えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
一月二十日、新宿末廣亭にて令和八年正月二之席昼の部です。見た演目を書き記します。前座の桃月庵ぼんぼりくんの「寿限無」、二つ目の桃月庵黒酒くんの「初天神」、林家ペーさんの漫談、桃月庵白酒師匠の「ざる屋」、鈴々舎馬るこ師匠の「東北の宿」、三遊亭歌武蔵 師匠の漫談、ストレート松浦さんのジャグリング、三遊亭圓歌師匠の「夜間工事中」、林家鉄平師匠の漫談、柳家花緑師匠の「つる」、ロケット団のお二人の漫才、金原亭馬の助師匠の演芸「百面相」、三遊亭歌る多師匠の「穴子でからぬけ」、ホームランたにしさんの漫談、柳家小里ん師匠の「親子酒」、柳亭市馬師匠の「粗忽の釘」でお中入りです。お仲入りのあと、三遊亭歌る多師匠の演芸「松づくし」、林家正蔵師匠の「雛鍔」、松旭斉美智さんと松旭斉美登さんのお二人の奇術、柳家小ゑん師匠の「ハンダ付け」、柳家小菊師匠の三味線弾きの、唄いの俗曲、主任は五街道雲助師匠の「厩火事」でした。
特に印象に残った噺です。柳亭市馬師匠の「粗忽の釘」の清潔な話しぶりに、大笑いしながら、落語の滑稽は何たるかを、なるほどと得心しました。そして、さすが人間国宝、五街道雲助師匠の「厩火事」は、春風亭一花さんが「NHK新人落語大賞」を受賞した噺で、その餞に、ど真ん中の人情噺を披露してくれたように思いましたよ。引きも足しもしないこれこそが落語でございます。
暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスです。
VODで小津安二郎監督の『彼岸花』を見ました。1958年の映画です。小津の映画としては初めてのカラー作品。いたるところで、後に指摘され有名ともなる赤いケトルが映される。佐分利信の演ずる父は、なんやかんやと、有馬稲子の演ずる娘の結婚を許さない。心配顔の案ずる田中絹代の演ずる母。田中絹代の母は戦時中を回想し、あのころが一番、幸せだったという。
「あたしね、時々そう思うんだけど、戦争中敵の飛行機が来るとよくみんなで急いで防空壕に駆け込んだわね。親子四人真っ暗な中で死ねばこのまま一緒だと思ったことあったじゃないの。戦争は嫌だったけど時々あの時のことがふと懐かしくなることあるの。あなたない」
それに佐分利信の父は憮然として答える。
「ないね。俺はあのじぶんが一番嫌だった。ものはないしつまらんやつが威張ってるしね」
その父は、戦争という時代をともにした友人たちとの宴会で、笠智衆の演ずる友人の、天皇と天皇に奉公の、楠木正成・正行父子が訣別の詩吟を聞き入ってしまう。
「十年蘊結熱血の腸はらわた
今日直ちに賊鋒に向って裂く
想う至尊を辞して重ねて茲に来きたり
再拝俯伏して血涙垂たる」
そして、楠木正成とその息子楠木正行の別れを歌った「桜井の訣別」を、朋輩たちは宴会で歌い始める。
「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」
男たちの胸に浮かぶのは美化されない、おびただしい前の大戦での戦死者の姿であろう。この歌は、敗北と戦死が確実な戦いに向かう楠木正成は、京から桜井の駅まで進軍してきたとき、11才の息子の正行を呼びよせ「自分は尊氏軍と戦って討死にするが、汝は故郷へ帰るように」と告げる、そのような歌なのだ。この時、父は娘の結婚を初めて認めよう、と思っている。軽妙ともとれる父と娘のホームドラマに小津は戦争の傷痕を深々と刻んでいる。
とまれ、父の馴染みの京都の旅館の女将の娘を演ずる山本富士子が物語を動かし、どこまでも明るい。ついには結婚を許された娘の有馬稲子に、ぼくはおめでとうの拍手を心の中で送っていました。
VODで小津安二郎監督の『東京暮色』を見ました。1957年の映画です。決して笑わない有馬稲子がいいし、山田五十鈴の演技が素晴らしい。ともかくも、この映画は何の解決もなく、暗い。家族で見るのが憚れるような内容も含む。背景の斎藤高順の音楽の明るく軽い「サセレシア」が暗いストーリーと画像を異化しつづける。東京映画祭の映画館で見た時、だれもが映画館を出るその表情が重たい何かに打ちのめされるかのようであった。エンターテイメントとしての映画に反した、この『東京暮色』が後のヌーヴェル・ヴァーグのジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーの反抗を、方法論として小津的な映画のそのままで、半面的に準備したのではなかろうか? 当時は受け入れられなかった異様な傑作が『東京暮色』だと思うのです。