えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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三井記念美術館で『円山応挙 革新者から巨匠へ』展を見ました。これまであまり足を運ばずにいた日本画の展覧会に最近、はまっております。今日もいいもの観ました。後に財閥となる三井家は円山応挙のよき、もっとも熱心な今でいうパトロンだったそうで、今回の展覧会も見ごたえがありました。とくに「竹雀図屏風」や「遊虎図襖」、伊藤若冲の「竹鶏図屏風」と対となっている、いわば合作の「梅鯉図屏風」が若冲の絵もあわせて、とてもいいと思いました。応挙の描く生きものたちがとてもかわいいのです。若冲との合作は、お互いに立てながらも、一番、得意なものを描いたという風情ですな。お互いのレスペクトが伝わってきます。

ところで、近ごろ、ぼくは日本の伝統の何がしかに惹かれますが、ふと立ち止まって考えてもしまいます。最近のインターネットではびこる排外や差別をあおる右翼、いわゆるネトウヨには嫌悪を感じますが、ぼくなどは彼らのいうパヨクなのでしょう。維新の会という政党は助成金を打ち切り、文楽を途絶えさせようとしていましたな。国立劇場の建て替えもしくは補修を長く店ざらしにして、何も進展させない自由民主党のどこが保守なのかぼくにはさっぱり分かりません。すると、ネトウヨとは真逆の坂本龍一が長谷川等伯についてインタビューで熱く語っていたのを思い出しました。ぼくといえば、今回の円山応挙展、平日にもかかわらず、たくさんの人で賑わっていることにほっと胸をなでおろすのです。
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山田無文さんの著した『十牛図 禅の悟りにいたる十のプロセス』を読みました。この本は臨済宗の僧侶であらせられた山田無文さんが昭和二十八年(1953年)に祥福寺専門道場にて頭をまるめたかばかりの若い僧侶に向けての「十牛図」の講話を古い録音テープから書き起こし、昭和五十七年(1982年)に禅文化研究所から出版されたものであります。山田無文さんは昭和六十三年(1988年)に遷化されておられますが、やはり高僧の言葉は古くならず、ぼくがいうのも僭越ながら、素晴らしい「十牛図」の解題であります。

昭和二十八年は日本の敗戦からの七年も続いた米軍の占領からと、それの解かれた翌年だと思えば、感慨もあります。敗戦もその後の混乱も持ちこたえた天台の教えに、どこか、新しく始まった日本に、高僧も胸高らかに、心新たになっておられるなにがしかをぼくは読みながら感じました。

章立てによって「十牛図」とはどのようなものかは、想像できそうなので、記します。

第一「尋牛」
第二「見跡」
第三「見牛」
第四「得牛」
第五「牧牛」
第六「騎牛帰家」
第七「忘牛存人」
第八「人牛倶忘」
第九「返本還源」
第十「入鄽垂手」

このように「十牛図」は牛を追い求める十の絵からなり、禅の悟りへのプロセスを表したものということです。この前、読んだ五木寛之さんは自身の著した「諦める力」の中では「返本還源」の後、「入鄽垂手」が来るのが素晴らしいと言っておられました。十の絵も面白く、とくに「入鄽垂手」の絵は驚きでもあります。禅の悟りのなんと楽しきことよ。さて、「第三「見牛」」での無文和尚の話を紹介し、この項を了としたいと思います。

諸国を放浪し、修行と布教に邁進する一遍上人が由良興国寺の法灯国師にお目にかかって歌を示された。
  となうれば仏もわれもなかりけり
       南無阿弥陀仏の声ばかりして
すると法灯国師は、
「そりゃまだ修行が足らん。もうひとつ工夫をしなさい」
さらに三年の工夫をされて、また法灯国師にお目にかかって歌を示された。
  となうれば仏もわれもなかりけり
       南無阿弥陀仏なむあみだ仏
法灯国師は、
「まあ、おまえさんはそこらでよかろう」
そこらでよからうと言われると気になるもので、
「それでは禅師、あなたはいかがですか」と言うと、法灯国師は、
  となうればわれも仏もなかりけり
       裏のお池に風がそよそよ

十牛図-禅の悟りにいたる十のプロセス
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家の庭の蜜柑の木に季節はずれの蝉の脱け殻を見つけ、びっくり。季語は二つ、使ってはいけません、と多くの先達に注意されそうなこんな俳句を発句。どうでしょう?(けれど、写真はピンボケ。)

 なんだろう蝉の脱け殻蜜柑の実
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大森立嗣監督の『おーい、応為』を見ました。江戸時代の絵師、葛飾北斎を永瀬正敏さんが演ぜられ、その娘の北斎応為を長澤まさみさんが演ぜられております。北斎の別れた妻を寺島しのぶさんが演ぜられていて、とてもいい。

原作は飯島虚心の『葛飾北斎伝』と杉浦日向子の漫画『百日紅』で、『百日紅』は昔、読んだことがあって、文字通りの名作です。

北斎応為は実物の絵を何度か展覧会で見たことがあります。残された絵は数点しかないそうだけれど、遊郭を描いた応為の絵を見ながら、その絵の持つ光の美しさに、ぼくは、早すぎた天才がここにいた、と思ました。『おーい、応為』での応為の火事見物が好きだったことになるほどと思いました。

映画はとくにストーリーもなく、北斎と応為と飼っている柴犬のさくらが引っ越しを繰り返し、絵を描き、江戸の町をさまよいます。この柴犬のさくらが映画でとても大切な役割を果たします。

映画の冒頭で、ぼくの知り合いというかある祭りのイベントでの友だちでもある浅草雑芸団のお二人が出ていたのには、少し驚きました。なかなか、飴売りの大道芸がそのまんまで、笑ってしまいました。

映画『おーい、応為』公式サイト | 10月17日(金)公開
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エマニュエル・トッドさんの著した『西洋の没落と日本の選択』を読む。エマニュエル・トッドさんによれば、ヨーロッパとアメリカ合衆国その倫理と道徳の失墜により、没落の最中だという。そこまではぼくも首肯しつつ、日本がアメリカ合衆国の従属国歌であることを脱するのを願いつつ、トッドさんは日本に核武装を勧めていることには疑念もわく。その核武装というのは、いかにも西洋的な没落をもたらす退嬰の様態ではないのかね? などという疑問を感じ、ぼくは、日本は西洋の狂気に巻きこまれることにないようにと願うのです。

世界的ベストセラー『西洋の敗北』著者の最新作『西洋の敗北と日本の選択』エマニュエル・トッド | 文春新書
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黒澤明監督の『七人の侍』を見ました。1954年の映画です。

4Kデジタル修復版を映画館で見ました。よって、3時間27分の長尺もので、途中に休憩あり。その休憩のタイミングが絶妙にうまい。合戦の前日、いよいよ七人の侍や農民とともに悪党退治をやってやろうと観客の心もたかぶっているところでの休憩なのです。

七人の侍たちも、やはりそれぞれに個性的で面白い。農民出の孤児の侍もどきの三船敏郎の演ずる菊千代。頭目の志村喬の演ずるかっこいい島田勘兵衛。木村功の演ずる若侍、岡本勝四郎の初々しさ。稲葉義男の演ずる片山五郎兵衛は静か、穏やか。加東大介の演ずる七郎次は勝四郎を慕う自由な股旅もの。千秋実の演ずる林田平八は憎めないひょうきん者。宮口精二の演ずる久蔵は文字通りの剣豪で、クールなニヒルもの。そして村に咲いた華麗な翳りなき花のやうな志乃を演ずる津島恵子。村の長老を演ずる高堂国典や臆病な農民の左卜全など、バイプレイヤーも腕達者。

4Kデジタル修復も素晴らしく、映像もいいが、音声では三船敏郎の演ずる菊千代の怒鳴っているセリフの言葉もちゃんと聞き取れるのです。

数日にわたる合戦の迫力は映画史上に残ります。フランシス・フォード・コッポラやスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスは映画監督を志すならば、『七人の侍』を見よという。そして、大団円、盗賊の悪党どもを退治して、村に平和は戻り、農民たちの田植えのする、その光景の多幸感あふれるまぶしさに、ぼくは『七人の侍』を再び見れて本当によかったと思うのでした。
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県立神奈川近代文学館で『坂口安吾展 あちらこちら命がけ』を見ました。あらためて、坂口安吾ってかっこいいなあ。そのかっこよさとは、生き方から文章による作品のあれこれまで。ぼくの卒業した大学のもっとも誇れる先輩でもあります。大学では悟りを得ようと仏教を研究するために印度哲学倫理学科に学んだけれど、悟りは得られず、文学、作家への道に舞い戻ったという。売れない作家として身を立てつつ、第二次世界大戦の真珠湾攻撃の時には、国のために身を捧げることを覚悟し、その後は戦争に行くことを免れるために、あれこれと画策し、軍部のために軍の嘱託で映画の脚本を書く仕事に形だけ就いたという。戦争を生き延びたい、と願いながら、空襲に燃え、瓦礫となった東京をいつまでも離れなかった。その相矛盾するそれぞれの行動と恣意を、真珠の粒に例え、安吾の全体をつらなる真珠の首飾りに喩えたこの展覧会のキュレーターはさすがだと思う。

この『坂口安吾展』を見つつ、安吾の言葉はけっして古くならず、ふと、ぼくは、安吾のいくばくかの言葉を、はげましの言葉としてガザの人たちにも贈りたいとも思ってしまったのは不遜だろうか? いや、人を愛し、人の営みを愛し、風が吹きとおるかのように、故郷を形なきものとして称えた安吾大兄、安吾大先輩ならば、許してもくれよう。安吾の生涯すら安吾の作品のように思えてしまいながら、ぼくの一番好きな坂口安吾の言葉による作品は「青鬼の褌を洗う女」なのです。ぼくはこの戦争の世界に「青鬼の褌を洗う女」に出てくる青鬼の調子外れの胴間声を今一度、響かせたいのです。

神奈川近代文学館の隣の港の見える丘公園にある英国式庭園も素晴らしかった。いつ来てもここでは花が咲いてるねえ。つかの間の癒しのひとときでもありました。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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