えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
今日の午後三時からの小田急相模原にあるエルトピートでのギグにステラのオールド・ギターを持っていったのだけど、いざ本番で弾き始めると、ブリッジのあたりからビビりの音。結局、直らず、そのまま、弾き語る。
どうしたのだろうとうと、家に帰って来てから、再び弾くと、ビビり音はおさまっていた。弦のエンド・ポールがびびっていたようなので、そこに薄い小さな布を挟むという処置をしたのですが、あのビビり音は何だったのだろう。
人の本性は仏だというけれど、ギターには何か神がやどっているのではないかと、たまに思ったりする。まるで生きているかのようだ。そこでぼくの得た今日の解釈は、このギターが、今日の午後は、こんな音で奏でたかったのだというものだけど、あながちは外れてはいないだろう。いつか、ぼくとギターは心で本当に結ばれ、最高の音を奏でられるでしょう。
ギターは生きている。ゆめゆめうたがうことなかれ。
どうしたのだろうとうと、家に帰って来てから、再び弾くと、ビビり音はおさまっていた。弦のエンド・ポールがびびっていたようなので、そこに薄い小さな布を挟むという処置をしたのですが、あのビビり音は何だったのだろう。
人の本性は仏だというけれど、ギターには何か神がやどっているのではないかと、たまに思ったりする。まるで生きているかのようだ。そこでぼくの得た今日の解釈は、このギターが、今日の午後は、こんな音で奏でたかったのだというものだけど、あながちは外れてはいないだろう。いつか、ぼくとギターは心で本当に結ばれ、最高の音を奏でられるでしょう。
ギターは生きている。ゆめゆめうたがうことなかれ。
ラス・カサスの著した「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を読む。ドミニコ修道会の宣教師が書いた十六世紀にアメリカ大陸を覆ったもともとそこに住んでいた人々に対するスペイン人による大量殺戮のスペイン国王への報告書。あまりに無残な内容に読み進めるを止めたくなるのだけど、やっと、すべてを読み終えた。
なにが大航海時代だ。この蛮行が発端となり、オランダのスペインからの独立を招き、この本は十九世紀からの中南米の反スペイン、反植民地主義の思想的根拠を用意する。それは今でも消すことのえできない傷のように形を変えて続き、メキシコの人たちは自分たちのアイデンティティとして、自らを強姦された母親の子どもたちと呼ぶらしい。
パブロ・ピカソやアントニ・ガウディを生んだスペインにこのような無残で残酷な加害者の歴史があったとは。けれども、子どが親の犯した罪を背負えるだろうか。それよりも親こそが子どもたちには責任があるのではなかろうか。それは、未来にやってくるものたちへの責任で、過去と現在の本当のことを求め、未来のために子どもたちの教訓や糧となるように伝えていく責任。そのようなことのためにこの本は読まれ、未来永劫に手渡されていくべきではなかろうか。
なにが大航海時代だ。この蛮行が発端となり、オランダのスペインからの独立を招き、この本は十九世紀からの中南米の反スペイン、反植民地主義の思想的根拠を用意する。それは今でも消すことのえできない傷のように形を変えて続き、メキシコの人たちは自分たちのアイデンティティとして、自らを強姦された母親の子どもたちと呼ぶらしい。
パブロ・ピカソやアントニ・ガウディを生んだスペインにこのような無残で残酷な加害者の歴史があったとは。けれども、子どが親の犯した罪を背負えるだろうか。それよりも親こそが子どもたちには責任があるのではなかろうか。それは、未来にやってくるものたちへの責任で、過去と現在の本当のことを求め、未来のために子どもたちの教訓や糧となるように伝えていく責任。そのようなことのためにこの本は読まれ、未来永劫に手渡されていくべきではなかろうか。
藤子・F・不二雄の「劇画・オバQ」を読む、不思議な読後感でした。大人になった正ちゃんでもよっちゃんでもゴジラでもキザオでもハカセくんでもなく、ぼくものころのままのQちゃんのようだと思う。さびしいようなすがすがしいような妙な気持ちです。藤子不二雄の漫画では「オバケのQ太郎」が一番好きで、赤塚不二夫の漫画では「もーれつア太郎」が一番好きです。さて、明日は何をして遊ぼうかな? おやすみZZZzzz.....
銀座で「藤城清治卆寿記念90展」を見た後、国会議事堂前で行われている原発反対の集会に行ってみた。ぼくは原発には反対です。あんな危険なものが、世界のいたるところにできたら、そのうち事故で世の中は終わってしまって、地球に生き物が生きていられなくなるんじゃないか。そういう意味でも、核兵器と同じように原発にも絶対反対。
で、話は少しそれて、その集会でジンタらムータのバックでリザードのワカさんがベースを弾いていた。ワカさん、国会議事堂前の集会ではいつもボランティアでPAをやっているという。高校生のころ、リザードのギグにはよく行ったもんだ。白髪になったワカさんは、変わってしまったこともあるだろうけれども、心のどこか、あのころのままなんだ、と思うと、何か、胸がじーんとしました。
ワカさん、ベースは昔のようにピックで弾いていました。余談ですが、ぼくは、キャロル・ケイからリック・ダンコ、ジャン・ジャック・バーネルとピック弾きのベーシストが嫌いじゃありません。
で、話は少しそれて、その集会でジンタらムータのバックでリザードのワカさんがベースを弾いていた。ワカさん、国会議事堂前の集会ではいつもボランティアでPAをやっているという。高校生のころ、リザードのギグにはよく行ったもんだ。白髪になったワカさんは、変わってしまったこともあるだろうけれども、心のどこか、あのころのままなんだ、と思うと、何か、胸がじーんとしました。
ワカさん、ベースは昔のようにピックで弾いていました。余談ですが、ぼくは、キャロル・ケイからリック・ダンコ、ジャン・ジャック・バーネルとピック弾きのベーシストが嫌いじゃありません。
銀座にある経文館ウェインライトホールで開催されている「藤城清治卆寿記念90展」に行ってくる。藤城清治さんの影絵は大好きなのです。実物を見ると本当に美しいよ。東京12チャンネルの懐かしい深夜の天気予報の影絵のあの人です。
そう、展覧会会場のそこかしこから、女子からの、かわいい、かわいい、という感嘆の声もいろんなところからぼくの耳に聞こえてきた。かわいくて美しいんです。日本人の美意識の基本なのかな。
藤城清治さんのこれらの影絵は芸術品であるとともに美術品であり、工芸品であると思う。アンディー・ウォーホールは自身のシルクスクリーン制作の工房を"factory"と呼んでいたのだけれど、「ケロヨン」というかわいいキャラクターももつ藤城清治さんは、日本のポップ・アートの草分けのような人で、昔、テレビで見たその工房は美しい何かを作る手工業の工場(こうば)なのだと思った。藤城清治さんは90歳になられてもその工場の工場長をされていて、その美しい心でいつまでも美しいものを作り続けて欲しい、と思いました。
http://www.kyobunkwan.co.jp/blog/archives/5845
最近の自分の個人的事情もあって、稲盛和夫さんの著した「京セラフィロソフィー」を読了した。600頁もある大著には、平易な言葉で、新書でいうと4冊分ぐらいだろうか、内向きの螺旋階段を少しづつ上るか、下るかのように、同じテーマがつづられていた。当たり前的な話に感心してつまらなく、つまらないけれど、感心する、そんな内容。
京セラとKDDIの創業者は、JALも再建し、今、最も注目される経営者であり、その稲盛さんが、京セラ社内のみに配布している社訓集「京セラフィロソフィー手帳」を自ら、ひもとき、読み解いている。どこの本屋でも平置きされていて、「生き方」に続くベストセラーになろう。
この本から想像される内部から見た京セラは共産主義のようだ。そのことからか、京セラは元祖ブラック企業との説もある。その昔、よくゴルフをしてもらった年上の友だちの友だちが京セラ系の企業に再就職したことがあって、思い出すに、その友だちの友だちからブラック企業に勤めているがゆえの疲弊感のようなものは感じられなかったけれど、明日、運動会なんだ、絶対参加なんだ、まー、こういうのもいいことなのかな、などと言っていた。京セラは社内行事は原則、全員参加なんだそうだ。やはり、「京セラ」ではなく、「共(産)セラ」のほうがしっくり来るかも。ぼく自身は、社内行事とかいやではなく、社内旅行とかバーべ―キューとか、おもしろがって、ほいほい参加するけどね。
稲盛和夫さん、春を過ぎ、今は夏の真っ盛りですね。けれど、すべては春夏秋冬をめぐるのです。この「京セラフィロソフィー」には希薄で、それを引き裂くかのような、ダモクレスの剣、もしくは、ふいにかき曇り、撃つ雷かのような、自然学者、チャールズ・ダーウィン翁の二つの言葉をもう一つの警句として捧げ、自分への戒めともします。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」
「自然淘汰とは、有用でさえあれば、いかに小さな事であろうとも、保存されていくという原理である」
京セラとKDDIの創業者は、JALも再建し、今、最も注目される経営者であり、その稲盛さんが、京セラ社内のみに配布している社訓集「京セラフィロソフィー手帳」を自ら、ひもとき、読み解いている。どこの本屋でも平置きされていて、「生き方」に続くベストセラーになろう。
この本から想像される内部から見た京セラは共産主義のようだ。そのことからか、京セラは元祖ブラック企業との説もある。その昔、よくゴルフをしてもらった年上の友だちの友だちが京セラ系の企業に再就職したことがあって、思い出すに、その友だちの友だちからブラック企業に勤めているがゆえの疲弊感のようなものは感じられなかったけれど、明日、運動会なんだ、絶対参加なんだ、まー、こういうのもいいことなのかな、などと言っていた。京セラは社内行事は原則、全員参加なんだそうだ。やはり、「京セラ」ではなく、「共(産)セラ」のほうがしっくり来るかも。ぼく自身は、社内行事とかいやではなく、社内旅行とかバーべ―キューとか、おもしろがって、ほいほい参加するけどね。
稲盛和夫さん、春を過ぎ、今は夏の真っ盛りですね。けれど、すべては春夏秋冬をめぐるのです。この「京セラフィロソフィー」には希薄で、それを引き裂くかのような、ダモクレスの剣、もしくは、ふいにかき曇り、撃つ雷かのような、自然学者、チャールズ・ダーウィン翁の二つの言葉をもう一つの警句として捧げ、自分への戒めともします。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」
「自然淘汰とは、有用でさえあれば、いかに小さな事であろうとも、保存されていくという原理である」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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