えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

浅草演芸ホールの令和六年四月中席の昼の部は「寿 林家つる子 三遊亭わん丈 真打昇進披露興行」てございました。
見た演目を書いてみます。前座の三遊亭歌ん太くんの「転失気」、二つ目の春風亭一花さんの「味噌豆」、林家まめ平師匠の「大師の杵」、柳亭小燕枝師匠の「牛ほめ」、おしどりのお二方の漫才、三遊亭丈二師匠の「目薬」、林家鉄平師匠の初代林家三平の小話、春風亭一之輔師匠の「噺家の夢」で一回目の仲入り。林家八楽師匠の紙切り、古今亭菊之丞師匠の「初天神」、林家たい平師匠の漫談、小梅さんのマジック、柳家小さん師匠の「無精床」、柳亭市馬師匠の「親子酒」で二回目の仲入り。林家つる子師匠の真打昇進披露口上があり、三遊亭わん丈師匠の「荒大名の茶の湯」、ロケット団のお二方の漫才、林家正蔵師匠の「一眼国」、柳家さん喬師匠の「長短」、鏡味仙志郎師匠と鏡味仙成師匠の曲芸、主任は林家つる子師匠の「ねずみ」。
初めて見た三遊亭丈二師匠の「目薬」は大爆笑。林家正蔵師匠の「一眼国」は初めて聴く噺で不思議に文学にも通ずるような含意を感じてしまいました。そして、林家つる子師匠の見事な人情噺「ねずみ」に感動したのです。
今日は若い演者ですごい活気です。盛りあがっていて、楽しそう。落語協会、落語芸術協会の垣根を越えて、桂宮治師匠も物販の手伝いにお見えになっております。
寄席は心のパラダイスです。


谷崎潤一郎の著した『陰翳礼讃』を読みました。去年、太田美術館で江戸時代のもっとも後期の浮世絵画家である葛飾応為のほの暗い「吉原格子先之図」を見てから、古典の大家であり、ノーベル文学賞の候補ともなる文豪であり、ヘンタイな小説家である谷崎の『陰翳礼讃』を再読したいと思っておりました。
谷崎は、厠やら羊羹、屏風、障子、和紙、漆器、能、文楽などの日本のありとあらゆるものを持ち出してきて、日本の陰翳を礼讃しているのです。面白かった。
読んだのは中公文庫版で、『懶惰の説』、『恋愛及び色情』、『客ぎらい』、『旅のいろいろ』、『厠のいろいろ』も掲載。戦争をはさんだ昭和の時代、昭和五年から昭和二十三年に書かれた名随筆の案配です。
陰翳礼讃 -谷崎潤一郎 著


ぼくの大好きなパスカルズが音楽を担当しているということで、興味を持ち、伊勢朋矢監督の『日日芸術』を見ました。
この前のNHKの朝ドラで趣里演じる福来スズ子に弟子入りを志願する福島出身の小林小夜役を演じた富田望生さんが、そのまま俳優としての富田望生を演じています。ある日、富田望生が普段は見かけない喫茶店に入ってみるとセロテープのつぎはぎの奇妙な眼鏡をもらい、それをかけて、世界を見てみると、いつもとは違う景色、ものやことが見えてしまうことから映画は始まります。
面白かった。美しかった。富田望生さんはもっとも注目すべき若手の俳優だとぼくは思いました。パスカルズも眼鏡をかけると見える摩訶不思議な楽団として出演していて、それも、とても楽しい。丘の野原の上でみんなで踊るシーンとか、最高です。じゃがたらの江戸アケミのこんな言葉も映画に登場して、はっとしました。
「やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ」
そんな踊りもたくさん出てくるのです。そして、芸術って素晴らしい。自分の踊り方で、きみにも、きっとぼくにもできますよ。
映画『日日芸術(にちにちげいじゅつ)』公式ページ


府中市美術館で『ほとけの国の美術』展を見ました。この美術展のいう「ほとけの国」とはどこかといいますれば、仏教の発祥したインドではなく、伝わった中国でもなく、鑑真が来日し、その教えが独自の発展を見せた日本のことなのです。その仏教にまつわる美術を集めた江戸時代を中心にした展覧会なのでした。
地獄、極楽、来迎、浄土、禅、悟り、そして、仏性(心)をもつ動物(『大般涅槃経』で動物は人と同じく仏性をもつとされる)たちの絵を見ながら、ぼくは江戸時代こそ、世界でもっとも早くポップアートが花ひらいたのではないかと愉しくもなるのです。このありがたきこと、かたじけなきことこの上もない教えを伝えて、そして、解き、説いてくれた、鑑真よ、空海よ、最澄よ、ありがとう。
春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術


イスラエルの歴史学者、イラン・パペ博士が2007年の来日時の講演と議事応答を記した『イラン・パペ、パレスチナを語る 「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』を読む。
イラン・パペさんは、シオニズムに疑義、反対意見を提示し、1947年のイスラエルの建国の際にパレスチナ人に行われたことは、民族浄化などによる追放だとし、イスラエルのすべての大学から任官拒否され、殺害予告され、イスラエルを出国せざるえず、今はイギリスのエクセター大学で教鞭を取っている。「共に生きることを望むなら彼らを二つの国に分けることはできない」のメッセージとともに、イスラエルとパレスチナは正式に二国家共存により解決されるのではなく、ユダヤ人とアラブ人のどちらが主導権を持つわけでもない一つの民族共生国家による平和をパペさんは主張している。
この本で主張されている「橋渡しのナラティヴ」は、まだ完成されていない概念のようだけれども、その困難さこそ未来に寄与され、何か明るいものを照射するかのようなのです。ぼく自身のことに話をたぐりよせれば、残った人生で「橋渡しのナラティヴ」に何かを寄与するような歌が作れ、歌えれば本望のような気もしてくるのです。そして、ガザの本当の平和を祈らずにはいられません。
イラン・パペ、パレスチナを語る




