えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
昨夜は相模大野アコパで浅川マキに捧げる夜で歌いました。
お店がオープンする前に入ると、萩原さんとかノブさんなどと呼ばれている人がいて、もしかして浅川マキさんのバックでギターを弾いていた萩原信義さんではないかと気づき、本当にその人だったのです。浅川マキのアルバムで特にぼくの好きな「裏窓」というアルバムでギターを弾いていたのが萩原信義さんで、その萩原信義さんにギターを弾いてもらって名曲「トラブル・イン・マインド」と「ロンサム・ロード」を歌ってしまった感激!
曲と曲の途中で高校生の頃の浅川マキさんのライブを見た思い出を語って、あっという間に時間は過ぎていってしまいました。あの高校生のころは年末になると池袋の文芸座に併設されていたルピリエという数百人の小さな映画館で年末に何晩もコンサートをしていて、それを高校生の分際でマキさんの歌を分かったつもりで、ぼくも見ていたのです。マキさん、かっこよかったなぁ。ルピリエというのは椅子すらも真っ黒に塗られた真っ黒い内装の劇場で、そこに、マキさんが真っ黒いロング・ドレスを着て現れるのです。そこで、普通なら、歓声とか拍手とか湧き上がるのだけれど、そうはならず、マキさんの圧倒的なオーラに気おされたオーディエンスは、あたり響き渡るうぉーというどよめき、すごかったです。そこで、誰かが、「マキさん、いいのよって行ってよ」と、おらび声をあげると、マキさんは、「いいのよ」って答えていて、会場に笑い声が響き渡る。マキさんって、けっこう、おもしろい、楽しい人だったみたい。それから、「かもめ」をアカペラで歌い、歌い終わると、そぞぞろと、ひとくせもふたくせもあるミュージシャンが登場したのです。
そういえば、こんなこともあった。ある時、吉祥寺の曼荼羅に浅川マキさんを見にいって、ライブが終わって、マキさんらミュージシャンは曼荼羅で打ち上げをしていて、マキざんは赤いフチのウルトラマンの変身の時のような眼鏡をかけていて、すごく楽しそうにおしゃべりしていて、盛りあがっていて、なんか、イメージとすごく違っていてびっくりしたな。
ぼくは、アコパで、サックス・プレイヤーの菊地成孔さんの浅川マキへの追悼文を紹介しようと思っていたのです。けれども、できなかったのは、アコパの部屋のすみにマキさんがいるのを感じてしまったからなのかもしれない。ノブさんもそんなことを言っていたし。菊地成孔さんは新宿のピットインを練習場所にしていて、何度かマキさんに会ったそうです。その文章を読んで、あの熱狂と喧騒の時代のかすかな残り香しか嗅いでいないぼくも涙ぐんでしまうのはなぜだろう?
「享年67。ワタシがマキさんの歌を生で聴いたことは、一度もありません。新宿は、あの頃の新宿である事を止め、同じ血のまま、しかしすっかり生まれ変わっています。マキさんは長い間そのことを知らなかったのだと思います。厳密に言えば、あのころの新宿が、どんどん小さく成り、マキさん一人の世界に真っ黒に凝集されていたことを、紫の闇の中でマキさん一人がそれを守っていることを、マキさんご自身が、ほとんど意識されていなかったのだと、ワタシは思います。マキさんは名古屋の地で逝かれました。天職を全うされた者への、神の采配でしょう。天国には天国のアングラがあり、天国の全共闘があり、天国の新宿が、天国の60年代が、天国の21世紀さえあって、マグカップ、もしくは煙草片手のマキさんが好きな時に好きな様にぶらぶら出来るのようになっているのだと、ワタシは信じて疑いません」
そして、萩原信義さん、また、ぼくと遊んでください。
お店がオープンする前に入ると、萩原さんとかノブさんなどと呼ばれている人がいて、もしかして浅川マキさんのバックでギターを弾いていた萩原信義さんではないかと気づき、本当にその人だったのです。浅川マキのアルバムで特にぼくの好きな「裏窓」というアルバムでギターを弾いていたのが萩原信義さんで、その萩原信義さんにギターを弾いてもらって名曲「トラブル・イン・マインド」と「ロンサム・ロード」を歌ってしまった感激!
曲と曲の途中で高校生の頃の浅川マキさんのライブを見た思い出を語って、あっという間に時間は過ぎていってしまいました。あの高校生のころは年末になると池袋の文芸座に併設されていたルピリエという数百人の小さな映画館で年末に何晩もコンサートをしていて、それを高校生の分際でマキさんの歌を分かったつもりで、ぼくも見ていたのです。マキさん、かっこよかったなぁ。ルピリエというのは椅子すらも真っ黒に塗られた真っ黒い内装の劇場で、そこに、マキさんが真っ黒いロング・ドレスを着て現れるのです。そこで、普通なら、歓声とか拍手とか湧き上がるのだけれど、そうはならず、マキさんの圧倒的なオーラに気おされたオーディエンスは、あたり響き渡るうぉーというどよめき、すごかったです。そこで、誰かが、「マキさん、いいのよって行ってよ」と、おらび声をあげると、マキさんは、「いいのよ」って答えていて、会場に笑い声が響き渡る。マキさんって、けっこう、おもしろい、楽しい人だったみたい。それから、「かもめ」をアカペラで歌い、歌い終わると、そぞぞろと、ひとくせもふたくせもあるミュージシャンが登場したのです。
そういえば、こんなこともあった。ある時、吉祥寺の曼荼羅に浅川マキさんを見にいって、ライブが終わって、マキさんらミュージシャンは曼荼羅で打ち上げをしていて、マキざんは赤いフチのウルトラマンの変身の時のような眼鏡をかけていて、すごく楽しそうにおしゃべりしていて、盛りあがっていて、なんか、イメージとすごく違っていてびっくりしたな。
ぼくは、アコパで、サックス・プレイヤーの菊地成孔さんの浅川マキへの追悼文を紹介しようと思っていたのです。けれども、できなかったのは、アコパの部屋のすみにマキさんがいるのを感じてしまったからなのかもしれない。ノブさんもそんなことを言っていたし。菊地成孔さんは新宿のピットインを練習場所にしていて、何度かマキさんに会ったそうです。その文章を読んで、あの熱狂と喧騒の時代のかすかな残り香しか嗅いでいないぼくも涙ぐんでしまうのはなぜだろう?
「享年67。ワタシがマキさんの歌を生で聴いたことは、一度もありません。新宿は、あの頃の新宿である事を止め、同じ血のまま、しかしすっかり生まれ変わっています。マキさんは長い間そのことを知らなかったのだと思います。厳密に言えば、あのころの新宿が、どんどん小さく成り、マキさん一人の世界に真っ黒に凝集されていたことを、紫の闇の中でマキさん一人がそれを守っていることを、マキさんご自身が、ほとんど意識されていなかったのだと、ワタシは思います。マキさんは名古屋の地で逝かれました。天職を全うされた者への、神の采配でしょう。天国には天国のアングラがあり、天国の全共闘があり、天国の新宿が、天国の60年代が、天国の21世紀さえあって、マグカップ、もしくは煙草片手のマキさんが好きな時に好きな様にぶらぶら出来るのようになっているのだと、ワタシは信じて疑いません」
そして、萩原信義さん、また、ぼくと遊んでください。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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