えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ニール・ブロムカンプ監督の「エリジウム」を見た。監督は南アフリカ出身のニール・ブロムカンプであの大ヒットした「第9地区」の監督でもあって、近未来の逆ユートピアの描き方にリアルな迫力があるのは、実際のヨハネスブルクの黒人ゲットーを知っているからだろう。
ここで描かれた逆ユートピアは映画の創成期の怪作にして名作のフリッツ・ラング監督の「メトロポリス」を用意に思い出させるけれど、やはり、もたざるものともつものの熾烈なドラマが繰り広げられる。それは、SF的未来というよりは、今を照射し、描いてもいるようなのだ。
細かいストーリーを述べるのはよすが、ラストの大演団は苦さを感じつつ、快い。
http://www.elysium-movie.jp/


歴史探偵を自称する半藤一利さんの著した「あの戦争と日本人」を読了した。この本はインタビューによる書きおろし、別のもうすこし堅い言葉で言うと口述筆記らしいのだが、半藤さん日本の近代史に対するめくるめく博学と知見にぼくは驚きを隠せない。半藤さんの本を読むのはこれが三冊目で一冊目が「幕末史」、二冊目が「ノモンハンの夏」、そして今回の「あの戦争と日本人」なのだが、どれも面白かったし、やはり温故知新というのは大切だ、と思う。
安藤さんが感服した二人の日本人の小説家、夏目漱石と坂口安吾のことを思い出し、その透徹した目について考えもする。いつのまにやら、戦後から戦前になってしまったように感じる日本なのだが、今だからこそ、たくさんの日本人に読んで欲しい本です。


相模原市立博物館に「舘野鴻(たての ひろし)絵本原画展「ぎふちょう」」を見に行く。
舘野さんに初めて会ったのは、秦野のヨガの先生、きららさんの家の桜畑のお花見会でアルバート・アイラーを日本の土着の地に根付かせたようなフリーなテナー・サックスを吹いていた。
その後、何回か、お会いする機会に恵まれて、そのきららさん主催のパーティーで小さな虫や森の植物を精緻に描いた絵を見せていただき、驚いた。この博物館での展覧会でも、やはり感じたのだけど、小さい生きものたちへの愛のこもった畏怖のようなものすら感じてしまう。今日も舘野さんはどこかの森や山の中を歩きまわっていて、小さな生きものたちの大きな命に目を輝かせて驚いているのだろう。
最新刊の二作目の絵本「ぎふちょう」は一作目の傑作「しでむし」を更にしのぐほどの大傑作だとも思った。
さて、またどこかでお会いするのが楽しみです。


世田谷美術館の「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」展を見に行く。専門の美術教育を受けないまま、ただ「描きたい」という強い衝動を持って描かれた市井の人たちの作品を素朴派とかアウトサイダー・アートと呼ばれるらしく、実は、世田谷美術館はその収集に努め、膨大なコレクションを持っており、今回の展覧会はその集大成のようなものらしい。絵画のブルーズ・マンのブルーズのようなものなのかな、と思い、見に行った。
意外に楽しい絵が多い。そうか、ブルーズも悲惨を歌って、最後は、どうにかなるよ、大丈夫、大丈夫、と歌って、楽しいものだ、というのを思い出した。けれど、あまりの悲惨さで救いのないような久本強の「シベリア・シリーズ」に圧倒されてしまう。グランマ・モーゼスやグランマ・フランの絵は楽しくて好きです。マックス・ラフラーの心優しきキリスト教の神様や聖人の絵に笑みをもらしてしまう。
いろんな人たちの絵が飾られ、絵が描いた人の普通であったり波瀾万丈であったりする生活や人生を語りかけてくれるようだ。
ぼくの歌は素朴派です。
世田谷美術館


鈴木啓志さんの著した「ゴースト・ミュージシャン ソウルの黄金時代、アメリカ南部の真実」を読む。
アラバマ州マスル・ショールズというとある田舎町にあるレコーディング・スタジオ「フェーム」を舞台にした、さまざまなミュージシャンが出入りする本当にあった物語。主人公はそのフェーム・レコーデイング・スタジオのオーナーであるリック・ホール。そこに、世紀の天才ドラマー、フリーマン・ブラウンがヒーローよろしく登場し、そして、ニューヨークの名門レーベル「アトランティック」のオーナー、ジェリー・ウェクスラーが思惑ありげに絡んでくる。ぞくぞくときらめくようなシンガーたちが、この片田舎のスタジオに訪れ、セッションをし、名録音を残していく。さまざまな人間ドラマと変遷を経て、アメリカ南部と北部、黒人と白人に横たわるなんともセンシティブな問題も語られ、キング牧師の暗殺された1968年にフリーマン・ブラウンらを中心にしたアメリカ音楽史上、最強で最高なリズム・アンド・ブルース・バンド"Fame Gang"に結実する。
さて「ゴースト・ミュージシャン」とは誰か? ジェリー・ウェクスラーによって、クレジットから消され、いなかったことになってしまったさまざまなミュージシャンがいたということ。音をたどって明かされる真実は、リック・ホールという、プロデューサーと呼ばれる楽器を持たないミュージシャンにスポットを当て、この南部白人の、音楽家としての、人間としての偉大さを浮き彫りにする。
あぁ、"Fame Gang"の強靭なグルーヴはキャンディ・ステイトンやローラ・リーの1960年代のアルバムで聴くことができます。




ウォルター・サレス監督の「オン・ザ・ロード」を見た。その昔、「路上」と題された日本語訳のジャック・ケルアックの小説は読んだことがあった。ウォルター・サレス監督の若かりしころのチェ・ゲバラを描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」はなかなか良かったし、製作総指揮があの「ゴッド・ファーザー」や「地獄の黙示録」のフランシス・フォード・コッポラということもあり、期待して見に行った。「オン・ザ・ロード」は北米大陸と旅とセックスのリフレインのような映画だったのだけど、ぼくがいささか年をとったのか、時代が変わってしまったのか、描かれる北米大陸にも旅にもセックスにもイコン、聖像として輝きは感じなくなってしまっていた。けれども映画に引用されるケルアックの小説の中の言葉は六十年の時を経ても、何か眩しいところがあって、小説を読みなおしてみようかな、と思った。
いくつか特に気に入ったシーンもあって、オールド・ブル・リー(ウィリアム・バロウズ)と会うシーンで、後に伝説的な前衛SF小説家となるバロウズは、セリーヌの小説を英語の訳文と原文のフランス語で読み比べて、どうだ、違うだろうと主人公のサル・パラダイス(ジャック・ケルアック)に説教を垂れ、広い森のある庭に出て、ズボンを脱いで、癌も撃退するという怪しい吸引器の備られた小部屋に入る。いかれていて、かっこいい。そして、楽しく短いシーンはスリム・ゲイラードがL.A.のクラブでピアノを弾いて、歌って、踊るシーン。
青春賛歌のようなこの映画への評を読みながら、辟易し、青春なんかクソだ、と囁いてみる。すると、おれの中のぼろぼろになったディーン・モリアーティ(ニール・キャサディ)が寂しげに笑い、あばよと合図し、小さくなって遠くへ去っていく姿を思い出したのだった。
http://www.ontheroad-movie.jp/


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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