えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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近所のおかめ桜が満開です。

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朝の六時前に起き、フライフィッシングの道具を車に積み、三月一日に釣り解禁となった養沢毛鉤専用釣場に行った。車の中で、ウクライナの情勢が気になり、NHKのラジオをつけて、圏央道を走らせる。ロシア軍に侵略されるウクライナの人の痛みを思い、海をへだててロシアと国境を接する日本にいる日本人のぼくにとってもまったく人ごと、遠いヨーロッパの出来事とは思えず、不安だ。奥多摩の山奥まで車は進み、ビリー・ホリデイのCDをかけた。

養沢毛鉤専用釣場に着き、この釣場の川の一番、下流にある管理事務所で受付をする。係りの人からコーヒーを勧められ、飲みながら、今日はどんな釣行となるのだろうか、と思いをはせ、管理事務所を後にする。入渓許可を示すバッチは十六番で、ぼくは十六番目の入渓者らしい。釣りの準備をし、管理事務所の下のポンドのところに降り、ロッドを振る。おっと、たくさんの魚がぼくの足音に逃げていく。静かに歩かねば。釣れなっかった。

四キロメートルもある養沢毛鉤専用釣場は魚はすれているけれど、管理事務所の下のポンド以外は自然の河川そのままで素晴らしい。車で上流の方に移動しそこから歩いて釣りあがることにする。入渓し、魚がいないか川を見て、魚の気配を感じるように気を配る。ところどころで魚影を見つけ、ラインを繰り出す。ある小さな淵で魚の群れているのを発見し、そこで浮くドライや沈むニンフを繰り出すが、ことごとく魚に無視されてしまう。

いつの間にか昼すぎになり、車を停めたところまで戻り、そこの近くのこの前に来た時に入った蕎麦屋さん「木の小屋」に行ってみるが、閉まっていた。しかたなく車で養沢センターに移動しそこで食事を取ろうとしたが、そこも営業していなく、そこのとなりの小さな蕎麦屋さんに入ろうとするが人が並んでいて諦め、管理事務所に車でもどる。そこでもってきたカップラーメンにポットの湯を注ぎ、食べた。釣りの時のカップラーメンはぼくの定番となりつつある。

午後、再び、魚影の濃いポンドの並ぶところに降りる。ボウズはいやだな、一匹は釣りたいと思い、そこでねばることにする。となりにいるカップルはよく釣れているみたいだ。釣りはちょっとしたことで釣果が違ってくる。女子は釣れたよ、どうしよう、と騒いでいたりして、微笑ましい。何やらインジケーターをつけ、沈むフライを使っているらしい。そうかと思い、ぼくもインジケーターをつけ、一番小さいミッジサイズのニンフで、シンカーを付け、沈めて、流し、少しづつラインを引っぱっていくと、ぐんとインジケーターが沈む、ロッドを合わせる。フックした。寄せてネットに取り込むと、けっこう大きい尺越えのニジマスだった。リリースしようと毛鉤をはずし、写真を撮ろうとしたところ、ネットの中で魚は暴れて、逃げていった。写真は撮れなかった。ありがとう、じゃまたな、とぼくは心の中でつぶやく。数釣りも大もの狙いでもないぼくは何のためにここにいる? ボウズじゃなくてよかった、一匹、釣れてよかった、一匹、釣れればいいんだよ。

もう午後の三時過ぎで受付を済ませ、釣場を後にする。ロシアから核ミサイルがいまごろ、わが家の相模原市に飛んできてはいないかと、車の中でラジオをつける。そんなことは起きていない。相模原の少し南の座間には米軍基地があり、ペンタゴンの東アジアの総司令部ということだそうだ。ウクライナ人はもちろんのこと、ロシア人にも、アメリカ人にも何の恨みもないが、戦争はいやだな。絶対平和主義か? 卑怯者。武器を持った外国の軍隊がやってきたら、戦う、抗戦するという選択肢は否定できない。CDのビリー・ホリデイに切り替えた。

今日は平和な釣りの一日だった。
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リー・ダニエルズ監督の『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』を見ました。

もしや、ビリー・ホリデイというとその悲惨な生い立ちや事件、麻薬、人種差別の陰鬱な映画かと少し躊躇していたのですが、それほど暗くもない映画でありました。それというのもステージで歌うシーンがたくさんあり、音楽の映画として素晴らしかったからで、不世出の天才シンガー、ビリー・ホリデイになりきったアンドラ・デイの歌唱シーンはすごいです。

映画の内容としては、人種差別を告発「奇妙な果実(Strange Fluet)」を歌ったビリー・ホリデイをFBIが安寧秩序を乱す存在として危険視し、麻薬の件で逮捕するが、ビリーは服役とその釈放後も屈せず「奇妙な果実」を歌いつづけていくというもの。

映画を見て、昔、読んだ大橋巨泉・油井正一訳の「奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝」を再び読みたくなりました。などと思ってアルバム「奇妙な果実」の大和明さんの書かれたライナーノーツを読んでいると、「奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝」の引用があり、ぼくもここで引きたいと思います。

「私は遊び半分に集まるナイト・クラブの客に、私の歌の精神を感じとってもらえるか、まったく自信がなかったのである。私は客がこの歌を嫌うのではないかと心配した。最初に私が歌った時、ああやっぱり歌ったのは間違っただった、心配していたことが起こった、と思った。歌い終わっても、一つの拍手さえ起こらなかった。そのうち一人の人が気の狂ったような拍手をはじめた。次に全部の人が手を叩いた。(中略)今もって私はこの歌を歌うたびに沈痛な気持ちになる。パパの死にざまが瞼に浮かんでくるのだ。しかし私は歌いつづけよう。リクエストしてくれる人々のためばかりではなく、20年を過ぎた今でも南部では、パパを殺した時と同じようなことが起こっているからだ。」

エンドロールにかぶさる正装で恋人と踊るシーンは、ビリーが生涯、得たくて得られなかったもののような気がして、涙が禁じえなかった。1960年、ビリーが44歳で亡くなった後の公民権運動で白人も黒人も街頭で抗議をするアメリカをビリーは見ることもなかった。

ビリー・ホリデイはアメリカの最も偉大な歌手なのです。ぼくのお薦めのビリー・ホリデイのアルバムを一枚選ぶとすれば、やはりコモドア・レコーズの"The Geatest Interpretations Of Billie Holiday"です。

ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ







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昼は新宿末廣亭に、夜はコットンクラブ東京に行きました。

行く前にウクライナ大使館に少ないお金だけれども、募金に応じての送金をしました。こんな不安で、もしかして世界が瀬戸際かもしれない時にこそ、お笑いと音楽が欲しくなる。

末広亭では話の枕にプーチンを笑いのネタにする噺家さんもいて、落語も世につれ、人につれなのですが、昼の部の主任をつとめた瀧川鯉昇師匠の古典落語「茶の湯」に大笑いし、楽しみました。やなぎ南玉さんのいろものの曲ごまというコマ回しもよかったな。

夜は、最近、ぼくが毎日聴いているアルバム『百日紅の木の下で』のシンガー、大島花子さんのコンサート。バックにはギターの笹子重治さん、バイオリンの江藤有希さん、チェロの橋本歩さん。一曲だけゲストで花子さんおお父さんである亡き坂本九の名曲「上を向いて歩こう」をいっしょに歌ってくれた畠山美由紀さん。絵本作家、画家の荒井良二さんは「Limuere」の演奏に合わせてライブペインティングをしてくれました。あー、本当に音楽は素晴らしい。

ところで、ギターの笹子重治さんについて、ぼくは昔からのファンなんです。それははるか昔、ブラジルからサンバ・カリオカ詩人でシンガーのギレリュミ・ヂ・プリ-トが来日し、原宿のクロコダイルでライブをした時のバックが笹子さん率いるショーロ・クラブで、ブラジル人でもないのにこんな演奏をする人がいるのかと驚いておりました。笹子さんは派手な演奏はしないけれども、まさに信じられないほどの情感で奏でる名手です。数年前のショーロクラブの『武満徹ソングブック』は『百日紅の木の下で』と同じように毎日聴いておりました。

コロナ禍がつづいていて、バカな戦争を始めるとんでもないバカたれ男もいるけれども、ぼくの人生にいろんな芸術は必要です。







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田坂広志さんの著した『すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟』を読了しました。ビジネスの世界からなんだか気持ちとして遠ざかっていっているぼくだけれども、田坂さんの書いた本はときどき読みたくなります。昔、とあるビジネスマン向けの講演会で田坂さんの話を聞いて以来、ぼくは田坂広志という人が信をおける人のような気がして、書店で本を見かけたら、買ってしまい、読むことがあるのです。

今さっき読み終えた『すべては導かれている』は、会社などの何らかの組織のリーダー向けに書かれた本で、何かの困難をかかえた人に向けられて書かれてもいるそれは、実例や体験談をまじえつつ、ついにユング心理学の「コンステレーション」や「シンクロニシティ」、版画家、棟方志功の「我が業は、我が為すにあらず」を通り、「トランスパーソナル心理学」、「量子真空」、「アカシック・フィールド仮説」、「ゼロポイント・フィールド仮説」、仏教の「阿頼耶識」にいたる。そして「人生は、不思議な力に導かれている」ということ。面白かったです。





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こんな夢を見た。ぼくはどこかの知らない大きな広場にいる。そこは、どうやら卒業式の会場らしい。そこかしこに高校や大学の旗がはためているが、それは正式の校旗ではないらしく、手製のデザインの旗なのが見て取れる。近くに成城学園の旗がはためいているのが見える。成城学園はキリスト教系の学校であったのだろうか、その旗は、青い地に十字架などの様々な聖像が刺繍で描かれていていて、ぼくは、それがかっこいいと思う。その広場の中で十何人かの顔見知りの友だちの集団と合流し、世間話に花が咲く。いよいよ卒業式も終演となり、ぼくたちは広場の出口に向かって歩いて行く。ぼくの友だちは、卒業したら、こんな世界をよくする運動をするための団体を立ち上げて、活動するつもりだと言い、ぼくに仲間にならないかと勧誘する。ぼくは、それはいいことだ、素晴らしいねと言いながら、勧誘されたことには何も答えずに、やんわりと断っている。ぼくは、組織とかはもうこりごりだ、一人で涼しく、自由に生きて行こうとも思っている。しかし、卒業してしまえば、もうほとんど奇跡的な再会でもなければ、みんなとも二度と出会えないのだと思うと、無性に寂しい。

そこで目が覚めた。そして、思いました。人生というのは寂しいなぁ。どんな誰ともいつかはお別れしなきゃならないんだ。
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写真で写したあたりはうらたんざわ渓流釣場のポンドの並ぶところから少し下流に歩いたフライフィッシング、カンテラ釣り専用の自然の流れを利用したヤマメクラシックⅠなのです。

先週、人気がぼくしかいないそこを歩いていると、川の流れの中に狸の標本のようなものがあることに気づきました。なんと、小さな狸が川の流れの中で溺れたか何かで死んでいたのです。その時、写真を撮ろうかとも考えましたが、なんだか憚れるものもあり、静かに狸の冥福を祈り、手を合わせていました。

さて、今週、どうなったのか思い出し、同じ川のほとりに行ってみたところ、夢のように跡形もなく、なくなっていました。ほとんど、釣場の人も入ってこないそこで、多分、鳶や鷹がついばみ、自然の力で葬り、なにやら不思議な思い出として、ぼくの心に残ることとなりました。

うらたんざわ渓流釣場は、ある意味、恐るべきところで、自然がとても濃い。ここのフライフィッシング、カンテラ釣り専用エリアである下流のヤマメクラシックⅠや上流のヤマメクラシックⅡで出会った虫や魚以外の生き物たちを紹介します。

赤い模様の蛇、ヤマカガシが川の向こうの岸で水の中に入りそうになって進んでいました。

水の中をモグラのようなものが歩き進んでいて、後で調べるとミズネズミというものらしかった。

ぼくの方をじっと凝視していたニホンカモシカ。

今回の狸。

あー、クマよけの鈴を釣り用ベストに付けるのは忘れられまい。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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