えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
パレスチナを支援しようと思い、かの地の無添加の石鹸を買いました。自分が生きている時に一つの民族が冷酷に殺されていくのを見るとは思わなかった。何度でも声を上げます。ガザの虐殺をやめろ!
I bought some additive-free soap from Palestine to show my support. I never imagined I would witness an entire people being ruthlessly slaughtered in my lifetime. I will keep speaking out as long as I live. Stop the massacre in Gaza! Stop Genocide in Gaza!
詩と批評の雑誌『ユリイカ』の令和8年6月増刊号の『総特集 中上健次―生誕80年』が面白く、二段組で381ページもあるのに全部、読んでしまった。
とくに巻頭の3編、渡邊英理さんと内藤千珠子さんの 徹底討議「中上健次を更新する―ジェンダーとフェミニズムから問うそのアクチュアリティ」、渡邊英理さんの『奇蹟』論「「内戦」の「戦後文学」―中上健次『奇蹟』」、内藤千珠子さんの『奇蹟』論「ファシズムとミソジニー―中上健次『奇蹟』が問う戦争のフレーム」が今という時代に当然に出てきた批評だと感じさせ、とても興味深かった。
中上健次の朋輩と中上自身から呼ばれていた柄谷行人さんの「中上から遠く離れて」は「書くべきことがない」というようなものであった。柄谷さんは今は文学には何も興味はないということらしい。であるならば、編集者の依頼を徹底的に固辞して、書かなければよいのに、とぼくは思う。
その他の批評や論文も、どれも面白い。特に四方田犬彦さんは出色で、台湾に「路地」が通底しているかのような「春日、ふたたび」を書いていて、中上健次の文学の今の時代にも活きる生々しい別の者たちの抗議と抵抗の物語の有効性を感じた。そこで柄谷行人さんを、「俺が上半身で、中上が下半身だという柄谷の発言は、彼の中上に向ける視線が、植民地のイギリス人がインド人に向けたそれを連想させる」とし、鋭く批判していて、ぼくはなるほどと感心した。「中上から遠く離れて」と書く柄谷さんは、ここでも中上健次を搾取しているのではあるまいか?
近いうちに中上健次の小説を読み返そうと思いつつ、中上健次の小説に出てくる「秋幸」や「さと子」、「オリュウノオバ」、「トモノオジ」、「タイチ」や「イクオ」は、この21世紀、どこに行ったんだ、と思う。寂しいねー。中上健次が亡くなって、もう34年が経とうとしているのです。
青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2026年6月臨時増刊号 総特集=中上健次
横浜スタジアムでフレーフレーベイスターズです。6対0でヤクルトスワローズに負けました。初回に6点を取られたピッチャーの入江大生は死ぬほどショックだろう。二軍に落とされても、またはい上がって来てほしい。3年前だかに比べて、入江は球速が5キロか6キロは落ちている。フォームを改造して、もとの球速を復活させるか、投球の組み立てを大胆に変えるしかないだろう。後続のピッチャーは0点に抑えていた。偉い。それにしても、移籍してしまって、キャッチャーの山本祐大がいないことが寂しい。ベイスターズのフロントのバカ。しかし、ベイスターズのファンはやさしいなぁ。大差をつけられて、9回までほとんどの人が帰らず、試合を見つづけていました。
五月二十一日、上野の鈴本演芸場にて令和八年五月下席昼の部です。見た演目を記します。前座の柳家小じかくんの「出来心」、二ツ目の入船亭扇太くんの「一目上がり」、ストレート松浦さんのジャグリング、祝二つ目昇進ということで二ツ目の柳家しろ八くんの「元犬」、林家正蔵師匠の「ぞろぞろ」、ロケット団のお二人の漫才、入船亭扇白師匠の「粗忽長屋」、春風亭一朝師匠の「強情灸」、ダーク広和さんの奇術、入船亭扇辰師匠の「田能久」でお仲入りです。すず風にゃん子さんとすず風金魚さんの漫才、橘家文蔵師匠の「千早振る」、柳家小ゑん師匠の「鉄千早」、柳家小菊師匠の三味線弾きの、唄いの粋曲、主任は入船亭扇遊師匠の「夢の酒」でした。
さて、とくに印象に残った演目でございます。柳家しろ八くんの「元犬」はなかなかよかったですぞ。林家正蔵師匠の「ぞろぞろ」の定番噺の楽しさ。ロケット団はいつも面白い。柳家小ゑん師匠の「鉄千早」の破格の笑い。入船亭扇遊師匠の「夢の酒」は大好きな噺で、堪能しましたぞ。
暗いこの世のつらさ忘れ、寄席は心のオアシスです。
毛鉤釣りに道志川を訪れる。この前、来た時に見つけた魚の溜まり場のようなところに魚はいなくなっていた。空を見上げると熊鷹がゆったりと飛び、舞っているかのごときであった。あの熊鷹が魚を獲って、食べてしまったのだろうか。それとも自らの幼鳥にあげたのだろうか。渓谷を抜け、温泉につづく一般道を歩いていると、猛禽類の羽根が一つ、落ちていた。ぼくはその羽根が吉兆のように思え、拾いあげ、持ち帰る。それが交通安全のお守りのようにも思え、車の室内の車検証の入れてあるグローブボックスにしまった。
昭和100年記念式典についてのニュースを知り、中上健次が伊勢神宮の神宮文庫に訪れ、『紀州 木の国・根の国物語』の中で「天地の分かれる創世記の時代からコトノハを持っている。光を光と、闇を闇とコトノハを与えた自信である。天皇がコトノハ、文字という言葉によってこの国を治めている、と思ったのだった」と書いているとことを思い出した。三島由紀夫のような右翼・民族派ならば、昭和100年記念式典において天皇の発語を禁じ、天皇の言葉を封じた日本の政府は「無礼」や「不敬」どころか「朝敵」と断じられても仕方がないのではなかろうか? 一水会や雑誌「月間日本」の周辺の人たちに聞いてみたく存じます。