えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

もうそろそろ世界の終わりも近いような気が時々します。すると、公園で遊んである子どもとかを見ると申し訳なくて仕方ありません。そんなことを思案していると、空から「人生は野菜スープ」という歌が降ってきました。天にいまします神様は何が伝えたいのでしょう? こんな歌詞なのです。(絵はダヴィンチの「最後の晩餐」)
人生は野菜スープ
人生は野菜スープ
にんじん、じゃがいも、玉ねぎ入れて
セロリにキャベツ、トマトも煮込め
おいしい夕げのできあがり
この世界は野菜スープ
白、黒、赤に黄色も入れて
古今東西、何でも煮込め
おいしい夕げのできあがり
あーあー、お日さまが沈んでいく
あーあー、最後の晩餐
あーあー、夕暮れがやってくる
あーあー、最後の晩餐
Rejoice, if the war is over
Rejoice, if the war is over
Let's sing it again and again
Rejoice!


『ヒルマ・アフ・クリント展』を見に、竹橋にある国立近代美術館に行ったのだけれど、『ヒルマ・アフ・クリント展』は会期前で、常設展を見てきました。こなように常設展をじっくり見るのもひさかたぶりのような気がします。
いつものように第二次世界大戦下の戦争画が数点、展示されていて、その中に藤田嗣治の「血戦ガダルカナル」もありました。戦時下の兵士たちの獣性を表現して限りなく、その大きな絵は、まったくの地獄の図を呈している。このような絵を戦時協力の絵として、時の軍部政権の政府に提供した藤田嗣治とは何ものなんだ? 戦中、藤田は、仲間の画家に、日本は負けますよ、そうすればわれわれの時代だ、ここがききますからね、と自らの腕を軽くたたき、にやっと笑った、という。戦後、藤田は戦時協力の批判にあい、自身の芸術の故郷、フランスに戻り、二度と日本に帰らなかった。藤田嗣治とは何ものなんだ?
会田誠の「美しい旗」を見て、これは危険な絵だという気がした。ぞっとするような全体主義への誘惑? 戦争だ、若者よ、体を鍛えておけ? むしろ、おれは、光り輝き、一人で屹立する病者の精神に共感するのだよ。
会場を歩き、日本画の展示場の菊池芳文の「小雨ふる吉野」に心休まり、しばらくは見とれていた。この絵には癒されます。最近、日本画が分かってきたような気がします。
『ヒルマ・アフ・クリント展』は3月4日(火)からだそうで、楽しみです。


近頃は新しい曲などはめったに作らなくなったのですが、この前の相模大野のアコパでのオープンマイク「ていねい・DE・ナイト」でほやほやの新曲「マンボジャンボ」を披露したら、なんだか、とても受けてしまって、嬉しいかぎりです。暗い戦争の世をぶっとばすような曲は作れないものかと思案していたら、歌は空から降ってきました。
さて、「マンボジャンボ」の歌詞によりこの項はめでたくおひらきとあいなります。ちなみに歌詞に出てくる「マクンバ」とは、アフリカの土着宗教がブラジルに伝わって発展した魔術や呪術色濃い民間信仰、ブードゥー教の要素を歌や踊りに取り入れたカルト宗教、黒魔術の一種で、呪いの標的にされた信徒には嫌がらせが繰り返されることがある、ということであります。絵は川端龍子の描いた第二次世界大戦後に初めてインドからやって来た象のインディラの「百子図」であります。その後すぐ、インドから象のはな子もやってきたのですな。さぁ、どうぞ。
マンボジャンボ
マンボジャンボ、マンボジャンボ
マンボジャンボ、マンボジャンボ
子象の行進 パオー
マンボジャンボ、マンボジャンボ
マンボジャンボ、マンボジャンボ
マクンバふりかけな
愛のマントラだ
アジアは純情
アラブの闇夜に
アフリカの呪文だ
(ハナモゲラ語のアフリカの呪文)
マンボジャンボ、象のはな子
マンボジャンボ、象のはな子
子象の行進 パオー


二月十三日の上野鈴廣演芸場令和七年二月中席夜の部を見ました。例のごとく、見た演目を書き出してみます。前座の三遊亭二之吉くんの「松竹梅」、二つ目の桃月庵白浪くんの「庭蟹」、翁家社中のお二人の太神楽曲芸、柳亭燕路師匠の「垂乳根」、柳家小ゑん師匠の「レプリカント」、ニックスのお二人の漫才、古今亭志ん橋師匠の「粗忽の釘」、五街道雲助師匠の「身投げ屋」で仲入りです。林家八楽師匠の紙切り、隅田川馬石師匠の「鮑のし」、アサダ二世さんの奇術、主任は蜃気楼龍玉師匠の「夢金」でした。
柳亭燕路師匠の「垂乳根」や隅田川馬石師匠の「鮑のし」が、お馴染みの噺ではあるけれど、おおいに笑い、とてもよかったです。柳亭燕路師匠は柳亭こみち師匠の師匠だったそうで、こみち師匠は燕路師匠から、おれの真似したってしょうがねえだろ、とよく聞かされていたそうだけれど、今日は燕路師匠の噺に弟子のこみち師匠との親子のような師匠と弟子の縁を感じてしまいました。
主任の蜃気楼龍玉師匠の「夢金」のくすぐりを入れないその噺は初めは少し眠たくもなったけれど、気がつけば、会場一体となるかのように静まり聞き入り、ぼくもその人情噺に耳をそばだて、ただただ耳を傾けているのでした。立川談志は落語は「業の肯定」だ、とおおみえをきったけれど、金の亡者の業がすべて夢の中に流れ入るかのような落ちに、ぼくは感動の嘆息をもらしてしまったのです。寄席はパラダイス。
ところで、寄席の前に、不忍池辯天堂にお参りをし、世界の平和と自身の心身健全をお願い、祈り申しあげました。そして、御神籤をひくと「大吉」です。
「大吉 運勢
一時はあぶないが再生しやがて、安心できる運です。
なにごとにも正直に他人をうらまず仕事にはげむことです。
第9番
「言」
他弓挽く莫れ
他馬騎る莫れ
他非弁ずる莫れ
他事知る莫れ」
ゆめゆめうたがふことなかれ






弘理子監督の『鹿の国』を見ました。諏訪大社の御神事をとらまえたドキュメンタリーにして、奈良時代から伝わり、そして、途絶えた冬の儀式を再現したものでもあります。
鹿が神への捧げものとして奉納されるそれは、何やら神秘的でもあり、その営みが愛おしくもあります。ぼくは、この映画『鹿の国』を見ながら、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』や柳田國男の『遠野物語』、宮澤賢治の『鹿踊りの始まり』を連想していました。月並みな言葉ながら、鹿の捧げの供犠には自然、命への畏敬があって、いよいよ残酷さの止まらない西洋の近代以降への抗いすらあるようにも思えるのです。
諏訪大社では、近ごろ、僧侶たちを向かい入れ、儀式さえ行わていて、近代の受容である明治維新より前の伝統に立ち帰ろうとしているようであることに、ぼくは驚いてしまうのです。立ち戻った鹿の国の、その霊力は人にもおよび、人と国の本来を取り戻すかのようでもあるのです。
映画「鹿の国」公式サイト


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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