えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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渋谷のパルコPart3の8階にあるシネクイントにジョン・カーニー監督の「はじまりのうた」を見に行く。すばらしかったです。

ギターとか弾いたりして、プロにしろアマチュアにしろ、この映画を音楽をやる人が見たら、そうそう、そうなんだよと、うなずき拍手したくなるのではないかしら。全編、ニューヨークのロケなんだけど、ライブ・ハウスでのオープン・マイクでのシーンでは、土曜とか日曜に、ぼくがふらふらしている地元のライブ・バーなぞを思う浮かべてしまいもしました。冒頭のこんなセリフからして引き込まれます。マーク・ラファロ演じるアル中の落ち目の音楽プロデューサー、ダンが、キーラ・ナイトレイ演じるライブ・バーで磨く前のダイヤモンド原石のようなフォーク歌手、グレタの唄を聴き、声をかけます。

「いい歌、歌うじゃないか。おれはこういうもので、契約しないか? その男の子みたいなかっこはやめて、かわいらしい服着て、歌、歌えばスターになれるぜ」
「歌と服装は関係ないわ。あんたに服のことなんか指図されるつもりはないし、歌と服なんて、関係ない。わたしは歌を歌いたいだけなの」
「歌を歌いたいだけ? で、例えばどんな歌手が好きなんだ?」
「ディラン」
「ディラン? あいつこそ、かっこ重視で、10年ごとに飽きられないようにファッションを変えているぜ」
「ランディー・ニューマン」
「ランディー・ニューマンか、確かにあいつはいい」

いきなり、音楽好きのぼくのつぼにきました。

それから、マルーン5のボーカリスト、アダム・レヴィーンも出ていますね。かっこいいですが、よれた不良中年役を演じきったマーク・ラファロにはかないません。そして、ぱっぱり、キーラ・ナイトレイ、きれいでかわいかった。

近頃、見た映画の中では「アバウト・タイム」をも超える大好きな映画、とても、とてもよかった映画です。

映画を見ていると、誰かのこんな声が聞こえてくるようでした。

歌いたい歌を歌おうぜ。バンド、やろうぜ。

http://hajimarinouta.com
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大岡昇平の「野火」を読んだら、武田泰淳の「ひかりごけ」を再び読みたくなった。これを読んだのは十代のころで、何度か読み返している。初めて読んだ時は、意味とか今でもよくわからないのだけど、あんて奇怪な小説だろうと、驚愕した。何度目かの今、読むと、序破急の恐るべきラストが、何か救いのようにも感じられて、しーんと胸が静まりかえるような感動をおぼえた。

ところで、武田泰淳は愛する中国で戦時中に兵士として何を見て、何を経験したのだろうか。それは作家に胸に永遠にしまわれてしまった。









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ペルーの歌う親善大使とも呼ばれるスサーナ・バカの2001年の9月11日のトゥイン・タワーへのテロ事件直後のニューヨークでのスタジオ・ライブです。オーディエンスは祈るかのように静まりかえってスサーナのスペイン語の凛とした歌を聴き入っています。自然に胸に歌が深くしみこんできて、感動します。日本ではあまり知られていない歴史的名盤です。







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こんな夢を見た。

ぼくは海岸に水着を着ている。その海岸は砂浜の海岸ではなく、岩場の海岸で、それらの岩は、火山から吹き出して長い年月もかけて固まったかのようにごつごつしていて大きくてつやのない黒い色をしている。海の水の色も真っ黒で、その黒さで10センチメートル先も見えない。その海岸にはぼく以外に誰一人いない。ぼくは水に入り泳いでみて、その水が冷たくもなく、温かくもなく、その真っ黒な水に不浄さはなく、むしろ清浄さの中で、身も心も洗われるように感じる。ひと泳ぎした後一休みをし、ぼくは持ったきていたフィンを足に着けて泳いでみる。清らかな真っ黒い水の中をイルカを真似た足の動きでどんどん進んで行き気持ちいい。

そこで目がさめた。この夢はあれかな。ユングでもなく、流行りのアドラーでもなく、フロイト系かな。でもないか。

荘子にこんな話があるらしい。長いですが、お暇ならば、お読みになってくださりまし。

「北の果ての黒い海に住んでいる魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは幾千里ともはかり知ることができない。やがて、化身して鳥となり、その名を鵬という。鵬の背の広さは幾千里あるのかはかり知ることができない。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。立ちのぼる旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海のかなたに出て、青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとする。この南の深い海こそ、世に天池と呼ばれるものである。

 斉諧とは、世にも怪奇な物語を多く知っている人である。彼は次のように述べている、「鵬が南のはての海に渡ろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼるつむじ風に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして、飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うのである」

 地上にはかげろうが揺らぎ立ち、塵が立ちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのだろうか。それとも遠く果てしないために、あのように見えるのだろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見下ろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。そもそも、水も厚く積もらなければ、大舟を浮かべるだけの力がない。杯の水を土間のくぼみに落としただけでは、芥が浮かんで舟になるのがせいぜいであり、杯を置いても地につかえるであろう。水が浅くて、舟が大きすぎるからである。とするならば、風も厚く積もらなければ、鵬の大きな翼をささえるだけの力はない。だから、九万里の高さにのぼって、はじめて翼に耐える風が下にあることになる。こうしていまこそ、大鵬は風に乗って上昇しようとする。背に青天を背負うばかりで、さえぎるものもない。こうしていまこそ、南を指して飛び立とうとする。

 蜩と小鳩はこの大鵬のありさまを見て、あざ笑っていう、「われわれは勢いよく飛び立ち、楡や枋の木をめがけて突進しても、ときには届かず、地面にたたきつけられることがある。それなのに、九万里の空に上り、南をさしてゆくとは、とほうもないことではないか」だが、近郊の野に出かける者は、三度の食事をするだけで帰ってきても、腹のすくことはないだろうが、百里の地に出かける者は、前夜から米をついて準備しなくてはならず、千里の地に出かける者は、三ヶ月も前から食糧を集めておかなければならない。とするならば、蜩や小鳩などに、大鵬の心を知ることなど、どうしてできようか」
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世田谷美術館に「難波田史男の世界 イメージの冒険」展を見に行きました。

絵を描き始めたそのほんの初期のころから、難波田史男はすでに難波田そのものであったからか、わずか32歳の時、1974年に夭折してしまう、彼のそのたくさんの絵が楽しい。そして、妙に懐かしいような暖かい既視感がぼくの胸にのぼってもきたのです。

今回の展覧会では展示されなかった「終着駅は宇宙ステーション」という作品もある難波田史男の絵は初期にむしろ大きなサイズの大作が多くて、むしろ彼自身の人生の最終章では子どもが普通にもつサイズの小さな作品が膨大な数で展示されていた。難波田史男は、線は自殺で色彩は愛だというようなことを言っていたそうなのだけれど、ぼくは、その線と色が少しづつ、少しづつあわさっていき、小さな絵描きの好きな海の青のしずくとなり、若い奔放な絵描きがこの世界から消えてしまう、そんな物語も想像してしまった。

人もまばらな日曜の午後の美術館にどこからかアナウンスの声が幻として響きわたる。

「次の駅は木星、次の駅は木星となります。終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション・・・」

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
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おはよー、こんなの聴いています。一度だけサン・ラは日本をツアーしたこことがあって、ぼくもそれを渋谷のクアトロで目撃したのだったけれど、このアルバム"Sun Ra Arkectra Live At Pi-Inn Tokyo, Japan, 8,8,1988"は同ツアーの新宿ピットインでの記録なのです。

これは忘れられない旅の記録のようなんもので、思い出して聴いてしまい、聴くと思い出してしまいます。ぼくの見たクアトロでの夜は、二部構成で、一部と二部の間で、控室からミュージシャンたちの奇声の気勢を上げる声が聞こえたり、演奏の途中で楽器を持たない男が舞台の袖から出てきて、ヨガのポーズをし始めたりした。ラストの大円団での全楽団員がダンスをしながら客席を練り歩く。会場には難しいジャズ・ファン、フリー・ミュージック好きのインテリ、ロック好きな人、パンクロッカー、ヒッピーみたいな人、仕事帰りのサラリーマン、いろんな人が詰めかけていた。そして、来日中のライオネル・ハンプトンの姿もあったのです。

ぼくはこのアルバムの中のラストを飾る子守唄かのような"Interstellar Lo-Way"が大好きなんだ。スピーカーから流れる音楽を聴きながら目をつぶり、星影の散歩に出かけてくるよ。








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会社帰りに有楽町の映画館に寄り、馬志翔監督の台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見た。

台湾が中華民国ではなく日本であったころの1931年の甲子園に出場し準優勝までした本当に実在した嘉義農林学校の野球部を主人公にした物語でした。これは日本の映画ではなく、台湾の映画で、日本統治下の台湾を美しいノスタルジーとして描いていて、台湾で大ヒットした映画だそうなのだ。

というと、ぼくは少しだけ歴史を紐解きたくなり、1895年から1945年までの間、台湾は確かに日本であった。植民地支配の功罪という言葉はよく使われ、その当時の台湾の治水事業に多大に貢献した八田與一という人物はいまだに台湾で尊敬されているらしいのだけれど、それはこの映画にも登場していた。そして、1945年に日本は敗戦し、毛沢東の共産党の軍隊に負けた蒋介石の国民党が台湾にやってきて、比較的に不正の少なかった日本の統治に比べ、その彼らの悪政に台湾の人々は立ち上げり抗議をし、内戦のような状況になり、多くの人が死んでいった。そこらへんのことは、機会があれば、侯孝賢監督の名作「悲情城市」を見てください。まぁ、映画を見る前に、このぐらいを知っておいた方が、楽しめると思い、おせっかいにも書いてしまった次第です。

歴史とか人の人生とか心とか、そういうもろもろのことって、黒か白かじゃなくって、無限のグラディエーションをもつ灰色というか、解き明かせない虹のような色のものだと思うのだけど、どうかしら?

さて、少しねたばれ的に映画に話をもどると、これは政治とか歴史の話ではなく、アジアに根付いた野球の話で、球を追いかけるその時は、理屈とかではなく、人種とか民族とか国とか地域とか関係なくなりながら、自分がやってきたどこかを深く思ってしまう。そして、海の向こうに帰っていこうとするそこは、中国という国でもなく日本という国でもない、国名すらも忘れられているかもしれない台湾という島が立ち現れくるような気がしたのです。ぼくはそこにむしろ未来を見てしまいます。

あと、日本人の野球監督を演じた永瀬正敏さんが、なかなか良かったのですよ。

http://kano1931.com
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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