えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

(「無言館と傷ついた画布のドーム」に続いて)さらに、信州を旅しました。温泉とか寺社めぐりの旅。
たどりついたは善光寺、牛にひかれて善光寺。牛にひかれて善光寺とは、長野の善光寺近くにいた欲深い老婆が、さらしていた布を角に引っ掛けて逃げた隣家の牛を追い、知らずに善光寺へ行き信心を起こしたという言い伝えからだそう。
善光寺の本堂には、二体の仏像がおはしまして、にぎわう衆生をただ見ているかのよう。昔、読んだ武田泰淳の小説「快楽」は「快楽」と書いて「けらく」と読むのだけど、その小説の主人公の僧侶は、仏陀はただ見ているだけで、なぜ、こんな苦しみの中にいる人々を救ってくださらないのかと思い悩んでいたことを思い出す。ぼくは仏の像を見るたびにすべてを見ている、何もかも見られているのだとも思い、安堵してしまう。
その本堂に地元の長野西高校の書道部の高校生が大書した特大の書が飾られていた。
「新時代の幕開け
平和な世の中を
私たちが造っていく
令和
人に
寄り添いわかちあい
世界中で愛の花よ
咲き誇れ!
令和元年五月一日
長野西高校書道部」
あー、彼らはぼくやきみが去ったあとも生きていく新しい人たちなのだと思う。そんな人たちが希望を胸に高らかに立ちのぼってくる姿を見ている気がして、彼らに未来を託して何の疑いもないと思う。
たどりついたは善光寺、牛にひかれて善光寺。牛にひかれて善光寺とは、長野の善光寺近くにいた欲深い老婆が、さらしていた布を角に引っ掛けて逃げた隣家の牛を追い、知らずに善光寺へ行き信心を起こしたという言い伝えからだそう。
善光寺の本堂には、二体の仏像がおはしまして、にぎわう衆生をただ見ているかのよう。昔、読んだ武田泰淳の小説「快楽」は「快楽」と書いて「けらく」と読むのだけど、その小説の主人公の僧侶は、仏陀はただ見ているだけで、なぜ、こんな苦しみの中にいる人々を救ってくださらないのかと思い悩んでいたことを思い出す。ぼくは仏の像を見るたびにすべてを見ている、何もかも見られているのだとも思い、安堵してしまう。
その本堂に地元の長野西高校の書道部の高校生が大書した特大の書が飾られていた。
「新時代の幕開け
平和な世の中を
私たちが造っていく
令和
人に
寄り添いわかちあい
世界中で愛の花よ
咲き誇れ!
令和元年五月一日
長野西高校書道部」
あー、彼らはぼくやきみが去ったあとも生きていく新しい人たちなのだと思う。そんな人たちが希望を胸に高らかに立ちのぼってくる姿を見ている気がして、彼らに未来を託して何の疑いもないと思う。

<< E.T.
HOME
無言館と傷ついた画布のドーム >>
[1890] [1889] [1888] [1887] [1886] [1885] [1884] [1883] [1882] [1881] [1880]
[1890] [1889] [1888] [1887] [1886] [1885] [1884] [1883] [1882] [1881] [1880]
この記事にコメントする