えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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初詣とは年が明けてから始めて神社や寺院に参拝する行事をいうらしいのですが、そうならば、今年の初詣は大山寺ということになりました。二番目の詣が阿夫利神社で、今日、三番目に家から一番近い神社に詣でたのでした。そこで、またもや、おめでたきことかな、神さまからのありがたきご託宣を承ったのです。良きことは人と分け合えなどと浮かび、みなさまに披露したく存じます。

「思ふ事
  思うが
  まゝに
 なしとげて
 思ふ事なき
  家の内哉」

ゆめゆめうたがうことなかれ。
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渋谷にある小さな小さな映画館アップリンクに1966年の沖縄久高島の生活と宗教儀式を記録したドキュメンタリー映画「イザイホウ」を見に行く。小さな劇場といえども、驚いたことに満席の盛況でした。

この映画に取り上げられている12年に一度開かれていたこの「イザイホウ」という祭り、神事は1978年を最後に後継者不足ということもあり、開かれなくなってしまっている。モノクロの画面から濃密で物質的ではない別の豊かさな時が流れ、あたりを漂っていたようなのだ。なんとあれ、昨年で3回連続のイザイホウの中止だったもよう。

1966年の久高島はなんとも貧しいのだけど、女たちに何ものか、神聖な何かが憑依しているかのようなその儀式にぼくは眩暈のようなものも感じ、その後のおおよそ半世紀で失われたものも小さくはないと、ぼくは深くため息をついてしまう。

http://www.kaiensha.jp
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こんな夢を見た。

ぼくはどこかのライブ・ハウスで山口冨士夫のギグを見ている。生前のおなじみの曲を冨士夫ちゃんはたくさん演奏して、あっという間に時間は過ぎていく。バックのバンドはだれだったのだろう。今は冨士夫ちゃんと同じく天国にいる青ちゃん(青木真一)、佐瀬さん(佐瀬浩平)、良(川田良)とかがいたのかもしれない。あっという間に演奏は終わり、アンコールはなかった。いつの間にかぼくは楽屋に山口冨士夫といる。他のメンバーはおらず、数人のファンがいる。冨士夫ちゃんはそこで、立ってエレキギターをアンプを通さずに弾きながら、新曲を披露してくれる。「あの娘とレイン・ドロップス」というようなタイトルの曲で、雨の日に歌われる失恋ソングのようでもあり、壊れていく環境の地球を憂いているようにも受け取れる内容で、ぼくの胸に深く入ってきて、ぼくは冨士夫ちゃんに、「いい曲ですね」と声をかける。冨士夫ちゃんは「そうだろ、もっと歌いたかったんだけどな。新曲もたくさんできたよ」と答えてくれる。ぼくは思い切って、「ぼくがその歌、歌ってもいいですか」と尋ねると、冨士夫ちゃんは笑いながら、「ああ、いいよ、歌ってくれよ」と言ってくれる。

そこで目が覚めた。ということで、こんな初夢を昼寝していると見てしまったのです。山口冨士夫さん、ありがとう。
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昨年の大晦日の夜はロックのかかるバー、スクールオブロックにおりました。2015年、平成二十七年を迎えるとともに、ずっとかかっていたジャニス・ジョップリンがスティービー・ワンダーになり、バーにいるみんなで、とにもかくも乾杯をし、しばらくしてぼくは伊勢原に向かい大山寺と阿夫利神社で初詣をしました。そこでこんな神さまからの託されたお言葉をお授かりました。みなさまのご多幸をお祈りしつつ、ご披露させていただきます。

「かき曇る 空さえ
  晴れて さしのぼる
日かげ のどけき
    我こゝろかな」

あけましておめでとうございます
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ぼくは乗り鉄系のてっちゃんでもあって、だから、たまに鉄分補給のために旅をしてしまう。ローカル線の小海線としなの鉄道に乗る小さな旅に出ました。


小海線の風景
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中村キース・へリング美術館

旅の番外編として、中村キース・へリング美術館に行ってみました。

この前、行った中央林間のバー、パラダイス本舗に飾ってあったキース・へリングの絵がなんかいいなぁ、と思って、ここにも来てみたいと思っていたのです。

ティーシャツのイラストとかで複製されて流布されているものではなく、本もののキース・へリングのアート作品を見ると、それはデザイナーのデザインではなくて、本当に芸術家が魂を込めて、命をかけて創造した文字通り芸術である、その存在感にずしりと重く胸に響くものがありました。

美術館のラストの展示コーナーでキースが口角泡を飛ばして演説し、激しくホモセクシュアルがホモセクシュアルであることの権利を擁護しているビデオが流れていました。キース・へリングというと若き心優しき穏やかな人というイメージがあったのですが、こんな人でもあったのかと意外に思いました。もしかして、コクトーやサルトルから天才と呼ばれながらも生涯、過激な政治発言を繰り返したジャン・ジュネのようなところもあったのかもしれません。

彼が死んでから20年以上経ち、同性婚を法律で認める国も現れ、後天性免疫不全症候群(AIDS)にも良い薬が次々に開発され、適切な治療を続ければ、通常の寿命を全うすることが十分可能となっているらしいのです。

あと10年、遅く生まれていれば、キースは31歳で死ななくてよかったのかもしれませんが、今、ぼくたちがが知っているキース・へリングという芸術家もいなかったかもしれません。1980年代が生んだ鬼っ子のような芸術は、今や永遠となって、ぼくの胸をざわつかせています。
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小淵沢で馬が散歩していた
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小海線の列車
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小諸のタイ輸入雑貨店

歩いているとポツンとこんな雑貨店がありました。
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居酒屋ちゃんちき

小諸駅近くの居酒屋「ちゃんちき」です。明鏡止水という地酒を飲みながら、馬刺しと鰻の白醤油焼きを食べました。おいしかった。
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車窓からの曇った雪景色

曇った雪景色って、枯山水のようで、車窓から眺めていると心が穏やかになります。
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しなの鉄道の列車
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中央線の今も残る古い列車

これで帰ってきました。
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旅先の鈍行列車の中で竹村淳さんの著した「国境を越えて愛されたうた」を読了した。

竹村淳さんは、長い間、確か日曜の午前中であったかな、NHKのFMでラテン・ミュージックを中心に世界中の音楽を紹介してくれたDJでもあった人で、ぼくも一時期、日曜の午前中に竹村さんの番組を聴くのが楽しみであった。

この本は国境を越えてみんなに聞かれ、愛された、いろんな歌が、登場し論じられるエッセイ集。坂本九さんの「上を向いて歩こう」から始まり、「アメージング・グレース」をラストに迎え、書かれています。すべてを合わせると22曲のいろんなエピソードが盛られていて楽しく、興味深く、一気に読めてしまいしました。

ここでは一つだけジョーン・バエズが歌いヒットし、もしかして日本の音楽の教科書にも載っているらしい「ドナドナ」の詞をこの本から引用してみるのだけど、そのもともとの作者はワルシャワのユダヤ人強制収容所で殺されたポーランドのユダヤ人作家、ハク・カッツェネルソンという人の詞だという。

「子牛

荷車に子牛が横たわっている、縄で縛られて横たわっている。
空高く燕が飛んでる、
喜んで、くるくる輪を描いて、飛んでいる

風が麦畑で笑ってる、笑って笑って笑ってる、
一日中笑って、夜中まで笑ってる。

ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドナ、ドン

子牛が呻く、農夫が言う、
だれがおまえに子牛になれって命じた?
おまえは鳥になりたかったんじゃないか、
おもえは燕になりたかったんじゃないか?

おわれな牛たちを人は縛ったり、
引きずりもすれば屠りもする
だけど翼あるものは空高く翔けて、誰の奴隷にもならない。
(黒田晴之・訳)」

この歌をジョーン・バエズは勃興し始めた黒人差別に抗議する公民権運動のその時代の中で歌ったのか。尊敬します。

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つたやのレンタルDVDでリリオ・フェへイラとイルトン・ラセルダが監督をした「カルト―ラ サンビスタの物語」を見る。

このドキュメンタリー映画に取り上げられているカルト―ラという人は、ブラジルのサンバのもっとも偉大な巨匠の中の一人で、サンバという音楽を作り上げたと言っても過言ではない人。その破格の人間性にある思いやりと自由の精神でブラジル人の誰からも尊敬されていた。若いころから作詞作曲で少なからずのヒットを飛ばしでもいたのだけれど、波乱万丈の人生でもあって、こういう人にありがちなのだけど、金銭にはまったく恵まれず、しかも、二度目の奥さんとの間に何人もの養子を引き受け育てたというような逸話もある。本格的に自分の曲を自分の歌声でレコーディングしたのが六十歳を超えた時で、その1970年代から出したアルバムは名作として次から次へとブラジルでヒットし、それは一部の音楽好きにも伝えられていた。

その1970年代とはブラジルの音楽界にっとって、一世を風靡したボサ・ノヴァのミュージシャンが時のクーデターによる軍事政権を嫌い、亡命同然にフランスやアメリカ合衆国の去って行ったそんな時代でもあった。それでもブラジルに残されたミュージシャンには向かう所、聖なる場所ともいうべき所があった。そこはサンバの発祥した地、リオデジャネイロのモーホーと呼ばれる裏山、貧しい人たちの住む所、アメリカでいえばもともとはドイツのユダヤ人が強制的に住まわされたところを呼ぶゲットー、ジャマイカでいえばシャンティー・タウン、中上健次ならば路地と呼んだそこであった。そんなブラジルの音楽シーンの中であって、精神的支柱でも、カルト―ラはあった、と思う。

あぁ、カルト―ラの美しいメロディーとシンコペイトするサンバのリズムとセンチメントな詞は、最高で、まだ、ワールド・ミュージックなどという言葉のない時代でもあって、偉大なる音楽には偉大なる人がいたことは確かなこと。その人はの名は、CartolaことAngenor de Oliveira、その人なのです。

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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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