えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

鈴本演芸場で令和六年十月中席夜の部を見ました。見た演目を書き出してみます。前座の入船亭辰むめくんの「子ほめ」、二つ目の古今亭雛菊さんの「二階ぞめき」、鏡味仙志郎師匠と鏡味仙成師匠のお二人の大神楽曲芸、古今亭圓菊師匠の「粗忽の釘」、三遊亭歌奴師匠の「近日息子」、立花家あまね師匠の三味線弾きの、唄いの民謡、橘家文蔵師匠の「手紙無筆」、柳家小ゑん師匠の「ほっとけない娘」で仲入りです。林家八楽師匠の紙切り、蜃気楼龍玉師匠の「もぐら泥」、アサダ二世さんの奇術、主任は古今亭文菊師匠の「ねずみ」でした。
さて、今夜の主任であった、ぼくの大好きな古今亭文菊師匠について書かねばなるまい。今夜の「ねずみ」は江戸時代の木彫りの彫刻師、左甚五郎の旅先での人情噺。文菊師匠の噺は登場人物と景色がくっきり目の前に広がるかのようで見事でごさいます。ほぼ同年代で似たような出世の道を歩いてきた春風亭一之輔師匠とはまったく別の道を選んできた古今亭文菊師匠、そのお二人に、落語という芸能の奥深く広い何かを思わずにはおられません。寄席は今夜もパラダイスでした。
古今亭文菊インタビュー「人との出会いは、全部自分の心次第で変わっていく」


パレスチナ人監督モハメッド・サワフとイギリスの名匠マイケル・ウィンターボトムが共同監督の『忘れない、パレスチナの子どもたちを』を見ました。今、起こっていることよりも前の2022年の映画だけれど、ガザで爆撃されて殺された子どもたちの肖像と遺された家族へのインタビューとその後の日常は、見ていて当然につらい。
ラストに緊急に今のガザで撮られたモハメッド・サワフ監督のインタビューがあり、虐殺の進行中のガザでは人々が必死に生きのびようとしているということ。ぼくに生まれた心の中の声は、大義とかぬかすイスラエルの正義を信じるな、ましてやアメリカーの正義も信じるな、ロシア、おまえもだ。子どもの命がこのように奪われていいわけはない。
『忘れない、パレスチナの子どもたちを』をより多くの人に見ていただきたく、この映画の日本語版のナレーションを担当した坂本美雨さんの言葉を引用したいと思います。Ceasefire now!
「今パレスチナで起きていることは"戦争"でも"宗教の争い"でも"ハマスが10月7日にしたことの報復"でもなく、76年間続いてきたイスラエルのパレスチナ人の虐殺と民族浄化です。今この瞬間も世界は、無実の子どもが殺されることを許している。好きなことがあった、やりたいことがあった子どもたち、この映画は、消されてしまった命の一つ一つの物語を、私たちの胸にひとりひとり、刻みつける。」
映画『忘れない、パレスチナの子どもたちを』公式サイト


世田谷美術館の『北川民次展 メキシコから日本へ』を見ました。北川民次は第二次世界大戦前にメキシコに渡った絵描きで、そのメキシコでは、フリーダ・カーロの夫、ディエゴ・リベラを中心とした民主主義、民衆主義の壁画運動の盛んであったころ、自由の空気を満々と吸い、民族と民俗の混交した生き生きとした世界を表現していたのだが、戦中の日本に戻り、その窒息するばかりの軍国主義に暗喩を織り込んでの気づかれないような抵抗の絵となる。メキシコでの民衆主義のようなものは北川民次を生涯にわたって突き動かすのだが、日本社会の壁にぶつかり、常に暗中模索に混迷しているかのようでもあるのです。そのような葛藤の鈍色の絵も美しく、メキシコ時代の伸びやかさはないけれど、そのような北川民次の絵を描くことによる戦いにぼくは共感してしまう。
同時開催での『ディレクターの仕事』での大判のポスターの大貫卓也の商業ポスターのたくさんの展示は、ぼくを「Japan as No.1」と呼ばれた1980年代と1990年代に引き戻すかのようで、眩暈のするような、むしろ思い出したくないとも思える狂乱の何かを感じてしまう。それに対比するかのような雑誌「暮らしの手帳」の編集長であった花森安治のレタリングはあまり1960年代、1970年代的なノスタルジーなのだ。この展覧会では、その花森安治が世界大戦中の軍部の広報部で国策宣伝の仕事をしていたのが明かされ、ぼくは驚き、当惑しててしまう。花森安治は戦中については何も語らず、「暮らしの手帳」の素晴らしさを支えた戦後の花森安治のとなえる「生活の中の美」とはどのようなもので、どのように生まれ、どのように企図されてあったのか?
小さな企画として『川田喜久治 シリーズ <地図> より』という写真展も開催されていた。川田喜久治の発見し捉えた原爆ドームの天井の染みは、多くの人が焼き尽くされ、一瞬にして天に昇った凄惨な痕だという。これは決して忘れてはならないことだし、核爆弾は決して使われてならないものだ。
世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM


浅草の木馬亭で『ウチナージンタ1994-2024』と称されたインディーレーベル「off note」30周年記念のコンサートを見ました。出演したミュージシャンを失礼にも敬称略でご紹介します。大工哲弘(唄, 三絃)・大工苗子(箏, 囃子)・梅津和時(saxophone, clarinet)・大熊ワタル(clarinet, accordion)・中尾勘二(saxophone, klarinette)・関島岳郎(tuba)・向島ゆり子(violin)・石川浩司(percussion)。素晴らしい歌と演奏でした。客先は何か、ぼくの同世代の同胞たち、同志たちの同窓会のような空気にあふれておりました。みんな、よく生きのびてきたよ。ミュージシャンたちにレスペクト。「off note」の主催者の神谷一義さんにもレスペクト。ぼくらの第二章の始まりだ。


アレックス・ガーランド監督の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を見ました。『シビル・ウォー』の映画の中ではいきなり内戦下のアメリカ合衆国でカリフォルニア州とテキサス州の合同軍が首都のワシントンD.C.に進撃しております。それがどのようないきさつなのかは語られません。ニューヨークにいる主人公の報道カメラマンは仲間たちとワシントンD.C.に向かうというロードムービーになり、さまざな内戦の実相が描かれます。それを見ながら、4年前のアメリカ大統領選でトランプがワシントンの議会に向かえとアジテーションをしたことをぼくは思い出しました。当時、ニュースでこれを見ながら、1970年の日本で過激派の学生たちが成し遂げたかったことが、あっさりと行われたことに驚きもしました。日本のアメリカに赴任する大使館員は、ここは東の端と西の端にアメリカ共和国があり、残りの中央部は広大なジーザスランドだと教わるとどこかで聞きました。
閑話休題、『シビル・ウォー』の映画の中では荒んだ暴力がはびこり、ラストでは、驚くべきことに、あっさりとあることが実行されてしまいます。それは何であるかは、この映画をこれから見る人のためにも、述べるのを控えたくも思うのです。暴力の国、アメリカ合衆国。
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』|大ヒット上映中


小説家であり、ルポライターであり、バイク乗りでもあった今は亡き戸井十月さんの著した『ゲバラ最期の時』を読みました。この『ゲバラ最期の時』を読みながら、反抗的なぼくは、キューバであれ、ベトナムであれ、ましてや中華人民共和国であれ、朝鮮民主主義人民共和国であれ、政治的自由のない国に生まれなくてよかっとも思ってしまうが、ウクライナやガザでの子どもたちの凄惨な受難を見るにつけ、チェ・ゲバラが生きていたら、どう行動していただろうかと思ってしまう。付け加えるに、当邦にもどれば、ぼくは永住権を持つ市民には、日本での投票の権利、政治に関与する自由があってしかるべきだとも思う。
閑話休題、この『チェ・ゲバラ最期の時』は、実際に戸井十月さんが出会い、インタビューしたゲバラに実際に会った人の話もふんだんにさしはさみ、簡潔にしてすぐれたチェ・ゲバラの評伝になっていて、素晴らしい。チェ・ゲバラの最期を書いた「第六章「よく覚えているのは、チェが少しも絶望的にならずに歩いていることでした」」と「第七章「誰がやっても目を閉じさせることはできなかったのです」」は迫真の文書です。
ゲバラ最期の時/戸井十月


