えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
新宿末廣亭で令和六年十一月中席昼の部です。見た演目を書き出してみます。前座の柳家小じかくんの「寿限無」、二つ目の柳家小はぜくんの「饅頭怖い」、二つ目の春風亭貫いちくんの「スパイダーマン」、おしどりのお二人の漫才、鈴々舎馬るこ師匠の「東北の宿」、古今亭菊志ん師匠の「短命」、伊藤夢葉さんの手品、金原亭世之介「宮戸川」、林家しん平師匠の漫談、立花家橘之助師匠の三味線弾きの唄いの浮世節、古今亭菊春師匠の「蛙茶番」、林家正蔵師匠の「ぞろぞろ」で仲入りとなりました。桂やまと師匠の「近日息子」、風藤松原のお二人の漫才、柳亭燕路師匠の「鹿政談」、柳家小里ん師匠の「真田小僧」、翁家社中のお二人の大神楽、主任は柳家三三師匠で「締め込み」でした。
今日は仲入りまで、珍しくも外国の方、ドイツ人のカップルがお見えになっておりました。言葉さえ分かれば落語は境界を楽々と越えていけるのではないかしら? きっとそうだ。この海の向こうからのカップルに大爆笑の連続の主任の柳家三三師匠の「締め込み」までいてほしかった。境界線を越える寄席はパラダイスですな。
横須賀美術館で同時開催されている『響きあう20世紀美術 アートでつなぐ山と海』展と『運慶展 運慶と三浦一族の信仰』展を見ました。
『響きあう20世紀美術』展は横須賀美術館と箱根にある彫刻の森美術館の二つの美術館のコレクションにより、日本と世界の20世紀の美術を紹介するというもの。パブロ・ピカソの大きな陶器に彩色した美術品やら2016年に逝去された石川ヨシ子さんの油彩で描かれた屏風の作品「花の命」がよかった。李禹煥さんの「線より」を見ながら、坂本龍一さんがインタビューでもの派の芸術が好きだと言っていたのを思い出す。李禹煥さんの「線より」が現代音楽の芸術家、スティーブ・ライヒの音楽のやうに見えてくるのはどうしてだろう?
『運慶展』は奈良時代の仏師、運慶の国の重要文化財の作品、五体が勢揃いしている。仏像の結ぶ印がなぜか、ぼくは気になってしまう。仏像は口がきまっておちょぼ口なのはどうしてだろう?
朝井閑右衛門の日本占領下の中国の蘇州を描いた日本画の小さな企画展もあって、それを見ながら、なんとも複雑な気持ちになる。近代史に残る加害者としての日本は、今でもどこかタブーであり、朝井の描いた中国の風景もどこか痛々しくぼくには感じられ、それは生前に李香蘭の別名を持つ山口淑子さんもおっしゃっておられたように、今のガザの市民が虐殺される悲惨にもつながっているように思われるからなのだ。ぼくたちは描かれた美しい景色に隠された何かも見なくてはいけないような気もする。戦後、朝井閑右衛門は日本画を描かなくなり、洋画で占領下の横須賀での占領軍の兵士の闊歩する風景を描き始める。戦中と戦後の朝井閑右衛門の作品を見て、胸がざわざわして、苦しいようなものをぼくは感じるのだった。
展示変えをした谷内六郎館を見ていると、近くで見ていた二人の御婦人の会話が聞こえた。
「昭和のいい感じね」
そのいい感じの視点をたどっていくと、常に子どもの見る幻想がある。三島由紀夫は谷内六郎の絵にでてくる子どもを見ると、戦時中に死んだ妹を思い出すと言ったということだが、三島由紀夫と同じく谷内六郎の戦後も終わることはなかったのだと思う。
堀江貴監督の『最後の乗客』を見ました。一時間足らずの短い映画です。『侍タイムスリッパー』に出ていた冨家ノリマサさん準主役として出ています。まったく違う人格を演ずる冨家ノリマサさんを見ながら、ぼくは「性格俳優」という言葉を思い出したりします。俳優ってすごい。東日本大震災の10年後を描いた、恐いような、悲しいような、切ないような、心に沁みる映画でした。
映画『最後の乗客』公式サイト - GAGA
東京ガーデンシアターで「玉置浩二 Concert Tour 2024 Resume 〜レジューム 新たな始まり」と題された玉置浩二さんのコンサートを見ました。友だちがファンクラブに入っていて、すごくいい席で見ることができました。玉置さんのバンドは弦楽が8人、管楽が2人、ピアノ、ギター、ベース、パーカッションというとてもゴージャスなもので、アレンジもぴったり。とくに音数の少なめのパーカッションが素晴らしい。玉置さんの歌は二人といないうまさで、バラードではお客さんの涙腺から涙をしぼります。安全地帯のころの曲だという「清く正しく美しく」なども歌ってくれたのだけれど、そのように玉置さんのバラードにはベタなメッセージソングもあって、そういうとこらもぼくは好きなのです。素敵な一夜となりました。
国立能楽堂で能楽を鑑賞しました。
狂言は「寝音曲」。唄をうたうことの得意な太郎冠者にうたってくれと頼むと、酒を飲ますとうたおうといい、酒を飲んでうたうけれど、じきに眠くなり、眠りながらうたいだす。唄をたのんだ主人は喜び、もっとうたってくれと頼むが、太郎冠者は忘れたと逃げていく。おおらかな滑稽に会場中が笑います。
能の「蝉丸」は、盲目の琵琶の名手の皇太子の蝉丸が醍醐天皇に捨てられ、藁屋根の小屋で暮らし、逆さ髪により狂女となった皇女である逆髪が、たまたまあずま屋から琵琶の音を聞き、ひさしぶりの兄弟の逢瀬となり、また別れるという哀しい曲でありました。兄弟の出会いと別れにぼくの胸はゆさぶられる。ちなみにこの曲は皇室への不敬とされ、戦時中は上演禁止にもなったそうなのです。
今日は後ろの方の四分の一ほどが課外授業か何かの女子高校生で占められていた。能の後、若い声で「やばいよ」とか「途中で寝れなくなったよ」などの言葉が聞こえる。多分、先生から「退屈だったら寝ていいんだよ」といわれていたのだろう。能が終わり、能楽師も去り、静まった舞台にまばらな拍手。能では余韻にひたるために拍手はしなくても礼儀にかなっているとのこと。ふと後ろを振り返ると、今を生きるたくさんの制服を着た女子が眼に涙をためているようなのです。「蝉丸」はセンシティブな若人にも強烈に感動的な何かであったらしいのです。この国立能楽堂で外国の人が涙をためている姿もたくさん見ました。能楽はどの世界の人々、どの世代の人々にも通じる、日本が世界に誇る舞台芸術なのです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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