えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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宮田律さんの著した『ガザ紛争の正体 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム』を読了した。擬制のイスラエル建国から現在のガザでのパレスチナ人へのホロコースト、ジェノサイドまでたどるこの本を読んでいると辛くなる。世界はこれを見ているだけでいいのか? もう9ヶ月も時は経ち、いいわけはないと思う。『ガザの正体』からイスラエルに殺害されたレファアト・アラリールの詩を引用。

 もし、私が死ななければならないのなら
 あなたはどうしても生きなくてはならない
 私の物語を語るために
 私の遺品を売って
 一切れの布といくつかの糸を買うために
 (色は白で、長いしっぽをつけてくれ)

 そうすれば、ガザのどこかにいる子供が
 天をまっすぐに見つめ返しながら
 すでに炎の中に消えてしまったがー
 肉体にも、自分自身(魂)にさえ
 一言も別れを告げなかった父親を待ちながらー

 その凧が、あなたが作った私の凧が
 空高く舞い上がるのを見てくれるから
 そうすれば、束の間、天使がそこに現れて
 愛をよみがえらせてくれるから

 もし私が死ななければならないのなら
 それが希望をもたらしますように
 それが物語になりますように

アパルトヘイトを無くさせた後の初代の南アフリカの大統領のネルソン・マンデラの言葉をこの本から引用。

 アパルトヘイトは人道に対する罪であり、イスラエルは数百万のパレスチナ人の自由と財産を奪っている。それは著しい人種差別と不平等のシステムを永続化させ、国際法に違反して体系的に数千人ものパレスチナ人たちに拘禁と拷問を行っている。イスラエルは市民、特に子どもたち対する攻撃を行っている。

ネルソン・マンデラは世界史に登場するぼくのもっとも尊敬する人物なのだが、この発言はネルソン・マンデラ存命の時のもので、事態はさらに深刻、残酷なことになっている。そして、さらに、この本から小説家の堀田善衛の言葉を引用。

 言論は無力であるかもしれない。しかし、一切人類が、「物いわぬ人」になった時は、その時は人類そのものが自殺する時であろう。

ガザ紛争の正体
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横須賀美術館へ『エドワード・ゴーリーを巡る旅』展を見に行きました。この絵本作家の原画を見ながら、今夜は怪しげでほの暗い悪夢を見そうな予感にとらわれてしまいます。ぼくはふと十九世紀末のイラストレーター、オーブリー・ビアズリーのモノクロの絵を思い出したりしていると、展覧会の中で、シカゴ出身のエドワード・ゴーリーの書庫にはイギリスのゴシック小説のコレクションか一万冊以上あったということを知り、さもありなんと思ったりしつつ、この人の頭の中、心の中はどうなっているのだろうかと考えたりしています。

1925年生まれのエドワード・ゴーリーは生涯、不気味な本を作りつづけ、ブロードウェイのミュージカル『ドラキュラ』の舞台美術でさらに財をなし、1985年、マサチューセッツ州ヤーマスポートで一軒家を買い、生涯、独身で、大好きな猫と暮らし、2000年に75年の人生の幕を閉じる。その海浜に面した、文化人の集う町での、毎日、同じ時間にカフェでコーヒーを飲むような、その晩年の平和と穏やかさに惹かれてもしまいます。

併設する谷内六郎館では『奏でる―楽器の調べ―』展。谷内六郎もエドワード・ゴーリーと同じく、幻想と幻夢の画家であったと思う。大江健三郎が谷内六郎についての批評にぼくはなるほどと首肯したことがあった。

「子供を画面に描きこむことにより、その媒介者としての役割によってイメージをジャンプさせる。つまりは子供の想像力の働きと並行したものを表現する。
・・・
そしてそれをつきつめて考えれば、眼に見え、頭の中で納得できる種類の、ここに「もの」がある、存在するという域を超えて、動かしがたい現実感を見出すことがあるのに気がつくと思います。ここに集められた谷内さんの絵をよく見るうち、本を閉じてから、身のまわりの事物、風景について《存在を越えたところにある現実感》を見つけていると感じる、そのような体験をされる方は多いはずです。」

エドワード・ゴーリーの絵と谷内六郎の絵はどこか通じていて、近しいとぼくは思うのでした。
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かめありリリオホールで「春風亭一之輔 古今亭文菊 二人会」を見ました。

見た演目でございます。前座の春風亭らいちくんの「転失気」、古今亭文菊師匠の「高砂や」、春風亭一之輔師匠の「ちりとてちん」で仲入りとなりました。そして、春風亭一之輔師匠の「肝つぶし」、古今亭文菊師匠の「抜け雀」。

「肝つぶし」は夏らしい怖い噺。春風亭一之輔師匠の迫真の語り。とりの「抜け雀」は大人のやさしいファンタジー。この感じ、世界が大好きです。やっぱ、古今亭文菊師匠はいい。「転失気」、「高砂や」、「ちりとてちん」は寄席の定番の滑稽噺で、笑ってしまいます。

最近、思うのだけれど、負け犬の遠吠えといわれてしまっても、近頃というか何十年も続いている「金持ち絶対正義」、「金儲け絶対正義」みたいな日本の風潮が嫌だ。そんなの、アメリカにでもまかせてこけばいいのだ。それにくらべれば、落語の落とし噺のすがすがしさよ。蒸し暑い梅雨の中、かめありリリオホールに江戸の涼しい風が吹いていました。
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前田哲監督の『九十歳。何がめでたい』を見ました。九十歳の草笛光子さんがが九十歳の大作家、佐藤愛子さんを熱演していて面白い。こういう映画を見ると、ぼくは、世界には老人力、佐藤愛子さんいわく「老い力」というものがあるのだなと思わざるえない。元気になるような映画です。そして、伝え聞くところによると、佐藤愛子さん、今、百歳、百寿・紀寿だそうです。素晴らしい。

映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!
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平山周吉さんの著した『戦争画リターンズ―藤田嗣治とアッツ島の花々』を読了。平山さんの本は知らなかった不幸な戦争期の昭和について、何かを知らさせ、目を見開かされるようで、面白い。本の帯にはこうある。

名画「アッツ島 玉砕」が啓示する昭和史
凄絶な玉砕シーンに、藤田嗣治が丹念に描き込んだ「死者の傍らに咲いている花」はいったい何を語りかけるのか? 英霊たちが眠る厳寒のアッツ島には終戦七十年の秘密が冷凍保存されている。

この藤田画伯の「アッツ島 玉砕」は二度、竹橋の国立近代美術館で見たことがある。一度は若かりしころで、一度はこの前で、戦争画特集と称され常設展示されていた。昭和の戦争期に描かれた戦争協力絵画の一つとして展示されてあった「アッツ島 玉砕」にぼくは嫌悪感をおぼえながらも、惹き付けられ、たたずんでいた。

熊谷守一のように戦争を忌避し、絵筆を取らなくなるという身の処置の方法もあったろうに、藤田嗣治はさまざまな思惑もあっただろうが、ナチスのドイツによるパリ陥落の後、日本に戻り、オカッパ頭を坊主に刈り、戦争絵画を描いていく。戦後、それらの絵を美術史家や美術評論家から執拗に糾弾され、パリに戻り、客死する。アメリカに接収された戦争画は「無期限貸与」という形で昭和四十五年に日本に戻される。そのような藤田の「アッツ島 玉砕」をめぐる章が四十八章あるのこの本は、どの章も興味深く、読めば戦時期の日本の空気が本から匂い立つかのようなのである。

戦争に加担したという責任を問えば、どの有名な文化人も免れえず、小説の「麦と兵隊」や「土と兵隊」を書いた火野葦平などがもっともやり玉にあげられ、火野は昭和三十五年、睡眠薬による自殺を遂げた。

この本から離れ、ぼくの知るところによれば、戦争に批判的であった永井荷風はペンを置き、同じく戦争に批判的であった谷崎潤一郎は「細雪」を書き始める。谷崎は戦後のNHKラジオのインタビューでうるさい軍部の目眩ましとして「細雪」を書き始めたといっていた。戦後、詩人、彫刻家の高村光太郎は自分を罰し、山荘で自給自足の生活を始めた。

この「戦争画リターンズ」を読んで、ぼくはもう一度、国立近代美術館を訪ねて、ゆっくりと藤田嗣治の「アッツ島 玉砕」を鑑賞しつつも、対峙したいと思う。

戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々 - 芸術新聞社
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遊行寺こと一遍上人の時宗の本山である藤沢の清浄光寺の本堂で横浜ボートシアターの『新編 小栗判官・照手姫』を見ました。

横浜ボートシアターの芝居の『小栗判官・照手姫』はぼくが若かりし日の遠い昔に見た記憶があります。素晴らしかったという記憶のみで、詳細は忘却のかなたで、船の上での観劇でありました。

『新編 小栗判官・照手姫』を見ながら、民衆の積み重なった切なる祈りの記憶というようなことを思っていました。各種の民族楽器で奏でられる音楽と仮面の劇は東アジアの民衆の記憶とも通底するかのようでもあるのです。中世の説教節を端緒とするそれは日本人のナラティブの言の葉の力のようなものも感じました。

ふと、生きているものと同じく、この世を去ったものたちもこの寺のお堂の中で芝居を見ている、そのような気配に、ぼくの心はざわつきもしたのです。

俳句を作りました。

 紫陽花や小栗と照手の芝居見ん

 遊行寺の大銀杏の下風涼し

横浜ボートシアターを立ち上げ、育て、唯一無二の劇団にまでして、四年前に鬼籍に入られた遠藤琢郎さんに敬意の合掌をし、この拙文を了とします。
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国立能楽堂で能楽鑑賞をしました。狂言は「文荷(ふみにない)」、能は「弱法師(よろぼし)」。

国立能楽堂で初めてアフリカ系の人が能楽を鑑賞しているのを見かけました。能楽の感動は、エキゾティズムではなく、もっと根元的で、人種などは軽々と越えてしまうのでしょう。そのアフリカ系の人は、なんか、おしゃれな服装の人でした。フランス人であろうか? ぼくは、ふと、『三銃士』を書いたアレクサンドル・デュマは混血の黒人であったのを思い出しました。フランス共和国、万歳!

「弱法師」は大阪の天王寺、今の四天王寺を舞台にした能です。昔、中上健次の随筆か何かで、天王寺が大阪と紀州、木の国、根の国を隔てる境界線であり、大阪と紀州を結びつける通路であっとというようなことを書いていたのを思い出しました。盲目となった俊徳丸が彷徨うのは紀の国であるに違いない。なぜか、日本に生まれてきたぼくは、年をとるにつれ、日本人の心根の深いところから積み重なっていった何かを知りたいとも思うようにもなったのです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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