えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
イギリスのシンガー、エイミー・ワインハウスの27年の生涯を描いたアシフ・カパディア監督のドキュメンタリー映画「Amy エイミー」を見た。27歳までの生涯とはなんとも短いとも思われるのだけど、エイミーの生きているうちに最後の時すらも見てしまったかのような暗い歌声を聞くと、それすらも納得してしまう。
もう少しその華奢な体と繊細な心で生きのびてくれて、爆発するような幸せの歌を聞きたかったものだけれど、この世界ではかなわぬ夢となってしまった。
エイミー、いつか、スタジアムではなくて、ぼくもいつかは行く空の向こうのホテル・ラウンジでそんな楽しく幸せな歌を聞かせてください。
映画『AMY エイミー』公式サイト
もう少しその華奢な体と繊細な心で生きのびてくれて、爆発するような幸せの歌を聞きたかったものだけれど、この世界ではかなわぬ夢となってしまった。
エイミー、いつか、スタジアムではなくて、ぼくもいつかは行く空の向こうのホテル・ラウンジでそんな楽しく幸せな歌を聞かせてください。
映画『AMY エイミー』公式サイト
今日は「終戦記念日」でその「終戦記念日」という言い方に違和感やら、少なからずの嫌悪を感じていた。なぜ「敗戦記念日」と言わないのかと思っていた。これは日本人によくある言葉によるごまかしではないかと思っていた。日本人はれっきとしたアジアに対する加害者であったとも確かに思えるとして、それでも、今は「終戦記念日」という言い方がいいと思っている。
というのは、勝っても負けても、戦争が終わることはいいことだ。戦争を始めてしまった時にぼくたちはもうすでに負けているのではなかろうか。地球から戦争がなくなることを祈りつつ、どうしたらいいのだろうかと途方に暮れながら、弱虫の売られた喧嘩は買わないぼくは、そんなことを考えたのです。
というのは、勝っても負けても、戦争が終わることはいいことだ。戦争を始めてしまった時にぼくたちはもうすでに負けているのではなかろうか。地球から戦争がなくなることを祈りつつ、どうしたらいいのだろうかと途方に暮れながら、弱虫の売られた喧嘩は買わないぼくは、そんなことを考えたのです。
オイゲン・ヘリゲル述、柴田治三郎訳の「日本の弓術」を読了する。第二次世界大戦の戦前に日本にやって来たドイツ人が日本文化に深く興味を持ち、日本の精神ともいうべきものを知ろうとし、弓道に励み、日本の師、阿波研造に教えを乞うた、それについて、まず初めに著したものがこの本で、オイゲン・ヘリゲルについてはのちに名著「弓と禅」がある。この本を読み、「弓と禅」も読んでみたくなった。
この「日本の弓術」は弓を的に射とめさせる技術について書いた本ではなく、その精神について書いた本であり、それは鎌倉時代から育まれた日本のある精神を語っているようでもあるのだ。その精神とはリオデジャネイロ・オリンピックの柔道の試合について語られれているある日本の「道」と付く鍛錬についての精神についてでもあるようでもある。その精神とな何か、もっとも端的にいい表している言葉があって、阿波研造がいったそれを引用してこの初めの名著を紹介します。
「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうして、それは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は有と非有に不動の中心、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心にある―これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」
よくわからないけれど、かっこいいなぁ。
この「日本の弓術」は弓を的に射とめさせる技術について書いた本ではなく、その精神について書いた本であり、それは鎌倉時代から育まれた日本のある精神を語っているようでもあるのだ。その精神とはリオデジャネイロ・オリンピックの柔道の試合について語られれているある日本の「道」と付く鍛錬についての精神についてでもあるようでもある。その精神とな何か、もっとも端的にいい表している言葉があって、阿波研造がいったそれを引用してこの初めの名著を紹介します。
「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうして、それは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は有と非有に不動の中心、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心にある―これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」
よくわからないけれど、かっこいいなぁ。
橋本の映画館MOVIXで「シン・ゴジラ」を見た。いままでいろんなゴジラの映画を見てきたけれど、今回のゴジラはとても怖かった。けれども、ぼくは放射能の毒の光線を巻き続けながら夜の東京を破壊し続ける怖いゴジラがもたらしたその光景がとても美しいとも思った。たしか、母校の大先輩の小説家、坂口安吾は東京の夜のアメリカ軍による空襲を美しいととある随筆に書いていたのを思い出しもした。どういうことなんだろうか?
監督と脚本は庵野秀明さん。劇場版は見ていないけれぢ、テレビ東京の深夜枠の「ヱヴァンゲリヲン」はよく見ていた。エンディング・ロールの"Fly Me To The Moon"はとても好きでした。理由もなく現れては、理由もなく都市を破壊しつくす「ヱヴァンゲリヲン」の「使徒」と「シン・ゴジラ」の「ゴジラ」、そして、多分、この映画はそのオマージュにもなっているのだと思うのだけど初代「ゴジラ」の「ゴジラ」はどこか似ているような気がする。
さて「シン・ゴジラ」にもどり、いつの時代にも自然からの地震や台風などの理不尽な怒りのような暴力にさらされてきた日本だからこそ生まれた物語なのかもしれない。再び、ゴジラはいやおうもなしに現れてしまうのかもしれないと不謹慎であるかもしれないけれど思う。
映画『シン・ゴジラ』公式サイト
監督と脚本は庵野秀明さん。劇場版は見ていないけれぢ、テレビ東京の深夜枠の「ヱヴァンゲリヲン」はよく見ていた。エンディング・ロールの"Fly Me To The Moon"はとても好きでした。理由もなく現れては、理由もなく都市を破壊しつくす「ヱヴァンゲリヲン」の「使徒」と「シン・ゴジラ」の「ゴジラ」、そして、多分、この映画はそのオマージュにもなっているのだと思うのだけど初代「ゴジラ」の「ゴジラ」はどこか似ているような気がする。
さて「シン・ゴジラ」にもどり、いつの時代にも自然からの地震や台風などの理不尽な怒りのような暴力にさらされてきた日本だからこそ生まれた物語なのかもしれない。再び、ゴジラはいやおうもなしに現れてしまうのかもしれないと不謹慎であるかもしれないけれど思う。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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