えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

横須賀美術館へ『猪熊弦一郎展』を見にいきました。海辺のお気に入りの美術館にときたま行きたくなります。
企画展の『猪熊弦一郎展』での初期の作品の脇にあった解説にパリに絵を描き、学び行ったパリでの猪熊自身の経験が載せられ、それは憧れの巨匠アンリ・マティスから「おまえの絵はうますぎる」と言われたそうなのです。『猪熊弦一郎展』の図録から猪熊自身の言葉を引用します。
のっぴきならない発言だった。つまり「自分の絵になっていない」ということなのだ。私は本当に恥ずかしくなってしまった。(中略)結局、うまく描くということは人に良くみてもらいたいと思うために描くということに通じている。技術の巧拙は自然なものなのだ。思ったことことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶっつけることこそ一番大切だ「絵がうますぎる」という先生の言葉はそんな意味だ。ぐさりと急所を一突きされたようだった。
それ以来、具象から抽象まで、猪口は好きな絵を、好きなように描くようになったみたいなのでした。
ぼくが猪口弦一郎の絵を見て、とてもいいなと思う何かは、ヒューマニティーに通じるユーモアを感じるところだったりします。猪口が好きな何匹も飼っていた猫の絵がいいなぁ。
商業美術にも携わり、依頼されて上野駅に壁画を制作したり、伊勢丹の包装紙、週刊誌の「新潮」の表紙絵をてがけていたりもします。
絵を描く素晴らしい人生に、素晴らしい絵が残された。
併設の谷内六郎館に珍しくも初期の絵が飾られていて、独特な谷内六郎の世界の原点を見せられた気がして、鳥肌が立ちました。
さて海辺をドライブして家に帰るかな。


すごい本を読んでしまった。田坂広志さんの著した『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』。
この本に書かれている最先端量子科学の研究によれば「ゼロ・ポイント・フィールド」というものがあるかもしれないらしい。
「第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか」で亡き父のことが思い出され、身につまされ、「第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく」では、初めて、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のラストシーンの意味が少し分かったような気がした。なにより、この本を読みながら、死は存在しないというなら、生も存在せず、人生は夢のようなものではないか、と思案し始めていたのだけれど、その答えの端緒のようなことも「第一二話 あなたが夢から覚めるとき」に書かれていた。
この本との出会いも何だかシンクロニシティのような気がしてきた。大いなる励ましにみちた書物を、田坂広志さん、ありがとう。
この本に書かれている最先端量子科学の研究によれば「ゼロ・ポイント・フィールド」というものがあるかもしれないらしい。
「第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか」で亡き父のことが思い出され、身につまされ、「第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく」では、初めて、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のラストシーンの意味が少し分かったような気がした。なにより、この本を読みながら、死は存在しないというなら、生も存在せず、人生は夢のようなものではないか、と思案し始めていたのだけれど、その答えの端緒のようなことも「第一二話 あなたが夢から覚めるとき」に書かれていた。
この本との出会いも何だかシンクロニシティのような気がしてきた。大いなる励ましにみちた書物を、田坂広志さん、ありがとう。


北村龍平監督の『天間荘の三姉妹』を見ました。『天間荘の三姉妹』という題名から往年の成瀬巳喜男監督やら小津安二郎監督らの映画みたいな映画かなと想像していたが、まったく違っていた。高橋ツトムさんの原作を知らないぼくにとって、後半一時間はあっと驚くストーリー展開でした。この前、見た『秘密の森、その向こう』に通じる場所の持つ記憶みたいなについての映画でもあるような気がしました。この映画の舞台の「三ツ瀬」は世界のどこかにあるとぼくは信じて疑わない。
ゆめゆめうたがふことなかれ
三姉妹の末娘を演じるのんがとてもよかったし、ダメな父ちゃん、ダメ男演じる永瀬正敏がなんとも渋いいぶし銀の味があって素晴らしい。おまけにその役どころは、いつでもどこでもカメラを手放さないフォトじじいなのです。以前見た『あん』という永瀬さんさんが樹木希林さんとともに主演を演じたオリンピックの映画やらそのNHKのドキュメンタリー、パワハラとかのことで評価を落とした川瀬直美監督の映画を思い出した。特別なファンではないけれど、密かに川瀬さんには映画界で生き残って欲しいと思っています。
しかし、のんのこの演技、地なのだろうか、役の演技なのだろうか? 彼女の演ずる天真爛漫さに肉親と生き別れ、死に別れし天涯孤独という役が心に沁みます。
映画「天間荘の三姉妹」公式サイト


こんな夢を見た。ぼくはどこかの大学の広い講堂にいる。そこで、教授は法華経についての講義をしている。学生は講堂の後ろの方の椅子のないところで小さな篝火のような焚き火を炊いて、そこで暖を取りながら、三々五々、聴講している。ぼくは、講義を聴きつつも、その焚き火の火を絶やさないように番をする係でもあるらしい。火が小さくなってきた。ぼくは薪をくべる。炎は大きくなる。講義をしていた先生は演壇から降りてきて、学生たちの方に来て、炎を見ながら、火の調子はどうだい、と尋ねている。ぼくは燃えている火を見つめている。
そこで目が覚めた。法華経といえば、日蓮だ、と思い出した。日蓮は日蓮宗の祖であり、日蓮宗から分派したのが、日蓮正宗で、その日蓮正宗から分派したのが創価学会や顕正会で、顕正会からしつこく勧誘されたことがあって、なにより組織というものが好きではなく、お金をたくさん取られそうなこと、先祖が浄土真宗であることなどから、むべなく退けた、そんなことも思い出した。もちろん、それでよかった。むしろ、あの夢の中の炎は真言宗の総本山の金剛峯寺で見た護摩木の炎なのかもしれい、などとも思う。夢の中で、あたりはなにか、神仏の清らかな気がたちのぼっていたようなのです。
そこで目が覚めた。法華経といえば、日蓮だ、と思い出した。日蓮は日蓮宗の祖であり、日蓮宗から分派したのが、日蓮正宗で、その日蓮正宗から分派したのが創価学会や顕正会で、顕正会からしつこく勧誘されたことがあって、なにより組織というものが好きではなく、お金をたくさん取られそうなこと、先祖が浄土真宗であることなどから、むべなく退けた、そんなことも思い出した。もちろん、それでよかった。むしろ、あの夢の中の炎は真言宗の総本山の金剛峯寺で見た護摩木の炎なのかもしれい、などとも思う。夢の中で、あたりはなにか、神仏の清らかな気がたちのぼっていたようなのです。


セリーヌ・シアマ監督の『秘密の森の、その向こう』を見ました。
不思議な映画でした。昔、スタジオ・ジブリの『思い出のマーニー』という映画をが見たことがあって、そのとてもよかった『思い出のマーニー』とも何かつながっているようなテーマで、その掌編といった趣であると思いました。エンドロールを見ながら、なんともいえない余韻にぼくは浸っておりました。
最新の理論物理学や量子力学のゼロ・ポイント・フィールドということを本で読んだことがあるけれど、ぼくは景色といものにも、霊があり、記憶を宿しているのだと、なんとなく信じております。この映画を見ながら、そんなことをふと考えておりました。
映画『秘密の森の、その向こう』 公式サイト - GAGA


斎藤利彦さんの著した『明仁天皇と平和主義』を読みました。
この本を読みながら、内田樹さんのいうところの、皇室こそ日本でもっとも強力な平和勢力だとのことが、分かる気がしました。日本国憲法で謳われた、天皇を日本国民統合の象徴とする、その意味を敗戦を経験した若かりし頃から自ら天皇問いつづけ、その答えを「平和主義」に見出したのだとぼくは、『明仁天皇と平和主義』を読みつつ思っていました。明仁天皇を突き動かし、何度も慰霊の旅に赴かせたそれは、ご自身の平和への思いであったことは確かであるようです。そして、明仁天皇の天皇の民主主義への思い、反権威への指向を『明仁天皇と平和主義』は説いています。これは明人天皇の御自身の御言葉。
政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています。
美智子皇后もこうおっしゃられておられます。
その時耳にしたことで、それからずっと忘れられずにいることは、『無関心であることが魂の平安であってはならない』といった一人の人の訴えでございました。
あー、日本で最も美しい言葉で話される人は、言葉を越え、行動で自らの考えを表す人でもあるのことをこの本の「第二章 明仁天皇の公務と意志―普遍的な価値としての平和の創出―」の中の「東日本大震災への明仁天皇と美智子皇后の行動」で知りました。そして、明人天皇の御意志は、沖縄で戦没者慰霊を果たした今の天皇、皇后両陛下にも確かに受け継がれていることこそ、日本国の弥栄であるとも思うのです。
この本を読みながら、内田樹さんのいうところの、皇室こそ日本でもっとも強力な平和勢力だとのことが、分かる気がしました。日本国憲法で謳われた、天皇を日本国民統合の象徴とする、その意味を敗戦を経験した若かりし頃から自ら天皇問いつづけ、その答えを「平和主義」に見出したのだとぼくは、『明仁天皇と平和主義』を読みつつ思っていました。明仁天皇を突き動かし、何度も慰霊の旅に赴かせたそれは、ご自身の平和への思いであったことは確かであるようです。そして、明仁天皇の天皇の民主主義への思い、反権威への指向を『明仁天皇と平和主義』は説いています。これは明人天皇の御自身の御言葉。
政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方ではないかと思っています。私も日本の皇室のあり方としては、そのようなものでありたいと思っています。
美智子皇后もこうおっしゃられておられます。
その時耳にしたことで、それからずっと忘れられずにいることは、『無関心であることが魂の平安であってはならない』といった一人の人の訴えでございました。
あー、日本で最も美しい言葉で話される人は、言葉を越え、行動で自らの考えを表す人でもあるのことをこの本の「第二章 明仁天皇の公務と意志―普遍的な価値としての平和の創出―」の中の「東日本大震災への明仁天皇と美智子皇后の行動」で知りました。そして、明人天皇の御意志は、沖縄で戦没者慰霊を果たした今の天皇、皇后両陛下にも確かに受け継がれていることこそ、日本国の弥栄であるとも思うのです。


松本治一郎記念会館に『死刑囚 表現展2022』を見に行く。小さな会場にたくさんの人が見に来ていた。
死刑囚の絵にぼくは言葉を失う。明日の朝、刑が執行されるかも知れない、そのような毎日を生きる、独房の人生を生きる人たちの描いた絵。ただ、その日を待つのみ。(懲役というのは更生のためにするものだから、死刑囚には懲役はないそうだ。)
ぼくは必ずしも死刑廃止論者ではないけれど、その昔、永山則夫の死刑が執行されたのをニュースで見た時は、何か暗澹たる気持ちになったことを思い出した。ぼくは永山の助けを求める懇願の叫び声を聞いたような気がした。その時、死刑という制度をとても疑問に感じたのだけれども、結論は出せてはいない。永山則夫が獄中で記した『無知の涙』は若いころ、読んでいた。
あと、武田泰淳の戯曲とも小説ともつかない『ひかりごけ』。それとも、ドストエフスキーを読んだら答えは見つかるのか? 絵を見る。この制度があるということは、自分の手も汚れているのではないか? 汚れていない手などあろうものか。死者の冥福を祈るのみ。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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