えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
こんな夢を見た。
ぼくはどこかのライブ・ハウスで山口冨士夫のギグを見ている。生前のおなじみの曲を冨士夫ちゃんはたくさん演奏して、あっという間に時間は過ぎていく。バックのバンドはだれだったのだろう。今は冨士夫ちゃんと同じく天国にいる青ちゃん(青木真一)、佐瀬さん(佐瀬浩平)、良(川田良)とかがいたのかもしれない。あっという間に演奏は終わり、アンコールはなかった。いつの間にかぼくは楽屋に山口冨士夫といる。他のメンバーはおらず、数人のファンがいる。冨士夫ちゃんはそこで、立ってエレキギターをアンプを通さずに弾きながら、新曲を披露してくれる。「あの娘とレイン・ドロップス」というようなタイトルの曲で、雨の日に歌われる失恋ソングのようでもあり、壊れていく環境の地球を憂いているようにも受け取れる内容で、ぼくの胸に深く入ってきて、ぼくは冨士夫ちゃんに、「いい曲ですね」と声をかける。冨士夫ちゃんは「そうだろ、もっと歌いたかったんだけどな。新曲もたくさんできたよ」と答えてくれる。ぼくは思い切って、「ぼくがその歌、歌ってもいいですか」と尋ねると、冨士夫ちゃんは笑いながら、「ああ、いいよ、歌ってくれよ」と言ってくれる。
そこで目が覚めた。ということで、こんな初夢を昼寝していると見てしまったのです。山口冨士夫さん、ありがとう。
ぼくはどこかのライブ・ハウスで山口冨士夫のギグを見ている。生前のおなじみの曲を冨士夫ちゃんはたくさん演奏して、あっという間に時間は過ぎていく。バックのバンドはだれだったのだろう。今は冨士夫ちゃんと同じく天国にいる青ちゃん(青木真一)、佐瀬さん(佐瀬浩平)、良(川田良)とかがいたのかもしれない。あっという間に演奏は終わり、アンコールはなかった。いつの間にかぼくは楽屋に山口冨士夫といる。他のメンバーはおらず、数人のファンがいる。冨士夫ちゃんはそこで、立ってエレキギターをアンプを通さずに弾きながら、新曲を披露してくれる。「あの娘とレイン・ドロップス」というようなタイトルの曲で、雨の日に歌われる失恋ソングのようでもあり、壊れていく環境の地球を憂いているようにも受け取れる内容で、ぼくの胸に深く入ってきて、ぼくは冨士夫ちゃんに、「いい曲ですね」と声をかける。冨士夫ちゃんは「そうだろ、もっと歌いたかったんだけどな。新曲もたくさんできたよ」と答えてくれる。ぼくは思い切って、「ぼくがその歌、歌ってもいいですか」と尋ねると、冨士夫ちゃんは笑いながら、「ああ、いいよ、歌ってくれよ」と言ってくれる。
そこで目が覚めた。ということで、こんな初夢を昼寝していると見てしまったのです。山口冨士夫さん、ありがとう。
昨年の大晦日の夜はロックのかかるバー、スクールオブロックにおりました。2015年、平成二十七年を迎えるとともに、ずっとかかっていたジャニス・ジョップリンがスティービー・ワンダーになり、バーにいるみんなで、とにもかくも乾杯をし、しばらくしてぼくは伊勢原に向かい大山寺と阿夫利神社で初詣をしました。そこでこんな神さまからの託されたお言葉をお授かりました。みなさまのご多幸をお祈りしつつ、ご披露させていただきます。
「かき曇る 空さえ
晴れて さしのぼる
日かげ のどけき
我こゝろかな」
あけましておめでとうございます
「かき曇る 空さえ
晴れて さしのぼる
日かげ のどけき
我こゝろかな」
あけましておめでとうございます
ぼくは乗り鉄系のてっちゃんでもあって、だから、たまに鉄分補給のために旅をしてしまう。ローカル線の小海線としなの鉄道に乗る小さな旅に出ました。
この前、行った中央林間のバー、パラダイス本舗に飾ってあったキース・へリングの絵がなんかいいなぁ、と思って、ここにも来てみたいと思っていたのです。
ティーシャツのイラストとかで複製されて流布されているものではなく、本もののキース・へリングのアート作品を見ると、それはデザイナーのデザインではなくて、本当に芸術家が魂を込めて、命をかけて創造した文字通り芸術である、その存在感にずしりと重く胸に響くものがありました。
美術館のラストの展示コーナーでキースが口角泡を飛ばして演説し、激しくホモセクシュアルがホモセクシュアルであることの権利を擁護しているビデオが流れていました。キース・へリングというと若き心優しき穏やかな人というイメージがあったのですが、こんな人でもあったのかと意外に思いました。もしかして、コクトーやサルトルから天才と呼ばれながらも生涯、過激な政治発言を繰り返したジャン・ジュネのようなところもあったのかもしれません。
彼が死んでから20年以上経ち、同性婚を法律で認める国も現れ、後天性免疫不全症候群(AIDS)にも良い薬が次々に開発され、適切な治療を続ければ、通常の寿命を全うすることが十分可能となっているらしいのです。
あと10年、遅く生まれていれば、キースは31歳で死ななくてよかったのかもしれませんが、今、ぼくたちがが知っているキース・へリングという芸術家もいなかったかもしれません。1980年代が生んだ鬼っ子のような芸術は、今や永遠となって、ぼくの胸をざわつかせています。
小海線の風景
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中村キース・へリング美術館
旅の番外編として、中村キース・へリング美術館に行ってみました。この前、行った中央林間のバー、パラダイス本舗に飾ってあったキース・へリングの絵がなんかいいなぁ、と思って、ここにも来てみたいと思っていたのです。
ティーシャツのイラストとかで複製されて流布されているものではなく、本もののキース・へリングのアート作品を見ると、それはデザイナーのデザインではなくて、本当に芸術家が魂を込めて、命をかけて創造した文字通り芸術である、その存在感にずしりと重く胸に響くものがありました。
美術館のラストの展示コーナーでキースが口角泡を飛ばして演説し、激しくホモセクシュアルがホモセクシュアルであることの権利を擁護しているビデオが流れていました。キース・へリングというと若き心優しき穏やかな人というイメージがあったのですが、こんな人でもあったのかと意外に思いました。もしかして、コクトーやサルトルから天才と呼ばれながらも生涯、過激な政治発言を繰り返したジャン・ジュネのようなところもあったのかもしれません。
彼が死んでから20年以上経ち、同性婚を法律で認める国も現れ、後天性免疫不全症候群(AIDS)にも良い薬が次々に開発され、適切な治療を続ければ、通常の寿命を全うすることが十分可能となっているらしいのです。
あと10年、遅く生まれていれば、キースは31歳で死ななくてよかったのかもしれませんが、今、ぼくたちがが知っているキース・へリングという芸術家もいなかったかもしれません。1980年代が生んだ鬼っ子のような芸術は、今や永遠となって、ぼくの胸をざわつかせています。
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小淵沢で馬が散歩していた
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小海線の列車
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小諸のタイ輸入雑貨店
歩いているとポツンとこんな雑貨店がありました。-
居酒屋ちゃんちき
小諸駅近くの居酒屋「ちゃんちき」です。明鏡止水という地酒を飲みながら、馬刺しと鰻の白醤油焼きを食べました。おいしかった。-
車窓からの曇った雪景色
曇った雪景色って、枯山水のようで、車窓から眺めていると心が穏やかになります。-
しなの鉄道の列車
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中央線の今も残る古い列車
これで帰ってきました。
旅先の鈍行列車の中で竹村淳さんの著した「国境を越えて愛されたうた」を読了した。
竹村淳さんは、長い間、確か日曜の午前中であったかな、NHKのFMでラテン・ミュージックを中心に世界中の音楽を紹介してくれたDJでもあった人で、ぼくも一時期、日曜の午前中に竹村さんの番組を聴くのが楽しみであった。
この本は国境を越えてみんなに聞かれ、愛された、いろんな歌が、登場し論じられるエッセイ集。坂本九さんの「上を向いて歩こう」から始まり、「アメージング・グレース」をラストに迎え、書かれています。すべてを合わせると22曲のいろんなエピソードが盛られていて楽しく、興味深く、一気に読めてしまいしました。
ここでは一つだけジョーン・バエズが歌いヒットし、もしかして日本の音楽の教科書にも載っているらしい「ドナドナ」の詞をこの本から引用してみるのだけど、そのもともとの作者はワルシャワのユダヤ人強制収容所で殺されたポーランドのユダヤ人作家、ハク・カッツェネルソンという人の詞だという。
「子牛
荷車に子牛が横たわっている、縄で縛られて横たわっている。
空高く燕が飛んでる、
喜んで、くるくる輪を描いて、飛んでいる
風が麦畑で笑ってる、笑って笑って笑ってる、
一日中笑って、夜中まで笑ってる。
ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドン
子牛が呻く、農夫が言う、
だれがおまえに子牛になれって命じた?
おまえは鳥になりたかったんじゃないか、
おもえは燕になりたかったんじゃないか?
おわれな牛たちを人は縛ったり、
引きずりもすれば屠りもする
だけど翼あるものは空高く翔けて、誰の奴隷にもならない。
(黒田晴之・訳)」
この歌をジョーン・バエズは勃興し始めた黒人差別に抗議する公民権運動のその時代の中で歌ったのか。尊敬します。
http://amzn.to/1JZCBWk
竹村淳さんは、長い間、確か日曜の午前中であったかな、NHKのFMでラテン・ミュージックを中心に世界中の音楽を紹介してくれたDJでもあった人で、ぼくも一時期、日曜の午前中に竹村さんの番組を聴くのが楽しみであった。
この本は国境を越えてみんなに聞かれ、愛された、いろんな歌が、登場し論じられるエッセイ集。坂本九さんの「上を向いて歩こう」から始まり、「アメージング・グレース」をラストに迎え、書かれています。すべてを合わせると22曲のいろんなエピソードが盛られていて楽しく、興味深く、一気に読めてしまいしました。
ここでは一つだけジョーン・バエズが歌いヒットし、もしかして日本の音楽の教科書にも載っているらしい「ドナドナ」の詞をこの本から引用してみるのだけど、そのもともとの作者はワルシャワのユダヤ人強制収容所で殺されたポーランドのユダヤ人作家、ハク・カッツェネルソンという人の詞だという。
「子牛
荷車に子牛が横たわっている、縄で縛られて横たわっている。
空高く燕が飛んでる、
喜んで、くるくる輪を描いて、飛んでいる
風が麦畑で笑ってる、笑って笑って笑ってる、
一日中笑って、夜中まで笑ってる。
ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドン
子牛が呻く、農夫が言う、
だれがおまえに子牛になれって命じた?
おまえは鳥になりたかったんじゃないか、
おもえは燕になりたかったんじゃないか?
おわれな牛たちを人は縛ったり、
引きずりもすれば屠りもする
だけど翼あるものは空高く翔けて、誰の奴隷にもならない。
(黒田晴之・訳)」
この歌をジョーン・バエズは勃興し始めた黒人差別に抗議する公民権運動のその時代の中で歌ったのか。尊敬します。
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つたやのレンタルDVDでリリオ・フェへイラとイルトン・ラセルダが監督をした「カルト―ラ サンビスタの物語」を見る。
このドキュメンタリー映画に取り上げられているカルト―ラという人は、ブラジルのサンバのもっとも偉大な巨匠の中の一人で、サンバという音楽を作り上げたと言っても過言ではない人。その破格の人間性にある思いやりと自由の精神でブラジル人の誰からも尊敬されていた。若いころから作詞作曲で少なからずのヒットを飛ばしでもいたのだけれど、波乱万丈の人生でもあって、こういう人にありがちなのだけど、金銭にはまったく恵まれず、しかも、二度目の奥さんとの間に何人もの養子を引き受け育てたというような逸話もある。本格的に自分の曲を自分の歌声でレコーディングしたのが六十歳を超えた時で、その1970年代から出したアルバムは名作として次から次へとブラジルでヒットし、それは一部の音楽好きにも伝えられていた。
その1970年代とはブラジルの音楽界にっとって、一世を風靡したボサ・ノヴァのミュージシャンが時のクーデターによる軍事政権を嫌い、亡命同然にフランスやアメリカ合衆国の去って行ったそんな時代でもあった。それでもブラジルに残されたミュージシャンには向かう所、聖なる場所ともいうべき所があった。そこはサンバの発祥した地、リオデジャネイロのモーホーと呼ばれる裏山、貧しい人たちの住む所、アメリカでいえばもともとはドイツのユダヤ人が強制的に住まわされたところを呼ぶゲットー、ジャマイカでいえばシャンティー・タウン、中上健次ならば路地と呼んだそこであった。そんなブラジルの音楽シーンの中であって、精神的支柱でも、カルト―ラはあった、と思う。
あぁ、カルト―ラの美しいメロディーとシンコペイトするサンバのリズムとセンチメントな詞は、最高で、まだ、ワールド・ミュージックなどという言葉のない時代でもあって、偉大なる音楽には偉大なる人がいたことは確かなこと。その人はの名は、CartolaことAngenor de Oliveira、その人なのです。
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来年の2015年はドアーズ結成50年の年だそうで、近所のタワーレコードで「文藝別冊 ドアーズ 結成50年 最も過激な伝説」という本を見かけ、買ってしまい、読んでしまった。
いろんな人が、ドアーズについて、もしくは今ではもうレイ・マンザレクもジム・モリソンのこの世にはいないドアーズ触発されて、かってなことを書いている。100人の人がいれば100通りのドアーズがあって、そのたくさんのドアを開けると、どんな景色があるのだろうか。
そんなドアーズが結成されたのが50年前の1965年でレイ・マンザレクはカリフォルニアのビーチでジム・モリソンと再会し、その時、ジムはこんな歌を作ったと、朗々と歌い始めたという。つたなく"Moonlight Drive"を訳してみました。
「月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
街が隠れて眠っている夜に狙いをさだめ
今夜は泳いでいこう
おれたちは何度でもやるつもり
月光のドライブで
海のほとりに車を駐車する
月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
世界を待つことなんて諦めてしまって
おれたちのやりかたで重なり合う
何も開かれていなくていい
何も選ばれない
ただ、月光のドライブで
川に足をふみ入れている
月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
きみは手をおれをつかまえようとする
けれど、おれはきみを導くことなんてできないのさ
愛することは簡単なことだし
おまえが滑っていくのをじっと見つめている
月光のドライブで
濡れた森の中を落ちていくよ
さぁ、楽しもうぜ
ちょっとひと乗りしようぜ
海のほとりを落ちていく
もっとぴったりと
もっときつく
今夜は溺れて
どこまでもどこまでも落ちていく」
あぁ、ジム・モリソンにとって愛とはどこまでも落下していくことなのだろうか。この本の中で陣野俊史さんが「レイ・マンザレク フィクションとノンフィクション」で書いているのだけど、この時、レイはジムにすごいじゃないか、おれたち、バンドをやろうぜ、と持ち掛け、ジムはうなづいながらも、こんなふうなことを言い自分の夭折をほのめかしたとレイは回想録を書いている。
「「俺は、自分が流れ星みたいなものだってわかっている。夜、大勢の人と外に出て、ビーチにいるとしよう。誰かが空を指さして、こう言うのさ。「見て! 流れ星!」って。みんなは話すやめて、星を見上げる。そして「ああ!」って口にする。星は人々の心を一瞬だけ捉まえて、そして消え去るんだ」
そして、彼は、深い、人を信用しきった目で、私を見た。賢明な、未来を予知する目だった…。」
確かにその人は永遠に二十七歳で、けれども、もっとも誰よりも年老いてしまった賢人で、どこまでも遠くまで行った人なのではあるまいか。
いろんな人が、ドアーズについて、もしくは今ではもうレイ・マンザレクもジム・モリソンのこの世にはいないドアーズ触発されて、かってなことを書いている。100人の人がいれば100通りのドアーズがあって、そのたくさんのドアを開けると、どんな景色があるのだろうか。
そんなドアーズが結成されたのが50年前の1965年でレイ・マンザレクはカリフォルニアのビーチでジム・モリソンと再会し、その時、ジムはこんな歌を作ったと、朗々と歌い始めたという。つたなく"Moonlight Drive"を訳してみました。
「月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
街が隠れて眠っている夜に狙いをさだめ
今夜は泳いでいこう
おれたちは何度でもやるつもり
月光のドライブで
海のほとりに車を駐車する
月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
世界を待つことなんて諦めてしまって
おれたちのやりかたで重なり合う
何も開かれていなくていい
何も選ばれない
ただ、月光のドライブで
川に足をふみ入れている
月まで泳いでいこう
潮をのぼり越えていく
きみは手をおれをつかまえようとする
けれど、おれはきみを導くことなんてできないのさ
愛することは簡単なことだし
おまえが滑っていくのをじっと見つめている
月光のドライブで
濡れた森の中を落ちていくよ
さぁ、楽しもうぜ
ちょっとひと乗りしようぜ
海のほとりを落ちていく
もっとぴったりと
もっときつく
今夜は溺れて
どこまでもどこまでも落ちていく」
あぁ、ジム・モリソンにとって愛とはどこまでも落下していくことなのだろうか。この本の中で陣野俊史さんが「レイ・マンザレク フィクションとノンフィクション」で書いているのだけど、この時、レイはジムにすごいじゃないか、おれたち、バンドをやろうぜ、と持ち掛け、ジムはうなづいながらも、こんなふうなことを言い自分の夭折をほのめかしたとレイは回想録を書いている。
「「俺は、自分が流れ星みたいなものだってわかっている。夜、大勢の人と外に出て、ビーチにいるとしよう。誰かが空を指さして、こう言うのさ。「見て! 流れ星!」って。みんなは話すやめて、星を見上げる。そして「ああ!」って口にする。星は人々の心を一瞬だけ捉まえて、そして消え去るんだ」
そして、彼は、深い、人を信用しきった目で、私を見た。賢明な、未来を予知する目だった…。」
確かにその人は永遠に二十七歳で、けれども、もっとも誰よりも年老いてしまった賢人で、どこまでも遠くまで行った人なのではあるまいか。
橋本のMOVIXに石井裕也監督の「バンクーバーの朝日」を見に行く。カナダに移民した日系人の野球チームの話だった。
スポ根も、ちかごろはやりの愛国も、ぼくにとっては苦手というか、ぴんと来ないというか、だから、だるくなるような映画かもしれない、などと想像していたのだけど、そんなことはありませんでした。
主演の妻夫木聡って不思議な役者だなと思う。存在感のない存在感というか、この透明な感じは他にはいないだろう。どこにもいないようなのだけど、ありとあらゆるところにいるという、そんな存在感だと思う。
ストーリーは淡々として、宮崎あおい演じる日本語教師との恋話とかあるのかな、思っていたら、そんなのはなかった。
父役の佐藤浩一は名優だと思う。プロフェッショナル中のプロフェッショナル。
それから、カナダの昔の田舎の街を再現したセットの美術がすばらしい。
高畑充希演じる妹の"I will keep on loving this country."がぼくの胸に入り込み、映画の物語は暗転する。あぁ、'Asahi'は夢のように消えていったカナダのマイナー・リーグの野球チームなのだけど、その夢の中にほんのしばらくぼくもいたらしいのです。
http://www.vancouver-asahi.jp