えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ





マーク・カーランスキーさんが著し、片岡夏実さんの訳した『魚と人の知恵比べ フライフィッシングの世界』を読みました。この本でフライフィッシングという釣りの方法がどういう歴史をたどり、今のフライフィッシングとなったかを知り、その魅力がどこから由来するのかも少し分かった気がしました。
ぼくはいくつかの種類の釣りを試したことがありますが、渓流でのフライフィッシングに何か特別のぼくを惹きつけてやまない何かがあります。それは釣ってもフィッシング、釣れなくてフィッシングで、そこにあるものなのです。その何かに通じるような端的な言葉でこの本は締めくくられております。その言葉はぜひこの本をお買いになり、お読みください。
ぼくは一人で渓流に立ち、毛鉤を投げるぼく自身を思い描いたりします。それは、なんて自由で満ち足りているのでしょう。


横須賀美術館に『new born 荒井良二』展を見に行きました。ぼくは荒井良二さんの絵が大好きなのです。
ぼくには夢があって、いつかアルバムを出す時、荒井良二さんの絵をジャケットにすることなのです。その時はぼくの作った歌『Blue Fishing Blues』を聴いてもらって、絵を描いてもらおう。などと思って展覧会を巡っていると、なんと大好きな酒井俊さんのアルバム『a few little things』となった絵がかけられておりました。おー、シンクロニシティですな。この夢はかなうはず。
荒井良二さんは2005年にアストリッド・リンドグレーン記念文学賞を日本人として初めて受賞しておられ、アストリッド・リンドグレーンというとあの『長くつ下のピッピ』を書いた人ではありませんか。
心のおもちゃ箱の中のような楽しい展覧会にまた来たいな。その時、荒井良二さんが在廊しておられますまいか。9月7日までの開催だそうです。
new born 荒井良二 | 展覧会


オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督の『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』を見ました。ロシアがウクライナへ戦争をする前の2020年のウクライナ映画。第二次世界大戦下でのウクライナの家族、ポーランドの家族、ユダヤ人の家族への容赦のない恐ろしいナチスとソ連の暴力に胸がふたがります。
この映画の公式ホームページにあるウクライナの年表で過酷な歴史を知りました。けれども、お母さんは強く、子どもたちは生きのびるでしょう。そう、もう一度、「シェドリック(キャロル・オブ・ザ・ベル)」を歌うのです。ぼくは世界から圧政者と侵略者がいなくならんことを祈ります。
映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』


こんな夢を見た。ぼくはどこかの森の中の発掘現場の跡のような所にいる。そこの土から大きな古びた缶切りのような物を見つける。その大きな缶切りのようなものには蓋のようなものが付いていて、それを開ければ何か貴重な黄金のような物が隠されているような気がして、開けようとするが、なかなか開かない。何かの拍子にするすると開けられると、そこには黄金のような物ではなく、鮮やかなカメムシの死骸があるのみである。ぼくはなぜか予想通りのような気がして、それをじっと見つめてしまう。
そこで目が覚めた。ユングのいうところのスカラベではなくカメムシだけれど、夢から覚めたあとでも、その鮮やかに輝く緑色が心に残りました。吉兆ですぞ。ゆめゆめうたがふことなかれ。
そこで目が覚めた。ユングのいうところのスカラベではなくカメムシだけれど、夢から覚めたあとでも、その鮮やかに輝く緑色が心に残りました。吉兆ですぞ。ゆめゆめうたがふことなかれ。


オンデマンドで小津安二郎監督の『お茶漬けの味』を見ました。なんだか、ホッとするラストですな。胸がジーンとしました。
1952年の映画ですが、もともとは1932年に製作予定だったもので、当時の軍国主義の日本での検閲により撮ることのできなかった映画だそう。戦後編では会社員の夫がウルグアイに出張に行くという話は、戦中では夫は応召して戦争に行くという話だったそうです。小津はのらりくらりと逃げて、戦中は一本も軍国主義日本のための国策映画を撮っていない。そのことは、文豪、谷崎潤一郎みたいでもある。この映画でも主演の佐分利信に「戦争はもうまっぴらだ」というセリフを言わせています。
有閑マダムとその純朴な夫のほとんど筋のない会話劇だけれども、安心して見ていられる面白さ。戦争に負けて七年後、日本人が何を求めていたか分かるような気もします。小津安二郎にしか作れない名画なのです。
