えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
国立能楽堂で能楽を見ました。令和7年度(第80回)文化庁芸術祭主催公演ということであります。『明治時代と能 岩倉具視生誕200年』とタイトルされております。明治十二年に能楽の再興を推進した岩倉具視の岩倉邸での天覧ということで、演ぜられた演目でございます。
一、観世流の観世銕之丞さんによる独吟の「起請文(きしょうもん)」
二、観世流の梅若紀彰さんのシテによる仕舞の「玉ノ段(たまのだん)」
三、和泉流の三宅右近さんのシテのよる狂言「隠狸(かくしだぬき)」
四、金剛流の金剛永謹さんのシテによる能「石橋(しゃっきょう) 和合連獅子(わごうれんじし)」
狂言の「隠狸」を見ながら、落語の狸の出てくるいくつかの演目を思い出したりします。太郎冠者が今の女子高生がカバンやリュックに付けていたりする狸のぬいぐるみをぶら下げで出てくるのがわわいく、つい笑ってしまいました。のんびりとほがらかに気持ちもゆったりしますな。
能の「石橋 和合連獅子」はこんな話。中国に参り修行中の高僧が文殊菩薩の住まう清涼山へとつづく石橋に行き当たる。出会った木樵は、相当に修行した僧でなければ、この石橋は渡れぬ、という。渡ろうとすれば、霊獣である二頭の獅子に出会うだろう、という。次に出会った修行の仙人はこの石橋はあってはなきのごとくのもので、霊妙な神力と仏力によってかけられており、渡ることはできない、といい、聖なる霊獣の気配を感じ、立ち去っていく。すると文殊菩薩の化身である二頭の獅子が顕現する。「舞混合」などともいうらしいけれど、静から動へのダイナミックで激烈な舞いにぼくは驚き、感動したのであります。
話は少し変わって、本居宣長は日本を言霊幸う国といったが、能を見れば、日本は神と仏が幸う国でもあるだろう。NHKの朝ドラの「ばけばけ」を見つつ、精霊と妖精の国でもあるアイルランドの血を受け継ぎ、ニューオーリンズのブードゥーに惹かれたラフカディオ・ハーンがさらに日本にも惹かれた、その秘密の一つが能の中に見えるようでもあるのです。
新宿ロフトに『友川カズキ・生存確認コンサート2025「一切合切世も末だ」』と題されたコンサートに行きました。参加ミュージシャンな友川かずさんの弾き語りと大友良英さんのギター、石塚俊明さんのドラムス、永畑雅人さんのキーボードです。ぼくにとって友川さんの歌は羅針盤のようなものなのだ。友川さん歌う歌によって、ぼくは世界のどこにいるのか、知ることがかろうじてできるような気もするのです。北を指し示す羅針盤の向こうには寒く冷たい歌の世界、寒く冷たい音楽の世界があって、それは、それは美しい。今夜も素晴らしかったです。そして、アンコールで友川さんは(嘘をつき続け、何もかもをうやむやにいして済まそうとする為政者に向かって)「何も忘れていないからな」とMCをし、「一切合切世も末だ」を歌い始めたのです。かっこよかった。
十一月二十七日、上野の鈴本演芸場にて令和七年十一月中席昼の部です。見た演目を書き記します。前座の柳亭すわ郎くんの「平林」、二つ目の柳家小ふねくんの「都々逸親子」、鏡味仙成師匠と鏡味仙志郎師匠のお二人の太神楽曲芸、二つ目の柳家小次郎くんの「戦艦山城」 、柳亭市馬師匠の「芋俵」、ロケット団のお二人の漫才、三遊亭わん丈師匠の「新ガマの油」、古今亭菊之丞師匠の「短命」、小梅さんのマジック 、入船亭扇遊師匠の「夢の酒」でお仲入りです。江戸家猫八師匠の動物物真似、古今亭文菊師匠の「寝床」、五街道雲助師匠の「品川心中」、立花家橘之助しの三味線弾きの唄いの浮世節、主任は柳家喬太郎師匠で「時そば」でした。開演してすぐにほぼ満席になる柳家喬太郎師匠の人気にびっくり。女の人がやけに多い。
印象に残った噺です。柳家小次郎くんの「戦艦山城」は船上で自衛官が第二次世界大戦で沈み、海の藻屑と消えた戦艦山城の幽霊船に出会う噺。寄席中がしーんと静まり、聴きいる。柳家小次郎くんは元海上自衛官だった落語家であるそう。この噺を聴きながら、ぼくは為政者の軽はずみな発言が、国を愛するがゆえの、自衛官の忍耐と自制を毀損しているようにも思えるのだが、どうだろう? ぼくは平和を願い、祈るばかり。重い噺であったが、これも落語。よかったです。三遊亭わん丈師匠の「新ガマの油」で爆笑。小梅さんのマジックで小梅さんは和装の着物でありました。マジックもそうですが、その装いが素敵です。入船亭扇遊師匠の「夢の酒」で完全に盛り上がりました。古今亭文菊師匠の「寝床」は一番、今日の演し物の中で、ぼくは笑ったのではないかしら? 五街道雲助師匠の「品川心中」に落語の神髄を感じました。柳家喬太郎師匠の「時そば」は唯一無二の喬太郎師匠の落語の爆笑が素晴らしい。
暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスです。
映画館でロバート・ワイズ監督の『サウンド・オブ・ミュージック』を見ました。109シネマズ二子玉川のiMAXという巨大スクリーンでデジタル修復された映像と音声に驚きます。主演ジュリー・アンドリュースの映画史に残るミュージカル映画の名作です。本当の主演は、素敵な歌を届けてくれる7人の子どもたちかもしれません。リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の音楽の素晴らしさ。オーストリアを背景とした映像の美しさ。王道のストーリー。何度、見ても感動してしまいます。
サウンド・オブ・ミュージック 4Kデジタルリマスター
今の若い人は戦争をサッカー観戦のようなものと考えているのかもしれないが、それは違う。台湾海峡で戦争が起これば、たくさんの人が死ぬ。日本が参戦すれば、自衛隊がするのは試合ではなく戦争だ。自衛隊の若い人もたくさん死ぬ。日本にミサイルが飛んで来て、市民も無差別に死ぬ。しかも台湾海峡は日本ですらないのだ。
坂口安吾の著した自伝的作品ではない純文学および幻想文学の代表作が収められた短編小説集の岩波文庫での『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』を読了した。所収されているのは、「風博士」、「傲慢な眼」、「姦淫に寄す」、「不可解な失恋に就て」、「南風譜」、「白痴」、「女体」、「恋をしに行く」、「戦争と一人の女〔無削除版〕」、「続戦争と一人の女」、「桜の森の満開の下」、「青鬼の褌を洗う女」、「アンゴウ」、「夜長姫と耳男」。
女性の一人称で書かれた「続戦争と一人の女」や、ぼくが安吾の最高傑作だと思う「青鬼の褌を洗う女」が大好きだ。何か吹き抜けていくものがあります。空襲の燃え盛り、崩れ落ちていく東京の街を嬉々として彷徨い歩く坂口安吾、その人すらも思い浮かべてしまう。安吾の滅亡を肯定する文学に、ぼくは恐れ慄いてしまう。武田泰淳とともに坂口安吾は、このような滅亡的な人類を見る視点を発見し、それは深沢七郎に受け継がれていくのだと思う。その残酷さは「桜の森の満開の下」や「夜長姫と耳男」に深く通底する。坂口安吾は残酷な少女が好きだ。それは敗戦と仏教から安吾の学んだ視座のようでもあるだろう。それから、「アンゴウ」という二十四頁の短い話にあるやさしさと儚さ、無垢な何かにぼくは惹かれてしまいました。
桜の森の満開の下・白痴/坂口 安吾
阪本順治監督の『てっぺんの向こうにあなたがいる』を見ました。世界で初めて女性でエヴェレスト登頂への登山に成功した登山家・田部井淳子さんの実話を基とした映画でした。
田部井淳子さんを吉永小百合さんが演じられており、若かりし日の田部井淳子さんをのんさんが演じられております。吉永小百合さんも、のんさんも素敵です。やさしい夫を演じた佐藤浩市さん、親友役の天海祐希さんもよかった。
癌を患った田部井淳子さんが自分の人生を回想するという建てつけの物語は、世界初のエヴェレスト登山を成功させた英雄物語にとどまらず、吉永小百合さんがあまりに人間的な影の部分も含めた喜怒哀楽を表現していて、直球ど真ん中の感動編となっておりました。
若かりしころのように、ぼくも山に登ることを夢見てしまいそうです。体力、筋力の回復のためにまずは低い山から始めなくてはなりませんな。
夢見ることは素晴らしく、それがかなうか、かなわないかに関わらず、挑戦することも素晴らしい。かなえども、かななくとも、素晴らしい贈りものが届けられるのでしょう。
ところで『てっぺんの向こうにあなたがいる』の「あなた」とは誰なのでしょう? 旦那さん、子ども、仲間たち? そのはっきりとした答えは映画の中にはなかったようなのです。ただ、「あなた」がいるからこそ、人は未踏を登れるのかもしれません。素敵なメッセージであります。
映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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