えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
吾妻光良さんの著した『ブルース飲むバカ歌うバカ[増補改訂版]』を読みました。読みながら、吾妻さんのブルースという音楽への愛を感じていました。そして、ぼくもブルースという音楽が大好きです。
この本を読んで、吾妻さんが絶賛するブルースマン、ブルース・ギタリスト、あまりぼくが聴いたことのないアルバート・コリンズのモダン・ブルース・アルバムなども買ってしまって、読後感に浸りながら聴いてしまいます。
さて、「ブルース飲むバカ歌うバカ」という変なタイトルですが、「増補改訂版あとがき」によれば、ビッグ・ジョー・グリア―さんの歌う“Drinkin' Fool”だそうで、『ブルース飲むバカ歌うバカ』から吾妻さんの訳した歌詞を引用します。
♪ 俺が酔っぱらってる時には ブラックコーヒーをくれ
そう、俺が酔っぱらってる時には ブラックコーヒーをいれてくれ
でも俺がシラフの時にゃあ きつい酒をくれ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は飲みまくるバカなんだから
俺が寂しい時には ベイビー、黙っててくれよ
そう、俺が寂しい時にゃあ ベイビー、口をつぐんでてくれ
でも俺がハッピーな時には ちょこっとギターを弾いてくれ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は歌いまくるバカなんだから
俺が死んじゃっても 棺なんかは買わないでくれ
そう、俺が死んじゃっても 棺なんかはいらないさ
俺の体を川に投げ込んでくれよ
ママ、だってお前知ってるだろ 俺は泳ぎまくるバカなんだから ♪
ブルースはいつもおあとがよろしいようで。
こんな夢を見た。ぼくはある女の人と結婚することとなったらしい。これから二人で暮らすこととなるそれはそれは広い洋館の大邸宅で、二人で大きなシャボン玉を飛ばして遊んでいる。そこに父と母が帰って来る。いたるところ、石鹼の泡だらけになった家の中を見て、父と母は困惑している。
そこで目が覚めた。なんとなく楽しい夢でした。ふと、シャボン玉はユング的で、石鹸の泡はフロイト的だと思う。インターネットで見つけたある夢のページによれば、シャボン玉は夢、希望を表し、石鹸は心の浄化を表すという。なるほどね。
そこで目が覚めた。なんとなく楽しい夢でした。ふと、シャボン玉はユング的で、石鹸の泡はフロイト的だと思う。インターネットで見つけたある夢のページによれば、シャボン玉は夢、希望を表し、石鹸は心の浄化を表すという。なるほどね。
TVアニメの『スローループ』をよく見ています。日本の釣り人口の0.1%ほどだといわれるフライフィッシング、その圧倒的少数派のフライフィッシングの楽しさも『スローループ』ではよく描かれていています。「スローループ」というタイトルもなるほどと思う。「スローループ」とは"SLOW LOOP"のことで、「ゆっくりしたわっか」ということ。フライフィッシングでは急いだり、力を入れたりしては、毛鉤は飛んでいきません。それは、ぼくがやっと知った生活と人生の秘訣でもあります。
いろんところにある釣具店だけれども、フライフィッシングのコーナーは隅においやられていたり、もしくはなかったりします。しかし、フライフィッシング専門の釣具店もちらほら見かけるということは、少数派ながらも、フライフィッシャーはなんだか熱く、密度は濃い。『スローループ』はほんわかした家族の話で、そこにフライフィッシングのフックが入る。そう、この『スローループ』を見て、フライフィッシングを始める若い人もいて欲しいな。
TVアニメ「スローループ」公式サイト
こんな夢を見た。ぼくは坂本龍一さんと知らない町の駅前のローターリーのあたりを歩いている。そこには古ぼけた、もう動きそうにないトロッコ列車が観光客向けの記念物か何かだろうかといった様子で停まっている。坂本さんは、あれにのろうよ、とぼくを促し、二人で小さなトロッコ列車に乗り込む。三両連結の一両がディーゼルか何かの機関車になっていて、その一両の中で、坂本さんはたくさんあるレバーを操作している。すると、その列車は動き出し、ぼくは、やばい、と思い、ドアをこじ開け、列車から飛び降りる。坂本さんを乗せたトロッコ列車は走ってどこかに向かって行く。ぼくは、その列車と足で走って並走し、まがり道でその列車と別れ、とぼとぼと道を歩いて行く。すると、坂本さんが、自転車でぼくを追いかけてくる。坂本さんは自転車を降り、自転車を引いて、歩きながら、高校生のころ、あの列車を動かすいたずらをよくやっていたよ、それで、つかまってしまったことはなかったよ、とぼくに話してくれる。坂本さんとぼくは大きな木造の建物の中に入っていくとそこな木製のロッカーのたくさんある、古い着替え室か物置のようなところで、キャンプの道具などもたくさん置かれている。坂本さんは、じゃまた、とどこかに行ってしまい、いなくなる。その部屋の入ってきたところと違うドアの向こうに大きな体育館らしきものが見えていて、体操着を着た生徒たちが整列している。ぼくも体操着に着替えて、あそこで整列しなくてはいけないのかもしれない。着替えてあの列の一番後ろに申し訳程度に立てばいいのかもしれない、と思いつつ、高校生のころあんな風に整列するのが嫌で、朝会をさぼっていたことを思い出す。
ここで目が覚めた。まさか、教授に何か起こったのかと思い、インターネットでグーグルの窓に「坂本龍一」と打ち込み、ニュースを検索してしまった。坂本さんは去年の一月に大腸がんの手術を受けて、療養中だそうだけれど、大事ではなさそうでよかった。その昔、YMOに「体操」という曲があって、その「体操」について、教授が、体操というものは全体主義に子どもを馴致させるための暴力的な装置だから、あんなもの(体操)を一列に並んで楽しくやったり、やらせてはいけない、とも後に言っていた。もう40年前のことです。そんな坂本龍一さんが好きです。
ここで目が覚めた。まさか、教授に何か起こったのかと思い、インターネットでグーグルの窓に「坂本龍一」と打ち込み、ニュースを検索してしまった。坂本さんは去年の一月に大腸がんの手術を受けて、療養中だそうだけれど、大事ではなさそうでよかった。その昔、YMOに「体操」という曲があって、その「体操」について、教授が、体操というものは全体主義に子どもを馴致させるための暴力的な装置だから、あんなもの(体操)を一列に並んで楽しくやったり、やらせてはいけない、とも後に言っていた。もう40年前のことです。そんな坂本龍一さんが好きです。
美術館をはしごしてしまった。世田谷美術館では『グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生』と『ART/MUSIC わたしたちの創作は音楽とともにある』を、横須賀美術館では『いきものたちはわたしのかがみ ミロコマチコ』を見る。
『グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生』
長生きするのはいいことだ。グランマ・モーゼスことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスが絵筆をとり始めたのが75歳の時で、彼女の人生はの始まりは1860年、亡くなったのは1961年。いまだにその絵がぼくを幸せな気持ちにしてくれる。
『ART/MUSIC わたしたちの創作は音楽とともにある』
「シャンバラ」と題された横尾忠則さんの大きなシルクスクリーンの版画が何枚も貼られたインド音楽の流れる部屋に圧倒される。なんかトリップするわ。
バスキアの絵を始めて見た。これも世田谷美術館が収蔵している絵画。とがった何かがささってくる。バスキアの没年齢が、ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスらと同じ27歳。27年組などとも呼ばれている。短かすぎる人生です。
『いきものたちはわたしのかがみ ミロコマチコ』
ミロコマチコという絵本作家、絵描きは知らなかった。母親や父親に連れられて小さな子どもがたさん見に来ている。初めの方の展示の近作の巨大な絵がすばらしく、感動して、ぼくは鳥肌が立っていた。その絵の黒い大きなわけのわからない生きものに、ある小さな女の子が、これなーに、と大きな声を出して、指をさして、絵にべったりと触れてしまっていた。すいません、絵に触れないでね、と係りの人が即座に注意していて、お母さんはおおあやまり。けれど、遅かったです。個人的な不謹慎にも笑ってしまった。もしかして、このような子どもの率直な驚きの気持ちに触れることは、ミロコマチコさんの本望かもしれない、と思う。ぼくも、心の中で、これなーに、と指さし、その自分に中に湧きのぼってくる驚きの気持ちが楽しかった。
いい一日になりました。
この前、ビルボードライブ横浜に吾妻光良 And Swinging Boppersを見に行きました。
ぼくが学生のころから好きだったBoppers。とぎれることとなくゆるく活動してきた、ぼくより少し年上のお兄さん世代の彼らには、今、ライブを見ると特別な感慨もあるなぁ。その容貌がいい具合に老けていって、確かに、ぼくと同じ時代を生きてきたというような感傷も何だか、感じつつ、やっぱり、Swinging Boppersの音楽を聴くと、にやけたり、笑ったりしてしまうよ。
昔、インタビューでバンドを長続きさせる秘訣は、あまり熱心にやらないことです、などと言っていた吾妻さんだけれども、ライブを見るたびに、途切れることのないブルース愛、音楽愛を感じてしまいます。
楽しかった。
初台にある新国立劇場のオペラパレスでワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』を見ました。感動しました。
ぼくは、生きているうちに二つのオペラをいつか見たいと思っていて、一つはガーシュインの『ポギーとベス』、一つはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』なのです。この『さまよえるオランダ人』はその前哨戦かもしれない。
昔、中上健次がインタビューで「物語の復権」ということを唱えていて、貧血症状の昨今の日本の小説を批判しつつ、ワーグナーの歌劇みたいに何回もたたみかけるような物語を作りたいと言っていたことを思い出したりした。そんな風にラストは怒涛の展会で、ぼくの目頭は熱くなる。さすが、クラシック愛好家の世界にワーグネリアンという人たちがいるわけだと納得。
ガーシュインの『トリスタンとイゾルデ』はニューヨークのメトロポリタン劇場での劇をそのまま撮影したのを映画館で見たことがあるのだけど、ガーシュインもワーグナーの影響を受けていそう。
やっぱり、三島由紀夫の小説もなんだか思い出した。そして、悲劇は高まり、究極の救いとなる。
決して、ルートの音にもどらない無限旋律ですか。催眠効果があるんじゃないのか。三幕目の一幕目は眠くなったりしたよ。
舞台美術がモダンでとてもかっこいい。
見どころ満載のオペラでした。
いつか見る『トリスタンとイゾルデ』がますます楽しみ。
さまよえるオランダ人 - オペラ - 新国立劇場
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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