えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
Miles Davisってよくわからなかった。唯一好きだったのはGil Evansの編曲の"Birth of Cool"だった。"Birth of Cool"はMilseのアルバムではなく、実質、Gilのアルバムではないかなどと不遜な考えもしていた。この"Bags' Groove"ってアルバム、ジャズがコード進行のくびきから解放される、その革命前夜の晩餐という感じでもあるなぁ。凛とした異様な緊張感は、譲らぬ4人のということなのか? Miles Davis、Sonny Rollins、Milt Jackson、そして、Thelonius Monk。Monkの演奏が聴けるのは1曲目と2曲目の"Bags' Groove"だけだが、このセッションの最中、Monkはグループの演奏中にスタジオを出てどこかに行ってしまい、また戻ってきてピアノを弾いたという。1954年のクリスマス・イブのセッションに事件は起こったらしい。譲らぬミュージシャン、2人の喧嘩セッションとも言われ、のちにジャズ・ファンはMonk派とMiles派の2派に分かれるという説まで飛び出した。このセッション、Bud PowellとFats Navarroが1回だけ協演して奇跡の名演奏を残しているのに通じるのかも。ぼくはどちらかと言うと、Monk派だが、この"Bags' Groove"でもMonkらしい、弾かない、間合いの独特な、こんな風に言っていいのかわからないけど、吃音のような名ピアノであると思う。MilesとMonk、帝王と高僧などと日本で呼ばれる2人だが、お互い、認め合っていなかったってことなないと思う。
もう1枚、このセッションをとらえた"Miles Davis and the Modern Jazz Giants"というアルバムがあるのだが、未聴。聴いてみたいです。
こういうのを聴くと、1人ではなく、2人なんだと思う。そのケミストリー、科学反応は音楽を別次元に上昇させる。John ColtraneとMcCoy Tyner、Charlie ParkerとDizzy Gillespie、Billie HolidayとLester Young、Mick JaggerとKeith Richards、John LennonとPaul McCartney、Don DrummondとRoland Alphonso、Buddy GuyとJunior Wells、Joao GilbertoとAnrtonio Carlos Jobim・・・ジャンルに関係なくペアーの星たちが輝いていますね。
最近、毎夜、聞いてしまうジャズのアルバムがこの"All Kinds of Weather"。Red Garlandのシンプルなピアノトリオ。2曲目の"Summertime"から"Stormy Weather"につづき、さらに"Spring Will Be a Little Late This Year"となる流れにはっとする。静かな哀しみの"Summertime"から諦めのような"Stormy Weather"、荒れ模様、嵐を前にして、何ができるだろうと淡々と美しさのみを響かせ、"Spring Will Be a Little Late This Year"、今年の春は少しだけ遅いみたいだと、うっすらと希望の光りがさす。胸の奥に美しさ、静けさ、やさしさが、ふと触れます。
おやすみなさい・・・
大野のライブレストラン・ラシエットで詩の朗読会というのをしているというのを聞き、ふらりと顔を出した。詩の朗読会にぼくは自分の歌を2曲、歌ってしまった。「Dreadful」と「踊りにいってもいいだろう、ママ」ね。2曲とも自作詞なので、これもありらしい。場違いかなと思っていたけど、意外に好評でした。ありがとう。おぺらんの褒め言葉には、いわゆる、こそばゆかったなぁ。
詩というのは好きなのです。高校のころ授業で古文の先生が三木卓の「わがキディー・ランド」という長ぁぁぁい詩を授業で朗読してくれた思い出がある。とても良かった。昔、失恋した時、北原白秋の「からたちの花」を読んで泣いた。
「からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ
青い青い針のとげだよ
からたちは畑(はた)の垣根よ
いつもいつもとおる道だよ
からたちも秋はみのるよ
まろいまろい金のたまだよ
からたちのそばで泣いたよ
みんなみんなやさしかったよ
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ」
Rockの詞は詩でもあるのかもしれない。Jim Morrison、John Lennon、Bob Dylan、Joni Mitchell、Tom Waits・・・いっぱいいるね。ブラジルにはボサノバの作った一人とも言われる人が、遊び好きの不良外交官で作詞家のVinicius De Moraes。"A Felicidade"は美しいです。何度も紹介したこんな詞。国安真奈さんの訳で。
「悲しみには終わりがない
幸せには終わりがあるのに
悲しみには終わりがない
幸せには終わりがあるのに
幸せは
花びらに溜まった朝露のよう
落ち着いた輝きを放ち
軽く震えたかと思うと
愛の涙のように 滑り落ちていく
貧しき者の幸せは
カルナヴァルの大きな夢
一年中働き通し
一瞬の夢のために
王の 海賊の 庭師の衣装をまとい
水曜日には跡形もなく散ってしまう
夢のために」
小説とかエッセイも詩の心があってほしい。ぼくは、詩はもっとも始原の芸術の基本ではないかと思う。フィッツジェラルドの「偉大なるギャッツビー」、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」、メルビルの「白鯨」、ドストエフスキーの「白痴」とか小説がいっぱいあって、長い物語が長い詩のようだ。
ことばが空から自分の心にふってくることがある。ぼくの「Dreadful」はこんな詞。
「Dreadful
Dreadful
Dreadful
子どものころ きみはよく 言われた
あのDreadlocksなんかとは
あそんじゃいけない
Dreadful
Dreadful
Dreadful
おとなになっても まだまだ 言われたね
あのDreadlocksなんかとは
つきああっちゃいけない
Dreadful
Dreadful
Dreadful
チクタクチクタクチクタク
時は流れる
チクタクチクタクチクタク
時は流れた
おばあちゃん とってもさぁびしいーよー
Brother & Sista 本当は知っているよね
空は青くて 世界は呼んでいるよ
きみへの愛は消えることはないさ
Everybody singing みんな、歌っているね
星空は高く 世界は美しい
二人でいつまでも旅をしようよ」
ぼくも輝く世界中のPoetの星たちの中にいるのだろうか? ぼくは六等星ぐらいかな? 悩んで正直に生きれば人生は詩なのかも。
六等星:肉眼で見える最も暗い恒星
人生の中で、昔聴いた曲が耳のなかで聞こえて、頭の中で歌ってしまうことがある。これはどういうことなんだろう? 昔、日本テレビで「祭ばやしが聞こえる」というのを放映していて、視聴率はまったくふるわなかったらしいが、引き込まれて毎週見ていた。柳ジョージの歌ったそのテーマ曲をなぜか、最近思い出して、頭の中で歌ってしまう。東海林良の作詞、大野克夫の作曲だった。早すぎた日本のR&Bだったのか? 柳ジョージはこの歌の数年後、自身のバンドRainy Woodを率いて大ブレイクしていた。"Weepin' In The Rain"とか、日本語で歌った人だったが、徹底した洋楽への憧れが音と歌に出ていた。「「祭ばやしが聞こえる」のテーマ」。
「そこにおまえが BABY いるだけで あー
哀しみは 消えていく
幸福とは おまえのことさ Oh BABY
身体の傷も癒される
ひとりが似合う奴もいる
だけど俺には 似合わない
だからこの手で 抱きしめる Oh BABY
背中を吹き抜ける Oh BABY
この淋しさは 何だろう BABY
朝の陽ざしも BABY 両手かざして
心に影落とす
あれほど バラ色に輝いた Oh BABY
おまえの青春の日を 忘れたのか
明日が似合う奴もいる
だけど俺には 明日もない
故郷なんか どこにもない Oh BABY
あてもなく旅立つ BABY
きっと誰かに 逢えるさ BABY」
早すぎたロードムービーのような、説明のない外面描写が新鮮だったということもあるし、映像の美しさとあい余って、起伏の少ないストーリーが深くてかっこ良かった。
萩原健一演じる競輪選手が事故を起こして、山梨の温泉地にリハビリに来る、その淡々とした日常が描かれていた。いしだあゆみ演じる温泉宿の娘、内気で婚期を逃しつつある人との恋模様が描かれ、レースに復帰するが、また落車事故を起こし、今度は相手を再起不能にしてしまい、まったくレースに勝てないスランプになってしまう。生き方に迷い、自転車を下りて、温泉町の運送業でアルバイトをはじめたりする小さなエピソードの積み重ね。年老いた両親に代わって温泉宿を必死に切り盛りしていたいしだあゆみ演じる人が過労で倒れ、愛する人のため、守るべき人のため、自分にはやはりレースしかないんだと、競輪の世界に戻ろうとする決意をするのが最終回。
You Tubeにその最終回の意味深長なエンディングーロールがアップされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=SqxpAa3ShD4
「そこにおまえが BABY いるだけで あー
哀しみは 消えていく
幸福とは おまえのことさ Oh BABY
身体の傷も癒される
ひとりが似合う奴もいる
だけど俺には 似合わない
だからこの手で 抱きしめる Oh BABY
背中を吹き抜ける Oh BABY
この淋しさは 何だろう BABY
朝の陽ざしも BABY 両手かざして
心に影落とす
あれほど バラ色に輝いた Oh BABY
おまえの青春の日を 忘れたのか
明日が似合う奴もいる
だけど俺には 明日もない
故郷なんか どこにもない Oh BABY
あてもなく旅立つ BABY
きっと誰かに 逢えるさ BABY」
早すぎたロードムービーのような、説明のない外面描写が新鮮だったということもあるし、映像の美しさとあい余って、起伏の少ないストーリーが深くてかっこ良かった。
萩原健一演じる競輪選手が事故を起こして、山梨の温泉地にリハビリに来る、その淡々とした日常が描かれていた。いしだあゆみ演じる温泉宿の娘、内気で婚期を逃しつつある人との恋模様が描かれ、レースに復帰するが、また落車事故を起こし、今度は相手を再起不能にしてしまい、まったくレースに勝てないスランプになってしまう。生き方に迷い、自転車を下りて、温泉町の運送業でアルバイトをはじめたりする小さなエピソードの積み重ね。年老いた両親に代わって温泉宿を必死に切り盛りしていたいしだあゆみ演じる人が過労で倒れ、愛する人のため、守るべき人のため、自分にはやはりレースしかないんだと、競輪の世界に戻ろうとする決意をするのが最終回。
You Tubeにその最終回の意味深長なエンディングーロールがアップされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=SqxpAa3ShD4
山崎洋子さんの著した「天使はブルースを歌う」という本を読んだ。「横浜アウトサイド・ストーリー」と副題のついたドキュメンタリーは伝説の米軍基地の町のグループ・サウンズのバンド、Golden Cupsを横軸に、白塗りの謎の娼婦、白いメリーさんを縦軸にして紡いでいくと、根岸の外人墓地に行き着くのだった。Golden Cupsって、本当のかっこいい不良だったのか? エディ藩やルイズ・ルイス加部とか、脇役に鈴木いづみも登場。しかも、みんないいとこのお坊ちゃんでもあったのだが、惹きこまれて夢中で読みすすめていくと、その結末は根岸の外人墓地の胸につまる重たいエピローグ、片翼の丘の上の天使の話となる。
墓地に眠る片翼の天使たち。ぼくはダンテの「神曲」の中のある一説を思い出した。洗礼を受けていない幼い子供たちは十字架の下に眠ろうとも、はばたけず、天国に入れてもらえず、だから、忘れ去られた墓地の丘の野原で、その自らの死も知らず、おいかけっこや、かくれんぼをしているのかもしれない。その聖なるブルーズに涙も止まらない。
・・・
ありしのGolden Cupsです。
http://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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