えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
古都、奈良を一泊の旅をしました。
一番のお目当ては奈良国立博物館で開催されている特別展『神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―』であります。昼ごろ京都駅に着きJRの奈良線で奈良駅に向かいます。1時間ほどで奈良に着きました。そこでホテルに早めのチェックインをし、バスで奈良国立博物館に向かいます。奈良国立博物館は奈良公園の中にあり、博物館館のまわりにもたくさんの鹿がおります。たいがい、すわっていてなんたがかのんびりしておりますな。奈良国立博物館で『神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―』を見ました。霊山、金峯山の金峯山寺や同じく霊山、大峰山の大峰山寺の像の形に化身した仏や権現、神々が山を下り、この今の戦争の世のここに集まっておられ、ぼくは驚嘆し、時のもたらした奇瑞すら感じたのでありました。3時間を越すよい時間でありました。
さて、そこから奈良駅のホテルにもどるべく、帰りはバスではなく歩いておると、ちょうど夕食時、近鉄奈良駅の近くに繁華街があり、そこの「うまっしゅ」という海鮮居酒屋に入りました。刺身や肴、日本酒の「春鹿」などをとても美味しくいただきました。そこを出て、JRの奈良駅まで歩きます。奈良駅の近くで鹿が一匹おりました。ぼくはその鹿が不憫で、「奈良公園はあっちだよ」と指さし、鹿に声をかけますが、どうやら通じないようです。鹿は回りを見回して、ここはどこだろう、というようなのです。そこで、外国の若い女の人に声をかけられ、スマホの画面を見せられました。そのスマホには「彼を助けるためにどこか連絡できるところはありますか」とあり、ぼくは日本語で「警察だろうけど、とりあってくれないかもしれないな」と話しました。するとその女の人は一枚の鹿せんべいをぼくに見せてくれました。ぼくは「その鹿クッキーを少しづつあげて、奈良公園に連れて行けるかもしれない」と言いました。すると女の人は鹿せんべいの小さなかけらを鹿にあげ、彼氏とともに、鹿を連れ、歩き始め、鹿とともに横断歩道を渡り公園の方に向かうのです。鹿はおとなしく付いていきます。ぼくは鹿の無事を祈り、二人の外国人と一匹の鹿を小さくなるまで見ておりました。
二日目であります。ホテルをチェックアウトし、バスで春日大社へ向かいます。ほとんど人のいない参道の立ち入り禁止の森の向こうに見える芝生の広場で鹿が三々五々、たむろしている、景色が何だか神秘的です。ここの鹿は鹿島神宮からやってきた白い神の使いの鹿の子孫である、と聞きました。ゴータマ・シッダールタか悟りを得て、仏陀となり、森の中で説教を始めた時に、それをまず始めに聞いたのが、鹿たちだった、とも聞きました。ぼくは座禅を組み、話し始めるそれを座って聞いている鹿たちをまざまざと思い浮かべもしたのです。
春日大社を参り、東大寺に向かいました。ここは奈良公園ではなく鹿公園ではないかと思えるほど、鹿がたくさんいます。それから修学旅行の小学生や中学生もたくさんおります。あのような中学生の中に半世紀前のぼく自身もいたであろうことに不思議も感じます。ぼくは中学校の修学旅行の後、目と目が離れているのが、鹿に似ているとされ、「シカさん」とあだ名されたことを思い出しました。疫病や災害が相次いだ奈良時代、すべては祈りの足りない自分のせいだとした聖武天皇は、仏の力によって国家の平和と人々の幸福を願う「鎮護国家」の思想のもと、743年に大仏(盧舎那仏像)の造立を発願し、東大寺を総本山と定めたということです。その願われた平らかと安らかは、小学生や中学生が修学旅行の旅をし、人種、民族、国も異なる人びとがたくさんやって来て、鹿が穏やかに草や鹿せんべいを食み、笑い声のあふれるこの光景にあると思えたのです。
今度は、花咲くころの吉野の里、金峯山や大峰山を、展覧会では巨大な映画でのみ見れた金峯山寺の御開帳の蔵王権現立像を拝みに訪れたく存じます。
一番のお目当ては奈良国立博物館で開催されている特別展『神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―』であります。昼ごろ京都駅に着きJRの奈良線で奈良駅に向かいます。1時間ほどで奈良に着きました。そこでホテルに早めのチェックインをし、バスで奈良国立博物館に向かいます。奈良国立博物館は奈良公園の中にあり、博物館館のまわりにもたくさんの鹿がおります。たいがい、すわっていてなんたがかのんびりしておりますな。奈良国立博物館で『神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―』を見ました。霊山、金峯山の金峯山寺や同じく霊山、大峰山の大峰山寺の像の形に化身した仏や権現、神々が山を下り、この今の戦争の世のここに集まっておられ、ぼくは驚嘆し、時のもたらした奇瑞すら感じたのでありました。3時間を越すよい時間でありました。
さて、そこから奈良駅のホテルにもどるべく、帰りはバスではなく歩いておると、ちょうど夕食時、近鉄奈良駅の近くに繁華街があり、そこの「うまっしゅ」という海鮮居酒屋に入りました。刺身や肴、日本酒の「春鹿」などをとても美味しくいただきました。そこを出て、JRの奈良駅まで歩きます。奈良駅の近くで鹿が一匹おりました。ぼくはその鹿が不憫で、「奈良公園はあっちだよ」と指さし、鹿に声をかけますが、どうやら通じないようです。鹿は回りを見回して、ここはどこだろう、というようなのです。そこで、外国の若い女の人に声をかけられ、スマホの画面を見せられました。そのスマホには「彼を助けるためにどこか連絡できるところはありますか」とあり、ぼくは日本語で「警察だろうけど、とりあってくれないかもしれないな」と話しました。するとその女の人は一枚の鹿せんべいをぼくに見せてくれました。ぼくは「その鹿クッキーを少しづつあげて、奈良公園に連れて行けるかもしれない」と言いました。すると女の人は鹿せんべいの小さなかけらを鹿にあげ、彼氏とともに、鹿を連れ、歩き始め、鹿とともに横断歩道を渡り公園の方に向かうのです。鹿はおとなしく付いていきます。ぼくは鹿の無事を祈り、二人の外国人と一匹の鹿を小さくなるまで見ておりました。
二日目であります。ホテルをチェックアウトし、バスで春日大社へ向かいます。ほとんど人のいない参道の立ち入り禁止の森の向こうに見える芝生の広場で鹿が三々五々、たむろしている、景色が何だか神秘的です。ここの鹿は鹿島神宮からやってきた白い神の使いの鹿の子孫である、と聞きました。ゴータマ・シッダールタか悟りを得て、仏陀となり、森の中で説教を始めた時に、それをまず始めに聞いたのが、鹿たちだった、とも聞きました。ぼくは座禅を組み、話し始めるそれを座って聞いている鹿たちをまざまざと思い浮かべもしたのです。
春日大社を参り、東大寺に向かいました。ここは奈良公園ではなく鹿公園ではないかと思えるほど、鹿がたくさんいます。それから修学旅行の小学生や中学生もたくさんおります。あのような中学生の中に半世紀前のぼく自身もいたであろうことに不思議も感じます。ぼくは中学校の修学旅行の後、目と目が離れているのが、鹿に似ているとされ、「シカさん」とあだ名されたことを思い出しました。疫病や災害が相次いだ奈良時代、すべては祈りの足りない自分のせいだとした聖武天皇は、仏の力によって国家の平和と人々の幸福を願う「鎮護国家」の思想のもと、743年に大仏(盧舎那仏像)の造立を発願し、東大寺を総本山と定めたということです。その願われた平らかと安らかは、小学生や中学生が修学旅行の旅をし、人種、民族、国も異なる人びとがたくさんやって来て、鹿が穏やかに草や鹿せんべいを食み、笑い声のあふれるこの光景にあると思えたのです。
今度は、花咲くころの吉野の里、金峯山や大峰山を、展覧会では巨大な映画でのみ見れた金峯山寺の御開帳の蔵王権現立像を拝みに訪れたく存じます。
黒澤明監督の『天国と地獄』を見ました。1963年の映画です。誘拐犯をめぐる刑事ドラマ。列車内の撮影のスタイリッシュな映像でありながらのリアル感がかっこいい。白黒の映画の中の一カ所だけあるカラーのシーンも印象的。
刑事の戸倉警部役は仲代達矢。誘拐された他人の部下の運転手の子どもを盾に身代金を要求される会社の後継ぎの権藤金吾役に三船敏郎。権藤金吾の妻の権藤伶子役の香川京子を紅一点に、その他、東宝のスターが勢ぞろいして、たくさんのむさ苦しい刑事を演じております。
後半、米兵のたむろする横浜のどこかのダンスホールの場面があって、時代を感じさせます。そして、横浜の黄金町の麻薬中毒者の阿片窟、魔境のようなところの場面もあって、こんなところがあったのかと驚かされます。
『天国と地獄』は後の映画にも影響したサスペンス映画の典型でもあります。ぼくは「天国と地獄」という題名の前に「良心の」という言葉が付くような気がしたのでありますが、それはきっとヒューマニストの黒澤明の所為であります。
パレスチナを支援しようと思い、かの地の無添加の石鹸を買いました。自分が生きている時に一つの民族が冷酷に殺されていくのを見るとは思わなかった。何度でも声を上げます。ガザの虐殺をやめろ!
I bought some additive-free soap from Palestine to show my support. I never imagined I would witness an entire people being ruthlessly slaughtered in my lifetime. I will keep speaking out as long as I live. Stop the massacre in Gaza! Stop Genocide in Gaza!
詩と批評の雑誌『ユリイカ』の令和8年6月増刊号の『総特集 中上健次―生誕80年』が面白く、二段組で381ページもあるのに全部、読んでしまった。
とくに巻頭の3編、渡邊英理さんと内藤千珠子さんの 徹底討議「中上健次を更新する―ジェンダーとフェミニズムから問うそのアクチュアリティ」、渡邊英理さんの『奇蹟』論「「内戦」の「戦後文学」―中上健次『奇蹟』」、内藤千珠子さんの『奇蹟』論「ファシズムとミソジニー―中上健次『奇蹟』が問う戦争のフレーム」が今という時代に当然に出てきた批評だと感じさせ、とても興味深かった。
中上健次の朋輩と中上自身から呼ばれていた柄谷行人さんの「中上から遠く離れて」は「書くべきことがない」というようなものであった。柄谷さんは今は文学には何も興味はないということらしい。であるならば、編集者の依頼を徹底的に固辞して、書かなければよいのに、とぼくは思う。
その他の批評や論文も、どれも面白い。特に四方田犬彦さんは出色で、台湾に「路地」が通底しているかのような「春日、ふたたび」を書いていて、中上健次の文学の今の時代にも活きる生々しい別の者たちの抗議と抵抗の物語の有効性を感じた。そこで柄谷行人さんを、「俺が上半身で、中上が下半身だという柄谷の発言は、彼の中上に向ける視線が、植民地のイギリス人がインド人に向けたそれを連想させる」とし、鋭く批判していて、ぼくはなるほどと感心した。「中上から遠く離れて」と書く柄谷さんは、ここでも中上健次を搾取しているのではあるまいか?
近いうちに中上健次の小説を読み返そうと思いつつ、中上健次の小説に出てくる「秋幸」や「さと子」、「オリュウノオバ」、「トモノオジ」、「タイチ」や「イクオ」は、この21世紀、どこに行ったんだ、と思う。寂しいねー。中上健次が亡くなって、もう34年が経とうとしているのです。
青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2026年6月臨時増刊号 総特集=中上健次