印象的でかっこいい曲があって、エンドロールを見ていると、Takeshi Kobayashi"のクレジットが出てきてびっくりしてしまう。後から調べてみると、ぼくも過去に見たことのあった岩井俊二監督の『リリー・シュシュのすべて』の挿入歌のリメイクなのでした。テーマ曲は坂本龍一さんでそれももちろん素晴らしい。
たくさんの動画ファイルの記録されているところが宇宙のようで、ぼくは、過去から未来までの世界のすべてがアーカイブされているというゼロ・ポイント・フィールドを妄想してしまう。小津安二郎の映画のように「家族」ということがこの映画大きなテーマで、そこに老子などの東洋思想が暗喩としてちりばめられている。家族の映画を撮りつづけた小津安二郎の墓標は「無」の一字だそうだ。禅? 近代に遅れてやってきた東洋の感受性と思考は出口の見つからない世界へのよき一撃なのであろうか?
ロボットと友だちであるミカを演じる子役のマレア・エマ・チャンドラウィジャヤが天才的に素晴らしくて魅力的。子役が素晴らしいというのは、ぼくは岩井俊二さんの映画を思い出します。
小津安二郎がこの『アフター・ヤン』を見たら、どう思うでしょう? にやりと微笑むのではないかしら?
映画『アフター・ヤン』公式サイト


『年報・死刑廃止2022 加藤智大さんの死刑執行』を読む。
この『年報・死刑廃止2022』を読むと、死刑制度がいかに問題が多くあり、しかも、日本の刑事事件で度々の免罪事件が発生もしていて、さらには再審請求中の死刑執行も繰り返し行われ、この前、読んだ『死刑について』で平野啓一郎さんが書かれているこのようなことも十分、理解できるような気がした。欧米の文学には加害者側の視点ばかりで、むしろ、それへのアンチテーゼとして被害者側に共感しながら『決壊』という小説を書いた平野さんの文の引用。
「ところが、この小説を書き終わってみると、自分でも意外な心境の変化がありました。これはまったく意図していなかったのですが、とうとう、心の底から死刑制度に対して嫌気がさしていました。」
ぼく自身は、人を殺したいと思ったことはなく、だれにであれ、自分の命を奪われたくはなく、当たり前に、それは国家であってもだ。と同時に「殺した人を殺す」という倫理のパラドックスについても考え込んでしまう。けれど、「殺すな」は絶対の至上命令であるはずだ。
去年、死刑が執行された加藤智大さんが「死刑囚表現展」に応募した最期のイラストが、手縄を縛られた執行場に連行される女子の絵に「ありがとう」の言葉が添えられていて、胸がふたがる思いです。


平野啓一郎さんの著した『死刑について』を読む。死刑という制度があっていいものなのかどうかの論考で、平野さんはもともと死刑について存置派であったのが、今は廃止論者であるという。自身の小説『決壊』の取材やヨーロッパの友人たちとのコミュニケーションによって、廃止の側に立つようになった。ぼくは、この前、『死刑囚 表現展2022』という展覧会を見てから、死刑という制度に以前よりもますます懐疑の思いを強くし、この本を読んで、その懐疑はさらに強く、強くなった。死刑という制度が、殺されたものも含む死者への、その死への冒涜でもあるのではなかろうか、という思いすら、強くするのであった。ややこしいこととは知りながら、人権に制限などなく、この問題が新たに国民の議論として立ちのぼってくることを待ち望んでもいます。


銀座にある観世能楽堂に『能 山姥 長杖の伝』を見に行きました。開演を椅子に座って待っていると、シテって何かしらね、という隣からひそひそ話の声が聞こえてきます。ぼくは主人公のことです、とは答えませんでした。見始めればすぐに分かりますからね。村上湛さんの解説の後、能が始まります。村上さんはこうおっしゃます。
「「山めぐり」とは何か…見るものを深い思念に誘う劇的主題である」
観世能楽堂で購入した本『能面の世界』で見市泰男さんは山姥の能面について、こう解説しておられる。
「能の山姥は風貌怪異だが、化物ではなく、深山幽谷の主であり宇宙の象徴ともいえる超自然的な存在である」
『能面の世界』に載せられていた昭和の文豪、野上弥生子の能についての言葉。
「あらゆるものが有って、しかも無にまで及んでいる能面は、その本質をなにより明らかに示すものといふべきである」
なるほどです。ぼくは日本の伝統と美の劇と音楽を堪能しました。能は素晴らしい総合芸術です。


『戸井十月 全仕事』を読んだ。
浅野典子という人に興味を持ち、戸井の著した『シャコタン・ブギ 暴走族女リーダーの青春』が読みたくなり、『全仕事』に所収されているだろうと思い、読んでみたけれど、一部の抜粋であった。そのうらみはありつつも、浅野典子さんの戸井さんに関する文章も『全仕事』に「信頼、失望、そして感謝」と題されて掲載されていて、浅野さんは、『シャコタン・ブギ』ではあること、ないことを書かれ、その続編の『デッドエンド ジルバ』ではないこと、ないことを書かれたと述懐し、袂を分かちしたという。後に浅野さんはDJ KRUSHをプロデュースしたり、そして、アフリカの子どもたちを支援する「African Jug」を始める。袂を分かちながらも、二人はどこか地下で交差しているかのようだ。
しかして、この『シャコタン・ブギ』と『デッドエンド ジルバ』の若書きは戸井さんの中で最も重い後悔として残り、後にバイクで地を人の目の視線よりも低いところから旅をするルポルタージュとなっていったのではないか? などと考えつつ、とまれ、ぼくはCSの旅チャンネルでの戸井さんが世界をバイクで旅をする番組はいつも見ていたし、『遥かなるゲバラの大地』は何度も読み返し、その感銘から"Havana"という曲すら作っていた。僭越ながらもぼくの作った詞です。
♪♪♪
ハバナから旅に出よう
リスボンの港に立ち寄ろう
あの古いジャカルタの町で知った
ブンガ・ワン・ソロを歌おう
ハッカとマドロス・パイプをふかして
海の青さが知りたいだけさ
暗い夜の海の航海では
お月様だけがたよりなのさ
こんな僕の人生の中では
君の愛だけがたよりなのさ
ニュー・オーリンズの港を目指して
オールド・デリーの町を出たところさ
アフリカ・コンゴーで負けて
ボリビアの森の中に消えた
風と波の白さを受けて
舟は海の青さに溶けだした
暗い夜の海の航海では
お月様だけがたよりなのさ
こんな僕の人生の中では
君への愛だけがたよりなのさ
世界は僕の言葉と見たものに
驚きの声をあげるだろう
マストのてっぺんとデッキのへさきから
流れていく星や雲が消えた
舟よ、なつかしいハバナへ向かえ
マンボやチャチャチャを踊りたいだけさ
暗い夜の海の航海では
お月様だけがたよりなのさ
こんな僕の人生の中では
君の愛だけがたよりなのさ
暗い夜の海の航海では
お月様だけがたよりなのさ
こんな僕の人生の中では
君への愛だけがたよりなのさ♪♪♪
戸井さんはバイクの上では一人だからいいんだよとも言っていたな。
チェ・ゲバラは男の中の男と呼ばれたけれど、戸井十月も男の中の男だ。世界を旅したかっこいい人がいたんだよ。


カレンダー


カテゴリー


最新コメント
[05/19 Pg Soft]
[05/04 ペコ]
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]


最新記事
(06/09)
(06/08)
(06/06)
(06/06)
(06/05)
(06/05)
(06/03)


プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


ブログ内検索


最新トラックバック
