えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

かつしかシンフォニーヒルズのアイリスホールで『林家つる子独演会 つる子の芝浜』を見ました。見た演目を書き出してみます。前座の三遊亭歌きち師匠の「初天神」、 林家つる子師匠の「やかん」と「箱入り」で仲入りとなりました。仲入りをあけて、林家つる子師匠の(つる子版)「芝浜」となります。
滑稽噺の「箱入り」で大爆笑。有名すぎる古典落語、人情噺の「芝浜」はつる子師匠により、話の筋はそのままに大胆な改変がされたもので、どういう改変かというと、女性視点による「芝浜」というより、ダイアログの落語の魅力はそのままに、たくさんの話者としての女房の語りの導入により、面白さと純な魚屋夫婦の愛の深みは増して、ぼくは大変、感動し、目頭にも何かこみあげてくるものすらございました。そういえば、伝説の古今亭志ん生の弟子への口癖は「なんでもいいんだよ」だったそうだけれど、そんな言葉も思い出されます。林家つる子師匠は素晴らしい。落語は素晴らしい。


法師温泉の長寿館へ旅をしました。インターネットを見ていて、その長寿館の湯船の写真が大好きな川瀬巴水の版画「上州法師温泉」そのままであるのを見て、とても興味をそそられ、行ってきました。
行きの足で、五徳山水澤観世音に寄り、自らの心身健康と世界の平和をお祈り申し上げます。御神籤をひくと「大吉」でとても幸先がよい。
「第九十九番 大吉
紅日当門照 こつじつもんにあたりててらす
暗月再重圓 あんげつふたたびちょうえんたり
遇珍須得宝 ちんにおうてすべからくたからをう
頗有称心田 すこぶるしょうありかならずすみやかならん
紅日とは能く照り輝く日なり
門に当りとは天のめぐみをうける意味
雲のかかった暗い月もはれて
ふたたびまどかな月を見る
珍に遭うてとは思いがけぬ宝をうる事あり
目上の人に引き立てられ出世立身すべし
大吉なり」
ゆめゆめうたがふことなかれ
法師温泉は水上温泉をさらに北に車を走らせ、群馬県と新潟県の県境の山の中、森の中にあって、長寿館は一軒家で明治時代の建てものが歴史のかなたから忽然と姿を現す。川瀬巴水の版画は長寿館の三つある湯船のひとつの法師の湯でところどころで黒いごろた石がしかれているところでぷくぷくと湯もわいていて、それがかすかに硫黄の香りただよう無色透明のこのうえない上質。しかも苔むした屋根の明治からの建てものが風情と情趣をさそう。あまりの素晴らしさに、ぼくは何度も湯船に足をはこんでしまいました。読んだ句。
窓に舞う紅葉ははらり湯はぷくり
館内の古い日本建築と屋根に見える太い黒い梁も美しい。飾られた調度品もぼくの心を歴史の向こうに誘うかのようなのです。
夕食は上州牛のステーキ、松茸の土瓶蒸し、鯉のあらいの刺身、岩魚の南蛮漬けなど、ぼくのあまり食べたことのないものも出て、どれもとても美味しい。地酒の「誉国光(ほまれくにみつ)」のきりっとした美味しさよ。
翌朝、館内を散歩していると流れている川に岩魚がおよいでいるのを見て驚く。毛鉤を投げて一匹ぐらい釣って、放ちたいものだ。けれども、釣り竿は持ってきてはいなく、今は禁漁期間です。読んだ句。
古旅館の秋の川には岩魚かな
帰りの足で濱名神社をお参りしました。国のこの重要文化財は修復中でありました。御神籤をひくと「中吉」。
「誠
どんな人生になるかは
誰にもわからない
どんな人生にするかは
あなただけが分かる
誠の心を持って生きよ
嘘や上辺の言葉は自分自身を裏切る
運勢中吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
行きの足で、五徳山水澤観世音に寄り、自らの心身健康と世界の平和をお祈り申し上げます。御神籤をひくと「大吉」でとても幸先がよい。
「第九十九番 大吉
紅日当門照 こつじつもんにあたりててらす
暗月再重圓 あんげつふたたびちょうえんたり
遇珍須得宝 ちんにおうてすべからくたからをう
頗有称心田 すこぶるしょうありかならずすみやかならん
紅日とは能く照り輝く日なり
門に当りとは天のめぐみをうける意味
雲のかかった暗い月もはれて
ふたたびまどかな月を見る
珍に遭うてとは思いがけぬ宝をうる事あり
目上の人に引き立てられ出世立身すべし
大吉なり」
ゆめゆめうたがふことなかれ
法師温泉は水上温泉をさらに北に車を走らせ、群馬県と新潟県の県境の山の中、森の中にあって、長寿館は一軒家で明治時代の建てものが歴史のかなたから忽然と姿を現す。川瀬巴水の版画は長寿館の三つある湯船のひとつの法師の湯でところどころで黒いごろた石がしかれているところでぷくぷくと湯もわいていて、それがかすかに硫黄の香りただよう無色透明のこのうえない上質。しかも苔むした屋根の明治からの建てものが風情と情趣をさそう。あまりの素晴らしさに、ぼくは何度も湯船に足をはこんでしまいました。読んだ句。
窓に舞う紅葉ははらり湯はぷくり
館内の古い日本建築と屋根に見える太い黒い梁も美しい。飾られた調度品もぼくの心を歴史の向こうに誘うかのようなのです。
夕食は上州牛のステーキ、松茸の土瓶蒸し、鯉のあらいの刺身、岩魚の南蛮漬けなど、ぼくのあまり食べたことのないものも出て、どれもとても美味しい。地酒の「誉国光(ほまれくにみつ)」のきりっとした美味しさよ。
翌朝、館内を散歩していると流れている川に岩魚がおよいでいるのを見て驚く。毛鉤を投げて一匹ぐらい釣って、放ちたいものだ。けれども、釣り竿は持ってきてはいなく、今は禁漁期間です。読んだ句。
古旅館の秋の川には岩魚かな
帰りの足で濱名神社をお参りしました。国のこの重要文化財は修復中でありました。御神籤をひくと「中吉」。
「誠
どんな人生になるかは
誰にもわからない
どんな人生にするかは
あなただけが分かる
誠の心を持って生きよ
嘘や上辺の言葉は自分自身を裏切る
運勢中吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ


相模大野の相模女子大グリーンホールで『八起寄席すぺしゃる 相模原出身女流落語家三人の会』を見ました。相模原出身の三人の女流落語家とは二つ目の古今亭佑輔さんと鈴々舎美馬さん、前座の立川のの一さんの御三方。相模原に女性落語家が三人もいるのなんて驚きです。更には古今亭佑輔さんは東洋大学出身でぼくの後輩にあたる人ではないですか。ちなみに美馬さんは桜美林大学出身で、のの一さんは日本大学出身だそうで、近ごろでは東京大学出身の落語家もいるそうな。
見た落語を書き出してみます。立川のの一さんの「時そば」、古今亭佑輔さんの「権助提灯」、鈴々舎美馬さんの「金明竹」で仲入りとなりました。そして、立川のの一さんの「粗忽長屋」、鈴々舎美馬さんの「エステサロン」、主任は古今亭佑輔さんの「寝子」。
おなじみの古典落語「金明竹」や「粗忽長屋」で大爆笑。古今亭佑輔さんの「寝子」は長講の吉原を舞台にした新作の怪談の序の段で、全編を次の機会には聴いてみたく存じます。こういうのを「新古典」というのかしら? フランス文学ならジャン・コクトーみたいではないか。その古今亭佑輔さんの「寝子」の枕を聴いていると、なぜか古今亭文菊師匠が連想され、古今亭に流れる血を感じてもしまいます。
落語は面白い。


サントリー美術館で『没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―』を見ました。英一蝶は江戸元禄の絵師で、
闇の世は吉原ばかり月夜かな
を詠んだ同じく江戸元禄の俳諧師にして松尾芭蕉の高弟、宝井其角とマブダチだったことを知る。落語にもよく登場する吉原の幇間、太鼓持ちであった英一蝶は、理由も分からぬ罪に問われ、生涯の中途で三宅島に流刑となり、徳川綱吉の逝去にともなう恩赦により江戸にもどれども、その時には無二の親友の宝井其角は亡くなっていた。その後も絵師としての探求を極めていった。
浄土真宗をおこした親鸞も流罪であった。能を大成した世阿弥も流罪であった。そして、英一蝶もであって、加えるに日蓮、法然、西郷隆盛で、島流しこそ、日本の偉人のたどるべき運命だろうか?
ぼくは、スーパーフラットを標榜する、この前に展覧会を京都で見た現代美術の作家の村上隆さんに感謝しなくてはならない。あの展覧会以来、ぼくの日本画を見る目が変化し、昔の日本画を自然に楽しめるようにもなったようなのです。
閑話休題、俳諧もたしなむ一蝶は、反逆児か、時代の生んだ寵児か、はたまた絵の天才か? そのどれでもあろう。英一蝶の絵に顕れもする、複雑な人物に見え隠れする一縷のヒューマニティーにぼくは惹かれてしまうのです。
没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す


島尾敏雄の著した『死の棘 短篇連作集』を読了しました。名作とのほまれの高い長篇の『死の棘』の前に書かれた原型にして、生々しい短篇小説で、昔、日本の文学には「私小説」というジャンルがあったことなどを思い出し、つげ義春の漫画を連想したりします。この『死の棘 短篇連作集』は大変な小説で、読み進めるのも辛くなることもあります。ふと、LGBTQももちろん含めて、1000組のカップルがいれば、1000通りの愛があるはずだとも思ったりします。しかし、この小説にでてくる愛は苦しすぎるのです。ふと、子はかすがいなどといいますが、かすがいにされた子どももたまったものではない。しかし、敏雄とミホの物語は通り過ぎ、作品は残り、人は去ってゆく、そのような愛の記憶となった愛の記録の物語『死の棘 短篇連作集』に真実はあるのではないでしょうか。
島尾 敏雄 - 単行本 死の棘 短篇連作集


新宿末廣亭に今日は昼から夜までの9時間近くいたしまった。令和六年十月下席です。昼の部と夜の部のそれぞれの見た演目を書き出してみます。
昼の部です。前座の金原亭駒介くんの「酒の粕」、二つ目の古今亭菊正くんの「元犬」、蝶花楼桃花師匠の「転失気」、小春師匠の三味線弾きの、唄いの音曲、古今亭駒治師匠の「出札口」、柳亭燕路師匠の「粗忽の釘」、すず風にゃん子・金魚のお二人の 漫才、初音家左橋師匠の「紙入れ」、林家錦平師匠の「不動坊」、アサダ二世さんの奇術、春風亭正朝師匠の「狸賽」、柳家 小里ん師匠の「碁泥」で仲入りとなりました。春風亭柳枝師匠の「居候講釈」、青空一風•千風のお二人の漫才、古今亭菊丸師匠の「子ほめ」、三遊亭歌奴師匠の「片棒」、ストレート松浦さんのジャグリング。主任は古今亭文菊師匠で「替り目」でした。
夜の部です。前座の三遊亭歌きちくんの「垂乳根」、二つ目の春風亭㐂いちくんの「道灌」、小梅さんなマジック、橘家圓太郎師匠の「権助芝居」、林家たけ平師匠の「金色夜叉」、ウクレレえいじさんのウクレレ漫談、春風亭勢朝師匠の「紀州」、柳亭市馬師匠の「時そば」、ホンキートンクのお二人の漫才、柳家小満ん師匠の「あちたりこちたり」で仲入りとなりました。春風亭一蔵師匠の「熊の皮」、のだゆきさんの音楽パフォーマンス、三遊亭師匠の「ツイッター泥」、蜃気楼龍玉師匠の「鹿政談」、鏡味仙太郎・仙成のお二人の師匠の大神楽曲芸。主任は春風亭一之輔師匠で「二番煎じ」でした。
昼の部の蝶花楼桃花師匠の「転失気」の小僧さんが微笑ましくもかわいいねぇ。夜の部の春風亭一蔵師匠の「熊の皮」は大爆笑。
昼の部、夜の部の主任のお二人、それぞれに個性的で愉しませてもらいました。昔、古今亭文菊師匠が一之輔兄さんのようにはわたしはお客を笑わせられないのは、どうしたことかと悩んでいる時、当時の落語協会の会長だった今は亡き柳家小三治師匠の言葉「笑わせようとするな」にはずいぶん救われたという。二人とも小三治師匠の落語協会の会長の時、抜擢で真打になり、そして、まったく違う方向に進みました。今の落語界を代表する噺家となったお二人、こらからも応援しておりますぞ。
寄席はパラダイスです。


安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』を見ました。幕末の時代の会津藩の武士が薩摩藩の武士と切り合いになり、刀と刀がぶつかった時、雷に打たれ、起きれば、130年後の京都の時代劇の江戸の町を模した撮影所で目が覚めて、巻き起こる珍騒動という話の筋は、意外な方向に転がり、驚きのラストとなります。このラストには、眼もうるうるするほど感動し、あー、とても面白うごさいました。
この映画を見て、殺陣師や殺陣の見方も、ぼくの中で変わりそうです。実は、よくTBSのBS放送の東野英治郎の主演している再放送の『水戸黄門』をよく見ているぼくですが、時代劇の復活を願わずにはおられません。子どもの頃に見たテレビドラマ『素浪人 花山大吉』は強烈に印象に残っています。もちろん、黒澤明監督の三船敏郎主演の侍映画も駄作なしで、素晴らしい。
閑話休題、この『侍タイムスリッパー』はインディー映画として作られ、単館でロードショウが始まり、今では全国の映画館で上映されています。そして、2021年に逝去された、日本一の斬られ役とも呼ばれた福本清三さんに捧げられた『侍タイムスリッパー』は、まぎれもない楽しい名作なのです。
侍タイムスリッパー | 公式サイト
