えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
オリンピックは無観客で開催されるそうです。それもいいだろう。ぼくは昔からある日本の祭りは好きなのだけど、オリンピックという西洋起源の近代の祭りは、巨大な暴力のブルトーザーであらゆるよき古きものをなぎ倒し、風景どころか、人の心も変えてしまう、そんな嫌な何かがあるのもずっと感じていた。金子みすゞの「大漁」を思い出し、これを挽歌として小さな声でくちずさみ、終わってゆくオリンピックという祭りに献花したいと思います。
♪♪♪
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう♪♪♪
♪♪♪
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう♪♪♪
この前、うらたんざわ渓流釣場で釣りをして、ぼくの毛鉤にかかった魚が人の背丈以上もの高さを跳ねたのを見た。フライラインをたぐって魚をよせながら、胸がどきどきしつつ、ぼくは、心のどこかで、魚が毛鉤をはずし、逃げてしまえばいいのに、と思っていたし、せっかくかかった魚を一目、見たい、とも思っていた。
そのジャンプした魚は、返しをつぶし、バーブレスにした針をはずし、逃げてしまい、会うことはかなわなかったけれど、それでもいいのです。
フライラインとリーダーとティペットと毛鉤を結び、一本の細い線となり、縁はぼくと水の中の生きものを出会わせる。釣れても、ぼくは釣れた魚の毛鉤をはずす。そして、ぼくは心の中で何かの別れの言葉を口ずさみ、魚は泳いでいく。水の中を逃げさっていく魚を見るのが好きなのです。
ある時、放した魚は、めずらしくも、なぜか遠くまで行かなかった。釣りをしているぼくの近くの見えるところの水の中で、そこから離れなかった。なにやら静かに、穏やかに涼んでいるようでもありました。
山崎晃司さんの著した『ムーン・ベアも月を見ている クマを知る、クマから学ぶ』を読みました。
山崎晃司さんはクマの保全と保護に尽力するクアの生態の研究者なのだけれど、ついさっきも人とクマの不幸な事故をニュースが報じていた。山でクマと会ったなら決して逃げてはいけないというのは、クマを研究している人ならば誰もが唱える鉄則だそうですが、野生と出会った時、人の心の動きはままならない、と山崎さん自身がおっしゃっておられます。そのような事故がすまやかにおさまり、人もクマもそれぞれに健やかに生きていける世界をぼくは願ってやみません。
さて、「ムーン・ベア」とは何だろうと問われれば、和名で「つきのわぐま」と呼ばれます。胸に下弦の月のマークをもつかわいいやつ。人気者の「クマモン」もつきのわぐまだと思うのだけれど、ほんもののつきのわぐまはもう九州にはいないらしい。悲しいね。ぼくはクマを思い、森を思い、川を思い、山を思い、日本を思い、世界を思い、そこは人間のためだけではないところだとも思うのです。山崎晃司さん、素敵な本を書いてくれて、ありがとう。
ところで、ぼくが、昔、弘法山をハイキングしていて、出会った大きな黒い野生の生きものは、猿ではなく、クマだったのかもしれん。
リタイアしたら、どう過ごそうかと、近ごろはよく考えます。したいこと。最近、始めたフライフィッシング。合気道をもっと極めたい。寄席通い。そして、旅をして、いろんなところのライブバーで弾いて、歌いたい。旅は急がず、列車でも車でもいいさ。好きなこと、楽しいことばかりで、過ぎていったら、どんなに素敵でしょう。苦あれば楽ありじゃないんだよ。楽、楽、楽!
昔、リオデジャネイロにカルトーラというサンビスタがいた。ブラジル最古のサンバ学校の作詞・作曲家であったのだが、ささいなことで、そこから離れ、流浪するような人生を歩いていた。(サンバ学校とは"Escola de samba"のことで、阿波踊りの連のようなものです。)左官をして糊口をしのぐ。レコードデビューしたのが六十歳を過ぎてからのこと。ブラジルにサンバ・リバイバル・ブームを巻き起こし、大人気に。レコードは売れに売れ、テレビにも出演し、一気に国民的歌手となり、時の大統領の会食にも呼ばれた。身寄りのないたくさんの子どもを引き取り、愛妻のジカとともに育てた。カルトーラ自身、大逆転の信じられないような素晴らしい人生だった、と述懐する。
そして、ぼくはたび重なる不運から返り咲いた、遅れてやってきたロックンローラー、ロイ・オービソンのことも思い出し、名曲「ブルー・バイユー」を口ずさむ。これは静かなる楽園の歌。
さて、終わりは始まり。おいらはどうしよう? 楽しいことしかやらないさ。もちろん、楽、楽、楽!
昔、リオデジャネイロにカルトーラというサンビスタがいた。ブラジル最古のサンバ学校の作詞・作曲家であったのだが、ささいなことで、そこから離れ、流浪するような人生を歩いていた。(サンバ学校とは"Escola de samba"のことで、阿波踊りの連のようなものです。)左官をして糊口をしのぐ。レコードデビューしたのが六十歳を過ぎてからのこと。ブラジルにサンバ・リバイバル・ブームを巻き起こし、大人気に。レコードは売れに売れ、テレビにも出演し、一気に国民的歌手となり、時の大統領の会食にも呼ばれた。身寄りのないたくさんの子どもを引き取り、愛妻のジカとともに育てた。カルトーラ自身、大逆転の信じられないような素晴らしい人生だった、と述懐する。
そして、ぼくはたび重なる不運から返り咲いた、遅れてやってきたロックンローラー、ロイ・オービソンのことも思い出し、名曲「ブルー・バイユー」を口ずさむ。これは静かなる楽園の歌。
さて、終わりは始まり。おいらはどうしよう? 楽しいことしかやらないさ。もちろん、楽、楽、楽!
また、うらたんざわ渓流釣場に行ってきた。三匹、釣れました。始めたばかりのフライフィッシングはキャッチ・アンド・リリースをむねとしているのだが、今日、釣れた一匹は、釣り針を深くまで飲み込んでいて、なんとか針をはずそうとして弱ってしまった。このまま放しても川のモクズとなりそうで切なくて、使うはずのない、けれど、買っておいたビクにいれて、家に持ち帰って、食べることにした。鱒の塩焼きはおいしい。
ぼくは日本人が食事の前に言う「いただきます」を思い出していた。「いただきます」は「いのちをいただきます」の「いただきます」だそう。時々、このことは思い出したほうがいいのさ。
もう、かなり昔のこと、井の頭公園で、友だちで集まって、焚火を燃やして、ビールやワインや食べ物をもちよってパーティーみたいなことをしたことがあった。あのころは牧歌的な時代でもあったことよ。今じゃおまわりさんがくるよね。焚火の炎って見ていて、ぜんぜん飽きないね、とみんなで同意する。そこにNON BANDのドラマーのタマガキくんもいた。誰かが焼き鳥を持ってきていた。ぼくはタマガキくんに、タマガキくんはベジタリアンとかにならないの、などと訊いた。その答えにタマガキくんは、生きものを殺して食うことはいいことだ、と言った。いただきますと言って、焼き鳥をガブリ。あの日の焚火はいつまでもおぼえているよ。
いただきます
ぼくは日本人が食事の前に言う「いただきます」を思い出していた。「いただきます」は「いのちをいただきます」の「いただきます」だそう。時々、このことは思い出したほうがいいのさ。
もう、かなり昔のこと、井の頭公園で、友だちで集まって、焚火を燃やして、ビールやワインや食べ物をもちよってパーティーみたいなことをしたことがあった。あのころは牧歌的な時代でもあったことよ。今じゃおまわりさんがくるよね。焚火の炎って見ていて、ぜんぜん飽きないね、とみんなで同意する。そこにNON BANDのドラマーのタマガキくんもいた。誰かが焼き鳥を持ってきていた。ぼくはタマガキくんに、タマガキくんはベジタリアンとかにならないの、などと訊いた。その答えにタマガキくんは、生きものを殺して食うことはいいことだ、と言った。いただきますと言って、焼き鳥をガブリ。あの日の焚火はいつまでもおぼえているよ。
いただきます
本村雅宏さんの著した『宇奈月小学校フライ教室日記 先生、釣りに行きませんか。』を読みました。およそ20年以上前、富山県黒部川の上流の小学校である先生がフライフィッシングを教え始めた、その記録の本で、子どもたちのキラキラ輝く瞳や笑顔が胸にせまってくるような読みものでした。本の帯にはこんな言葉もあります。
「富山県黒部川最上流の小学校で、とある教師がフライフィッシングの教室を開いた。身近な自然が、とたんにまぶしく輝き始めた。──いま注目の「環境教育」、時代に先駆けた9年間のリアルなドキュメント。せんせ。ほら。おさかな。つるよ。」
読みながら、何度も感動してしまいます。今、ぼくはフライフィッシングにはまりかけてもいるからね。もっと早くにフライフィッシングに出会っていれば、とも思いますが、ものごとはいつ始めてもいいんだし、ぼくの人生の中で、西の方へお日様の傾きだした今でよかったんだ。
宇奈月小学校も今はなくなり、この本の釣りに熱中した子どもたちのその後をつづった「あとがきにかえて」はちょっとほろ苦い。その「あとがきにかえて」を読みながら、ぼくはサン・テグジュペリの「星の王子さま」の有名な書き出しの一文を思い出してもいたのです。
「大人は、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」
けれども、ぼくは、フランスの偉大な小説家にして飛行機乗りのこの言葉にこう反駁したいのです。
「みんな、おぼえているよ。」